古典由来
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658年(斉明天皇4年)の『日本書紀』に「齶田(あぎた)」として登場するのが初出。「あぎ(上げ)」が転じた語で「周辺より高くなっている場所」を意味するとする地形由来説が有力。
県名は古代の茨城郡(いばらきぐん)に由来する。『常陸国風土記』に記された黒坂命が「茨の城」を設けて賊を討ったという説話が語源とされ、「うばらき」が母音交代により「いばらき」に変化した。
岩手山の地形に由来し「岩が出た場所」を意味するとする説と、三ツ石神社に伝わる鬼の手形伝説に由来するとする説がある。いずれも「岩」と「手(場所を示す語)」を語源とする。
『古事記』の国生み神話で四国(伊予之二名島)の伊予国の魂に与えられた神名『愛比売(えひめ)』に由来し、『うるわしい女神』を意味する。
水鳥を捕る職能集団『鳥取部(とっとりべ)』に由来し、その起源は『日本書紀』垂仁天皇の代に天湯河板挙が白鳥を捕獲した説話にまでさかのぼる。
平安時代の地誌『和名類聚抄』(931〜938年)に記された「最上郡山方(やまがた)郷」が語源で、中心部から見て山の奥寄り・山の方向にある土地を意味する。
相生市の地名は、松が寄り添って一つの根から生えたように見える「相生の松」にちなむと考えられています。縁起のよい松に由来する地名として知られます。
会津美里町の町名は、旧会津高田町・会津本郷町・新鶴村の合併に際し、会津の歴史と美しい里のイメージを重ねて名づけられました。地名の「会津」自体は、古事記に見える「相津」に由来するとされます。
姶良市の地名は、古代の「姶羅郡」や「始羅郡」に由来し、表記の揺れと混同を経て定着したと考えられています。市名は旧姶良町の町名を引き継いだものです。
明石市の地名は、明石川西方の赤石に由来する説や、「明し」に通じる明るい土地を表す説が伝わります。古くから文献に見える古い地名です。
安芸の由来には、豊穣を意味する「アキ」や、物産が飽き足りるほどあることにちなむ説などがあります。古くは土佐国安芸郡の名として見え、地名の成立には複数の説が伝わります。
町名は「朝日」の地名に由来し、古くはこの地で見た朝日にちなむと伝えられます。三重県朝日町では、町史や博物館の案内でもこの由来が紹介されています。
芦屋市の地名は、沿岸の湿地にアシが茂り、葦を葺いた家が点在したことに由来するという説が有力です。古くは『伊勢物語』にも登場し、業平ゆかりの地としても知られます。
遠賀川河口の港町として古くから栄えた「芦屋」に由来します。地名は、古い港名「岡水門(おかのみなと)」に連なる歴史を持つとされます。
明日香村の地名は、古くは飛鳥地方の呼称に由来し、地形説や外来語説など複数の説があるとされています。行政名としては1956年の合併時に縁起のよい「明日香」が採用されました。
阿蘇の地名は、『日本書紀』に見える阿蘇都彦・阿蘇都媛の神話に由来するとされます。景行天皇の問いかけに二神が応えた故事が、地名成立の伝承として伝わっています。
足立区の地名は、古代の武蔵国足立郡に由来します。『葦立ち』説もありますが、区の公式説明では『阿太知』を当てた古い郡名が起源とされています。
古くから「阿智」と呼ばれた地域名が村名の由来で、平安初期の史料や延喜式にも見える古い地名です。昭和31年の三村合併後に新村名として採用されました。
熱田区の地名は、古くは「吾湯市(あゆち)」や「年魚市潟(あゆちがた)」に由来するとされる説が有力です。ほかに、熱田神宮の伝承に結びつく説も伝わっています。
町名は、徳之島町との境にある天城岳に由来するとされます。旧名の「雨気(あめぎ)」が転じて「天城」になったという伝承も伝わっています。
天草の地名は、古事記に見える「天両屋(あまのふたや)」の転化や、海士・民草に由来する説などが伝わります。島々の自然や人々の暮らしを映した名と考えられています。
海士町の「海士」は、古代の行政区画である海部郡に由来すると考えられます。隠岐の海運や海人(あま)との結びつきが強い土地柄を反映した地名です。
