地形由来
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「愛知」の県名は古代の郡名「愛知郡」に由来する。「あいち(あゆち)」はかつて名古屋南部に広がった干潟「年魚市潟(あゆちがた)」を語源とし、崩落地形を意味する古語に遡る。
「青い森(常緑樹の林)」が港付近に広がっていたことに由来する。1871年(明治4年)の廃藩置県で青森県が成立し、港湾都市・青森が県名となった。
658年(斉明天皇4年)の『日本書紀』に「齶田(あぎた)」として登場するのが初出。「あぎ(上げ)」が転じた語で「周辺より高くなっている場所」を意味するとする地形由来説が有力。
「石川」の県名は加賀地方にあった古代の郡名「石川郡」に由来する。石川郡の名は県最大の河川・手取川の古名「石川(石・岩の多い川)」に由来し、扇状地の砂礫地形を表す地名である。
岩手山の地形に由来し「岩が出た場所」を意味するとする説と、三ツ石神社に伝わる鬼の手形伝説に由来するとする説がある。いずれも「岩」と「手(場所を示す語)」を語源とする。
古来から国府が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し、「おおきた(大北)」がイ音便によって「おおいた」に転じたものとされる。
「大阪」の地名は室町時代の僧侶・蓮如が命名した「大坂」に由来する。「坂」が「土に返る」を意味して縁起が悪いとして、明治初期に「阪」へ改字された。「府」は東京・京都とともに三大都市のみに与えられた特別な行政区分である。
岡山城が築かれた小高い丘(岡)に由来し、「岡の山」すなわち丘のある地形を意味する名称が城下町を経て県名に採用された。
「香川」の県名は古代から続く郡名「香川郡」に由来する。「かがわ」の語源は「樺川(かばかわ)」の転訛や、花の香りが川に移る様子など複数の説がある。廃藩置県後に2度廃止・2度復活という日本唯一の波乱の歴史を持つ。
「カゴ(崖・断崖)」を意味する言葉と「シマ(島・地)」が組み合わさったとする説が有力で、桜島周辺の急峻な地形を指した地名が転じたとされる。
「神奈川」の県名は、東海道の宿場として栄えた神奈川宿(現・横浜市神奈川区)の地名に由来する。「かながわ」はかつてこの地を流れていた小川「上無川(かみなしがわ)」が転訛したものとされる。
県名は明治4年(1871年)廃藩置県時の県庁所在地を含む「群馬郡(ぐんまぐん)」に由来する。「群馬」はもと「車(くるま)」と読み、古代の豪族「車持君」や川の曲流など諸説あるが、和銅6年(713年)の勅令で漢字二文字の「群馬」に改められた。
「高知」の地名は、山内一豊が鏡川と江の口川に囲まれた地形から「河中山(こうちやま)」と命名したことに由来する。水害連想を嫌い「高智」→「高知」と改字され、城名・城下町名から県名へと引き継がれた。
「埼玉」の県名は廃藩置県時に県庁設置予定地として計画された「埼玉郡」に由来する。「さきたま」は湿地や水辺の端を意味する地形由来の古称で、飛鳥時代には「前玉」と記されていた。
「滋賀」の県名は古代から続く郡名「滋賀郡」に由来する。「しが」の語源は「石の多い所」を意味する「シカ(石処)」や「砂地」を意味する「スカ」の転訛など複数の説があり、琵琶湖畔の地形と関係する。
「静岡」の地名は明治初期に命名された比較的新しい地名で、城下町の北西にある賤機山(しずはたやま)に由来する。「賤(しず)」の字が身分の低さを連想させるため、「静(しず)」の字に改めて「静岡」とした。
県庁が置かれた松江城の旧所在地・島根郡(嶋根郡)に由来し、その地名は『出雲国風土記』において八束水臣津野命が命名したと伝わる。
「千葉」の県名は設置時に県庁が置かれた「千葉郡千葉町」の名に由来する。「千葉」という地名の語源は「台地の端(ちば)」を意味する地形説が有力で、万葉集にもその名が見られる古称である。
「徳島」の名は1585年(天正13年)、蜂須賀家政が吉野川河口の三角州に築いた城を「徳島城」と命名したことに由来する。島状の地形と縁起の良い「徳」の字を組み合わせた命名とされる。
「富山」の地名は室町時代の「外山(とやま)」に由来し、呉羽山の外側(東側)に広がる地域を意味する。江戸時代に縁起のよい「富山」の字に改められ、廃藩置県で県名に採用された。
「長野」の県名は廃藩置県時に県庁が置かれた長野村(現・長野市)の地名に由来する。長野の地名自体は、善光寺平が「長く続く野(傾斜地)」であることから名付けられたと伝わる。
「奈良」の語源は土地を「平す(ならす)」に由来するという説が有力で、山に囲まれた盆地を切り開いて造成した地を表すとされる。古代の都・平城京が置かれた地で、廃藩置県後に一時大阪府に編入された後、1887年に独立した県として復活した。
信濃川・阿賀野川河口に新しくできた干潟(潟)に由来する。「にいかた(新方)」が転訛して「にいがた(新潟)」になったとする説が有力で、永禄11年(1568年)の上杉謙信書状に初出する。
戦国大名・毛利輝元が太田川河口の三角州に築城した際の地名に由来し、広大なデルタの島(洲)を意味する「広い島」から名付けられたとされる。
1600年の関ヶ原の戦い後、筑前国を与えられた黒田長政が、先祖ゆかりの備前国(岡山県)の地名「福岡」を新たな城下町に名付けたことに由来する。
文禄年間(1592〜1593年)に木村吉清が「杉目城」を「福島城」と改称したことに由来する。吹島(ふくしま)が転じた説と、縁起を担いで「福」の字を用いたとする説がある。
「三重」の県名は古代の郡名「三重郡」に由来する。「み(水)」+「え(辺)」で水辺の地形を表すとする説が有力。廃藩置県後に安濃津県として発足したが、県庁移転に伴い三重郡の名から「三重県」に改称された。
宮城郡名に由来し、湿地を意味する「みやき(やき)」が転じた説と、塩竈神社や多賀城など宮や城の存在にちなむ説がある。1871年(明治4年)に仙台県から宮城県へ改称。
「宮(神社)の前の地(崎)」を意味し、神社の前方にあたる場所「宮前(みやさき)」が転じたとする説が有力。奈良時代にはすでに「宮崎郡」の名が文献に登場する。
平安時代の地誌『和名類聚抄』(931〜938年)に記された「最上郡山方(やまがた)郷」が語源で、中心部から見て山の奥寄り・山の方向にある土地を意味する。
「山口」は「山の入り口」を意味する地名で、東鳳翩山などの山々への入り口にあたる地形から名付けられたとされる。
「山梨」の県名は律令制下から続く古代の郡名「山梨郡」に由来する。廃藩置県時に甲府県から改称された。「やまなし」は「山を成す(山平らし)」など複数の説があるが、古代からの地名がそのまま郡名・県名へと受け継がれた。
「和歌山」の名は1585年(天正13年)、豊臣秀吉が紀伊を攻略した際に、名勝「和歌の浦(わかのうら)」にちなんで命名したとされる。城と城下町に「和歌の山」の名が与えられ、以後「和歌山」として定着した。
町名は、町の中央を流れる中津川が古く鮎河(あゆこう)と呼ばれたことに由来し、その音に合わせて「愛川」の字が当てられたと伝えられます。川とともに発展してきた町名です。
「坂下」は地形の傾斜や崖を表す「ばんげ」に由来するとされ、アイヌ語の「ばっけ」説や地形説が伝わります。町名は古くから「坂下」と記され、由来には諸説あります。
会津美里町の町名は、旧会津高田町・会津本郷町・新鶴村の合併に際し、会津の歴史と美しい里のイメージを重ねて名づけられました。地名の「会津」自体は、古事記に見える「相津」に由来するとされます。
会津若松市の「会津」は、古くは川や水辺が合う場所を表す「相津」に由来するとされ、のちに「会津」と表記されました。市名の「若松」は蒲生氏郷が城下町整備の際に改称したものです。
青ヶ島の地名は、島名「青ヶ島」に由来します。由来には「アヲ」は「アブ」の転で「崖の島」とする説があり、火山島の険しい地形を反映した名と考えられています。
仙台城が建つ青葉山の名に由来し、仙台の象徴として広まった地名です。もとは寺院の山号「青葉山」にさかのぼるとされます。
港付近に生い茂っていた常緑樹の「青い森」に由来するとされる。江戸時代初期に津軽藩が港湾開発を行った際、この地名が定着した。
村名はアイヌ語の「フレ・ペツ(赤い川)」に由来するとされ、赤土の多い地形にちなむともいわれます。明治32年の分村を経て、明治39年に赤井川村として成立しました。
明石市の地名は、明石川西方の赤石に由来する説や、「明し」に通じる明るい土地を表す説が伝わります。古くから文献に見える古い地名です。
阿賀野市の市名は、市域を流れる阿賀野川に由来します。阿賀野川の名は、阿賀郡と野積・野田などの「野」の地名要素に関わるとされ、地域の自然地形を反映した名称です。
赤平市の地名は、アイヌ語に由来するとされ、「山稜の崖」や「赤い崖」を意味する言葉に漢字を当てたものと考えられている。
阿賀町の町名は、町域を流れる阿賀野川の「阿賀」に由来します。川名は古くから地域を象徴する呼び名として用いられ、町名にも受け継がれました。
昔の「吾勝野(あがつの)」が二つに分かれ、「アカ村」と「ツノ村」になったという伝承が地名由来として伝えられています。景行天皇の言葉にちなむ説が、村名の成立を説明します。
『日本書紀』に「齶田(あぎた)の浦」として登場する古い地名。語源は「周辺より高くなっている場所」を意味するという説が有力で、飛鳥時代から続く地名の歴史を持つ。
古くは秋留郷と呼ばれ、阿伎留神社や秋留台地など「あきる」の名が地域に親しまれてきました。新市名は、その歴史ある呼称に「野」を加え、親しみやすさと将来への発展性を込めて命名されました。
粟国村の地名は、琉球王国期の史料に見える「亜蛙群尻」などの表記にさかのぼるとされます。島名に由来する村名で、現在の行政区域は粟国島全域です。
阿久根の地名は、県の資料では明確な語源説明が見当たらず、由来は未詳です。古くから海・陸交通の要衝として栄えた北薩の港町として知られます。
芝川と鴨川に挟まれた台地上にあることから、「上(高台)」と「尾(山の尾根)」を合わせた地名といわれます。中山道の宿場町として発展し、近代以降は鉄道開通と工業化で市街地が広がりました。
上松町の地名は、木曽谷の上流側にある「上の松」に由来するとされ、木曽路の宿場町としての位置づけとも結びついています。
春から秋にかけて朝方に発生する幻想的な霧にちなみ、「あさぎり町」と名づけられました。盆地特有の気候と豊かな自然を表す地名です。
朝倉市の地名由来は諸説ありますが、古くは「麻氐良(まてら)」に由来するという説が知られています。地元の伝承や文献解釈に基づく説があり、確定的な定説はありません。
町名は「朝日」の地名に由来し、古くはこの地で見た朝日にちなむと伝えられます。三重県朝日町では、町史や博物館の案内でもこの由来が紹介されています。
1954年の合併で成立した新町名で、北アルプス最北端の名峰・朝日岳にちなんで名付けられました。朝日岳は「最初に陽光を受ける山」の意味を持つとされます。
山形県朝日町の地名由来は、朝日が差し込むような明るい土地柄や、山並みの東側に位置することにちなむと考えられます。町名としては比較的新しく、周辺の自然環境を反映した地名です。
松本盆地南部の西山麓高原にあり、朝日がいち早く当たることから名づけられました。旭日のように輝かしく発展する願いも込められています。
芦北町の地名は、古くは「葦北郡」として奈良時代の木簡にも見える古い郡名に由来します。葦の生える低湿地を表す地名と考えられ、漢字表記は時代とともに「葦北」から「芦北」へ変化しました。
芦別市の地名はアイヌ語に由来し、「ハシュペッ(低木の中を流れる川)」または「アシペッ(切り立った川)」を語源とする説がある。
芦屋市の地名は、沿岸の湿地にアシが茂り、葦を葺いた家が点在したことに由来するという説が有力です。古くは『伊勢物語』にも登場し、業平ゆかりの地としても知られます。
遠賀川河口の港町として古くから栄えた「芦屋」に由来します。地名は、古い港名「岡水門(おかのみなと)」に連なる歴史を持つとされます。
明日香村の地名は、古くは飛鳥地方の呼称に由来し、地形説や外来語説など複数の説があるとされています。行政名としては1956年の合併時に縁起のよい「明日香」が採用されました。
海中から熱い温泉が湧き出して海が熱くなったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、転じて「熱海」になったと伝えられます。
熱田区の地名は、古くは「吾湯市(あゆち)」や「年魚市潟(あゆちがた)」に由来するとされる説が有力です。ほかに、熱田神宮の伝承に結びつく説も伝わっています。
アイヌ語の「アットマム」(向こうの湿地帯)に由来するとされる地名です。湿地の広がる地形を表した呼び名が転訛して厚真となりました。
穴水町の地名は、平安時代にはすでに見える古い地名で、町の案内では808年に存在が確認されるとされています。由来については、清泉の湧く「穴水」や「穴見津」などの説があり、確定していません。
阿知川の南にある地域として「阿南」と呼ばれるようになり、昭和32年の合併時に町名として採用されました。周辺地域との交流の深さから「ちょう」と読む呼称も定着しました。
「網走」はアイヌ語の「アパシリ」に由来するとされ、「入り口の地」「我らが見つけた土地」など複数の説が伝わる地名である。
安平町の地名は、アイヌ語の「アラピラペッ(ar-pira-pet)」などに由来し、「片側に崖のある川」「一面が崖の川」と解されます。町名は2006年の合併時に旧村名の安平を採用して定着しました。
「尼崎」は、海に関わる仕事に就く人々を表す「尼」と、海に突き出た場所を表す「崎」から成る地名で、漁民・海民の集落を意味したと考えられています。
町名は、徳之島町との境にある天城岳に由来するとされます。旧名の「雨気(あめぎ)」が転じて「天城」になったという伝承も伝わっています。
阿見町の地名は、古くは「波佐間戸」とも書かれ、霞ヶ浦沿岸の入り組んだ地形や舟着き場に由来すると考えられています。町内の廻戸は「めぐる」意の「廻」と「戸」から成る地名で、地形的特徴をよく表しています。
綾瀬市の地名は、1889年に成立した高座郡綾瀬村に由来します。由来には、支流が綾のように連なる地形、旧称の綾瀬川、養蚕にちなむ説があります。
荒尾市の地名は、周辺の地形や古い集落名に由来すると考えられています。熊本県北西部の海岸平野に位置し、地名には土地の成り立ちが反映されています。
「有田」の地名は「田または畑の有高」、すなわち田畑が豊富にある地域を表す古地名に由来する。町内を流れる有田川の名もこの地名に由来する。
市名は、古くは「阿波路」と書かれ、京の都から四国・阿波国へ向かう航路の途中にある島を指したことに由来するとされます。のちに「淡路島」の表記が定着し、現在の市名にも受け継がれました。
村名は、島名の「粟島」に由来し、浦は島の港や入り江を表す地名要素と考えられます。文献上は古くから「粟生」とも記され、縄文期からの人の営みがうかがえます。
あわら市の地名は、湿地や悪所を表す「アシハラ(芦原)」に由来するとされます。転じて「あわら」となり、旧芦原町の名を受け継いで市名になりました。
安城市の地名は、戦国時代の安祥城に由来する説が有力です。ほかに、安祥寺の荘園名や瑞祥地名とする説も伝わっています。
古代〜中世の荘園名「安堵庄」に由来するとされ、もとは「アト」と呼ばれた低地の地名に、縁起のよい字を当てたと考えられています。
「飯田」は「結いの田」、つまり共同で耕す田に由来するとされます。鎌倉時代の文献に見え、地形と共同労働の歴史が重なった地名です。
町名は、町域のシンボルである飯縄山(飯綱山)に由来します。2005年に牟礼村と三水村が合併して成立した新しい自治体名です。
町名は、町域にまたがる飯豊山(飯豊連峰)に由来します。山名の「飯」が稲作信仰と結びつき、古くから信仰の山として崇敬されたことが背景にあります。
飯山市の地名は、飯山城のあった場所が「飯を盛った山」のような形に見えたことに由来するとされます。中世には「飯山」の表記が見え、城下町として発展しました。
伊江村の地名は、村域をなす伊江島の名に由来します。島名の由来は資料上は明確ではありませんが、古くから一島一村として呼ばれてきました。
町内を流れる井川に由来し、水辺の地形を表した地名とされる。
村名は、周辺の地形や集落名に由来すると考えられますが、由来の詳細は確定的な資料が限られています。現行の村名は明治22年の町村制施行で成立しました。
岐阜県池田町の地名は、古代の「池田郷」に由来し、池や水田の広がる土地を表したと考えられます。町名は中世以来の地名を受け継いだものです。
町名は、鉄道駅に付けられた「池田」の名が定着したもので、池田農場に由来します。もとはアイヌ語地名の「セイオㇿサㇺ」に和人が「凋寒」と漢字をあてていました。
近世の村名「池田町村」に由来し、さらに「イケ(水のある所)+タ(場所を示す接尾語)」とみる説があります。千国街道の宿駅として発達した中心地名が町名として受け継がれました。
生駒の地名は、古い語形「イコマ」に由来し、鹿がいる山を表す説や地形由来の説が伝わります。市名は生駒山の名を受け継いだものです。
石井町の地名は、町内の「石井」という旧地名に由来すると考えられます。町域は吉野川南岸の沖積平野に広がり、地形と水利に支えられて発展してきました。
石岡市の地名は、古代の茨城郡にあった茨城郷に由来するとされます。高台や崩落地を表す古い地名要素が転じた説が有力です。
石垣市の地名は、石が多い地形を表す「石垣」に由来すると考えられます。八重山の中心地として古くから集落が発達し、地名も地域の歴史とともに定着しました。
石狩市の名は、石狩川を指すアイヌ語「イシカラペツ」に由来し、「曲がりくねって流れる川」や「神が美しくつくった川」などの意味を持つとされる。
石巻市の地名は、石が水流に巻かれるように見えた「石巻石」や、「伊寺水門」からの転訛など、港と川にまつわる説が伝わります。
伊豆市の「伊豆」は、半島が海へ突き出す地形を表す「いづ(出づ)」に由来する説が有力です。古くは飛鳥時代の木簡に「伊豆国」と見えます。
市名は古くから「大津」と呼ばれた港津に、国名の「泉」を冠して成立しました。地名の「大津」は名勝地として知られた小津・大津の浦に由来するとされます。
昭和61年の戸塚区分区の際、泉が湧き出るように若い活力を生み出しながら発展するよう願って名付けられました。地名は区内の湧水の多さとも重なり、自然を感じさせる名称です。
仙台市泉区の「泉」は、区名の由来となった泉ヶ岳にちなむとされます。自然に由来する瑞祥的な地名として受け止められています。
泉崎村の地名は、村内にある泉の湧く崎状の地形に由来するとされます。古くから水に恵まれた土地柄を反映した地名です。
中世以来の村名「佐野」に旧国名の和泉を冠した地名で、伝承では「狭い原野」が転じたものとされています。
古くから清水が湧き出る土地として知られ、泉井上神社の「和泉清水」に由来すると伝えられます。のちに「泉」に好字の「和」を添えた二字佳名として「和泉」と表記されました。
磯子は、武蔵国久良岐郡の平子郷に由来し、平子氏の名が転じたとする説が有力です。海岸地形を表す「磯」と結びつける説も伝わります。
町名は、かつてこの地にあった「板倉村」に由来し、さらに古くは「伊奈良の里」と呼ばれたことにちなむとされます。万葉集に見える「伊奈良の沼」との関連も指摘されています。
古くは板来・板久とも書かれ、常陸国風土記では「伊多久」の郷と記された地名です。水郷の要衝として栄え、のちに潮来へ改称されました。
板野町の地名は、古代の郡名「板野」に由来し、低湿地や崩壊地形を表す語に結びつける説があります。郡名として古くから用いられ、周辺の古代交通路とも関わる地名です。
旧中山道と石神井川にかかる「板橋」という橋に由来する説が有力です。一方で、台地の端を表す地形由来の説もあり、由来は一つに定まっていません。
伊丹の地名は、古くは「イタナミ(斎田並)」に由来するという説が有力です。猪名野の開けた田地や並ぶ水田を表した古い地名が、のちに伊丹へ転じたと考えられています。
板柳町の地名は、板状の土地や板屋根の家屋と柳の多い風景に由来するとされる。
市川市の地名は、江戸川が「一の川」と呼ばれたことや、川沿いに市が立ったことに由来するとされます。市内には真間や菅野など、地形を反映した地名も多く残ります。
市原の地名は、古くは「市原郡」「市原郷」として見え、諸説あるものの、養老川の浸食地形や「いちいの繁茂する原野」などに由来するとされます。
伊東市の地名は「伊豆国の東部」を意味する漢語表現に由来するとされます。中世の郷名・荘園名の復活使用による新命名とする説もあります。
糸島市の名は、旧怡土郡と志摩郡を合わせて「糸島郡」としたことに由来します。旧郡名の由来は明確ではありませんが、伊都国や島に結びつける説が知られています。
町名は、町内の泌泉(たぎり)に由来するとされます。古くから生活用水や灌漑用水として利用された水辺の地名が、そのまま町名として定着しました。
地名の由来には諸説あり、古い史料では「いとまむ村」とも表記されました。漁業や海人に関わる語から転じたとする説が有力視されています。
伊那の地名は、伊那谷一帯を指す古い呼称に由来するとされ、井名・稲・畝などを語源とする諸説があります。市名としては近代以降に定着しました。
稲敷市の地名は、旧郡名の「稲敷郡」に由来します。郡名の「敷」は、台地や低湿地などの地形を表す古い語と考えられています。
町名は室町時代に見える荘園名「印南荘」に由来するとされます。『続風土記』には海部(うなへ)の転語とする説もありますが、不詳です。
猪苗代町の地名は、古くは「猪鼻代」「猪名代」などとも書かれ、猪の鼻のように突き出した地形や、猪が多くいた土地に由来するとする説があります。
