🗾 地名由来辞典

横瀬町 よこぜまち

埼玉県 / 横瀬町 昭和時代由来

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横瀬町の地名は、町の中央を横に貫く川の瀬(浅瀬)に由来するとされる。丹党の武士「横脛(よこすね)」が転じた地名との説もあり、中世には鎌倉武士団・丹党の本貫地であった。

語源

横瀬よこぜの地名は、町の中央を川の瀬が横に流れていることに由来するとされる。「瀬」は川の浅いところを指す地形用語で、横方向に流れる川の様子をそのまま地名にしたと考えられる。現在も横瀬川よこぜがわが町の中心部を貫流しており、地名の由来となった地形は今も町の基本構造をなしている。

一方、中世の史料には**「横脛(よこすね)」**という表記も見られ、丹党(武蔵七党の一つ)の人物・中村悪三郎時親の子「時綱」が「横脛」を号して当地に住んだことから「横脛→横瀬」と転じたとする説も指摘されている。地形説と人名説のいずれが先かは確定しておらず、両者が複合して現在の地名が定着した可能性もある。

歴史的変遷

中世:丹党の本貫地

横瀬は中世、武蔵七党の丹党に属する武士団の本貫地であった。丹党は平安時代後期から鎌倉・室町時代にかけて武蔵国の秩父郡・入間郡などを拠点とした武士集団で、横瀬氏もその一支流とされる。

文献上の初見は**暦応3年(1340年)**の安保光泰譲状で、「秩父郡内横瀬郷」と記され、安保光泰から惣領・泰規への譲与所領のひとつに横瀬郷が含まれていた。また天正4年(1576年)には北条氏邦が「横瀬之内」の武士に馬の供出を命じた書状が残り、戦国時代まで「横瀬」の地名が使われ続けていたことがわかる。

江戸時代

江戸時代は当初、幕府直轄領(天領)として置かれ、その後**寛文3年(1663年)**に忍藩おしはん領(現在の行田市を拠点とした藩)となった。検地帳には近世初期まで「横瀬郷」の表記が用いられており、中世以来の地名が引き継がれていたことが確認できる。

近代以降

時代呼称・出来事備考
鎌倉〜南北朝横瀬郷丹党安保氏の所領
江戸時代横瀬村(天領→忍藩領)寛文3年(1663年)に藩領へ移管
明治22年(1889年)横瀬村成立町村制施行により秩父郡横瀬村として独立
昭和30年(1955年)横瀬村・芦ヶ久保村合併改めて横瀬村として成立
昭和59年(1984年)横瀬町町制施行により現在の横瀬町となる

地名の特徴

横瀬町は武甲山ぶこうさん(1,304m)の北側、秩父盆地の南東端に位置する山間の町で、流域面積74.8km²の横瀬川が町の北西部を流れ、荒川水系の一級河川として秩父市内で荒川に合流する。武甲山は石灰岩質の山容で知られ、採掘により山容が大きく変貌した秩父のシンボル的な山でもある。

「瀬」を含む地名は全国的に川の浅瀬・流れを反映した地形地名であり、横瀬もその典型例といえる。隣接地の芦ヶ久保(あしがくぼ)には「大男ダイダラ坊が土を運ぶ途中に足をとられた窪地が『足窪→芦ヶ久保』になった」という伝説が残るなど、秩父地域には地形を起源とする地名や伝説が多く分布している。

特産・名物

横瀬町は武甲山(1,304m)の北麓に広がる山間の町で、豊かな自然環境を活かした農産物と加工品が特産品です。武甲山麓の澄んだ空気と清冽な水のもとで自家農園の果物・野菜を使って手作りされるジェラートは、乳化剤などの添加物を一切使わない素朴な味わいで知られます。

武甲養蜂場で採れる国産純度100%のはちみつも横瀬町の名物で、横瀬の花々から集めた「百花蜜」など複数の品種が生産されています。また、秩父産くぬぎ原木で栽培した「原木しいたけ」は、大自然の中で育つ野生のしいたけと同じ条件で栄養を吸収した肉厚な逸品です。秩父の山水を源とする天然水とともに、これらの特産品はふるさと納税返礼品として横瀬町の魅力を全国に届けています。

地名の変遷

  1. 鎌倉 横瀬郷 — 丹党安保氏の所領。暦応3年(1340年)の文書に「秩父郡内横瀬郷」として記録
  2. 江戸 横瀬村 — 江戸幕府領を経て、寛文3年(1663年)に忍藩領となる

参考資料・出典

最終更新: 2026-06-18