奄美市の「奄美」は、古代の文献に見える「海見(あまみ)島」に由来すると考えられます。市域の中心である名瀬の地名は諸説ありますが、定説はありません。
綾部市の地名は、古くは「漢部(あやべ)」と書かれ、渡来系の漢氏に率いられた漢部が多く住んだことに由来するとされます。のちに表記が「綾部」に転じ、現在の市名になりました。
徳島県の古代国名「阿波」や阿波郡に由来し、もとは「粟国」と呼ばれた地名が、好字二字令によって「阿波」と表記されるようになったと考えられています。
古くは『味蜂間郡(あはちまごおり)』や『安八萬』と記された地名に由来し、発音の変化を経て安八町の名になったとされています。
「飯田」は「結いの田」、つまり共同で耕す田に由来するとされます。鎌倉時代の文献に見え、地形と共同労働の歴史が重なった地名です。
戦国時代の「草野郷」に由来し、草野舘や綿津見神社の旧社名「苕野神社」との関わりが指摘されています。村名はこの地域の歴史的な地名に根ざしたものと考えられます。
飯塚市の地名には、神功皇后の伝説に由来する説と、飯を炊いた塚にちなむ説の二つがあります。市の公式案内ではこの二説が紹介されています。
壱岐市の名称は古代から用いられてきた壱岐国・壱岐島の名に由来する。中国史書に記された一支国・一大国にさかのぼる極めて古い地名である。
町名は中世の荘園名に由来するとされ、足羽川上流の山間地にある地名として定着しました。周囲を山に囲まれた地形と結びついた名称です。
生駒の地名は、古い語形「イコマ」に由来し、鹿がいる山を表す説や地形由来の説が伝わります。市名は生駒山の名を受け継いだものです。
地名は古くは伊自牟・伊甚などと記され、夷隅は「いじむ/いじみ」からの変化とされます。のちに難字の灊に代わって夷隅が用いられ、平成の合併でひらがなの市名「いすみ市」となりました。
出雲崎は、大国主命ゆかりの出雲の国に景観が似ていることから名づけられたと伝えられます。出雲との神話的な結びつきを背景にした地名です。
出雲の地名は、古くは『出雲国風土記』や『古事記』『日本書紀』に見える「八雲立つ」の神話に結びつけて説明されてきました。雲が立ちのぼる景観から「出る雲」とする説が江戸時代以来の通説です。
伊勢市の地名は、伊勢神宮の門前町である宇治・山田周辺を「伊勢」と呼んだ俗称に由来し、さらに古代の国名「伊勢国」にさかのぼると考えられています。語源としては「磯」や「五十瀬」に結びつける説もあります。
町名は、かつてこの地にあった「板倉村」に由来し、さらに古くは「伊奈良の里」と呼ばれたことにちなむとされます。万葉集に見える「伊奈良の沼」との関連も指摘されています。
古くは板来・板久とも書かれ、常陸国風土記では「伊多久」の郷と記された地名です。水郷の要衝として栄え、のちに潮来へ改称されました。
「稲毛」は古代の官職名「稲置(いなぎ)」に由来するともいわれ、古くから人の営みが続く土地として伝えられています。
伊那の地名は、伊那谷一帯を指す古い呼称に由来するとされ、井名・稲・畝などを語源とする諸説があります。市名としては近代以降に定着しました。
町名は『万葉集』にみえる「いなみの(印南野)」に由来し、古代の印南郡・印南野台地の地名を受け継いだものです。
町名は室町時代に見える荘園名「印南荘」に由来するとされます。『続風土記』には海部(うなへ)の転語とする説もありますが、不詳です。
いの町の「いの」は、町内の大字「伊野」に由来する地名と考えられます。周辺には「神田」など中世以来の地名も残り、地域の歴史を伝えています。
市名の由来には、イバラの木が多かったことや「荊切りの里」が転じたとする説などがあり、複数の説が伝わっています。古くは「荊切」「茨城」などの表記も見られました。
昭和30年の合併で成立した町名で、奈良時代の「伊備郷」にさかのぼる「揖斐」に、町内を流れる揖斐川の名を重ねて付けられました。
「伊万里」の地名は、天平12年(740年)に藤原広嗣の乱平定のため来訪した紀飯麻呂(いいまろ)の名が「いまり」と転訛したとする説と、古代条里制「伊万ヶ里」に由来するとする説がある。