茨城町の町名は、県名と同じく古代の茨城郡・茨城郷に由来すると考えられます。地名の原義は高台や崩落地を表す説があり、後世に当て字として「茨城」が用いられました。
地名の由来には諸説あり、良い井戸水が湧く土地を表す説や、茨(いばら)が多い地だったとする説が伝えられています。
「指宿」は古くは「湯豊宿(ゆほすき)」と呼ばれた地名がもとで、『和名類聚抄』には「以夫須岐」と記されました。周辺の「湯」の付く小字の多さから、温泉地に由来する地名と考えられています。
伊平屋村の地名は、古くは「ゑひや(恵平屋)」と呼ばれた島々の名に由来します。琉球王国期の文献にも見え、島の呼称が村名として受け継がれました。
市名は旧射水郡の郡名に由来し、万葉集に見える「伊美豆」「伊美都」といった表記にさかのぼるとされます。語源は「出ずる水」を意味するともいわれ、川口や湧き水を示す地名と考えられています。
伊予市の「伊予」は、古代の伊予国に由来する地名で、温泉や湧水など水に関わる説が知られています。市名は旧国名を受け継いだもので、地域の歴史を今に伝えています。
市名は旧入間郡からの借用で、古くは「入間野」と呼ばれた地域名に由来します。語義は「入り込んだ谷間・低地」を表すとする説が有力です。
岩の間から湧き出る泉に由来するとされる地名です。地形と水に結びついた、わかりやすい命名といえます。
岩国市の「岩国」は、岩の多い地形を表す「岩」と、国衙・郡などの行政区画を示す「国」を組み合わせた地名とされます。古くから錦川流域の要地として発展し、地名も地域の中心性を反映して定着しました。
岩倉市の地名は、新溝神社の巨石群に見られる「磐座(いわくら)」に由来するという説が有力です。ただし文献上の初出は中世で、語源には諸説があります。
古代の郡名「磐田」に由来し、「岩石の多い場所」を意味すると考えられています。昭和15年の町名採用を経て、市名として受け継がれました。
岩槻の地名は、岩をもって築いた城に由来するとされます。古くは「岩付」「岩築」とも書かれ、城下町としての歴史とともに定着しました。
紀の川沿いに珍しい形の岩が多く突き出していたことから「岩出」と呼ばれたとされます。もとは「巌出」とも表記され、のちに現在の字に改められました。
岩手町の地名は、岩手郡に由来し、さらに岩手山の噴火で生まれた岩の多い地形にちなむと考えられています。
岩内町の地名は、アイヌ語の「イワウナイ(硫黄の沢)」に由来する説が有力です。ほかに「山・川」や「軽石の多い川」とする説も伝わります。
岩沼市の地名は、鵜ヶ崎城(岩沼城)が岩質の地形と沼に囲まれていたことに由来するとされます。古くは「武隈」とも呼ばれ、地形と城下町の歴史が重なって現在の名が定着しました。
印西の地名は、印旛郡の西部にあたることを表す中世荘園名の復活使用とされます。印旛沼の西に位置する地理的特徴を反映した名です。
上田市の地名は、鎌倉末期に見える「上田荘」にさかのぼり、段丘上の田地、または段丘の上にある土地を意味すると考えられています。城下町として発展した上田城築城以前からの古い地名です。
桂川の河岸段丘上に発達した宿場町・市場町に由来する地名で、古くから甲州街道の要地として栄えました。市名は旧上野原町にちなみ、2005年の市制施行で上野原市となりました。
魚沼の地名は、かつてこの一帯に広がっていた大きな沼地や湖沼を表す「大沼」に由来するという説が有力です。のちに「大」が音変化や表記変化を経て「魚」に転じたと考えられています。
うきは市の「うきは」は、古代の地名「浮羽」に由来し、『日本書紀』にも見える古い地名です。水辺に浮かぶような地形を連想させる名と考えられています。
右京区の「右京」は平安京の官職名に由来し、区名としては1931年の京都市編入時に成立しました。区内の太秦は秦氏ゆかりの地として知られ、地名の由来も渡来系氏族との関わりが指摘されています。
牛久市の地名は、牛久沼に由来する説が有力で、沼の性質や伝説に結びつけて説明されます。アイヌ語由来説など諸説ありますが、古くから定着した地名です。
宇治市の地名は、応神天皇の皇子・菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)に由来する説と、「内」を意味する地形語に由来する説が知られています。山に囲まれた地形から「うち」が転じたとする見方が有力です。
古代の田原郷を受け継ぐ地名で、宇治の南にある田原の地を指したことに由来すると考えられます。中世には田原郷・田原庄の名で史料に現れ、宇治を冠して宇治田原となりました。
宇陀の地名は、古くは菟田・宇太・宇田などとも書かれ、境界や端を表す語に由来するとされます。水の神を祀る宇太水分神社や河川流域との関わりから、水辺の土地名としても解釈されています。
歌志内市の地名は、アイヌ語の「ペンケウタシュナイ」に由来し、「砂のたくさんある沢」を意味するとされる。
旧郡名の鵜足(うた)に港を意味する「津」が付いた地名で、古くは鵜足津とも表記されました。
日本海と河北潟を隔てる砂丘地「内灘」に由来する町名です。もとは自然地名で、合併時にその名が町名として採用されました。
下野国の一宮・二荒山神社の別号「宇都宮大明神」に由来する地名。「一宮(いちのみや)」が転訛して「宇都宮(うつのみや)」になったとする説が有力で、鎌倉時代に現在の表記が定着した。
宇土市の地名は、宇土半島がもとは島で「浮土」と表したものが転じたという説や、細く長い谷を意味するという説がある。古くから宇土郡の名で見られる地名で、地形に由来する可能性が高い。
宇部市の地名は、ムベの繁茂地、海辺の景観、宇治部の部民集住などを由来とする諸説があります。古くは「むべ」「むへ」とも記され、のちに「宇部」の表記が定着しました。
馬路村の地名は、馬で物資を運ぶ山間の交通路に由来する説が有力です。ほかに、保元の乱で逃れた平隆長の開拓地とする伝承もあります。
アイヌ語の「ウライウシナイ(梁のある川)」、または「ウラシナイ(笹川)」に由来するとされる地名です。いずれも川の様子を表した説で、諸説あります。
浦幌町の地名はアイヌ語に由来し、「霧が多いところ」または「ヤマシャクヤクの所」とする二説が伝えられています。
浦和の地名は、川や海辺の曲がりくねった「浦」から転じたとする説が有力です。縄文期から人が住み、江戸期には宿場町として発展しました。
市名は沖縄の言葉で「サンゴの島」を意味する「うるま」に由来します。沖縄の雅名としても用いられ、海に面した景観の美しさを表す地名です。
「嬉野」の地名は鎌倉時代に「宇礼志野」として初出し、万葉語で端・末端を意味する「末(うれ)」に助詞「し」と「野」を組み合わせた地名が語源とされる。
「雲仙」の地名は大宝元年(701年)に行基が開山した「温泉山満明寺」の山号に由来し、「温泉」という漢字が「うんぜん」と読まれていたことに始まる。
アイヌ語の「エサㇱウㇱ(e-sas-us)」などに由来するとされ、昆布が獲れる場所や岬が突き出した場所を表す説があります。
アイヌ語の「エサウシ」に由来し、岬のように頭を浜へ突き出した地形を表すとされます。コンブを意味する「エサシ」に由来する説もあります。
江田島市の地名は、江田島という島名に由来します。島名の由来は明確な定説が乏しく、現時点では市の公式情報からも地名の成り立ちを断定できません。
区名は東端を流れる江戸川にちなみます。江戸川は「江戸に通ずる川」という意味で、さらに江戸は入江の門戸を表す地形由来とされます。
恵庭市の地名は、アイヌ語の「エエンイワ(e-en-iwa)」に由来し、「鋭くとがった山」を意味するとされる。現在の恵庭岳を指した名称が転訛して「恵庭」となった。
海老名の地名は由来不明とされつつ、相模川の曲流地形や段丘崖にちなむ説が有力です。入江に大きな海老がいたという伝承もあります。
えびの市の名称は、霧島山麓に広がるえびの高原に由来するとされる。高原一帯のススキが火山ガスの影響で海老色(えびいろ)に染まる景観が語源と伝えられている。
江別の地名は、アイヌ語の「ユベオツ(サメのいる川)」や「イブツ(大事な場所への入口)」に由来するとされる。
アイヌ語の「エンルㇺ(enrum)」に由来し、「岬(突き出た頭)」を意味するとされます。別説として「エルㇺ(erum)=ネズミ」が転訛したとする説もあります。
アイヌ語の「インカㇻウㇱイ(眺める・いつもする・ところ)」に由来し、瞰望岩の見晴らしの良さを表した地名です。
町名は奥入瀬川(おいらせがわ)に由来し、2006年に百石町と下田町の合併で誕生した青森県の自治体です。
王滝村の地名は、もとは「大滝」と書かれ、王滝川に由来するとされます。後白河法皇の「皇」の字から「王」を取ったという伝説も伝わっています。
雄武町の地名は、アイヌ語の「オムイ」(河口が塞がる)に由来し、雄武川河口の波風の強さを表したものとされています。
大網は「大きな網」を意味する地形・漁撈に関わる地名とされ、白里は白砂の海岸や里の景観に由来すると考えられています。合併で市名となった大網白里市は、旧来の地名を組み合わせた名称です。
大洗町の地名は、鬼洗い・鬼儺いに由来する説や、大きな波に海岸が洗われる様子にちなむ説が伝わります。大洗磯前神社周辺の呼称が広がり、現在の町名として定着したとされます。
最上川沿いの大きな自然石に「湯殿山」と刻まれた石碑があり、その大石が地名の由来になったと伝えられます。町の整備とともに広まった説で、最上義光による都市計画の記録にも見えます。
町名は、相模湾に面した大きな磯を意味する「大磯」に由来すると考えられています。古くから東海道の宿場町として知られ、地名も海岸地形と結びついて定着しました。
古くは「大柿」とも書かれ、洪水に悩まされた地で大きな堤防や垣を築いたことに由来すると考えられています。
村名は、かつて八郎潟が「大方(おおがた)」と呼ばれたことに由来するとされます。公募で選ばれ、干拓地の新しい村名として定着しました。
大川市の名は、筑後川という九州随一の大河や、その河口の「大川口」に由来すると伝えられています。明治22年の町村合併で大川町が成立し、のちに市制施行で現在の市名となりました。
町名は、白石川流域の広い河原を意味する「大河原」に由来すると考えられます。地形を表す古い呼び名が、そのまま町名として定着したものです。
町名は、周辺の地形や集落の呼称をもとに成立したと考えられる合成地名です。福岡県三潴郡の町として1955年に発足しました。
大熊町の地名は、古くは「苦麻」とも記され、境界地帯としての歴史の中で「大熊」へと定着したと考えられています。由来の詳細は諸説ありますが、地域の地理的・歴史的背景と結びついています。
市名は旧来の地名「狭山」に由来し、狭山池や狭山丘陵にちなむと考えられます。明治期の狭山村・狭山町を経て、1987年の市制施行時に大阪狭山市へ改称されました。
「大阪」は上町台地北端の坂道地帯を指した「小坂(おさか)」が「大坂」へ改称され、明治時代に縁起を考慮して「阪」の字に変えた地名。
大崎上島町は、町域の中心となる大崎上島の名に、旧大崎町・東野町・木江町の合併による新町名として「上島」を加えて成立しました。瀬戸内海の島しょ部に位置する地名で、島名をそのまま町名に継承したものです。
大河原村と鹿塩村の合併で成立した合成地名で、両村名の一字ずつを取って「大鹿村」となりました。いったん分村したのち、町村制施行で再び復活しています。
大島町の地名は、伊豆大島という島の名に由来し、オホは接頭語で「島」に近い意味を持つとされます。島名そのものを町名にした、比較的素朴な由来です。
大洲市の地名は、城下町の中心を示す「中村」や、山腹の平坦地を表す「成」など、周辺の小地名とともに地域の地形や集落のあり方を映しています。
町名は、町域にまたがる大台ヶ原山に由来すると考えられます。大台ヶ原の「大台」を採った地名で、山地景観と結びついた名称です。
「大多喜」は、古くは「大滝」「大瀧」とも書かれ、川の流れが急で大きな滝のように見える地形に由来するとされます。城下町として発達した大多喜町の中心地名として定着しました。
太田市の地名は、古くは「大田」とも書かれ、古墳時代から良質な水田が広がる土地として知られたことに由来するとされます。肥沃な田地を表す地名で、農耕地としての性格が色濃く残る名称です。
大田原市の地名は、那須地方の中心地として発展した大田原の地名を引き継いだものです。由来の詳細は諸説あるものの、地域の歴史と結びついた地名として伝わっています。
大月市の地名は、古くは「大槻」とも書かれ、地形や植生に由来する説がある一方、由来の確証は十分ではありません。現在の市名は、地域の歴史的な表記を受け継いだものです。
古語で「港」を意味する「津」に「大きな・主要な」を表す「大」を冠した地名で、琵琶湖の主要な港として栄えたことに由来する。
大槌町の地名は、アイヌ語由来とされる説が有力で、「オオ・シツ・ウツ・ベツ」が訛ったものと考えられています。町内の大槌川・小鎚川に伝わる鬼打ち伝説も、地名の由来として語られています。
古代の「大野郡」に由来し、広い野原や扇状地を表す「おおの」が地名のもとになったと考えられています。大沼郷との関連を指摘する説もあります。
町名は旧大野郡に由来し、古代の地名「大野」を受け継いだものです。明治30年の合併時に旧郡名にちなみ新たに命名されました。
大衡村の地名は、古代の郡名・地名に由来すると考えられています。宮城県内の古い地名の流れを受けた名称で、由来には地形や湿地に関わる説が知られます。
大府市の地名は、獅子舞の大夫にちなむとする説が有力で、古くは「大夫」「大部」「大符」とも書かれました。市内の字名には、地形や開墾、土地の様子に由来するものも多く見られます。
大船渡市の地名は、「大きな船着場」を意味するとされ、港としての性格をよく表しています。海に開けた地形と、船の出入りが盛んな土地柄に由来する地名です。
「おおまち」の地名は諸説あり、干潟「大沼(おおぬま)」の縁を走る道「大沼路」が転訛したとも、広大な水田「大田」に由来するとも、聖岳の修験者が集った「待会」に由来するとも伝わる。
大間町の地名は「大きな澗(ま)=港」に由来し、津軽海峡に面した良港を意味する言葉から生まれたとされる。
大牟田の地名は、古くは「大牟田」と表記され、地域の地形や土地の呼び名に由来すると考えられています。市の公式資料でも地名由来を紹介しており、難読地名としても知られます。
大村市の地名は古くは『大邑(おおむら)』と呼ばれた地域名に由来し、後にこの地を本拠とした大村氏の名として定着したとされる。
天王山の南麓に位置し、「山のさき」を意味する山崎が地名のもとになったとされます。古くは山城国と摂津国の境にあたる交通の要地でした。
町名は、下渕の「淀」と初代村長・大北作次郎の「大」を合わせたとする説が有力です。万葉集の「大川淀」に由来するという説も伝わります。
岡垣町の地名は、古い地名の「岡」と「垣」を折衷して生まれたもので、小高い砂丘と松林に由来するとされています。自然の地形と人々の暮らしが結びついた町名です。
岡崎市の地名は、丘陵地の「崎」に由来し、岡の端にある地形を表したものと考えられています。古くは「オカサキ」「岡崎郷」と見え、地形由来の地名です。
小笠原村の名は、小笠原諸島の島名が小笠原氏の名に由来することにちなみます。もとは小笠原貞頼発見伝説を背景に広まった名称で、地名から名字、さらに地名へと転じた例です。
男鹿は古代の蝦夷の首長「恩荷」に由来する説が有力で、ほかに地形や動物に由来する説もある。
古代の官牧「岡屋牧」に由来するとされ、地名は「岡屋」「岡谷」などと表記されてきました。岡と谷の地形を表す名とみられ、諏訪湖畔の地勢と結びついた地名です。
「岡山」の地名は、1590年(天正18年)に宇喜多秀家が築城した場所にあった小高い丘「岡山」に由来する。「岡」は小高い丘を意味する言葉である。
小川町の地名は、町内を流れる小川に由来すると考えられています。古くから和紙や商業で栄えた土地で、周囲の山々と槻川がつくる地形も町名の背景にあります。
隠岐の島町の地名は、島後が島前の島々より沖合にあることから「沖の島」と呼ばれたことに由来するとされます。のちに「隠岐」の字が当てられ、現在の表記になりました。
町名は、古くからの郡名「仁多」に対して、出雲の奥に位置する山間の町であることを表したものです。地名の背景には、たたら製鉄と棚田の広がる盆地地形が深く関わっています。
アイヌ語の「イクㇱタモシㇼ」または「イクㇱウンシㇼ」に由来し、「向こう側の島」を意味するとされています。
「多摩」の奥にある山間部を示す地名で、東京府下の多摩地域の上流・山地側を表す呼称として定着しました。大正末期に「奥多摩」という名称が生まれ、観光地名としても広まりました。
小国町の「小国」は、山間の独立した小さな地域を意味する「ヲグニ」に由来するとされます。柳田國男の説では、周囲から隔絶した上流の土地を指す地名で、置賜小国の地形的特徴とも重なります。
地名は「沖側(おきがわ)」や「起き川(おきがわ)」に由来するという説があり、広々とした田畑や川の水源地を表したと考えられています。由来には諸説ありますが、いずれも地形や水に関わる説が有力です。
アイヌ語の「オケトゥウンナイ」に由来し、「川尻に獣皮を乾かす張り枠のある川」を意味するとされます。緑川の呼び名が転訛して地名になったと伝えられます。
平野と山地の接点にあり、尾根や峠を越える地勢に由来する「尾根越し(おねごし)」「尾越し(おごし)」が転じたとされます。難読地名として知られ、越生郷の古い地名も伝わります。
アイヌ語の「オウコッペ」に由来し、「川尻の合流しているところ」を意味するとされます。興部川と藻興部川が合流して海に注いでいた地形が名前の背景です。
忍野村は、1872年に忍草村と内野村が合併して成立した合成地名です。忍草の「忍」は、もとは湿地を表す「しぶ」系の語に由来するとされます。
アイヌ語の「オサマㇺペッ」に由来し、「川尻が横になっている川」と解される説が有力です。ほかに「ヒラメのいるところ」などの説も伝わります。
小谷村の地名は、平安末期の文献に見える「於他里」などの表記にさかのぼるとされ、のちに「小谷」の字が定着しました。谷あいの地形を表す当て字とみられます。
小樽の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ(砂浜の中の川)」または「オタルナイ」に由来するとされ、砂浜を流れる川を意味する地形由来の名称と考えられている。
小田原の地名は、旧名「こゆるぎ」の誤読説や、「お・た・はら」に分解する説などが伝わります。湿田地帯や高くなった原野に由来するという見方もあります。
越知町の地名は、旧名の「霧深川(きりみがわ)」から改称されたとされ、川沿いの地形や霧の立ちやすい環境が背景にあると考えられます。
小千谷市の地名は、古代の「千屋郷」に由来する説が有力で、そこにある小さな集落や低湿地を表す語が転じたとも考えられています。
アイヌ語の「オトイネㇷ゚」に由来し、川口の泥で濁った川、または川尻が泥んこである川を意味するとされます。音威子府川が天塩川に合流する地点の地形にちなむ地名です。
アイヌ語の「オトウンペ」または「オトペ」に由来し、川尻に沼がある場所を表した地名が転化したとされています。町内を流れる川は現在、姫川と呼ばれています。
女川町の地名は、黒森山麓の安野平から流れ出る小川に由来するとされます。前九年の役の際に婦女子を避難させた伝承が結びつき、命を守る場所の記憶を帯びた名と伝えられています。
小野町の地名は、古くからの地名「小野」に町制施行後の行政区分を付したものです。由来の詳細は明確ではありませんが、周辺の地形や古い集落名に基づくと考えられます。
尾道市の地名は、古くからの港町としての地形や海路に関わる呼び名に由来すると考えられています。尾道水道に面した地勢が、地名の成立に深く関わったとみられます。
尾花沢市の「尾花沢」は、古くからの地名で、周辺の地形や地域区分に由来すると考えられています。市内では「おばね」という愛称も使われ、地域名として親しまれています。
小浜市の地名は、南川・北川の河口近くにできた海浜の小集落に由来するとされ、中世にはすでに「小浜」の名が見えます。小さな浜辺を意味する地形由来の地名と考えられます。
帯広の地名は、アイヌ語の「オペレペレケプ(川尻がいくつにも裂けているところ)」に由来するとされ、後に「オベリベリ」が転じて現在の「帯広」になった。
アイヌ語の「o-pira-us-pet(河口に崖のある川)」に由来するとされ、小平蘂川河口北岸の丘を指した地名です。
岬の先端にある地名で、御前にある崎(岬)を意味する説と、かつて御厩崎(うまやざき)と呼ばれたことが転じた説が伝わります。
小矢部川の名に由来し、さらにその川名は上流の小矢部村や「小さな谷部」を意味する地名にさかのぼると考えられています。
町名は、町域の中心集落である小山(おやま)に由来します。周辺の山地や谷地形の中で形成された集落名が、そのまま町名として定着しました。
地名は「おわし」「おわしぇ」とも読まれた古い呼称に由来し、山の尾端にあることから生じたとする説などが伝わります。由来は確定していませんが、中世文書には「おハし」と見えます。
平安末期の荘園「開田荘」に由来し、のちに海田市と呼ばれるようになった地名です。瀬野川河口の地形変化と宿駅・市場の発展が、現在の町名の背景にあります。
市名の由来は確証ある説がなく、古くは「海塚」とも書かれました。考古学的な貝塚、境界の塚、海を掘って築いた塚などの説が挙げられています。
2006年に旧海南町・海部町・宍喰町が合併して成立した町で、町名は旧海部郡の「海」と「陽」を組み合わせた新しい名称です。海に面した地域性を踏まえた合成地名と考えられます。
市名は旧国名の加賀に由来し、1958年の合併時に公募で採用されました。加賀国の名は古くから見えますが、その語源自体は「崖・傾斜地」など諸説あり、確定していません。