古代の郡名「磐田」に由来し、「岩石の多い場所」を意味すると考えられています。昭和15年の町名採用を経て、市名として受け継がれました。
岩沼市の地名は、鵜ヶ崎城(岩沼城)が岩質の地形と沼に囲まれていたことに由来するとされます。古くは「武隈」とも呼ばれ、地形と城下町の歴史が重なって現在の名が定着しました。
上野村の地名は、古代の上野国に由来する「上野」を村名に用いたものと考えられます。読みは国名の「こうずけ」ではなく「うえの」で、地域名として定着しました。
うきは市の「うきは」は、古代の地名「浮羽」に由来し、『日本書紀』にも見える古い地名です。水辺に浮かぶような地形を連想させる名と考えられています。
宇佐市の地名は古く、少なくとも日本書紀にさかのぼる由緒ある地名とされます。語源の確定説はないものの、古代から続く歴史性が地名の特徴です。
古代の田原郷を受け継ぐ地名で、宇治の南にある田原の地を指したことに由来すると考えられます。中世には田原郷・田原庄の名で史料に現れ、宇治を冠して宇治田原となりました。
村名は、古代の神話・伝説で阿蘇地域を治めた健磐龍命の嫡孫が生まれた地とされることに由来すると伝えられます。
宇部市の地名は、ムベの繁茂地、海辺の景観、宇治部の部民集住などを由来とする諸説があります。古くは「むべ」「むへ」とも記され、のちに「宇部」の表記が定着しました。
神功皇后が応神天皇を出産した「産み」に由来するとされ、安産の地名として知られます。古事記・日本書紀の伝承と結びついた由来が伝わっています。
「浦襲(うらおそい)」が転じたとされ、津々浦々を支配する意の語に由来すると伝えられます。琉球の古い王都として栄えた歴史とも結びつく地名です。
浦安市の名は、明治22年の三村合併時に「浦、安かれ」と海辺の安泰を願って付けられたとされます。一説には『日本書紀』に見える「浦安の国」にちなむともいわれます。
「嬉野」の地名は鎌倉時代に「宇礼志野」として初出し、万葉語で端・末端を意味する「末(うれ)」に助詞「し」と「野」を組み合わせた地名が語源とされる。
宇和島市の地名は、古くは板島と呼ばれた地域に由来し、宇和郡の立間郷などの地名変遷を経て定着したと考えられています。宇和荘に含まれたとする説や、伊但馬に由来する伝承もあります。
市名は、市域に古代の越前国府が置かれていたことに由来します。旧国名「越前」を受け継ぎ、歴史的中心地としての性格を示す地名です。
市名は古代から見える「恵那」に由来し、郡名としても早くから用いられてきました。語源は定かではありませんが、胞衣(えな)に結びつける伝説が知られています。
邑楽町の地名は、古代の木簡に見える「大荒木評」を邑楽郡の古名とみる説があり、古い地名の転訛と考えられています。
「大分」の地名は古代の「碩田(おおきた)」に由来し、景行天皇が「広大な国」と称えたことに始まる。「おおきた」が「おおきだ」→「おおいた」へと音便変化して現在の読みになった。
おおい町の名は、旧大飯町と名田庄村の合併で成立した町名で、旧名田庄地域は中世の荘園名「名田の庄」に由来します。町名自体は合併による新設ですが、地域名には古い歴史が受け継がれています。
鎌倉時代から「大井の庄」と呼ばれた歴史的な呼称にちなみ、昭和31年の町制施行時に「大井町」と名付けられました。
大竹市の地名は、古くからの地名「大竹」に由来します。市内の小方など周辺地名の由来は別途伝えられていますが、市名そのものの由来は今回の検索結果では特定できませんでした。
大野城市の地名は、天智4年(665年)に大野山(現在の四王寺山)へ築かれた朝鮮式山城「大野城」に由来します。市制施行前の大野町の名も、この古代山城にちなむものです。
町名は旧大野郡に由来し、古代の地名「大野」を受け継いだものです。明治30年の合併時に旧郡名にちなみ新たに命名されました。
大衡村の地名は、古代の郡名・地名に由来すると考えられています。宮城県内の古い地名の流れを受けた名称で、由来には地形や湿地に関わる説が知られます。
大村市の地名は古くは『大邑(おおむら)』と呼ばれた地域名に由来し、後にこの地を本拠とした大村氏の名として定着したとされる。