各務原市の地名は、古代の「各務」や「各牟」に由来し、鏡作部や渡来系豪族に結びつける説が知られています。市制施行時に「各務原(かかみがはら)」が正式表記として採用されました。
角田市の地名は、地形を表す「角」と、田が開けた土地を示す「田」に由来するとされます。周辺の地形や開墾の歴史を反映した地名と考えられています。
市名は市内を流れる逆川の古名「懸川」に由来するとされ、川の流れや崖地形を表した地名と考えられています。由来には複数説があり、古くから東海道の宿駅として記録されています。
加古川市の地名は、市内を流れる加古川に由来し、その川名は古代の郡名「賀古郡」にさかのぼるとされます。さらに古い「加古(かこ)」の地名との関連も指摘されています。
「鹿児島」の地名は、桜島が薩摩半島・大隅半島に「囲(かご)まれた島」であることに由来するという説が有力とされる。古くは桜島を指した地名が次第に対岸の地域全体に広がった。
「笠岡」の地名は、吉備氏の一族である笠臣氏の勢力範囲に由来するとされます。市街地は門前町として発展し、後に干拓や埋め立てで現在の姿が形づくられました。
鹿嶋市の地名は、船をつなぐ杭を意味する「カシ」と、周囲を水に囲まれた「シマ」からなるとする説が有力です。鹿島神宮のある聖地としての性格や、海・河口に近い地理条件とも結びつけて説明されています。
「鹿島(かしま)」の地名は、樫(カシ)の木が林立する州島「カシシマ」が転化したとする説が有力で、延喜式(927年)に「肥前国 鹿嶋馬牧」として初出する。
嘉島町の地名は、古くは「加島」とも書かれ、嘉島の「嘉」はめでたい意を持つ当て字と考えられます。町域は熊本平野南縁の沖積地にあり、水辺の地形と結びついた地名です。
柏崎市の地名は、古くからの港町としての地形や海辺の地名形成と関わると考えられています。新潟県内の歴史的な港湾地名の流れの中で成立した地名です。
柏市の地名は、手賀沼の河岸場「かしば」が転じた説と、カシワの木が多かったことに由来する説があり、正確な起源は未詳です。
市名は旧志紀郡柏原村・柏原町に由来し、古くは「柏」が生える原野を表した地名と考えられます。語源にはカシワやカシなどの樹木が多かった土地を示す説があります。
春日部の地名由来は定説がなく、御名代部に由来する説と、川沿いの地形に由来する説が知られています。春日部氏起源説は成り立たないとされています。
市名は霞ヶ浦にちなみ、湖の名を受けた地名です。霞ヶ浦自体は古くからの地名で、周辺の水辺景観や船運と結びついた名称と考えられています。
八郎潟の上方に位置する地形に由来し、古くは「方上」と記された歴史をもとに命名された地名。
片品村の地名は、村内を流れる片品川に由来すると考えられています。川名の由来は諸説ありますが、地域の地形や水系と深く結びついた地名です。
交野市の地名は、片側が原野だった「片野」に由来する説が有力です。市内の天野川や星田には、星や七夕にまつわる伝説が色濃く残っています。
勝浦市の地名は、勝占の忌部氏に由来する説が有力で、天然の良港を意味する「勝れた浦」などの説も伝わります。古くから漁業と港町として発展した地名です。
町名は町内を西北に流れる勝浦川に由来し、川の名を受けて成立した地名です。勝浦川流域の山あいに広がる町として知られます。
「葛飾」は古い広域地名で、台地と低地が入り交じる土地の様子や、かずらの繁茂、狩場に由来するなど諸説あります。区名としては1932年に採用されました。
米代川支流の形状が鹿の角のように見えたことに由来するとされる地名。
町名は町域北端の葛城山脈(和泉葛城山)にちなみ、合併時に県知事が命名したものです。古くは奈良県側の葛城に由来する地名とされます。
門真市の地名は、低湿地を表す「門間(かどま)」や「潟沼(かたぬま)」に由来するという説があり、室町時代末期には現在の名が使われていました。
金沢区の「金沢」は、古くは「かねさわ」とも読まれ、鎌倉時代に鍛冶職人が移り住んだことに由来する説が知られます。区内の朝比奈・大道・洲崎などは、鎌倉や金沢八景に結びつく歴史を今に伝えています。
山科の農民・藤五郎が芋を洗った沢から砂金が出たという伝説に由来し、「金洗いの沢」が「金沢」へと転じたとされる。室町時代後期の史料に文献初出がある。
鹿沼市の地名は、古くは「鹿沼宿」などと記され、周辺に沼地が広がる土地に由来すると考えられています。市名の由来は諸説ありますが、地形に関わる名とみられます。
「矩(カネ)が崎」、つまり直角に曲がった州崎を表す地名とされます。ほかに「川根が崎」の略で、扇状地の出崎を意味する説もあります。
金山町の地名は、町内に金山と呼ばれる山があったことに由来するとされます。周辺の山地地形を背景にした地名で、古くから地域の目印として用いられてきました。
町名は、古くから金山城や金山宿など「金山」の地名が用いられてきたことに由来すると考えられます。周辺の山や峠、宿場町としての歴史と結びついた地名です。
2004年に宇ノ気町・高松町・七塚町が合併して成立した市名で、旧河北郡の「河北」に由来する。読みは「かほく」だが、漢字表記は「かほく」ではなく「河北」の音読みを採ったものと考えられる。
釜をつくる石が多く産したことや、アイヌ語由来など複数の説がある地名です。釜に似た石や甲子川の釜状の石にちなむ説も伝わります。
地名の由来は定説がなく、釜形の谷や蒲・茅の生える谷などの説がある。中世の「蒲萱」表記との関連も指摘されている。
鎌倉の地名は、山に囲まれた釜底状の地形に由来する説が有力です。ほかに屍蔵や神庫など、さまざまな伝承も伝わっています。
天草諸島の北側に位置することから「上天草」と名づけられた市名です。天草地域の玄関口として、島々と海に囲まれた地形を表しています。
「上勝」は勝浦川上流の地域を表す地名で、勝浦郡の「上」に位置することに由来すると考えられます。町内の「傍示」は、町村の小区画や新しい地区を指す語として伝わっています。
石狩川の川上にあることを表す意訳地名で、アイヌ語の「ペニウンクㇽコタン」に由来するとされます。開拓期に現在地へ改称され、郷土を示す名称として定着しました。
町名は神流川(かんながわ)にちなむとされ、1954年の合併時に住民投票で新たに命名されました。周辺には金鑽神社など、神流川流域の歴史と結びつく地名・信仰が残ります。
北山川上流域にあることから「北山」と呼ばれ、江戸時代の北山上組にちなむ村名です。紀州本領の北に位置する地理的な呼称がもとになりました。
小阿仁川の上流域に位置することから「上」が付され、川名「小阿仁」と組み合わさった地名。
香美市の「香美」は、古くは「鏡」とも書かれた地名に由来し、物部川の清流や美しい景観を鏡にたとえた説が伝わります。奈良・平安期の表記変化を経て、現在の市名として定着しました。
上士幌町は、士幌の上流に位置することから「上士幌」と名付けられました。もとの「士幌」はアイヌ語由来とされ、広大な土地や急流を表す説があります。
神之池と息栖神社に由来し、地域の水辺の歴史を映して名づけられた市名です。旧神栖村の成立を経て、現在の神栖市へと受け継がれました。
砂川の上流に位置することから「上砂川」と名づけられた町です。母町の砂川はアイヌ語由来で、川の上流側を示す地名として成立しました。
上三川町の地名は、河内郡内の三川郷に由来する説と、鬼怒川・江川・田川の三つの川にちなむ説があります。いずれも水辺の地形と深く結びついた地名です。
上山市の地名は、古代の山方郷に由来し、最上郡の中心から見て川上側・山の上手にあたる場所を表したと考えられています。
上富良野町の地名は、アイヌ語の「フラヌイ」に由来する富良野に、富良野川の上流にあることを示す「上」を付けたものです。十勝岳周辺の硫黄臭や噴気にちなむとされます。
加美町の「加美」は、古くは周辺の地勢や地域のまとまりを表す呼称として成立したとみられます。町内には中新田や薬莱山など、条里制や信仰と結びつく地名・景観が残ります。
「上峰」の名は、町北部にそびえる鎮西山などの峰々を仰ぐ平地の地形を表すとされ、古くは肥前国風土記に記された米多郷(めたごう)の地にあたる。
神領の大宜都比売命伝承や、山地を指す「神山」と呼ばれたことに由来するとされます。古くは上山・下山の村名も見られ、のちに現在の町名へ定着しました。
亀岡市は、もとは亀山と呼ばれ、明治2年に伊勢の亀山との混同を避けるため亀岡へ改称されたと伝えられます。亀山の名は明智光秀の時代にさかのぼるとする説が有力です。
「神山(かみやま)」が転じたとする説が有力で、忍山の神の山に由来するとされます。亀の形の丘陵にちなむという伝承や、石亀伝説も伝わります。
アイヌ語の「カムイ・ナイ」に由来し、「神の沢」「美しい神の沢」を意味するとされます。地形が険しく、人が近づきがたい神秘的な沢を表した地名です。
青海神社に京都の賀茂神社の祭神が分霊されたことから「賀茂」が「加茂」となり、市名の由来になったと伝えられます。京都に似た地形や景観から「北越の小京都」とも呼ばれます。
軽井沢町の地名は、古くは「かるいさわ」と呼ばれ、由来には「軽石沢」「枯井沢」「凍り沢」など複数の説があります。いずれも決め手に欠け、現在も定説はありません。
軽米町の地名は、焼畑用語の「カル」やアイヌ語由来など複数の説が伝わる地名です。崖地や流域、馬医にちなむ説もあり、由来は一つに定まりません。
大和川と曽我川の合流地に位置することから、川が合う地として「河合」と呼ばれるようになったと考えられます。町内の川合地区名にも、その地形由来の名残が見られます。
阿武隈高地を流れる川に沿う集落に由来し、古くは「川内」と呼ばれました。明治22年に上川内村と下川内村が合併して現在の村名になりました。
千曲川の最上流部に位置することから、「川の上」にある村として名づけられた地名です。山間の高地にある村の立地をそのまま表した名称と考えられます。
村名は文字通り「川の上流」を意味し、吉野川の最上流に位置することに由来します。古くは「川の辺(ほとり)」の意味も含むとされます。
手取川の北側に位置することから「川北」と名づけられた町名で、町域の立地をそのまま表した地名です。
川口市の地名は、荒川と芝川の合流点に由来する「川口」から来たとされます。もとは「小川口」とも記され、川の合流地を示す地名です。
川越市の地名は、入間川を越える土地を表す「河越」や、氾濫で肥沃になった土地を表す「河肥」に由来するという説があります。中世には河越氏の名で知られ、のちに「川越」と表記されました。
川崎区の地名は、多摩川河口のデルタ地帯に由来し、「川の先」や「川のほとり」を表すと考えられています。中世には「河崎荘」とも見え、のちに「川崎」と表記されました。
川崎市の地名は、多摩川河口近くのデルタ地帯に由来し、「川の先」または「川のほとり」を意味すると考えられています。中世の「河崎荘」にさかのぼる古い地名です。
川崎町の地名は、宮城県内の古い地名「宮城」に通じる湿地を表す語源説があり、地形に由来する可能性が高いとされています。
荒川・入間川・越辺川などに囲まれた低地にあることから、川の中の島を意味する地名と考えられます。古くは川島郷の遺称地ともされ、河川に囲まれた地形が名の由来です。
「川棚」の地名は、町内を流れる川棚川に由来するとされる。川沿いに広がる棚状の段丘地形を表した地名と考えられている。
市名は旧長野町に旧国名の「河内」を冠して成立したもので、長野は川沿いに長くのびる土地を指す地名とされます。
町名は、旧4か村が合併して成立した河内村に由来します。利根川と新利根川に挟まれた水郷・低地の地域性を背景にした地名です。
町名は、旧来の「川根」と合併時の「本町」を組み合わせたものです。地名「川根」は、大井川の湾曲地にある階段状の地形や砂礫地に由来すると考えられています。
村名は、村内を流れる薄根川に由来するとされます。川のほとりに開けた土地であることを表す地名で、自然豊かな山村の景観とも結びついています。
地名は約1300年前の「川辺郷」にさかのぼり、川のほとりを意味する「川辺」に由来します。飛騨川沿いの立地を反映した地名で、鎌倉時代には「川辺庄」とも呼ばれました。
川俣町の地名は、町内を流れる川と、その合流・分岐に由来する「川俣」の地形的な呼び名に基づくと考えられています。古くから絹織物の町として知られ、地名も地域の歴史とともに定着しました。
川本町の町名は、町内を流れる江の川の支流域に位置し、「川」と「本(もと)」の地勢を表したものと考えられます。町章も「川」と「水」をかたどっており、水とともにある土地柄を示しています。
香春町の地名は、古代文献に見える「香春(加波流)」に由来し、川原の意味を表す当て字とされます。古代朝鮮語に語源を求める説もあり、複数の表記が伝わっています。
苅田町の地名は、かつて「カタ」とも呼ばれたことから、潟(内湾)に由来するという説が有力です。表記は「苅田」ですが、読みは「かんだ」で定着しています。
町名は、箱根山の南に位置することに由来します。1889年の合併時に「箱根の南」を意味する名として採用され、のちに読みが「かんなみ」に統一されました。
ゆるやかな丘陵地が放牧に適していたことから、「上の牧・下の牧」があった地として上牧の名が生まれたとされます。古代の宮廷の馬の放牧地に由来する地名と伝えられています。
甘楽町の地名は、古代の郡名「甘良(かんら)」に由来するとされ、渡来人との関わりを指摘する説や地形に由来する説があります。
市名は市内を流れる菊川に由来し、川名の由来には城飼川(きこうがわ)の転訛説や菊石・菊目石にちなむ説などがあります。
菊陽町の地名は、町内に多い「ツル」系地名の一つとして紹介されており、水の曲流部にできた小平地を指す地形由来の語と考えられています。
アイヌ語の「リコナイ」または「リㇼオナイ」に由来し、「登る沢」や「潮の差し入る川」を意味するとされます。川や海の流れに関わる地形を表した地名です。
建武元年に和田氏がこの地へ城を築き、「岸の和田氏」と呼ばれたことが岸和田の地名の起こりとされています。城下町として発展し、現在の市名として定着しました。
木曽岬町の地名は、木曽川河口東岸の岬状の地形に由来すると考えられます。木曽川に面した土地の形を表した呼び名が、そのまま町名として定着しました。
木曽町の「木曽」は、木曽川流域の地名に由来し、「生麻(きそ)」や「着麻(きそ)」など麻に関わる語から生まれたとする説が知られています。町名は、地域を代表する木曽の名を受け継いだものです。
木曽川の源流域に位置することから、「木曽の祖なり」の意味を込めて名付けられたとされます。1889年の合併時に、藪原村・小木曽村・菅村を合わせて新たに村名が定められました。
北相木村の地名は、古くは「阿江木(あえき)」とも記され、アヒ(間)・キ(接尾語)に由来して「谷間の地」を表すと考えられています。「北」は南相木に対する方角を示す名称です。
北茨城市の地名は、古代から続く「茨城」の名に方角を示す「北」を付けたものです。茨城の由来は、地形説と『常陸国風土記』に見える茨の柵の説が伝わります。
北方町の地名は、生津荘の北部に位置したことに由来するとされます。古くは「美濃国北方郷」として見え、地理的位置を表す地名です。
北上市の地名は、北上川に面した地勢に由来すると考えられます。市名は合併で成立した新しい自治体名ですが、地域の中心を流れる川の名が基盤になっています。
木材を集めて積む場所を意味する方言「コツム」に由来し、川へ流した材木の集積地を表した地名とされます。
北島町の地名は、板野郡北島町に見られる「北島」という地名に由来すると考えられます。由来の詳細は確定的な説明が少なく、地形や方位に関わる名称として扱われることがあります。
北大東村の地名は、沖縄県の大東諸島にある北側の島・北大東島に由来します。大東諸島の位置関係を示す地名で、島名がそのまま村名になりました。
北中城村の地名は、もとは中城の北側に位置することを示す「北中城」に由来します。村内の各集落名には人物名や地形、渡し場などに由来するものが多く残ります。
北山村の名は、村域が北山川流域の山間部にあることに由来すると考えられます。明治期に和歌山県へ編入され、現在は日本唯一の飛び地の村として知られます。
町名は、山海の幸に恵まれた東紀州の町であることを表す「紀宝」に由来します。2006年に旧紀宝町と鵜殿村が合併して現在の町名となりました。
町名は、旧宇和島藩の北部に位置することから「鬼北」と名づけられたとされます。鬼ヶ城山系など「鬼」の字を含む地域名とも結びつき、山間の地勢を反映した名称です。
喜茂別町の地名は、アイヌ語の「キㇺオペッ(kim-o-pet)」に由来し、「山奥にある川」を意味するとされます。ほかに「キㇺウンペッ(kim-un-pet)」に由来する説もあります。
「基山」の地名は奈良時代の『肥前国風土記』に「基肄之山(きのやま)」として記された山名に由来し、1889年に村名として正式に採用された古代からの地名。
村名は、丹沢山地の清らかな川が流れる土地柄を表したものとされます。村の公式案内でも、清い川が渓谷美をつくる地として紹介されています。
清田区の地名は、区内を流れる厚別川のアイヌ語名「あしりべつ」に由来します。語源には諸説ありますが、低木の川や川の仕掛けに関わる解釈が知られています。
鋸南町は、町の北にそびえる鋸山の南側に位置することから名づけられた地名です。町名は「鋸山の南」を意味する表現に由来します。
霧島の名は、霧に包まれた霧島連山が島のように見えることに由来するとされます。天孫降臨の伝承に結びつく説も伝わっています。
桐生市の地名由来は、「桐が多く生える土地」や「霧の多い土地」などの説がありますが、決定的な定説はありません。中世に開かれた山間の要害地を示す地名とみられています。
町名は西側に広がる錦江湾(鹿児島湾)に由来し、公募で決定されました。2005年に大根占町と田代町が対等合併して発足した町名です。
久喜の地名は、自然堤防などの小高い地形を表す説が有力です。ほかに「久木」の当て字や窪みを意味する説も伝わりますが、いずれも地形に由来すると考えられています。
東海道と中山道の分岐点にあたる宿場町として発達し、物資が集散する「陸の津」の意味から草津の名が生まれたとされます。
久慈市の地名は、南北朝期から郡名として見られ、海食でえぐられて崩れた地形や、河口の船着場を表す語に由来するという説があります。
串本町の地名は、アイヌ語・縄文語系の「ku-si-mo-to(渡し場の小さな海)」に由来するとする説があり、潮岬と大島に挟まれた地形と結びつけて説明されています。
九十九里町は、町名が九十九里浜の名に由来するとされます。九十九里浜の長大な海岸線を背景に、合併時の新命名として定着しました。
釧路の地名はアイヌ語に由来するとされ、「クスリ」「クシュル」「クッチャロ」など複数の語源説が伝わる。現在の漢字表記「釧路」は明治期に定められた。
葛巻町の地名は、「葛の生えた牧場」を意味する「葛牧」や、傾斜地を崩して焼畑にした「葛蒔」に由来するという説があります。
町名は、町内の伐株山(きりかぶさん)にまつわる伝説と結びつけて語られています。山の切り株の民話が「くす」の名の由来として伝えられています。
アイヌ語の「クッサンイ(kut-san-i)」に由来し、「くだのようなところを流れ出るところ」を意味するとされます。のちに倶登山川の旧名「クッシャニ」などを経て、現在の地名表記が定着しました。
空海が母を月に九度訪ねたという慈尊院の伝承にちなむ地名とされます。ほかに地形や古語に由来する説も伝わります。
国頭村の地名は、沖縄本島北端の「国の端」に位置することに由来するとされます。古くは琉球の北の境界を示す地名として理解されてきました。
町名は「国を見はるかす町」という意味を込めて名付けられたとされます。阿武隈川流域の地形と、周囲を見渡せる地勢が由来に結びついています。
熊谷市の地名は、熊を退治したという説、神谷(くまけや)説、曲谷(くまがい)説など諸説あります。平安時代後期までにはすでに地名として成立していたと考えられています。
旧「久万」は山の奥や山あいの土地を表す語とされ、2004年の合併時に観光名でもあった「久万高原」を採って町名となりました。
熊取町の地名は、周囲を山地や丘陵に囲まれた谷・盆地の地形に由来するとされます。古くは「熊取野」「熊取荘」などの名でも知られ、伝承も残ります。
熊野市の「熊野」は、紀伊半島南部の熊野地方に由来する地名です。古くは「隈野」などの意味合いで、奥まった土地や山あいの地を表す説が知られています。
安芸郡の「隈(くま)」にある野原を意味する「くまの」が地名の由来とされます。のちに漢字表記が動物の熊に改められ、熊野となりました。
昭和29年の合併で、球磨郡の渡村・一勝地村・神瀬村が一つになって成立しました。村名は、住民生活と深く結びつく球磨川や郡名の「球磨」に由来します。
「熊本」は元来「隈本(くまもと)」と表記され、低地と高地が入り組んだ地形や白川の曲がりくねった流れを意味するとされる。1607年に加藤清正が「隈」の字を嫌い「熊本」に改字した。
栗山町の地名は、アイヌ語の「ヤム・ニ・ウシ」に由来し、「栗の木の繁茂しているところ」を意味するとされています。旧称の角田村から1949年に改称されました。
呉市の地名は、造船用材の「榑(くれ)」に由来する説が有力です。九つの峰を指す「九嶺」説などもありますが、地名辞典では榑木に関わる説がよく挙げられます。
村名は、この地を潤す清澄な水の流れにちなむといわれます。奈良県中央部の山深い渓谷地帯にあることから、自然景観を映した地名と考えられています。
黒部市の地名は、黒く深い山や川の景観を表す説、常緑樹の別名に由来する説、アイヌ語由来説などが伝わります。複数の説があり、決定的な定説はありません。
桑名市の地名は諸説ありますが、豪族「桑名首」に由来する説が有力とされています。古くは『日本書紀』にも見える古い地名です。
アイヌ語の「クンネプ」に由来し、「黒いところ」や「水が黒く見える場所」を意味するとされます。湿地の多い地形や、やち川の水の色にちなむ地名です。
芸西村の地名は、村内の旧地名「和食」や「琴ヶ浜」などとともに、山と海にまたがる地域の歴史の中で定着しました。特に「和食」は古名として知られ、地名の由来には諸説があります。
町内を流れる泉河内川が、かつて桂川(かつらがわ)と呼ばれていたことに由来するとされます。川の名を受け継いだ地名で、難読ながら自然由来の町名です。
気仙沼の地名は、湾の形や港としての性格に由来すると考えられています。古くから良港として発達し、海とともに歩んだ土地柄を反映した名称です。
剣淵町の地名は、アイヌ語の「ケネペッ」や「ケネペップトゥ」などに由来し、ハンノキの生えていた川やその川口を表すと考えられています。
神崎町の「神崎」は、地名辞典系資料では「かみ・さき(岬)」の転訛で、高い山が突き出した場所を表すとされます。町内には神崎本宿・神崎神宿などの関連地名も残ります。
甲州市の「塩山」は、市内の塩ノ山に由来するとされます。塩ノ山は「四方からよく見える山」を意味する「しほうのやま」が転じたという説が有力です。
広田川にちなむ「広田」から、鉄道駅名に合わせて「幸田」へ改称したのが由来です。のちに町名は「こうだ」から「こうた」へ読みが改められました。
「高知」の地名は「河中山城(こうちやまじょう)」に由来し、水害への恐れから「河中」の字を避けて「高智」と改め、さらに「高知」と表記された。川に囲まれた地形と水害の歴史が名前に刻まれている。
江津市の地名は、江の津、すなわち川の河口や船着き場を意味する「江津」に由来すると考えられます。古くから港や河川交通と結びついた地名です。
神津島村の地名は、神々が集まって島々の創生を相談したという伝承に由来し、古くは「神集島」とも書かれました。神話と結びついた島名として伝えられています。
江東区の区名は、隅田川の東に位置する地理的意味から選ばれました。江は深川、東は城東を含む意もあり、古くから広く東部一帯を指す呼称でもありました。
木曽川を中国の長江に見立て、その南側に位置することから「江南」と名付けられました。1954年の合併時に新たに採用された市名です。
町内を流れる複数の河川が合流して「府(中心)」をなす場所であることから名付けられたとされます。
港都・横浜の北部に位置することから「港北区」と名づけられました。区役所を菊名に置く案もありましたが、最終的に地理的位置を表す名称に落ち着いたとされています。
「江北」の地名は、有明海に注ぐ六角川(「江」)の北側(「北」)に位置することから命名された地形・方角由来の地名。
八ヶ岳の水蒸気爆発でせき止められてできた湖に由来し、残った相木湖を「小さい海」と見立てて名付けられたと伝わります。
高野町の地名は、高野山を中心とする「高野」の名に由来し、古くから霊場として知られた山地名が町名として受け継がれたものです。
古代の倭名抄に見える甲良郷に由来し、もとは「カハラ」と読まれたとされます。犬上川沿いの川原を表す地名が転じたものです。
「広」は旧広瀬郡に由来し、「陵」は馬見丘陵地帯にちなむとされます。昭和30年の合併時に町名として採用され、自治体名になりました。
小金井市の地名は、豊富な湧水を「黄金に値する」と見立てた「黄金井(こがねい)」に由来する説が有力です。ほかに、崖沿いの湧水を表す語から転じたとする説もあります。
近世の主要村落を「五ヶ村」と呼んだことや、霞堤に由来する通称が転じて「五霞」となったとされます。水害と築堤の歴史を背景に生まれた地名です。
九重町の町名は、九重連山にちなむとされます。1955年の合併で成立し、山岳景観を背景にした地名として定着しました。
浜名湖の西岸に位置することから「湖西」と名づけられた市名です。1955年の町制施行時に湖西町となり、1972年の市制施行で湖西市となりました。
「小坂」の語源は明確な記録がなく不詳だが、古くからの地名を継承した名称である。
古座川町の町名は、町内を流れる古座川に由来します。古座川の名は、古くは「神座(かみくら)」の転とも考えられ、神を祀る山や川に結びつく地名と伝えられます。
古くは「越ヶ谷」「腰ヶ谷」などと表記され、自然堤防上の土地や地形に由来する地名と考えられています。江戸期の越ヶ谷郷・越ヶ谷町を経て、現在の越谷市名に定着しました。
明治24年の駅逓所設置の際、ポンヤンベツ川付近の湧き水を「小さな清水」と意訳して名付けたことに由来します。アイヌ語の地名を和訳した説も伝わります。
条里制に由来する「五条」の地名がもととされる一方、「御霊(ごりょう)」が転じたとする説も伝わります。
岩木川の屈曲や神社に由来する諸説があり、「五つの川原」や「五社を祀る川原」が語源とされる地名。
小菅村の地名は、小さな菅が群生した土地を表すとされます。古くから見える地名で、室町期には武田家家臣の小菅遠江守信景が領した記録もあります。
御所市の地名は、葛城川の瀬に由来する説や、孝昭天皇の御諸(みむろ)が転じたとする説などが伝わります。いずれも古代の地形や信仰と結びついた由来と考えられています。
五泉市の地名は、豊富な湧水や川に由来するという説が有力です。『五つの泉』や『五川』から転じたとされ、水に恵まれた土地柄をよく表しています。
小平市の地名は、中心となった小川村の「小」と、平坦な地形の「平」を合わせた合成地名と伝えられています。明治22年の小平村成立に由来し、武蔵野台地の平らな地勢をよく表しています。
五島市の名称は五島列島に由来し、古くは主要な五つの島々を指した「五島」の名を受け継いでいる。市名は2004年の市町合併時に採用された。
町名は、東伯郡内の海岸部に広がる「琴の浦」に由来するとされます。美しい響きを持つ地名で、海と山に抱かれた町の景観を象徴しています。
小林市の地名は、中世に築かれた小林城とその城下に形成された集落に由来するとされる。古くは夷守や三ノ山などの呼称が用いられていた。
「駒ヶ岳の麓のまち」という意味から名づけられ、昭和29年の市制施行時に命名されました。中央アルプスの山麓に位置する地勢を反映した地名です。
小牧山を目標に舟が帆を巻いた「帆巻」が転じたとする説と、馬市に由来する「駒来」説が伝わりますが、由来は確定していません。
マコモやクサヨモギが生い茂る原野を切り開いて村づくりが始まったことから、「こもの」と名づけられたと伝わります。地名表記は薦野・古茂野・菰野などが用いられてきました。
小諸市の地名は、古くは「大村」「小村」から「大室」「小室」を経て「諸」へ転じたと考えられています。浅間山南西麓の地形や古代の牧場に由来する説が有力です。
西海市の名称は、合併前から存在した西海町の名を継承したもので、「西の海」に面する地域の地理的特徴に由来する。
西条市の地名は、古くからの地域名「西条」に由来します。周辺には平地や用水に関わる地名が多く、開拓や水利と結びついた土地名として理解されています。
古代に「前玉(さきたま)」と呼ばれた湿地帯の地形に由来する地名で、「先(突き出た場所)」と「玉(水が溜まる)」が組み合わさり、水辺のそばを意味する。
堺区の地名は、昔この地が和泉国と摂津国の境にあったことに由来します。区内の町名には、港町・織物・寺社・職人など堺の歴史を映す由来が多く残ります。
旧摂津国・旧和泉国・旧河内国の三国の境に発展したことから「堺」と呼ばれるようになったといわれます。市名は境界の地という地理的特徴に由来します。
坂出市の地名は、『南海通記』を典拠とする説が知られ、坂の出入り口にあたる地形に由来すると考えられています。
境町の「境」は、古くは地域の境界や区切りを示す地名として用いられたと考えられます。町名の由来は明確な定説が少ないものの、周辺の地形や歴史的な区分と結びつく可能性があります。
伯耆国と出雲国の境界に近い港として発展したことから、「境港」と呼ばれるようになったとされます。地名の「境」は国境・地域の境目を意味します。
寒河江市の地名は、寒川からの移住者が故郷に似た地形を見て呼んだ説や、大江広元が「寒い河」に「江」を添えて名付けた説などが伝わります。
栄村の村名は、明治期に成立した堺村が、のちに「栄村」へ改称されたことに由来します。旧名の「堺」は境界地を示す地名で、現在の村名は新たな発展を願う改称とみられます。
坂城町の地名は、千曲川沿いの坂のある城下・宿場の地形や、古くは「坂木」と表記された歴史に由来すると考えられています。町内の「ねずみ」地名には、番所の見張りにちなむ説や民話に由来する説も伝わります。
酒田市の地名は、古くは「砂潟」「坂田」とも書かれ、砂地の干潟や狭い潟、傾斜地の田などを表す地形由来と考えられています。後に好字として「酒田」の字が当てられました。
坂町の地名は、古くから「坂村」として見えることから、地形に由来する可能性が高いと考えられます。周辺の山がちな地形を背景にした坂地形の呼称が定着したものとみられます。
市名は、中心集落の坂戸に由来し、地名は坂戸判官教明が当地に住したことにちなむと伝えられます。古くから日光脇往還の要地として発達した地名です。
坂祝町の地名は、町内の坂祝神社に由来するとされます。古くは「坂祝(さかはふり)神社」と記され、地名の起源になったと伝えられています。
相模原市の地名は、旧国名の「相模国」と相模原台地に由来するとされます。市名は合併時に県側の提案で決まったとされ、相模の語源には諸説あります。
佐川町の地名は、古くは「佐川」と書いてサカワと読まれ、地形や水流に関わる地名とみられます。町内には「コヤ」系地名が多く、山間の生活や開拓の歴史も地名に反映されています。
「桜の井」と呼ばれた井戸に由来する説があり、地形にちなむとする見方もあります。市の紹介では、履中天皇の稚桜の説話とも結び付けて説明されています。
地名は「小さく裂け分かれたような地形」を表すとされ、篠栗は「ささくれ」と同系の語源と考えられています。室町期にはすでに地名が見え、江戸期には勢門河内の一部として記録されています。
「佐々(さざ)」の地名は中世には既に存在するが由来は諸説あり、笹(竹の一種)が繁生していた地形説や、川の砂浜を表す「砂々(すなすな)」が変化した説などがある。
佐世保の地名は諸説あるが、狭い川瀬を意味する「狭瀬」と中世の行政単位「保」が結びついたとする説や、シャシャンボの古名「サセブ」に由来する説が広く知られている。
アイヌ語「サッ・ポロ・ペッ(乾いた大きな川)」または「サリ・ポロ・ペッ(葦原の大きな川)」に由来する。明治期に北海道開拓の拠点として発展した。
「川内」は川内川と高城川の内側にある低地を表す地名で、洪水の多い川の内側の土地を示すとされます。2004年の合併で薩摩川内市となりました。
佐渡市の地名は、古くから島名として用いられてきた「佐渡」に由来します。由来の詳細は諸説ありますが、古代からの地名として定着したものです。
地名の「佐那」は棚田を意味する古い語とされ、村の地形や稲作の歴史と結びつけて説明されます。古くは「佐那県」「佐長村」などの伝承もあります。
鯖江の地名は、鯖の尾に似た「佐婆矢」から転じたという伝承や、「鯖」と「深江」の「江」を取ったとする説が伝わります。
様似町の地名はアイヌ語に由来し、サンマウニ(寄木の多い所)やエサマンベツ(カワウソのいる川)など諸説あります。
座間味村の地名は、村の中心である座間味島・座間味集落の名に由来します。沖縄の地名は古い琉球語系の語形を受け継ぐものが多く、座間味もその一つと考えられます。
寒川神社に由来する地名とされ、古くは『和名抄』に高座郡寒川郷の名が見えます。水の冷たい川を表す説や古代朝鮮語に由来する説もあります。
市名は、周囲の山々に狭く長い地形が連なることから「狭山」と呼ばれたとする説が知られます。江戸名所図会に見える説明が代表的です。
更別村の地名は、アイヌ語の「サㇻペッ」に由来し、「葦原の川」「葦や茅が生い茂るところ」を意味するとされています。開拓以前の流域が湿地と草原に覆われていた自然環境を反映した地名です。
猿払村の地名は、アイヌ語の「サロプト」「サラブツ」などが転化したもので、「葦原の河口」「カヤの生えた河口」を意味するとされます。
アイヌ語の「サㇻオマト(葦原にある沼)」に由来し、転訛して「サロマ」となった地名を、1915年に佐呂間村として和文表記に改めたものです。
早良区の地名は、古代の早良郡に由来し、区内には「隈」や「百道」など、地形や土地の様子を表す地名が多く残ります。
塩尻市の地名は、塩を運ぶ「塩の道」の終点で「塩の尻(終わり)」になったことに由来すると伝えられます。ほかに、狭まる谷の出口を表す地形由来説もあります。
色丹村の地名は、アイヌ語の「シコタン(大きい・村)」に由来するとされます。北方四島の一つである色丹島の地名として知られ、村名もその島名に基づいています。
四條畷市の名は、南北朝期の古戦場「四条縄手(畷)」に由来する説と、四條畷神社の名が広まって市名になった説が伝わります。
町名は「酒の井」伝説に由来するとされ、孝行息子が井戸から酒を汲んだという話が広く伝わります。ほかに「洒々井」や「出水」からの転訛とみる説も紹介されています。
明治2年(1869年)に「府中」から改称された際、近くの賤機山(しずはたやま)に因んで「賤ヶ丘」とする案が「賤(いやしい)」を理由に修正され、「静岡」と命名された。
中世には「滴石」と呼ばれ、川底に石が多い地形を表す「沈く石」に由来する説と、雫石神社の湧き水「たんたん」にちなむ説があります。
設楽の地名は、清流が滴る様子を表す「したたる」に由来するという説や、古くは『之多良』と記されたことに由来する説が伝わります。語源は確定していませんが、山間の地形や水の豊かさと結びつけて考えられています。
七ヶ浜町の地名は、平安時代にこの一帯を総称した「松ヶ浦島」に由来するとされます。町内の七つの浜を連想させる現在の名は、海岸地形と古い呼称の結びつきから生まれたと考えられています。
渋谷の地名には、塩谷が転じた説、渋谷重家に由来する説、渋色の川や谷地形にちなむ説など複数あり、定説はありません。
標茶町の地名は、アイヌ語の「シペッチャ」(大きな川のほとり)に由来するとされます。釧路川などの大河川に囲まれた土地柄をよく表した名前です。
蘂取村の地名は、アイヌ語の「シベトロ(大きな川の処)」に由来するとされます。村域を流れる蘂取川と、その河口付近の地形を表した名です。
アイヌ語の「シュウウォロー」が転訛したとされ、広大な土地を表す地名と伝えられています。町名は十勝の開拓史の中で定着しました。
志摩市の「志摩」は、志摩半島周辺に島が多いことから生まれた地名で、古くは志摩国・志摩郡の名として見えます。市名は旧志摩郡に由来します。
大井川流域の島状の田地に由来するとされる地名です。田んぼが島のように見えたことから「島田」と呼ばれたという説が伝わります。
島原の地名は古くは『嶋原』とも記され、島状の地形や海辺の平地を意味する地形由来の名称と考えられている。中世にはすでに地名として定着していた。
アイヌ語の「スマコマㇰイ(suma-ko-mak-i)」に由来し、「背後に岩がある」を意味するとされています。地形を表す語が転化した地名です。
町名は、山崎・桜井・高浜などの集落を含む地域の総称として成立したとされ、古くは「島本村」と呼ばれました。由来の詳細は諸説ありますが、町域の地理的まとまりを示す地名として定着しました。
清水区の地名は、良質な清水が湧き出した井戸に由来すると伝えられます。チャンチャン井戸の伝承が広く知られ、地名の起源として語られています。
町名は「湧水地」を意味する清水に由来し、柿田川をはじめとする豊かな湧水で知られます。地名は明治22年の清水村成立を経て、昭和38年の町制施行で清水町となりました。
占冠村の地名は、アイヌ語の「シムカㇷ゚(si-mukap)」に由来し、「鵡川の源流」を表すとされます。村公式には別説もありますが、いずれも鵡川上流の地勢と結びついた名です。
下郷町の町名は、会津地方の南部に位置することから「下の郷」を意味すると考えられます。古くからの郷村名を基にした地名で、周辺の会津盆地南縁の地理を反映しています。
下諏訪町の地名は、諏訪湖のほとりにある下社の門前・宿場としての位置づけに由来し、古くは「土武郷」とも考えられています。なお「諏訪」は湿地や崖を表す地形語に由来する説があります。
伊豆半島南東端の海辺にあることから「下手の田」、すなわち低い場所の田地を意味する「下田」に由来するとされます。古くから良港として栄え、地名は地形と港町としての歴史の両面を映しています。
アイヌ語の「シャン・ナイ」(下る川)に由来するとされる地名です。択捉島中部の中心地として知られました。
斜里町の地名は、アイヌ語のサルまたはシャルに由来し、「アシの生えているところ」を意味するとされています。
勝央町の「勝」は、旧勝田郡勝田郷・勝間田の系譜を引く地名で、好字化の影響を受けつつ「かつまだ」と読まれてきた歴史に由来します。町名は昭和の合併で成立しました。
常総市の地名は、旧水海道の「水」と水運・集落を示す「海道(カイト)」に由来すると考えられています。鬼怒川と小貝川に挟まれた水辺の地形が、名の背景にあるとされます。
区名は大阪城の東に位置することに由来します。区内の地名には、諏訪神社や旧地形、開発の歴史を反映したものが多く見られます。
小豆島町の名は、島名「小豆島」に由来し、「しょうど」は「小豆」の音読みが転訛したものとされます。小豆の産地説と、崖の多い地形に由来する説が伝わっています。
アイヌ語の「ソエサンペッ(so-e-san-pet)」に由来し、「滝が・そこで・流れ出ている・川」を意味するとされます。別説に「シシャモ・川」を意味する説もあります。
白岡の地名は、貝塚の貝殻が光る岡に見えたという説や、白い鳩が舞った白い岡に由来するという説などが伝わっています。
白川町の地名は、町内を流れる白川に由来すると考えられます。川の水が濁って白く見えたことや、大白川という川名との関係が示されています。
白鷹町の町名は、町内の白鷹山に由来するとされます。白鷹山の名は、山形県の地名由来資料でも山の名として扱われ、地域の象徴的な山名が町名に受け継がれました。
白糠町の地名は、アイヌ語のシラリ(磯)とカ(上)に由来し、波が磯を越えてしぶきが立つ岩磯のほとりを表すとされます。白糠漁港付近の岩磯地帯を見て名付けられたという説が有力です。
白浜町の地名は、白い砂浜の景観に由来するとされます。古くは白良浜とも書かれ、白い砂が雪のように見えることから名づけられたという説が有力です。
白井市の地名は、古くからの「白井郷」に由来すると考えられます。泉の豊かさや水の清らかさ、谷津田開発に関わる説も伝わります。
白石市の地名は、白石城の城下町として知られる「白石」に由来します。白い石が目印となった地名とされ、地域の歴史と深く結びついています。
鎌倉時代に御家人・白石氏が拠点とした地に由来し、江戸時代には鍋島家の支家「白石鍋島氏」の知行地として白石の名が定着。有明海に臨む広大な干拓地が広がる。
2005年に常北町・桂村・七会村が合併して成立した町名で、「城」と「里」を組み合わせた新しい地名です。城下や城跡の歴史を受け継ぎつつ、里山的な地域性を表した名称と考えられます。
北上川流域の地形や、志賀理和気神社・志和稲荷神社に由来する説などが伝わる地名です。古くは「志和」「斯波」「子波」などの表記も見られます。
古代の木簡に「温泉郷」と見えることから、温泉が湧き出る土地にちなむ地名と考えられます。2005年に浜坂町と温泉町が合併して新温泉町となりました。
「上五島」は五島列島のうち北部(上側)にある島々を指し、2004年に南松浦郡5町が合併して新設された際に「新」を冠して「新上五島町」と命名された。
新篠津村の名称は、明治29年に篠津村(現在の江別市篠津地区)から分村して成立した新しい村であることに由来する。「篠津」はアイヌ語に由来するとされ、川や湿地の地形を表した地名と考えられている。
町名は、旧来の「神石(じんせき)」の呼称に高原地帯の地勢を組み合わせて成立したものです。神石の由来には「亀石」から転じた説と、「神の石」を祀る信仰に由来する説があります。
新地町の地名は、古くは「新しい土地」を意味する「新地」に由来すると考えられます。周辺の開発や新田開発と結びついた地名として伝えられています。
榛名山の東麓に位置することから「榛東」と名づけられたとされます。合併後の新村名を公募して採用した、比較的新しい地名です。
新得町の地名は、アイヌ語の「シットク(sitok)」に由来し、新得山が山の突出部を肘のように見せる地形を表したとされます。別説として「シントコ(sintoko)」に由来する説もあります。
新ひだか町は、平成18年に静内町と三石町が合併して成立した町で、町名は旧日高地方にちなむ「日高」を継承しつつ新設されたものです。日高の名は松浦武四郎の命名による国名由来で、東方を意味する古名に通じます。
「次田(すきた)」が音変化して「すいた」となり、のちに「吹田」の字が当てられたと考えられています。湿地や水田に由来する説も伝わります。
須賀川市の地名は、川洲が堆積した川辺を表す「スカ(洲処)カハ(川)」に由来するとされます。南北朝時代から見える古い地名です。
杉戸町の地名は、杉の木が茂る渡し場や「杉津」「杉渡」に由来するとされ、古利根川の渡場・宿場として発達した歴史を持ちます。
杉並区の地名は、かつてこの一帯に杉並木があったことに由来するとされます。周辺の自然景観を表す地名として定着したものです。
宿毛市の地名は、古くは「スクモ」とも表記され、語源には諸説ありますが、地形や土地の状態に由来する説が有力です。
太平洋の荒れすさぶ海にちなみ、「すさぶうみ」が転じた地名とされます。旧称の周参見は当て字で、海の荒々しさを表す語感が由来です。