大鰐町の地名は、大阿弥陀から大阿弥・大阿尓、大阿子、大安国寺などを経て、鰐の伝説と結びついて定着したと伝えられます。仏教信仰と温泉の歴史が重なった地名です。
男鹿は古代の蝦夷の首長「恩荷」に由来する説が有力で、ほかに地形や動物に由来する説もある。
小鹿野町の地名は、平安時代の『和名抄』に見える「巨香郷(おかのごう)」にさかのぼるとされます。のちに小鹿野へ転じ、江戸時代には市場町として発展しました。
古代の官牧「岡屋牧」に由来するとされ、地名は「岡屋」「岡谷」などと表記されてきました。岡と谷の地形を表す名とみられ、諏訪湖畔の地勢と結びついた地名です。
肥前国風土記に記された土蜘蛛が防御に利用した「堡(おき)」(砦)が転訛した地名で、古くは「をき」と読まれた。
阿蘇神社の祭神・健磐竜命の伝説にある「国小なり」という言葉に由来するとされます。北小国村が町制施行時に小国町へ改称され、現在の町名が定着しました。
小郡市の地名は、古くからの郡名「御原郡」や周辺の小規模な集落名に由来するとされます。現在の市名は、地域の中心性を示す地名として定着しました。
小谷村の地名は、平安末期の文献に見える「於他里」などの表記にさかのぼるとされ、のちに「小谷」の字が定着しました。谷あいの地形を表す当て字とみられます。
「小値賀」の地名は、景行天皇が遠方に見える島を「近い島」として「小近(おちか)」と命名したことに由来し、古事記では五島列島全体が「知訶島(ちかのしま)」と記されている。
小千谷市の地名は、古代の「千屋郷」に由来する説が有力で、そこにある小さな集落や低湿地を表す語が転じたとも考えられています。
小野市の地名は、古くからの地名「小野」に市制施行時の「市」が付いたものです。周辺には古代の郷名や荘園名が残り、地域の歴史的な地名継承がうかがえます。
平安末期の荘園「開田荘」に由来し、のちに海田市と呼ばれるようになった地名です。瀬野川河口の地形変化と宿駅・市場の発展が、現在の町名の背景にあります。
鏡沼にまつわる伝説から「鏡石」の名が生まれたとされます。町名は、沼の鏡のような景観や悲恋の物語に由来する地名として伝えられています。
各務原市の地名は、古代の「各務」や「各牟」に由来し、鏡作部や渡来系豪族に結びつける説が知られています。市制施行時に「各務原(かかみがはら)」が正式表記として採用されました。
町名は合併時に新たに定められたもので、古くからの「香々美(かがみ)」に由来すると考えられています。鏡を作る鏡作部伝説と、川上を意味する「香美(かがみ)」の転訛説があり、由来は確定していません。
「鹿児島」の地名は、桜島が薩摩半島・大隅半島に「囲(かご)まれた島」であることに由来するという説が有力とされる。古くは桜島を指した地名が次第に対岸の地域全体に広がった。
笠置町の地名は、笠を石の上に置いたという伝承に由来するとされます。笠置山の信仰や修験の歴史と結びついた地名です。
神武天皇が畝傍山の東南に建てた「橿原宮」に由来するとされる市名です。記紀の伝承に結びつく建国ゆかりの地として知られます。
春日井市の市名は、旧春日井郡に由来し、さらに春日部の転声とされます。春日大娘皇女の御名代部や春日氏に結びつける説も伝わります。
加須の地名は、古くは「加増」「神増」とも書かれ、元禄期ごろまでに「加須」が定着したとみられます。由来の確定説はなく、語源は未詳です。
市名は旧北葛城郡に由来し、さらにその郡名は古代の葛城氏にさかのぼります。広域地名を受け継いだ名称で、葛城の歴史的な地名圏を示しています。
可児の地名は、宮中の掃除を担った掃部寮(かにもり)に由来する説が有力とされます。蟹や可兒氏に結びつける説もありますが、定説には至っていません。
上ノ国町の地名は、かつて北海道南部の日本海側を「上ノ国」、太平洋側を「下ノ国」と呼んだことに由来し、交易拠点として栄えた歴史が地名として残ったものです。
上山市の地名は、古代の山方郷に由来し、最上郡の中心から見て川上側・山の上手にあたる場所を表したと考えられています。
「上峰」の名は、町北部にそびえる鎮西山などの峰々を仰ぐ平地の地形を表すとされ、古くは肥前国風土記に記された米多郷(めたごう)の地にあたる。