鈴鹿市の地名は、古くは鈴鹿関や鈴鹿郡に見え、語源は定説がありません。篶竹(すずたけ)の生える土地に由来する説が有力とされています。
富士山の裾野に位置することから名づけられた市名です。山麓の緩やかな傾斜地を意味する「裾野」に由来します。
アイヌ語の「シュプキペツ(茅の多い川)」が転訛した地名で、町内を流れる朱太川に由来するとされます。
砂川市の地名は、アイヌ語「オタウシナイ(砂の多い川)」を和訳したことに由来する。
須磨は「摂津国の西南の隅」が転じた地名とされ、海岸と山地が迫る地形を表したものと考えられています。
住田町は、上有住村・下有住村・世田米町の合併で成立した合成地名です。町名は「住」と「田」を組み合わせたもので、当初案の「鳴瀬町」から変更されました。
古代から付近一帯を「住之江」と呼んだことに由来します。『古事記』『日本書紀』『万葉集』では墨江・住吉・清江などとも表記され、いずれも同じ地名系統とされています。
洲本市の地名は、洲のように砂がたまった地形を表す「洲」と、港町を意味する「本」に由来すると考えられています。洲本川河口の港を中心に発達した城下町・港町としての性格が、地名の背景にあります。
駿河区の区名は、旧国名「駿河」に由来します。さらにその「駿河」は、富士川の急流や砂州など、地形に関わる説が複数伝わっています。
諏訪市の地名は、諏訪湖を「洲端(すは)」とみる説が有力で、湖の洲の端にある地形に由来すると考えられています。古くは「スハ」と読まれ、諏訪・諏方・州羽などの表記がありました。
不破関のあった原野を意味する地名で、古代の関所「不破関」に由来するとされます。関ケ原の戦いの舞台としても知られ、交通の要衝として発展しました。
関川村の地名は、村を流れる関川に由来する。近世以降の村名として定着し、川沿いの地形を示す地名と考えられる。
関所が置かれた地に由来するという説が有力ですが、川をせき止めた場所や狭い地形を表す「セキ」に由来するとも考えられています。
世田谷区の「世田谷」は、古い「瀬田」や「瀬戸」に通じる地名が転じたものとされ、谷の多い土地を表したと考えられています。区内には用賀など由来不詳の地名もあり、複数の説が伝わっています。
市名は2004年の合併で誕生した新しい行政地名で、瀬戸内海に面する立地を端的に表したものです。海域名「瀬戸内」に由来し、地域の地理的特徴をそのまま市名に採っています。
瀬戸内町の町名は、奄美大島と加計呂麻島の間にある内海のような海域にちなむと考えられます。瀬戸の内側に位置する地形を表した地名です。
地名は、山間の狭い流れが開ける「瀬戸」や、陶器を焼く場所を意味する「陶処(すえと)」に由来するとされます。市名は古くから陶器の産地として知られた土地柄とも深く結びついています。
瀬谷区の地名は、周辺の谷地形を表す「谷」に由来するとされます。古くからの地形を反映した、土地の成り立ちを示す区名です。
世羅町の地名は、古くこの地を治めたとされる世良彦命に由来するという伝承があり、町名はその「世羅」によるとされています。合併前の旧町名にも受け継がれ、地域名として定着しました。
「泉南」は大阪府南部の地域名で、和泉国南部に位置することを示す呼称です。市名はこの広域地名に由来し、1970年の市制施行で泉南市となりました。
仙北は古く雄物川流域の地域名で「山の北側」を意味する説があり、その地理的呼称に由来する。
アイヌ語の「so-pet(滝川)」に由来し、洞爺湖の水が流れ出して滝となる川を指した地名です。漢字の「壮瞥」は当て字です。
弟橘媛の袖が海岸に流れ着いたという伝説に由来するとされ、東京湾の入り江や岬の形にちなむ説も伝わります。市名は旧袖ヶ浦町から市制施行後に継承されました。
地名は「率土の浜(そっとのひん)」に由来するとされ、国土の端・外れの浜を意味すると考えられています。古くは陸奥湾岸一帯を指す広い呼称としても用いられました。
古くは『古事記』の「蘇邇」などに見える地名で、石礫の多い足場の悪い土地を表すとされます。村名はこの古い地名に由来し、難読ながら歴史の深い名称です。
地名の由来は定説がなく、『紀伊続風土記』では泰地氏が住んだことに由来する可能性が示されています。古くは太地・泰地と書かれ、由来未詳とされる地名です。
大正橋に由来して名付けられた区名で、橋の完成後に周辺の新設区名として採用されました。もとは海や新田開発地だった地域で、地形の変化と都市化の歴史が地名に重なっています。
大山町の地名は、町域にそびえる大山に由来します。古くから信仰の山として知られ、地域の歴史や文化の中心となってきました。
台東区の名称は、上野の高台を表す「台」と、上野の東に位置する浅草などを表す「東」を組み合わせた瑞祥的な新命名です。文字の意味と地勢の両方が込められています。
市名は市域を流れる胎内川に由来し、川名の語源についてはアイヌ語説や雪形にちなむ説など複数の説があります。合併時の新市名公募でも「胎内市」が1位となり採用されました。
太白区の名は、区内の象徴である太白山に由来します。区名選定では「南区」案もありましたが、方角名を避けて地域の象徴を採ったとされています。
高石市の地名は、高師浜(たかしのはま)に由来し、古くは「高脚」とも書かれた海岸の美称とされています。岩石の多い海岸を表す語から転じたとする説が有力です。
高崎市の地名は、和田の地に城を築いた井伊直政が、白庵の進言により「成功高大」の意味を取って改めたと伝えられます。城下町としての発展とともに定着した地名です。
市域の大部分が加古川河口部西側の沖積平野にあり、砂が堆積して盛り上がった状態を表す古語「たか-いさご」が転訛した地名と考えられています。
旧高島郡の名を受け継ぐ市名で、古くは『万葉集』『和名抄』にも見える「太加之萬」に由来すると考えられます。三尾国の高島宮にちなむ説もあります。
高千穂の名は天孫降臨神話に結び付けられるほか、高所を意味する古い地名に由来するとする説もある、神話と自然が融合した地名である。
多賀町の「多賀」は、古くは「多珂」とも書かれ、「タカ」の転で高くなった場所を意味すると考えられています。町名は多賀大社の門前地としての歴史とも深く結びついています。
「高槻」は、古くは「高月」とも書かれ、高い槻の木(ケヤキ)のそばに本陣が置かれたことから現在の表記になったと伝えられます。地名の元には、神社名に由来する説や地形由来の説もあります。
高取町の名は、高取山に築かれた高取城と、その山名に由来します。山名は古くは「鷹鞭山」とも呼ばれ、鷹や神に通じる語とする説も伝わります。
高鍋町は古くは「財部(たからべ)」と呼ばれ、戦国末期から近世初頭にかけて「高鍋」の名が用いられるようになった城下町である。
高根沢町の地名は、地形を表す「高根」と、沢地を示す「沢」が組み合わさったものと考えられます。周辺の起伏や水辺の地勢を反映した地名です。
高萩市の地名は、市内にある萩の多い高台の地形に由来するとされます。市の花にも萩が選ばれており、土地の特徴をよく表した地名です。
高畠町の地名は、町内にある高い畠地や高台の開けた土地を連想させる地形的な名と考えられます。町は「まほろばの里」とも呼ばれ、扇状地に拓けた豊かな土地柄が特徴です。
高浜市の地名は、衣浦湾岸の高くなった浜辺を意味する地形由来と考えられています。文献上の初見は1409年で、古くから「高浜郷」として知られていました。
町名は「高い浜」を意味する形状地名とされ、台地の端が高く立つ海岸を表したと考えられます。中世以来の地名が受け継がれ、若狭高浜の海辺の景観とも結びついています。
高原町の地名は、神々の住む場所とされる「高天原(たかまがはら)」に由来すると伝えられる一方、古くから広がる原野地形に由来する説もみられる。
「田上」は水田地帯の上方・丘陵寄りの高台に由来する地形地名。越後平野(水田)と新津丘陵(山地)の境に位置する地形がそのまま名に反映されている。
高森町の「高森」は、周囲より高く森のように見える地形に由来すると考えられます。町内には神話や民話に結びつく地名も多く残っています。
高森町の地名は、町内にある「高い森」や、周囲より高く見える森・台地状の地形に由来すると考えられます。地域の景観を表す素朴な地名として定着しました。
村名は、村域にある高い山地や山並みを表す「高山」に由来すると考えられます。周囲の山地景観を反映した地形由来の地名です。
高山村の地名は、旧村名の高井村に由来する明治期の村名整理の結果として定着したものです。周辺の高井野郷・山田郷など、山地と高原の地形を背景にした地域名として受け継がれました。
「塚」は市内に多く残る古墳を指し、宝のように大切な塚がある土地として宝塚の地名が生まれたと考えられています。江戸時代にはすでに地名として用いられていました。
滝川市の地名は、アイヌ語「ソーラプチ(滝下る所)」を意訳したもので、空知川の滝状の地形に由来するとされる。
市名は、地内を流れる「滝のある河川」に由来するとされます。岩手県の文化情報大事典でも、滝沢村の由来としてこの説が紹介されています。
郡名の「多気」を町名に採用したもので、語源には高くなった所を表す地形語や、竹の生育地、古語の「多木」などの説があります。
渚滑川上流の「ポンカムイコタンの滝」の上に市街地があることから、滝の上の町として名づけられました。
町名は中心集落の竹富島に由来し、八重山の島嶼群を束ねる行政地名として定着しました。島名の由来は諸説ありますが、古い琉球語地名を受け継ぐものと考えられています。
多古町の地名由来は確定史料がなく諸説ありますが、湖沼の多い土地を表す「多湖」からの変化説や、古い村が多かったとする説などが伝わります。
多治見市の地名由来には複数の説があり、古代の部民名や皇子に由来する説、地形や川の流れに由来する説などが伝わります。いずれも決定説はなく、由来の確定していない地名です。
町名は河川名の田尻川に由来し、「た」は接頭語、「しり」は湿地を表すと考えられています。明治の合併で生まれた新命名で、のちに町制施行により現在の町名となりました。
只見町の地名は、会津地方の山間部にある只見川流域の地名として定着したもので、町史では「会津只見」の地名研究が扱われています。由来の詳細は資料上で明確に断定できないため、現時点では周辺地形や川筋との関わりが重要な手がかりです。
田子町の地名は、アイヌ語で「小高い丘」を意味する「タプコプ」に由来する説が最も有力です。町内にはアイヌ語起源とみられる地名も多く残っています。
『播磨国風土記』に見える「立野」が転じたとされ、龍野の地名は野に立ち並んだ故事に由来すると伝えられます。
辰野町の地名由来は明確にはわかっていませんが、竜が棲む湖や天竜川の流れにまつわる伝承から生まれたと伝えられています。
町名は蓼科山麓の「蓼科」に由来しますが、当用漢字に「蓼」がなかったことや、古くは立科山と呼ばれたことから「立科」の字が採られました。
館山市の地名は、城山に領主の館があったことから「館の山」と呼ばれたのが由来とされます。里見氏の城下町として発展し、昭和14年の市制施行時に市名として採用されました。
日本三霊山の一つである立山にちなむ町名です。町名は、古くから信仰の対象だった立山の名を受け継いだものと考えられます。
熊野街道の要衝として古くから知られた田辺の地名で、平安時代の記録にも見える古い地名です。語源は明確ではありませんが、周辺の田地や地形に由来する説が有力です。
田野町の地名は、奈半利川の治水と開墾によって生まれた「田野郷」に由来すると伝えられます。原意は段丘状の地形を表す「棚」に関わるとする説もあります。
田野畑村の地名は、「畑のある土地」または「撓(タ)わの畑」を意味するとされ、盆地状の地形や畑地に由来する可能性があると伝えられています。
丹波山村の「丹波」は、丹波川の名に由来し、山中の平坦地や谷あいを表す古い地名要素「タバ」に結びつくと考えられています。多摩川源流域の地名として、地形を反映した名称です。
平安時代中期ごろ、熊野修験者が当地に流入し、紀伊国の地名にちなんで集落名をつけたことが由来とされます。なお「原」は、丘陵地の樹木の育たない土地を指す語です。
田布施町の地名は、中世から見える「田布施郷」に由来します。万之瀬川支流の堀川流域一帯を指す地名で、古くは「多布施」とも表記されました。
玉川村の地名は、村内を流れる玉川に由来すると考えられます。地形に根ざした川名をそのまま村名にした、わかりやすい命名です。
多摩区の「多摩」は、多摩川に由来する地名です。区名は川沿いの地形や地域名を受け継いだもので、古くからの広域地名が行政区名として定着しました。
市名は多摩川に由来するとされ、さらにその語源は上流の丹波川(たばがわ)にさかのぼるという説が有力です。
玉名市の地名は、古くからこの地域に見られる「玉名」の名を受け継いだものです。由来の詳細は諸説ありますが、周辺の地名群の中心となる歴史的な地名として定着しました。
玉村町の地名は、利根川や烏川など水がたまりやすい地形に由来すると考えられています。伝説としては「龍の玉」にまつわる話も伝わります。
多良間村の地名由来は、島名「多良間」に基づくと考えられますが、検索結果からは語源の確定的な説明は確認できませんでした。
垂井町の地名は、古くから「垂井の泉」が歌枕「たるいの水」として詠まれてきたことに由来するとされます。町名はこの古い地名を受け継いだものです。
垂水区の地名は、東垂水周辺にあった滝の存在に由来すると考えられています。万葉集にも詠まれた「垂水」の古い地名が、地域名として受け継がれました。
垂水市の地名は、垂水城の崖下で岩間から清水が滴り溜まっていたことに由来するという説が知られています。平安時代にはすでに記録があり、古い地名として伝わっています。
篠山の地名は、築城をきっかけに定着したとされ、「笹の山」説と「神聖な場」を意味する説が伝わります。2019年に市名へ「丹波」を冠し、丹波篠山市となりました。
丹波市の市名は、旧国名の「丹波」に由来します。語源は「田庭」や赤米にちなむ説など諸説あり、定説はありません。
茅ヶ崎市の地名は、古くは「千ヶ崎」「千賀崎」などとも書かれ、茅が生い茂る岬状の地形を表したと考えられています。相模湾に面した海岸地形に由来する地名です。
筑西市の地名は、旧郡名の「筑西」に由来し、筑波山の西側に位置する地域名として定着したものです。
2005年に本城村・坂北村・坂井村が合併して成立した村名で、旧村の一部にある「筑北」の呼称を引き継いだものです。筑摩山地の北側に位置することを示す地名と考えられます。
千曲市は千曲川の名を採った新しい市名で、川の蛇行や崖・湿地を表す語に由来する説があります。旧更埴市・戸倉町・上山田町の合併で成立しました。
秩父の地名は、アイヌ語系の解釈や「知々夫彦」など複数の説があり、決定的な定説はありません。地形や水流に由来するという見方が有力視されています。
アイヌ語に由来し、「通路のある川」や「舟の通る川」などを意味するとされます。現在の表記は、明治期の「秩父志別」を略したものと考えられています。
千歳市の地名は、もともとのアイヌ語地名「シコツ」を改称したもので、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と名付けられた。
「知名(チナ)」は島言葉(シマムニ)で「ジンニャ」と呼ばれ、「キナ(焼畑を行う場所)」を語源とする。大山の南に位置し日当たりが良く、沖永良部島内最大規模の焼畑耕作地だったことに由来する。
茅野市の地名は、茅(かや)の生える野を意味する「茅野」に由来し、駅名を町名に採ったことから市名として定着しました。
語源は未詳とされるが、茅が生い茂る土地「茅生(ちぶ)」が転じた説や、下総台地の崖地を意味する地形語源説が有力候補として挙げられる。
福岡市の中心部に位置することから名づけられた区名です。天神や福岡城跡を含む市の中枢地域を表す名称として定着しました。
新潟市中央区は、県庁所在地・新潟市の中心部にあたる区名で、地名そのものの由来は新潟という港町の成立史に結びつきます。新潟は信濃川河口の潟に新しくできた港を意味するとされます。
大阪市中央区は、旧東区と旧南区の合区によって成立した区名で、区名そのものは市の中央部に位置することを示します。区内の町名には、船場や上町台地の地勢、城内外の位置関係に由来するものが多く見られます。
中央区は、東京市の地理的中央に位置し、経済・文化の中心地であることから名付けられました。戦後に旧日本橋区と旧京橋区が合併して成立した区名です。
市名の「中央」は、甲府盆地の中央、山梨県の中央、さらに日本の中央に位置するという意味を込めて名付けられました。
利根川河口が酒器の銚子に似ることから名づけられたとされる地名です。江戸時代後期から用例が見られ、河口の狭い地形に由来する説が有力です。
知立市の地名は、古くは「池鯉鮒」「智鯉鮒」などの字が当てられ、御手洗池に鯉や鮒が多かったことに由来するともいわれます。江戸時代には東海道の宿場町として「ちりゅう」の名が広まりました。
つがる市は、津軽地方の名称に由来し、その語源は湿地や水辺の多さなどを表すとされる説がある。
市名は『風土記』に見える筑波岳(筑波山)に由来し、山尾根の端に突出した地形を表すと考えられています。漢字の誤読を避けるため、ひらがな表記が採用されました。
津久見市の地名は、湾を囲む地形に由来すると考えられています。津(港・入り江)と久見の組み合わせで、海に開いた地勢を表した地名とみられます。
古語で「港」を意味する「津」に由来し、「安濃津(あのつ)」の上略形として江戸初期に定着した地名。
津島市の地名は、津島川(現・天王川)東岸の自然堤防上に形成された集落に由来すると考えられます。中世には「津嶋」の表記がみられ、港や川筋に関わる地名として定着しました。
霞ヶ浦西岸の低湿地に由来し、「土(つち)+浦(うら)」で土砂の堆積した水辺を表す地名と考えられています。
景行天皇が大泊港に船をつながれたという故事に由来すると伝えられる町名です。港に船をつないだことから「津奈木」と呼ばれるようになったとされます。
清津川の以南にあることから「津南」と呼ばれるようになったとされます。明治以降に一般化した地名で、水に関わる土地柄を反映しています。
都農町の地名は古代の日向国児湯郡「都農郷」に由来し、古くは「津野」とも表記された。港や人々の集まる場所を意味する説、高まりのある地形を示す説などが伝えられている。
津幡町の地名は、津幡川と河北潟を行き来する舟の「津の端」に由来するとされます。北陸道の宿場町として栄えた歴史も、地名の定着に影響したと考えられます。
アイヌ語の「tu-pet(トゥペッ)」に由来し、「二つの川」または「山の走り根の下の川」を意味するとされます。津別川と網走川に関わる地名と伝えられています。
特別天然記念物タンチョウの生息繁殖地にちなみ、「鶴が居る」ことから名付けられた村名です。釧路湿原とタンチョウの保護活動が地名の由来に結びついています。
鶴岡市の地名は、鶴岡城の周辺に広がる「鶴のいる岡」のような景観に由来するとされます。市内の旧町名には、赤川の流路や原野、神社名などにちなむものが多く残ります。
敦賀市の地名は、古くは角鹿(つぬが)と呼ばれ、敦賀半島が角のように突き出した地形に由来する説が有力です。のちに好字として「敦賀」の字が当てられました。
鶴ヶ島市の地名は、湿原の中の島状の地に鶴が巣をつくったという伝承に由来するとされます。近世の小字名にちなむとする見方もあります。
町名は剣山(つるぎさん)にちなむとされ、町域も剣山の北麓に広がります。2005年に半田町・貞光町・一宇村が合併して成立しました。
都留市の「都留」は、富士山の裾野に蔓が伸びる様子や、鶴が多くいたこと、流れに由来する語感など、複数の説が伝わる地名です。
鶴見区の地名は、鶴見川の蛇行や流れのゆるやかな地形を表す「ツルミ」に由来する説が有力です。鶴が群れる伝承もありますが、区の資料では水辺の地形説が紹介されています。
区名は鶴の飛来伝承や低湿地のツル群生地説などがあり、昭和49年の分区時には鶴見緑地にちなむ命名も行われました。
手稲区の地名は、アイヌ語の「テイネィ(teyne-i)」に由来し、「濡れているもの」や湿った土地を意味するとされます。開拓前の低湿地帯の様子を表した地名です。
弟子屈町の地名は、アイヌ語の「テㇱカカ」に由来するとされ、岩盤が川を横切る場所や、その岸を表すと考えられています。
1955年の合併で成立した村名は、村の中央にそびえる天栄山に由来します。地名は山名を採ったもので、村域の象徴的な地形が名前のもとになっています。
区名は、北東から南西へ流れる天白川に由来します。天白川の名は、下流域に天白社が祀られていたことにちなむとされています。
天理市は昭和29年に成立した新しい市名で、天理教の本部所在地であることに由来します。市内の大字名は古くからの集落名が多く、地域の歴史を今に伝えています。
浜松市天竜区の地名は、区名の由来として天竜川にちなむと考えられます。区内には「月」「空」など独特の地名も残り、地形や屋号に由来する説が紹介されています。
地名は「鴇が根(ときがね)」に由来するとされ、最福寺背後の山嶺がトキの頭に似ることから転訛したという説が有力です。江戸期には徳川家康の御成を機に「東金町」と称したと伝えられます。
道志村の地名は、村内を流れる道志川に由来するとされます。川名の由来は諸説ありますが、古くから地域を示す呼び名として定着しました。
当別の地名はアイヌ語の「トーペッ(to-pet)」に由来し、「沼から来る川」あるいは「沼川」を意味するとされる。
旧小石原村と旧宝珠山村の合併により誕生した村名で、村内の東にある峰々の景観を踏まえて名づけられました。自然豊かな山あいの地形を表す地名です。
アイヌ語の「トオマナイ(沼・に入る・川)」に由来するとされ、のちに「当麻」の漢字が当てられました。屯田兵による開拓とともに地名が定着した町です。
遠野市の地名は、「中心地から見て遠い場所」を意味する説と、アイヌ語の「ト(湖)・ヌプ(丘)」に由来する説が伝わっています。
渡嘉敷村の地名は、村の中心集落である渡嘉敷島の「渡嘉敷」に由来します。島名の語源は明確には断定されていませんが、古くから島の呼称として定着してきました。
平成18年の合併で誕生した町名で、旧都幾川村と玉川村を流れる都幾川にちなみます。都幾は「都幾山」から、さらに「ツキ(高くなった所)」に由来すると考えられています。
土岐市の「土岐」は古代の郡名に由来し、地形語の「とち」と同系で切り立った崖や急斜面を表すとする説が有力です。ただし由来には諸説あり、確定的な説明は残っていません。
「徳島」は天正13年(1585年)に蜂須賀家政が吉野川河口の三角州に城を築いた際に命名した地名。旧称「渭津」から改名し、「島」は川に囲まれた三角州の地形を、「徳」は縁起の良い美称を表す。
徳之島町は、徳之島の東部を行政区域とする町で、島名をそのまま採った地名です。町名は1958年の新設合併で成立しました。
地名は、粘土層が露出して地盤が滑らかだったことから「床滑(とこなめ)」と呼ばれたとする説が有力です。万葉集にも見える古い地名で、常滑焼の産地としても知られます。
所沢の地名は由来が確定していませんが、古い資料に見える「野老沢」にちなみ、ヤマイモ科のトコロ(野老)に結びつけて説明されることが多いです。
市名は旧国名の「土佐」に由来し、古くから地域を代表する呼称がそのまま自治体名として用いられました。語源については「門狭(とさ)」やアイヌ語説など複数の説があります。
区名は古代の武蔵国豊島郡に由来し、郡名を受け継いで昭和7年に誕生しました。由来には「高所の島」や「豊かな島」などの説があります。
「十島」は、かつてトカラ列島の島々を総称して呼んだ「川辺十島」に由来します。明治期に村制が施行され、のちに現在の読みである「としまむら」として定着しました。
利島村の地名は、島名の「利島」に由来します。島名の語源は明確ではありませんが、古くから伊豆諸島の一島として知られ、明治期に行政名として利島村となりました。
戸田市の「戸田」は、近世の通称に由来し、「ト(高所)」+「タ(接尾語)」や湿地を表す地名とする説があります。古くは「土田」と書かれた例も見られます。
栃木市の地名は、神明宮の千木にちなむ「十千木」説やトチノキに由来する説などがあり、確定していません。県名の由来にもなった歴史ある地名です。
十津川村の地名は、都や津(港)から遠い場所を意味する「遠津川(とおつかわ)」に由来するとされます。中世の文書にも「遠津川」と見え、のちに十津川と表記されるようになりました。
渡名喜村の地名は、沖縄語の「とぅなち(tunaci)」に由来するとされます。島の呼称が村名として定着したもので、明治41年の島嶼町村制で村が成立しました。
「となみ」は古くは「利波評」とも書かれ、古代の部民や鳥網(となみ)に由来する説があります。現在の「砺波」は、意味を持つ漢字を当てた表記と考えられています。
鳥羽市の地名は、古くは「泊浦(とまりうら)」「泊(とば)」に由来するとされ、港としての地形や機能を表したと考えられています。あわせて、賀多神社の縁起に見える伝承から「鳥羽」の字が定着したとも伝えられます。
近世の新田名に由来し、「飛び離れた島」を意味する地名とされます。干拓前の地形を表した呼び名が、現在の村名として定着しました。
砥部町の地名は、町内で産出した砥石や陶土に由来すると考えられ、砥部焼の産地としての歴史とも深く結びついています。
苫小牧の地名はアイヌ語に由来し、「沼の奥にある川」などを意味する語が転訛したものとされている。
アイヌ語の「トマ・オマ・イ(toma-oma-i)」に由来し、「エゾエンゴサク・ある・ところ」を意味するとされます。別説として「岬・にある・入江」を意味する説もあります。
泊村の「トマリ」は、アイヌ語の「モイレトマリ(静かな泊地)」や「ヘモイトマリ(マスを寄せる入海)」に由来するとされます。入り江の多い地形と漁場としての性格が地名に反映されたと考えられています。
泊村の「トマリ」は、アイヌ語で「静かな泊地」や「マスを寄せる入海」を意味する語に由来するとされます。入り江の多い地形と漁場としての性格が地名に反映されたと考えられます。
越中守護所から見て呉羽丘陵の外側にある地域を「外山(とやま)」と呼んだことに由来し、安土桃山時代に佐々成政の入城を機に縁起の良い「富山」の字が定着した。
旧称の弁辺から、農産物や水産物が豊かで内浦湾に面する土地柄を表す「豊浦」へ改称されました。豊かさへの願いも込められた町名です。
豊岡市の地名は、古くから但馬地方の中心として栄えた「豊かな岡」に由来するとされます。低湿地の開拓や円山川流域の地形と結びつけて説明されることが多い地名です。
村名は「豊かな丘」を意味すると考えられ、周囲の丘陵地形を表した地名とみられます。長野県下伊那郡の山あいに位置することから、土地の様子を素直に表した地形由来の名です。
市名は市内を流れる豊川に由来し、古くは「豊河」とも記されました。旧豊川村の地名が基になり、川名から地域名へ広がったと考えられます。
町名の「豊郷」は、米穀の豊穣を願って名づけられたとされます。古くから稲作が盛んな土地柄を反映した、縁起のよい地名です。
アイヌ語の「イペコㇿペッ(食物・を持つ・川)」に由来するとされ、豊かな川の恵みを表した地名です。町内を流れる川の存在とも結びつけて説明されています。
豊根村の地名は、村内の豊かな根元・山の尾根にちなむとされ、山地の地形を反映した名です。明治22年の村制施行で現在の村名として定着しました。
豊平区の地名は、アイヌ語の「トイェ・ピラ(崩れた崖)」に由来し、豊平川沿いの崖地を表した呼び名がもとになっています。明治以後に「豊平」と表記され、昭和47年に区名として定着しました。
十和田はアイヌ語に由来し「岩の多い湖」を意味するとされ、十和田湖の名称に由来する地名である。
アイヌ語の「ナヱ」「ナエイ」「ナイエ」などに由来する説があり、砂多き川や谷川、その川を意味すると考えられています。
直島町の町名は、島の地形や「素直」「まっすぐ」といった意味合いに結びつけて語られることがあり、古くから直島の名で知られてきました。
長井市の地名は、水の集まる場所を意味する「ながい」に由来するとされ、川や水路が多い土地柄をよく表しています。市内には清流や水路が広がり、地名と地形・水環境の結びつきが強い地域です。
市名は、延暦3年に桓武天皇が造営した都「長岡京」に由来します。もとの「長岡」は向日丘陵を指し、地形にちなむ名です。
長岡市の地名は、古くからの「長岡村」に由来すると考えられます。周辺の丘陵地や台地を背景にした地名で、近世以降に城下町として発展しました。
中川区の名は、区の設置時に区名の由来となった中川運河(旧河川名)の「中川」にちなみます。区内には庄内川や新川など多くの川が流れ、水の多い地形が地名の背景にあります。
中川町の地名は、天塩川の中流部に位置することから「中川」と呼ばれたもので、入植当初は無名村だったため所属郡名が採られました。
町の中央を流れる那珂川にちなむ地名で、清流を町名に採ったものです。2005年に馬頭町と小川町の合併で成立しました。
千曲川の上流域に位置することから、村名は「川の中ほど」を意味する地形由来と考えられます。周辺の川筋にちなむ素朴な地名です。
広島市の中心部に位置することから「中区」と名づけられた行政区名です。市街地の中核を担う区域としての位置づけが、そのまま名称に反映されています。
横浜市中区の地名由来は、吉田新田や外国人居留地の埋立・町名整理に深く関わります。町名は縁起名や人名、地形名など多様な由来を持ちます。
長久手の地名は、古くは「長湫」とも書かれ、湿地や低湿な土地を表す地形に由来すると考えられています。市名はこの旧地名を受け継いだものです。
長崎市の地名は、長崎港に突き出した『長い岬』の地形に由来するとされる。古くは永崎浦・長崎浦と記録され、中世以来の歴史を持つ。
那珂市の地名は、古代の郡名「那珂」に由来し、もとは「中(なか)」を表す地名と考えられます。周辺の中心的な場所を示す呼び名が、好字二字化によって現在の表記になりました。
町名は、町域の中心となる長島に由来します。長くのびた島の形状を表した地名と考えられ、周辺の島々を含む地域名として定着しました。
阿武隈川沿いの低地にある「中島」の地形を表す地名とされます。村域の中心部にある中島の呼称が、そのまま村名として定着しました。
長洲町の地名は、古くは「長渚」「長須」などと記され、長い渚の浜辺を表したとされます。景行天皇の伝承に由来する「泣洲」の説も伝わります。
中種子町は、種子島の中央部に位置することから「中」を冠した地名です。島名の「種子」は古くからの島の呼称に由来し、町名は地理的位置をそのまま表しています。
中津は、山国川の河口部に開けた港・洲に由来する地名と考えられます。『津』は港や船着き場を表し、海辺の地形と結びついて成立した名称です。
中土佐町の町名は、古くからの郡名・国名である「土佐」に由来し、その中央部に位置することを示す地名と考えられます。
荒川の流れが長く静かな「瀞」となって続くことから、長瀞の名がついたとされます。町名は景勝地・長瀞に由来し、自然景観を表す地名です。
中頓別町の地名は、アイヌ語由来の「頓別」に、頓別川の中流域にあることを示す「中」が付いたものです。
アイヌ語で「長い沼」を意味するタンネトに由来し、その沼の名が町名のもとになりました。現在もタンネトーの碑が残されています。
中野区の地名は、古くからこの一帯が「中野」と呼ばれてきたことに由来します。武蔵野台地の中央部に位置する内陸の地形を表す地名として定着しました。
平安末期に古代日野郷の中心が移ったことで「野の中心」と呼ばれたのが由来とされます。千曲川流域の扇状地に位置する地形とも結びつけて説明されます。
善光寺平(長野盆地)が南北に細長く伸びる地形、または裾花川扇状地の長い緩傾斜地を指して「長い野」と呼んだことに由来する地形語源説が有力とされる。
能登半島のほぼ中央に位置することから「中能登」と名づけられた町です。町名は地理的位置を表すとともに、能登の語源に関わる古い伝承とも結びつけて語られています。
長野原町の地名は、町内の「長野原」という旧地名に由来すると考えられます。周辺には源頼朝の巻狩伝説も伝わりますが、町名そのものの由来を直接示す確かな史料は確認できません。
中富良野町の地名は、アイヌ語の「フラヌイ」に由来し、富良野川の中流に位置することから「中」を付けたものです。十勝岳周辺の噴気や硫黄臭にちなむとされます。
中間市の地名は、古くから遠賀川流域の交通・生活の要地として「中ほどの間」に位置することに由来するとされます。市名は地域の中心性を示す呼び名として定着しました。
古代の郷名「山方郷」に由来し、最上郡の中心から見て山の奥寄り・山側の方向を示す地名と考えられています。
長柄町の地名は、古代の郡名「長柄郡」に由来する説が有力で、丘陵地の地形を表す「長原(ながらはら)」が転じたとする説もあります。町史では古くから「ナガラ」の地名が各地に見られることも示されています。
流山市の地名は、上州赤城山の一部や赤城神社のお札が洪水で流れ着いたという伝承に由来するとされます。市名は水害と深く結びついた「流れ山」のイメージから生まれたと伝えられています。
今帰仁は「イマキ(新来者)」や「ナキズミ(魚来住)」に由来するという説があり、いずれも沖縄の古い地名音を反映した当て字と考えられています。
南木曽町の「南木曽」は、木曽谷の南端に位置することを示す地名と考えられます。木曽の語源には「生苧(きそ)」に由来する説などがあり、町名はその地理的位置を踏まえて定着しました。
奈義町の「奈義」は、那岐山の名に由来するとされ、古くは「那岐」と表記された地名との関係も指摘されています。町内にはさんぶたろう伝説が残り、地名と伝承が深く結びついています。
平安時代末期の荘園名「那古野荘(なごやのしょう)」に由来し、崩壊地形「ナギ」の野原を意味する地形語源説が有力とされるが、複数の説が並立し定説はない。
那須塩原市の「塩原」は、山間の狭い平地や塩類泉に由来する地名とされます。市名は那須と塩原を合わせた合成名で、2005年の市制施行で定着しました。
那須町の「那須」は、那珂川の中洲を意味する「なか川の洲」に由来するという説が有力です。のちに国名・郡名としても用いられ、地名として長く受け継がれました。
区名は、灘の生一本で知られる酒どころにちなむとされますが、「ナダ」の語源自体は未詳で、風波の荒い海を表す語との関連も指摘されています。
町名は、古くからの港町「勝浦」と、熊野信仰の中心地・那智を合わせた合成地名です。勝浦は「良い入り江・良港」を意味する地名と考えられています。
名取市の地名は、アイヌ語の湿田を表す語に由来するという説と、陸奥国名取郡にちなむ説が伝わります。古くからの地名が市名として受け継がれました。
七尾市の地名は、七尾城の城山に七つの尾根があったことに由来するとされます。城下町として発展した歴史を背景に、地形に根ざした名が市名として定着しました。
区名は大阪の古称「なにわ」に由来し、王仁の歌にちなむ命名とされています。古くは難波江・難波潟と呼ばれた海辺の地で、地形と歴史の両面が背景にあります。
「那覇」の地名は、古くから魚が豊かな漁場(なは・なば)であったことに由来するという説が最も有力とされる。沖縄学の父・伊波普猷が提唱した説で、国場川・安里川・久茂地川の河口部の漁場環境と合致する。
名張市の地名は、山間に隠れて目立たないことを表す古語「なばる」や「隠(なばり)」に由来するとされます。万葉の昔から宿駅として開け、伊勢参りの宿場町として発展しました。
浪江町の地名は、古くは「波江」などの表記も見られ、海や波に関わる地形・景観に由来すると考えられています。町域は太平洋に面し、海辺の地名として成立したとみられます。
常陸国風土記では、ヤマトタケルが地形の入り組んだ様子を「行細(なめくわし)」と表したことに由来するとされます。別説では、古代アイヌ語・縄文語系の「泉のほとり」を意味する語に結びつける見方もあります。
町名は町の中央を流れる滑川に由来し、その川名は泉から湧き出る水が滑らかに流れる様子、またはアイヌ語由来とする説が紹介されています。
名寄市の地名はアイヌ語に由来し、名寄川と天塩川の合流地点を意味する「ナイオㇿプトゥ(nay-or-putu)」に由来するとされる。
「奈良」の地名は、土地を「平(なら)す」という動詞と同源で、緩やかな傾斜の平らな土地を意味するという説が最も有力とされている。
「習志野」は明治天皇が陸軍大演習の際に命名した「習志野原」に由来し、市名は1954年の市制施行で採用されました。
成田の地名は、雷の多い土地を表す「鳴田」、稲のよく実る「熟田」、開墾に由来する「業田」などの説が伝わります。
鳴沢の地名は、富士山から転がり落ちる砂の音が鳴り響く沢を表す「鳴沙」に由来するとされます。古くから万葉集にも見える古い地名です。
鳴門市の地名は、鳴門海峡の激しい潮流と渦潮の音に由来します。もとは「鳴南市」と名乗りましたが、市民の評判が悪く、短期間で現在の市名に改称されました。
アイヌ語の「ポロモイ(poro-moy)」に由来し、湾曲して緩やかに流れる場所を指した地名です。のちに「幌向」から、町制施行時に「南幌」と改められました。
信濃川・阿賀野川が運ぶ土砂で河口に形成された「新しい潟(干潟・砂洲)」に由来する地形語源説が有力で、室町時代の史料に「新潟」の表記が登場する。
新島村の「新島」は、島の色が白いことから「あたら島(新島)」と名付けられたという伝説に由来します。火山活動で生まれた新しい島という意味合いも伝えられています。
新居浜の地名は、古くは「新居浜浦」と呼ばれた海浜地名に由来し、新しく開けた浜辺を表すと考えられています。市名は町制・市制施行の際にこの地名を受け継いで定着しました。
西会津町の「会津」は、古事記に見える「相津」に由来し、川が集まる場所を表すとされます。町名の「西」は会津地方の西部に位置することを示します。
興部の地名はアイヌ語由来で、「川尻が合流するところ」を意味するとされ、西興部村はその西側に位置することから名付けられました。
西尾市の地名は、吉良山の西にある尾根状の地形に由来するとされます。ほかに「煮塩」が転訛したとする説も伝わります。
西蒲区は新潟市西部の区名で、旧巻町などの合併により成立しました。中心地の「巻」は、アイヌ語説や洪水で「巻く」地形に由来する説が伝えられています。
西区は、さいたま市の政令指定都市移行に伴い2003年に誕生した区で、区名は市域の西部に位置することに由来します。区内の「西遊馬」は古代の牧や低湿地に関係する地名とされ、地域の地名史を今に伝えています。
西之表市の「西之表」は、種子島の北西側にある表口の集落・港を指す地名と考えられます。島の玄関口としての位置を表す呼び名が、そのまま市名として定着しました。
西ノ島町は、隠岐諸島の西ノ島に位置することから名づけられた町名です。島の西側にある島という地理的特徴をそのまま表した地名です。
阿蘇外輪山の西麓にあることから「西原」と呼ばれたと考えられる地名です。村域の地形をそのまま表した、わかりやすい地名といえます。
西米良村の名称は、古くから一ツ瀬川上流域一帯を指した「米良(めら)」に由来し、明治期に米良地域の西部に位置したことから名付けられた。
淀川の西側に位置することから名づけられた区名で、区内には姫島・御幣島・歌島など島に由来する地名が多く残ります。
西和賀町の地名は、岩手県の資料では「滝のある河川」を由来とする説が示されています。和賀地域の西側に位置することを踏まえた町名です。
「西脇」は、加古川の支流が西の谷に入る山脇の地にあること、または都麻(津万)郷の西側に位置することに由来するとされます。
ニセコ町の地名は、アイヌ語の「ニセイコアンヌプリ」に由来し、「切り立った崖の下を流れる川の山」を意味するとされます。もとは狩太町でしたが、観光地名としての「ニセコ」が定着し、1964年に町名が改称されました。
七里岩の先端がニラの葉のように尖っていることから「韮崎」と呼ばれたとされます。地形に由来する市名で、韮の葉に見立てた伝承が広く知られています。
狩野川河口の沼沢地に、港として使われた「津」があったことから「沼津」と呼ばれるようになったとされます。文献上は『吾妻鏡』に1208年の記録が初出です。
根室の地名はアイヌ語に由来し、「樹木が繁茂する所」や「木の湾」などを意味する語から転じたとされる。
寝屋川市は、市内を流れる寝屋川にちなむ地名とされます。川名の「寝屋」の意味には諸説あり、寝泊まりする場や集まりの場を指すとする説が紹介されています。
「ねりま」の由来には、赤土をねった「ねり場」や「根沼」など複数の説があり、定説はありません。練馬区公式ホームページでも諸説併記で紹介されています。
村名は、中心集落の野沢に湧く温泉に由来します。中世には「湯山」とも呼ばれましたが、近世以降は温泉地としての性格を反映した現在の名称が定着しました。
古くは「渟代」と記され、湿地を意味する語に由来するとされる地名。後に縁起の良い字として「能代」に改められた。
地名の由来は諸説ありますが、原野が開かれて水田になったことに由来する説が有力です。ほかに「湿地」を表す語や、野田右馬助の館に由来する説も伝わります。
村内を流れる宇部川・明内川流域の湿地や湿田を表す「ヌダ(沼田)」が転じたとされます。ほかに「野のある土地」や方言の「のだ」に由来する説もあります。
能登町の「能登」は、一般にアイヌ語の「ノッ(岬・あご)」に由来するとされ、半島状に海へ突き出した地形を表すと考えられています。
延岡の地名は、五ヶ瀬川流域に形成された長く延びる岡状の地形に由来するとされる。古くは「県(あがた)」と呼ばれ、近世に延岡城の築城とともに現在の地名が定着した。
アイヌ語に由来し、「原野を流れる川」を意味する語から転じたとされる地名。
登別の地名は、アイヌ語の「ヌプルペッ(色の濃い川)」に由来するとされ、温泉成分で白く濁る川の様子を表した名称である。
「南風が吹く豊かな土地」を意味するとされる町名で、沖縄らしい自然の恵みを表した地名です。
博多区の地名は、古代から博多湾沿岸一帯を指した「博多」に由来します。語源には港の停泊地や地形に関わる説があり、国際貿易港として発達した歴史を背景に定着しました。
市名は霊峰白山に由来し、山名は雪をいただいて白く見えることから付いたとされます。合併で誕生した市名も、この白山の名を受け継いでいます。
白馬村の名は、白馬岳の雪形が代掻き馬に見えたことに由来します。山名は本来「しろうま」と読まれましたが、村名としては「はくば」が定着しました。
「はこね」は古くから見られる地名で、「はこ」は箱型の山、「ね」は嶺(山)を表すとされます。駒ケ岳の形や、梵篋(経典を入れる箱)にちなむ説も伝わります。
「波佐見」は、山々に挟まれた盆地地形を表す「狭間(はざま)」が転じた地名とされる。江戸時代から続く陶磁器の産地として「波佐見焼」の名を全国に知らしめている。
階上町の地名は、町の象徴である階上岳に由来し、山名を基にした命名と、地形的な「端の上」を意味する説がある。
羽島市の名は、近代に羽栗郡と中島郡が合併してできた羽島郡に由来します。さらにその背景には、木曽川の洪水と流路変化による郡名の変遷があります。
蓮田市の地名は、蓮華院弥陀堂に由来するという伝承が知られています。沼地に咲く蓮の花にちなむ説や、「はしど(橋処)」が転じたとする説も伝わります。
八丈町の町名は、中心となる八丈島の名を受けたものです。島名の由来は諸説ありますが、古くから伊豆諸島の主要な島として知られてきました。
町名はかつて存在した大潟湖「八郎潟」に由来し、その名称は伝説の人物・八郎太郎にちなむとされる。
町名は、合併前の八森町と峰浜村の各一字を合わせた合成地名です。さらに「八峰」は「多くの峰」を意味し、白神山地に連なる山並みを連想させます。
花巻市の地名は、花の牧、北上川の花びらが渦を巻く景観、アイヌ語由来など複数の説があり、定説はありません。現在の「花巻」の表記は江戸時代初期に定着しました。
花見川区の名は、区内を流れる花見川に由来し、さらに「ハナ」は先端や高地を表す古い地名要素とみられます。後世に「花見」の字が当てられ、美しい川名として定着しました。
「塙」は、台地の端を表す方言「はなわ」に、地形を連想させる字を当てたものとされます。石地・高所の意味も背景にあるとされ、地形由来の地名です。
羽生の地名は、埴輪や埴生(はにふ)に由来する説があり、土地の性質を表す古い地名と考えられています。市名としては中世以降に広まりました。
「浜田」は、浜に田を開いたことに由来すると伝えられ、平安時代中期の伝承が残ります。文安元年(1444)の『濵田村』が初見とされます。
砂浜の中央に集落があったことから「浜中」と名づけられ、アイヌ語の「オタノシケ(砂浜の真中)」を意訳したとされます。
浜名区は、浜名湖や浜名郡に由来する歴史ある呼び名を受け継いだ区名です。区名公募でも、地域の自然と伝統を表す名称として支持されました。
河岸段丘の「ハケ」から「ハケ村」となり、転じて羽村になったとする説と、武蔵野台地西端の「ハシ」から「ハシ村」となったとする説があります。
町名は町の中央を流れる早川に由来し、川を中心とした地形的特徴から名づけられました。町誌では「早川」を「速河」とみる説も示されています。
かつて周辺が海で、早島はその海に浮かぶ島だったことに由来するとされます。干拓によって陸続きになった地形の変化が、地名の背景にあります。
町名は、山のふもとに広がる地形を表す「葉山」に由来すると考えられています。古くから葉山村として知られ、のちに町制施行で現在の町名が定着しました。
原村の地名は、江戸時代初期に諏訪大社神域のお狩場であった「神野」を新田開発して集落が形成されたことに由来するとされます。のちに明治の村政施行以降も合併せず、原村として歴史を重ねてきました。
磐梯町の地名は、町域の中心にそびえる磐梯山に由来すると考えられます。山麓の地形と山岳信仰の歴史が、町名の背景にあります。
伊豆半島東海岸にあることから「東伊豆」と名づけられた町名です。稲取町と城東村の合併で成立し、地理的位置をそのまま表した地名です。
大阪市の東に隣接するという地理的位置に由来する市名で、1967年に布施・河内・枚岡の3市合併によって誕生した。
福岡市東区の地名は、区名としては市の東部に位置することを示す方角由来です。区内には多々良など、地形や鉄生産に関わる由来をもつ古い地名も残っています。
東区の地名は、区内の伏古・丘珠・苗穂・鉄東などの各地名に由来があり、いずれもアイヌ語や開拓期の呼称をもとにしています。
堺市東区は、堺市の東部に位置することから「東区」と命名されました。2006年の政令指定都市移行時に設置された区で、古代には須恵器の生産地として栄え、日置荘・野田・白鷺など歴史深い地名が残ります。
秩父盆地の東側に位置することから「東秩父」と名づけられました。村名は、秩父郡の東部にある地理的位置をそのまま表したものです。
東通村の「東通」は、下北半島の東側に位置し、海沿いに集落が分散していた地理的特徴から「東の通り道」に由来するとされる地名です。
東灘区の「東」は、旧灘地域の東側に位置することを示す名称で、区名は神戸市の灘地域を東西に分けた行政区画に由来します。
上町台地の東側に新たに生まれた土地を意味する「東生(ひがしなり)」に由来し、古代の地名が区名として受け継がれました。
東成瀬村は明治期の合併で命名され、東方に位置することと成瀬川の名称に由来する地名である。
村山盆地の東側、奥羽山脈の麓で最も早く開けた場所を「東根」と呼んだことに由来するとされます。古い湖の東にある根元の土地という地形的な見方が背景にあります。
東山区は、区名のとおり東山の地形に由来します。平安京以来の歴史の中で東山一帯の景観が育まれ、区名としては昭和4年の分区で定着しました。
吉野郡の東側に位置することから「東吉野」と呼ばれるようになった村です。吉野地域の東部を示す地名で、村名は地理的位置関係に由来します。
町名は町内を流れる氷川に由来し、氷川流域の地名として定着しました。氷川は古く『火の国』ゆかりの地ともされ、地域の歴史と深く結びついています。
久山町の地名は、町域にある久原(くばら)や山地の地形と関わるとみられますが、由来を直接示す確かな史料は見つかっていません。現時点では、町名の成立過程は未詳として扱うのが適切です。
町名は町内を流れる日高川に由来します。日高川は護摩壇山に源を発し、町の中央を流れる和歌山県を代表する河川です。
日高山脈の麓にあることから「日高」と名づけられました。旧日高町と門別町の合併で現在の町名になっています。
日田市の地名由来には複数の説があり、古代の「久津媛(ひさつひめ)」にちなむ説や、湖が干上がって「日鷹(ひたか)」となったとする伝承が知られます。
「飛騨」は古くから「ひだ」と読まれ、山の襞のような地形や、辺境を意味する「ひな」に由来する説があります。市名は旧国名の飛騨にちなみ、飛鳥時代以降に「飛騨」の字が定着しました。
神峰神社で徳川光圀が朝日の昇る景観をたたえたことにちなむとされ、日立村の村名から市名へ受け継がれました。日立製作所の社名もこの地名に由来します。
町名は、町内北部にある七つの高峰「七宗山」に由来し、「宗」は祖霊舎や神の宿る場所を意味するとされます。古くから七宗山・七宗権現と呼ばれ、山岳信仰に結びついた地名です。
アイヌ語の「ピピペッ」や「ピオㇷ゚」に由来するとされ、石の多い川や場所を表す地名と考えられています。湿地や石の多い川床の地形が背景にあると伝えられます。
人吉市の地名は、交通の要衝にあった宿場的な性格に由来するという説があり、平安時代にはすでに文献に見えます。球磨川流域の盆地に発達した城下町としての歴史も、地名の定着に影響しました。
檜枝岐村の地名は、周辺に良質な黒檜が多く産したことに由来するとされます。古くは「小屋ノ原」や「檜木亦」などとも記され、山深い土地柄を反映した名です。
日之影町の名称は日之影川に由来するとされるほか、神話に由来する伝承も残されている。深い渓谷地形と密接に結び付いた地名である。
日野市の地名は、烽火台の「火野」から転じた説など複数あり、由来は一つに定まっていません。日野中納言や日奉宗頼にちなむ説も伝わります。
日野町の地名は、古代の「日野牧」に由来すると伝えられ、肥えた耕地を意味する地名とみられます。平安期には牧や荘園として知られ、中世以降は城下町・商人町として発展しました。
町名は町の中央を流れる日野川に由来すると考えられます。周辺の地形や水系と結びついた、自然由来の地名です。
旧大久野村と旧平井村の合併時、日の出山にちなみ「日の出村」と命名されたのが由来です。「日の出の勢い」の意味も込められ、後に町制施行で日の出町となりました。
アイヌ語の「ピウカ(piwka)」に由来し、「石の多い場所」「小石原」などと解されます。天塩川の河原の地形を指した地名と考えられています。
アイヌ語の「ペポロ(pe-poro)」に由来し、水が多く清流が合流する豊かな場所を表すとされます。明治8年に漢字表記が「美幌」に統一されました。
氷見の地名は、火見・氷見・干海など複数の説が伝わり、立山連峰の万年雪や漁り火に由来するとする説が知られています。
姫路市の名は、播磨国風土記に見える「日女道(ひめじ)」に由来し、姫山へ登る小道を表す地名とされます。のちに「姫路」と表記が定着し、城下町名から市名へ受け継がれました。
北上川の氾濫原にある平地の泉地、または山麓の清泉を表す地名とされます。平らな土地に湧く井戸や泉に由来するという説が伝わっています。
平生町の地名は、町域の中心となる「平生」の名を受け継いだものです。由来の詳細は町史資料に記録があり、地域の地名研究で確認できます。
枚方の地名は、古代文献に見える「比駄」などの表記にさかのぼる古い地名で、淀川沿いの平らな潟や入江に由来するという説が有力です。ほかに「白肩之津」から転じた説も伝わります。
市名は市内を流れる平川に由来し、流域の結びつきと発展を願って名付けられた。
平田村の地名は、村内の平坦な土地に由来するとみられます。地名由来辞典でも「平田」として収録されており、地形を表す名と考えられます。
平塚市の地名は、塚が平らになったという伝承で知られますが、確定的な由来は不明です。地形的には砂丘上の集落を示す語源説が有力とされています。
平戸の地名は古代の松浦郡庇羅郷に由来するとされ、平戸瀬戸を押さえる要地として発展する中で島名・地名として定着した。
アイヌ語の「ピラウトゥル(pira-utur)」に由来し、「崖の間」を意味するとされます。沙流川流域のアイヌ文化とともに伝わった地名です。
アイヌ語「ピラ・ナイ(崖のある川)」に由来するとされ、峡谷を流れる川の地形を表した地名。
平野区の地名は、平安時代の坂上広野麻呂の「広野」が転訛したものとされます。古代から交通の要衝として栄え、平野郷の歴史を受け継いでいます。
平谷村の地名は、文献上の初出が「比良屋」とされ、のちに「平谷」と表記されるようになったとみられます。由来の確定的な説明は残っていませんが、古くから伊那街道の宿場として知られた山間の地名です。
アイヌ語の「ピルイペッ」に由来し、「砥石のとれる川」を意味するとされます。転訛して「ピロー」「ビロウ」などと呼ばれ、のちに広尾の地名として定着しました。
町名は、旧三か町村を流れて海に注ぐ広川に由来します。古くは広庄と呼ばれ、熊野路往還の地として栄えた歴史も伝わります。
町名は町内を流れる広川に由来するとされます。広い川筋を持つ地形を表した地名で、町の語源となった川の存在がそのまま行政地名に受け継がれました。
弘前は古く「広崎」と呼ばれた地名が転じたもので、城下町成立に伴い縁起の良い字を用いて改称されたとされる。
「広島」の地名は、天正17年(1589年)に毛利輝元が太田川の広大な三角州(デルタ)に城を築いた際に命名された。広々とした川の三角州を「島」にたとえた地形由来の地名とされる。
洋野町の地名は、種市岳の裾野にある舟繋場を意味する「撓根津(タワネツ)」の転訛など、複数の説が伝わっています。町名は合併時に新たに採用されたもので、旧地名の「種市」に由来する説もあります。
広い野原が広がる土地柄を表した地名と考えられます。町名の由来を示す確かな一次資料は乏しく、地形に基づく命名とみられます。
深浦町の地名は、深い浦、つまり入り江の奥深い海岸地形に由来すると考えられています。日本海に面した港町としての性格を反映した地名です。
深川市の地名は、アイヌ語の「オオホ・ナイ(深い川)」に由来する説や、「メム(清い湧水のある場所)」に由来する説がある。
深谷市の地名は、低湿地を意味する「フカ」+「ヤ」の反復地名とされ、地形に由来する説が有力です。古くは湿地や谷あいの土地を表したと考えられています。
城内にあった「福の井」と呼ばれる井戸、または水がよく湧き出る土地「脹井(ふくヰ)」に由来するとされ、江戸時代初期に縁起を担いだ改称を経て定着した地名。
福島区の地名は、菅原道真がこの地で「福島」と名づけたという伝承に由来します。もとは湿地や砂洲の島で、古くは「餓鬼島」とも呼ばれたと伝えられます。
安土桃山時代に蒲生氏郷の支配下で旧称「杉妻」から「福島」へ改名された地名。「福」の字で縁起をかついだ瑞祥地名とする説と、吾妻山からの強風が「吹島(ふくしま)」と呼ばれ「吹」を「福」に改めたとする説がある。
福智町の「福智」は、町のシンボルである福智山に由来する地名です。町内の旧村名を合わせて成立した新しい町名で、地域の象徴をそのまま町名に採っています。
福津市の地名は、旧福間町と津屋崎町の合併により生まれた市名で、それぞれの地名は海岸地形や入り江に由来すると考えられています。
福山城のある一帯が、もとは蝙蝠山と呼ばれていたことに由来します。「蝠」が「福」に通じることから、縁起を担いで福山と名づけられました。
四方を丘に囲まれた袋状の土地に大きな井戸があったことから、袋井と呼ばれるようになったと伝えられます。旧東海道の袋井宿としても知られます。
富士浅間神社の創建後に「富士岡」と呼ばれ、のちに隣の富岡と紛らわしいため「藤岡」に改められたとされます。地名の由来は神社名に由来する説が有力です。
町名は、旧河口湖町に富士山の「富士」を冠して成立したもので、河口湖の地名は湖に注ぐ川の河口を意味する「河口」に由来します。
藤沢市の地名は、淵や沢の多い土地を表す「ふちさわ」が転じたとする説が有力です。藤の多い水辺や藤沢次郎清親の居住地に由来する説もあります。
「富士」の名の由来は諸説あり、古くは「布自」「不二」などとも書かれました。市名は富士山麓の地名を受け継いだもので、語源は未詳ながら古代からの表記が確認されています。
伏見区の地名は、古くは「俯見」「臥見」などと書かれ、のちに「伏水」とも表記されました。豊かな伏流水に恵まれた土地柄を背景に、地名が定着したと考えられています。
昭和31年の合併で成立した富士見村に由来し、富士山がよく見える土地であることから名づけられました。瑞祥的な意味合いを持つ地名です。
町名は、町内から富士山がよく見えることに由来します。明治7年に新たに成立した村名として採用され、のちに町名として定着しました。
普代村の地名は、「二井」「塞井」「方言のふだい」「譜代」など複数の説が伝わり、開拓地や地形、家臣団に由来すると考えられています。
富津市の地名は、日本武尊と弟橘媛の伝説に由来する「布流津(ふるつ)」が転じたとする説が有力です。ほかに、古い港を意味する「古津」や、岬の突端を表す古語「ほと」など複数の説があります。
舟形町の地名は、町域を流れる最上川の舟運や、舟形の地形にちなむとされます。古くから交通の要衝として発展した地域です。
海老川に舟を並べて板を渡した「船橋」に由来するとされます。ほかに、台地の端を表す地形語が転じたとする説もあります。
富良野の地名は、アイヌ語の「フラ・ヌ・イ(臭気をもつ所)」に由来するとされ、十勝岳の硫黄臭を含む川にちなむといわれる。
古平町の地名は、アイヌ語の「フレピラ(赤い崖)」などに由来するという説があり、古平川周辺の崖地形と結びつけて説明されています。
奈良盆地の北西の対角にあることから「辺の国(へのくに)」が転じて「平群」になったとされます。ほかに、侵食された地形を表す語に由来する説もあります。
別海町の地名は、アイヌ語の「ペッカイ(川の折れ目)」または「ペッカイェ(川を折る)」に由来し、西別川が河口で曲がりくねる様子を表したとされます。
旧国名「伯耆国」にちなむ町名で、町内から望む伯耆富士・伯耆大山の景観を背景に命名されました。伯耆の「ほうき」の語源には諸説あります。
町名は、能登半島最高峰の宝達山と、旧志雄町の「志」と旧押水町の「水」を組み合わせて命名されました。合併協議で両町の意向を反映した合成地名です。
雨竜村から分村した際、雨竜川の北岸にある市街地として「北竜」と名付けられました。地名は「雨竜川の北岸」を意味するとされています。
保土ケ谷の地名は、榛谷御厨(はんがやのみくりや)からの転訛説や、「ホト」のような谷を表す地形由来説などが知られています。いずれも決定打はなく、複数の説が併存しています。
アイヌ語の「ホㇿカナイ(horka-nay)」に由来し、「逆戻りする川」を意味するとされます。町南部を流れる幌加内川の流れ方にちなむ地名です。
アイヌ語の「ポロヌプ(大きい野原)」または「ポロヌタプ(大きい野の出っ張り)」に由来するとされ、広大な原野の景観を表した地名です。
本別町の地名は、アイヌ語の「ポン・ペッ(pon-pet)」に由来し、「小川」を意味するとされます。町を流れる本別川にちなむ地名です。
市名は合併時に公募で選ばれ、知名度の高い「米原」を採用して「まいばらし」と読みます。地名の由来には「迷原」から転じたとする説など諸説あります。
古称「厩橋(まやはし)」から転じた地名。古代東山道の宿駅(駅家・うまや)付近に利根川をまたぐ橋があり、「駅家の橋」が地名化したとされる。江戸時代前期から「前橋」表記に統一された。
牧之原市の地名は、古くこの一帯に官牧や私牧が置かれたことに由来するとされます。のちに台地北部の呼称が地域全体へ広がり、現在の市名となりました。
町田市の地名は諸説あり、区画した田地を表す「町田」や、市(いち)の立つ場所に由来する説などが伝わります。商業や交通の要地として発展した歴史とも結びつけて説明されます。
松浦市の名は古代の松浦郡に由来し、松の生える美しい海辺や入り江を意味するとされる。古くは「まつら」と読まれた歴史ある地名である。
アイヌ語の「マㇰ・カㇼ・ペッ」(奥で曲がる川)に由来するとされる地名です。羊蹄山の南麓に位置し、村名は周辺の川の形状を表したものと考えられています。
松川村の地名は、村内を流れる松川という河川名に由来するとされます。『マ(間)・ツ・カハ(川)』で「谷間の川」を表すという説が紹介されています。
那賀川の河口に松並木が植えられたことから「松ヶ崎」と呼ばれ、それが松崎の地名になったとされます。古くは「伊那」とも呼ばれ、鎌倉時代には文書上に「松崎」の名が見えます。
吉野川河口の干拓地に堤を築き、多くの松を植えたことから「松茂村」と名づけられたとされます。町名は、松が茂る景観と新田開発の歴史を映した地名です。
松島町の地名は、島々に松が多く生えていたことに由来する説が有力です。ほかに「待つ島」や「千松島」から転じたとする伝承もあります。
松野町の地名は、町内に見られる「松」や「野」といった自然地形・植生を思わせる要素に由来すると考えられます。町内には古市場や国木谷など、周辺の地形や生業を反映した地名も残ります。
平安時代の史料に見える「松原荘」に由来し、松の生い茂る原野や丹比柴籬宮の伝承と結びついて市名が受け継がれました。
松伏町の地名は、松の樹形が伏せ松であったことに由来するという説と、河川がつくる自然堤防の「ぶし」に松が生えた地形由来説の2説が伝わります。
真鶴町の地名は、半島の形が鶴に見えることに由来する説と、アイヌ語の「マナ(岩場)」「ツル(連なる長いもの)」に由来する説が伝わります。古くは真名鶴・真奈鶴とも書かれました。
町名は、古代のため池「満濃池(まんのういけ)」に由来します。満濃池は讃岐を代表する大規模な灌漑施設で、地域の歴史と結びついた地名です。
三浦市の地名は、三浦半島の「三浦」に由来します。古くから半島一帯を指す地名として定着し、市名もそのまま受け継がれました。
三笠市の地名は、空知集治監の裏山が奈良の三笠山に似ていたことから「三笠山」と呼ばれたことに由来する。
三川町の地名由来は、町域を流れる三つの川にちなむと考えられます。庄内地方の水系と結びついた地名として理解されています。
三木市の地名は、中世の三木庄・近世の三木町の名を受け継いだものとされます。さらに古くは「美嚢」の地名があり、清い流れや地形に由来する説が伝わります。
御蔵島村の地名は、三島大明神が蔵を置いた島とする説が有力です。ほかに「海暗(うみくら)」や「御暗」などの説も伝わります。
海岸にいくつもの岬が突き出し、町域全体も大阪湾へ半島状に伸びることから「岬町」と名付けられました。昭和30年の合併で誕生した町名です。
三沢は湿地や沢地形に由来し、「三つの沢」または複数の湿地が広がる地形を意味するとされる。
三島市の地名は、三嶋大社の所在地に由来するとされます。さらに、伊豆諸島の尊称「御島」や、清流に挟まれた土地を三つの島に見立てた説も伝わります。
三島町の地名は、町内の三坂山(みさかやま)に由来するとされ、古くは「三島」の表記が見られます。町の歴史文化資料では、地域の寺院や伝承とともに地名の背景が語られています。
三島村は、竹島・硫黄島・黒島の三つの島から成ることに由来する地名です。村名は構成する島々をそのまま表したもので、離島群としての性格を示しています。
村名は、球磨川の源流域に位置し、山あいの水の上流部にあたる土地柄を表したものと考えられます。豊かな水と山地景観に結びついた地名です。
瑞浪市の地名は、土岐川の南にあることを示す「水の南」と、瑞穂の浪打つ町という意味を合わせて名づけられたとされます。市名決定時には旧瑞浪町案が採用され、駅名の影響もあったと伝えられます。
地名は「水の巻く意」とされ、古くは水巻(みまき)と記されました。遠賀川流域の水に関わる地形や暮らしと結びついた名と考えられます。
「御嵩」は、清らかな山を敬って呼んだ「みたけ」に由来するとされます。地名表記は時代とともに変遷し、尊称を伴う形で定着しました。
御杖村の名は、倭姫命が残した「杖」に由来するという伝承と、御杖神社にちなむ説が伝わります。地名の成立には、古い地名要素「ツエ」を含むとする見方もあります。
見附市の地名は、古くからこの地にあった「見附」という呼称に由来するとされます。由来の詳細は諸説ありますが、地域の要地を示す地名として定着しました。
那珂川の水運における地理的要衝(水の入口・出口)を意味する「みと」に由来する地名。室町時代には既に記録があり、江戸時代に水戸徳川藩の成立とともに定着した。
名古屋市緑区は、緑豊かな丘陵地帯であることや「一みどり」の句にちなむとされる瑞祥的な区名です。区制施行時に新たに命名されました。
さいたま市の政令指定都市化に伴って設置された区名で、区の色や緑豊かな都市景観を意識した名称とされます。旧浦和市東部の郊外地域を中心に、自然と住宅地が共存する地域性を表しています。
港区の地名は、名古屋港の築港や新田開発に由来するものが多く、港の繁栄や明るさを願う雅名も目立ちます。区名そのものも港湾地域としての性格をよく表しています。
港区の地名は、大阪港の築港や新田開発、運河・橋梁など港湾に関わる地形や施設に由来するものが多く、区内の町名にもその歴史が色濃く残っています。
皆野町の地名は、広大な原野を意味する地形に由来すると伝えられます。古くは皆野之郷、江戸期には皆野村として見え、交通の要衝として発展しました。
「三鍋」と書かれた古い表記があり、三つの石が鍋の底に似ていたことから名づけられたという伝承が伝わります。ほかに「御名部」や「みのべ(海辺)」に由来する説もあります。
水俣市の「みなまた」は、水辺の湿地や沼地を表す古い地名要素「ムタ」系の語と関わると考えられています。市域の地形や水辺環境を背景に成立した地名とみられます。
足柄地方の南部に位置することから「南足柄」と名づけられました。地名の基層である「足柄」は、足のすねのようななだらかな傾斜地を表すともいわれます。
南阿蘇村の「阿蘇」は阿蘇カルデラ一帯の地名で、村名は阿蘇地域の南側に位置することを示すと考えられます。地形に根ざした命名で、阿蘇の広大な自然環境を反映しています。
市名は公募で選ばれ、南アルプス山麓に位置する地理的特徴と、豊かな自然をわかりやすく示す名称として定着しました。日本の市名としては珍しいカタカナを含む外来語由来の地名です。
町名は1955年の町制施行時に公募で選ばれた「南伊豆」に由来し、伊豆半島南端に位置する地理的特徴をそのまま表しています。
札幌市南区の地名は、区内の「真駒内」などに見られるアイヌ語由来の地名や、精進川・石山のような自然や産業に由来する地名が集まって成立しています。
堺市南区は、堺市の南部に位置することから「南区」と命名されました。住民投票では「泉北区」が多数でしたが、東・西・北との統一性のため南区に決定。泉北ニュータウンと日本最大級の須恵器生産遺跡・陶邑窯跡群を有します。
南三陸町の町名は、2005年の合併時に公募で寄せられた案の中から選ばれた名称です。三陸海岸南部に位置することを示す、地理的な命名といえます。
島原半島の南部に位置することから「南」に「島原」を冠した地名で、2006年に南高来郡8町が合併して誕生した市。
種子島の南側に位置することから「南種子」と呼ばれるようになった町名です。もとの「種子」は島名の種子島に由来し、方位を表す「南」が付いて現在の地名になりました。
箕輪郷の南に位置することから「南箕輪村」と名付けられました。地名の「箕輪」は、箕のような半円形の地形に由来すると考えられています。
区名は、かつてこの一帯にあった見沼に由来します。語源には「三沼」「御沼」など複数の説があり、沼地の地形を反映した名と考えられています。
「美祢」は「嶺(みね)」、すなわち山や山並みを表す語に由来するとされます。市域の大嶺などの地名も、山が連なる地形との関わりが指摘されています。
箕面市の地名は、箕面大滝の形が農具の「箕」に似ることに由来するという説があり、古くは「箕尾山」「箕面山」とも記されました。滝の景観と結びついた地名として伝えられています。
「みのぶ」は「峰の延びた土地」や「水の辺」に由来するという説があり、日蓮入山後に「身を延ぶ」に通じる字へ改めたとする伝承もあります。
東京湾に面した臨海部の区名で、「美しい浜」の景観を表した地名です。区内の町名も海や埋立地に由来するものが多く、海浜開発の歴史を反映しています。
愛知県美浜町の町名は、美しい海岸があることにちなむ瑞祥地名とされます。知多半島南部の海辺の景観を反映した名称です。
昭和29年の合併時に、旧郡名の「弥美庄」に通じる「美」と、若狭湾に面する美しい浜辺の「浜」を取って名づけられました。瑞祥的な新町名です。
七里御浜に面することから「御浜」と呼ばれたとされ、神の浜を意味する「み+はま」に由来すると考えられています。熊野古道の浜街道とも結びつく海岸地名です。
美浜町の町名は、1954年の合併時に公募で名付けられたものです。海岸の景観にちなむ「美しい浜」の印象を込めた名称と考えられます。
平尾・黒山・丹南の三村が合併した際、「三つ」の村と美しい平坦地を表す「原」から「美原」と名付けられました。区名は旧美原町の名称を受け継いでいます。
三原市の地名は、旧市街地の後背にある谷間の平地に由来し、三つの「ハラ」から「三原」と呼ばれるようになったとされます。城下町として発展した歴史も地名の定着に影響しました。
美浦村の「美浦」は、村内にある美しい入り江状の地形や水辺の景観を連想させる名で、周辺の地形的特徴を踏まえて付けられたと考えられます。
旧美作国に由来する市名で、語源には諸説ありますが、三坂峠の「みさか」が転じたとする説が有力とされています。
市名は郡名の「美馬」に由来し、古くは馬の産地だったことにちなむ説や、「水間(みま)」の音変化で湿地を表すとする説があります。
三股町の地名は、古くから地域を流れる川が三方向に分かれて流れる地形に由来するとされる。古文書にも『三俣』の表記が見られ、古くから用いられてきた地名である。
三宅村の名は、島の形を家三つに見立てた説、式内社の多さから「宮家島」とする説、火山活動の多さから「御焼島」とする説などが伝わります。古い島名のため由来は一つに定まりません。
宮古市の地名は、古くから港町として栄えた土地柄に由来するとされます。岩手県の資料では由来の詳細は未記載ですが、一般には「宮古」の表記に複数の説があります。
宮古島市の「宮古」は、島名の由来に諸説ある地名です。古くからの呼称が市名として受け継がれ、現在の行政地名になりました。
「宮崎」の地名は「宮(みや)の前(さき)」が語源とされ、神武天皇が住まわれた宮の前方の地を意味するという説が有力である。奈良時代には「宮埼郡」として文献に登場する。
妙高市の地名は、霊峰・妙高山に由来します。仏教世界の中心にそびえる須弥山(シュメール)を意味する「妙高」を当てたとされ、山岳信仰と深く結びついています。
『伊勢物語』に見える「三芳野の里」にちなみ、洪積台地の原野を美称した「三芳野」から生まれた地名です。合併時に同名地が多かったため「野」を省いて三芳村となり、後に三芳町へ改称しました。
現地名は中世の湊・牟岐に由来し、牟岐川河口部の地名として知られます。古くは「牟岐郷」とも記され、海と港に結びついた地名です。
市名は市西部の向日丘陵先端にある向日神社に由来し、古くから地域名として「向日」が用いられてきました。豊臣秀吉期に門前町として「向日町」が成立し、その地名が市名へ受け継がれています。
「村山」は狭山丘陵の峰々を指す「群山(むれやま)」が訛ったものとされ、1970年の市制施行時に同名回避のため「武蔵」を冠しました。
宗像の地名は、沼沢地に接する集落を表す説や、ムネ・カタの転訛とする説があります。古くは胸肩・宗形・牟那加多などとも書かれ、中世以降に宗像の表記が定着しました。
村山市の地名は、古代の郡名である「村山」に由来すると考えられます。山の奥寄りの地域を示す地名がもとになったとされ、周辺の山形地方の歴史と深く結びついています。
室戸市の地名は、古くは「室津」などと呼ばれた港湾地名に由来し、弘法大師の修行伝承と結びついて広く知られています。
室蘭市の地名は、アイヌ語の「モ・ルエラニ」に由来し、「小さな・下り路」を意味するとされます。坂の多い地形を表した名が、明治以降に「室蘭」と表記されて定着しました。
名東区は、区内の多くの町名が旧字名や丘陵地形、社寺、ため池などに由来します。住民の願いや地域の歴史を反映した命名が多いのが特徴です。
目黒区の地名由来は定説がなく、馬畔説や地形説、目黒不動尊にちなむ説など複数が伝わります。いずれも決め手に欠け、由来は未詳とされています。
アイヌ語の「メㇺオロペッ(mem-oro-pet)」に由来し、「湧泉池のところの川」を意味するとされています。泉や池から流れ出る川のほとりにあった地形を表した地名です。
真岡市の地名は、アイヌ語由来説や「舞丘(まいおか)」の転訛説など諸説あります。市の公式案内でも複数の説が紹介されており、由来は一つに定まっていません。
最上町の地名は、古代の郡名「最上」に由来すると考えられます。最上郡の名は、中心地の最上郷にさかのぼるとされます。
本巣市の地名は、本巣郡に由来し、郡名は飛鳥期の「本簀郡」にさかのぼるとされます。山地から平地へ出る川洲の元になった土地を表す「元洲」の意味と考えられています。
本山町の地名は、山あいの中心的な集落を意味する「本山」に由来すると考えられます。周辺の山地地形や、木材水運の拠点としての性格とも結びつけて説明されています。
市名は、もとは湿地の多い「藻原」と呼ばれた地名が、江戸時代に「茂原」の字へ改められたことに由来するとされます。古くは藻原荘の名も見られ、地域の歴史と結びついた地名です。
室町期の「森口」が古い表記とされ、川沿いの森林の入口を意味した地名がもとになったと考えられています。のちに軍事的な意味合いから「守口」へ転じたと伝えられます。
アイヌ語の「オニウシ(樹木の多くあるところ)」を意訳して「森」とした地名です。町名は自然環境をそのまま表した和訳地名として知られます。
町名は近世の森町村に由来し、「森のあった所」または「盛り」に通じる高くなった所を意味した可能性があるとされます。町の自然をそのまま表した名前とも伝えられます。
守谷の地名は、日本武尊の「森なる哉」に由来する説や、平将門が「守るに易い谷」と評したことに由来する説などが伝わります。
守山区の地名は「森深い山」や地形に由来する説が有力ですが、確かな定説はありません。古くは「守山」「森山」と表記が揺れ、近代に現在の表記が定着しました。
諸塚村の名は村北部にそびえる諸塚山に由来するとされ、山頂にある多数の塚(古墳・墳墓)にちなむ地名と伝えられている。
毛呂山町は、旧毛呂村と山根村の合併で成立した合成地名です。「毛呂」は集落や小高い地形を表す語に由来するとされ、毛呂氏の本貫地としても知られます。
町名は、町南部にある八重瀬岳に由来します。八重瀬岳一帯の地勢を背景に、2006年の町制施行で現在の町名が定着しました。
八尾市の地名は、八枚の尾羽を持つ鶯の伝説や、「矢負い」「八百の杭」から転じたとする説などが伝えられています。古くは寺内町として発展した地域で、地名伝承も複数残ります。
矢掛町の地名は、温羅伝説に由来する説と、宿場町としての情景から生まれたとする説が伝わっています。
村名は漢詩の「泰山丘阜」に由来し、「泰」は水路を拓く意、「阜」は豊かで盛んな様を表すとされます。明治8年に筑摩県17ヶ村が合併して泰阜村が成立しました。
市名は古代以来の郡名「野洲郡」に由来し、さらに「ヤス」は沖積平野や砂洲を表す古い地名とする説があります。古くは「安」「益須」とも書かれました。
安田町は、平安時代の『和名類聚抄』に安芸郡安田郷として見える地名で、良田のある土地を表すとされます。『痩せ田』の逆とする説も伝わります。
柳川市の地名は、古くからこの地に見られた「柳川」という呼び名を受け継いだものです。水路が縦横に走る水郷の景観とともに、城下町として発展した歴史が地名の定着に影響しました。
前九年の役にちなむ矢羽根の説と、段差のある湿地を表す地形由来の説があります。
山江村の地名は、村域の地勢をそのまま表したものと考えられます。山に囲まれた地域であることから「山」と、周辺の地形や集落の位置を示す「江」を組み合わせた名称です。
山鹿市の「山鹿」は、周辺の地形や集落名に由来すると考えられます。熊本県内に多い「ツル」地名の一つとして、上津留・下津留などの小字も残っています。
市名は旧郡名の山県郡に由来し、さらに古くは『御野国山方郡』として正倉院の最古の戸籍に見える地名です。『山の方』を意味する地名とされ、山地に囲まれた地勢をよく表しています。
平安時代の地誌「和名類聚抄」に記された「山方郷(やまがたごう)」に由来する古い地名。最上郡の中心部から見て山側の方角にある土地を「山方(やまがた)」と呼んだことが語源とされる。
村名は、東筑摩郡村誌に見える「古時土地ノ地形ヲ象ドリ山形郷ト称ス」との記述に由来するとされ、地形を表す名として定着したと考えられます。
山北町の地名は、箱根連山の北側に位置することに由来するとされます。町名は旧川村の山北駅が広く知られていたことから採られました。
「山口」の地名は、山口盆地の北に位置する山地へ分け入る「山の入り口」を意味するという説が最も有力で、鎌倉中期以降の文献に登場する。
「山科」は古くは「山階」とも書かれ、山がなだらかに傾斜して盆地をなす地形に由来すると考えられています。古代から記録に見える歴史ある地名です。
山辺郡と添上郡の頭字を合わせて名づけられた村で、「山に添うて発展する」という願いが込められています。神野山を中心とする山里の景観とも結びついた地名です。
山に囲まれた窪地を表す説や、山のふもとを意味する「山端」の略とする説があり、地形に由来する地名と考えられています。
矢祭町の地名は、町内の矢祭山に由来すると考えられています。久慈川沿いの山あいに位置する地形と結びついた地名です。
山中湖村は、富士山麓の山中湖を中心に広がる村で、地名は湖の南西岸にある「山中」地区に由来します。村名変更後は湖名を冠して、観光地としての性格を明確にしました。
山梨市の地名は、古代の郡名・郷名である「山梨」に由来します。語源は「山を成す」や「山梨の木」にちなむ説があり、古くから地域名として定着していました。
町名は、山あいの地域を表す「山の内」に由来すると考えられます。長野県北東部の山岳・温泉地帯に位置することを反映した地名です。
山辺町の地名は、古代の郷名「山方」に由来し、山のある方角や山の奥寄りの地域を表したと考えられます。
山元町の町名は、合併前の山下村と坂元村の頭文字を合わせた合成地名です。旧村名はそれぞれ「山の下」「坂の元」という地形的な意味合いを持ちます。
八幡浜の地名は、養老年間からあり、八幡大神がこの地の浜に立たせられたことに由来すると伝えられています。
海が内陸まで入り込み、水が浅く広がっていたことから「ゆあさ」と呼ばれたとされます。古名「温笠(ゆかさ)」が転じたという説もあります。
町名は、町内に豊かな湧水が多く見られることに由来します。合併時に地域の自然環境を象徴する名称として採用されました。
夕張の地名はアイヌ語に由来し、「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所・温泉口)」を語源とする説が有力とされている。
湧別町の地名は、町内を流れる湧別川に由来し、アイヌ語の「ユペ(鮫)」などをもとにした説が伝わります。川や河口周辺の地形・漁場と結びついた名と考えられています。
会津地方の湯川村は、村内を流れる湯川に由来する地名と考えられます。川名をそのまま村名にした、地形由来の地名です。
千歳川と藤木川の河原に温泉が湧いていたことから、「湯のある河原」を意味する地名とされます。温泉名に由来する町名で、湯河原温泉の発達とともに広まりました。
湯沢市の地名は、温泉地として知られる「湯沢」に由来すると考えられます。市域には古くから湯の湧く土地があり、その地勢を表す地名として定着しました。
湯沢町の地名は、温泉の湧く沢や川を意味する「湯沢」に由来すると考えられます。町内には越後湯沢温泉などの温泉地があり、地名と土地の性格がよく一致しています。
檮原町の地名は、檮の木が多く自生していたことに由来するとされます。山深い森林地帯の自然環境を映した地名です。
湯前町は、町名の「湯前」が温泉地の前にある場所を示す地名と考えられます。球磨地方の地形や交通の要衝としての性格とあわせ、地域名として定着しました。
由布市の地名は、市内の由布岳や由布院に由来し、古くから地域を象徴する山名・地名が市名として受け継がれたものです。
由良町の地名は、古くから「由良」と呼ばれた港湾・海岸地形に由来するとされます。さらに、町名は地元の由良守応にちなむ説も伝わります。
「由利」と旧「本荘」の合成地名で、由利は百合や砂丘地形に由来し、本荘は荘園に由来する。
余市町の地名は、アイヌ語由来とされ、温泉のある場所を意味する説と、蛇の多い場所を意味する説があります。いずれも山田秀三が両説を併記しています。
横須賀市の地名は、横に長く伸びた砂州を意味する「須賀」に由来すると考えられています。鎌倉初期から見られる古い地名で、地形を表したものです。
横瀬町の地名は、町の中央を横に貫く川の瀬(浅瀬)に由来するとされる。丹党の武士「横脛(よこすね)」が転じた地名との説もあり、中世には鎌倉武士団・丹党の本貫地であった。
横手市の地名は、横手盆地の中央に位置することから「横に広がる手前の地」などの地形的な見方がある一方、古くからの集落名として定着したと考えられています。市内にはアイヌ語起源や開拓伝承に由来する地名も多く残ります。
海岸線に沿って横に長く伸びた砂州(浜)の地形に由来する地名で、「横に長い浜」を意味する地形語源説が有力とされる。
陸奥湾沿いに横に広がる浜地形に由来し、「横に長い浜」を意味する地名。
与謝野町の「与謝」は、古代の郡名にさかのぼる地名で、狭い谷間を意味するとも、余社宮に由来するともいわれます。2006年に加悦・岩滝・野田川の3町が合併して成立しました。
吉川市の地名は、低湿地を流れる川にアシが多く生えたことから「芦川(よしかわ)」と呼ばれたことに由来するとされます。のちに「芦」を「吉」の字で表したと伝えられます。
室町初期に、葦が生い茂る土地を「葦田」と呼んだものの、「悪し田」に通じるため、縁起のよい「吉田」に改めたと伝えられます。町名は佳名好名を願って付けられたとされています。
吉野町の地名は、古代からの「吉野」の呼称に由来し、良い・美しい野や山を表すとする説や、古い地名形に接頭語が付いたとする説が伝わります。
淀川区の区名は、淀川に隣接することに由来します。大阪市の中でも比較的新しい区で、東淀川区・西淀川区から分かれて成立しました。
与那国町の地名は、町域をなす与那国島の名に由来します。島名の語源は諸説ありますが、現在は島名・町名として定着しています。
米子市の地名由来には複数の説があり、古い呼び名の変化や土地の形に結びつける見方が伝えられています。
与那原の地名は、古くから人が住み着いた上与那原を中心に定着したと考えられます。海に近く漁労に便利で、水が豊富だった土地柄が集落形成の背景にありました。
「米の沢(よねのさわ)」、すなわち米が実る湿地や沢地に由来するとされます。稲作に適した米沢盆地の地形を反映した地名で、米と沢の字が当てられました。
読谷村の地名は、古くは「はびら村」と記されたことがあり、のちに「読谷山(ゆんたんざ)」の呼び名が定着したとされます。沖縄語の呼称変化や表記の当て字が重なった地名です。
与論町の地名は、島の歴史を通じて用いられてきた呼称に由来し、琉球・薩摩の支配変遷の中で定着したと考えられます。県資料では町名そのものの直接の語源説明は見当たりません。
蘭越町の地名は、アイヌ語の「ランコ・ウシ」(桂の木が多いところ)に由来します。現在の町名は、町制施行時に役場所在地の蘭越に合わせて改称されたものです。
町名は昭和初期、本多静六博士が槻川周辺の景観を京都の嵐山になぞらえて「武蔵嵐山」と名付けたことに由来します。のちにこの呼称が町名として採用されました。
市名は旧国名の「陸前」と、中心地の高田に由来します。高田は地形や集落名として定着した地名で、気仙地域の歴史を引き継いでいます。
アイヌ語の rik-un-pet(高い所にある川)に由来し、陸別川の名から町名が定着したと考えられています。
利尻町の地名は、アイヌ語の「ri-sir(高い・島)」に由来し、利尻山がそびえる島の地形を表したものです。
地名はアイヌ語の「リシリ(高い島)」に由来する利尻山の通称「利尻富士」から付けられました。島の象徴である利尻山の景観を反映した町名です。
合併前の苗村と鏡山村に共通する山名から採られた町名です。町内の鏡山は古くから歌枕として知られ、地名の背景にもなっています。
龍ケ崎市の地名は、竜巻が多い土地柄や龍の伝説、台地の形、在地領主の名など複数の説が伝わる。定説はなく、古くから「龍」にまつわる想像力が重ねられてきた地名である。
アイヌ語の「ルスッ(ru-sut)」に由来し、「道の根もと」「道が山のふもとにある」といった意味から生まれた地名とされます。
留別村の地名は、もとになったアイヌ語地名「ルベツ」に由来し、明治期に漢字表記の留別が定着しました。語義は資料により異説がありますが、川や地形に関わる名と考えられています。
留萌市の地名はアイヌ語の「ルルモッペ」に由来し、「潮が静かに入る川」や「海岬につく川」を意味するとされる。
アイヌ語に由来する地名で、砥石を産する川を意味するとされます。漢字の「留夜別」は当て字で、もとはクナシリ島中部東海岸の地名でした。
礼文町の地名は、アイヌ語の「レプン・シリ(repun-sir)」に由来し、「沖の・島」を意味するとされています。
「和歌山」は天正13年(1585年)に豊臣秀吉が築城の際に命名した地名で、南方の名勝「和歌浦」の「和歌」と城が置かれた「岡山」の「山」を合わせた合成語とされる。
輪島の地名は「倭の島」や「輪のような入海」などに由来するとされ、古くから複数の説が伝わります。文献上の初出は戦国期の1524年で、現在の市名として定着しました。
「わづか」の地名は奈良時代の『万葉集』に見え、和豆香と表記されたのが初出とされます。もとは寺社の杣山・荘園として知られ、のちに皇室領を経て現在の和束町へつながりました。
稚内の地名はアイヌ語「ヤㇺ・ワッカ・ナイ(冷たい水の沢)」に由来し、良質な飲み水が得られる沢を意味するとされる。
和泊町の地名は、古くから港や泊地として用いられた「泊」に由来すると考えられます。『和』は穏やかさや調和を表す字として解され、地名全体で良港の性格を示すとみられます。
江戸期から使われていた「輪の内」が町名の由来で、洪水を防ぐために堤防で囲んだ輪中の内側を指す言葉に由来します。昭和29年の町制施行時に、そのまま町名として採用されました。