神領の大宜都比売命伝承や、山地を指す「神山」と呼ばれたことに由来するとされます。古くは上山・下山の村名も見られ、のちに現在の町名へ定着しました。
「唐津」は「唐(大陸・朝鮮半島)への津(みなと)」を意味し、古代から大陸との交流の要衝として栄えた港湾都市に由来する地名。
川崎という地名は、神武天皇の言葉に由来すると伝えられます。明治期の合併を経て町域が整い、現在の川崎町の基盤が形づくられました。
河津町の地名は、古くからの「河津郷」や「河津荘」に由来し、河津川流域の地名として受け継がれてきました。川の渡し場を意味する「河津」の語義もあり、川と交通に結びついた地名です。
香春町の地名は、古代文献に見える「香春(加波流)」に由来し、川原の意味を表す当て字とされます。古代朝鮮語に語源を求める説もあり、複数の表記が伝わっています。
「神埼」の地名は肥前国風土記に記され、景行天皇の巡幸の際に悪さをする神を鎮めたことから「神幸(かみさち)の里」と呼ばれ、後に「神埼」となったとされる。
ゆるやかな丘陵地が放牧に適していたことから、「上の牧・下の牧」があった地として上牧の名が生まれたとされます。古代の宮廷の馬の放牧地に由来する地名と伝えられています。
甘楽町の地名は、古代の郡名「甘良(かんら)」に由来するとされ、渡来人との関わりを指摘する説や地形に由来する説があります。
「喜界」は、1645年頃から見られる表記で、鬼界島・奇界島・貴海島などの異表記の中から、縁起のよい「喜」の字が定着したとされます。
菊池市の地名は、古くは『菊池』を『久々知』と訓じた記録があり、のちに菊池氏の本拠地として定着しました。市名は中世以来の歴史と、菊池川流域の地域名に由来します。
「きさらぎのつ」が転じたとする説があり、月の名「きさらぎ」と港を表す「津」に由来すると伝えられます。ほかにも「城の津」など複数の説がある地名です。
大阪市北区の地名は、もとは曽根崎村の北に位置する北野村などに由来し、周辺の村名や地形・方位を反映して成立しました。梅田周辺の開発とともに、農村から都市中心部へと姿を変えてきた地域です。
堺市北区は、堺市の北東部に位置することから「北区」と命名されました。2006年の政令指定都市移行時に設置された区で、仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群を有し、日本書紀にも登場する「百舌鳥」の地名など古代から続く歴史的地名が残ります。
宜野座村の「宜野座」は、琉球王朝時代から見られる地名で、国頭郡の古い集落名に由来します。村内の古知屋は1946年に松田へ改称され、現在の村域が形づくられました。
1567年に織田信長が稲葉山城(現・岐阜城)へ入城した際、禅僧・沢彦宗恩の進言を受け、中国の聖地「岐山」と「曲阜」から一字ずつ取って命名した雅称に由来する。
「基山」の地名は奈良時代の『肥前国風土記』に「基肄之山(きのやま)」として記された山名に由来し、1889年に村名として正式に採用された古代からの地名。
行田市の地名は、旧市名の「忍」とともに、古くからの地名「行田」に由来しますが、その起源は諸説あり確定していません。市域の大字埼玉は「埼玉県」名発祥の地として知られます。
京丹後市は、旧丹後国の地名を受け継いで2004年に誕生した市名で、丹後地方の中心性を示す「京」と地域名「丹後」を組み合わせたものです。
町名は旧国名「丹波」に由来し、京都府内の丹波地域に位置することを示します。丹波は「たには」から転じたとされ、田庭・谷端などの説があります。
「京都」は「みやこ(京)の土地(都)」を意味する普通名詞が固有名詞化したもので、794年の平安遷都に始まり平安時代後期に定着した地名。
旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせた地名とされます。あわせて、ヤマトタケルが「清き土なり」と言ったという清戸の伝説も伝わります。
霧島の名は、霧に包まれた霧島連山が島のように見えることに由来するとされます。天孫降臨の伝承に結びつく説も伝わっています。
町名は、町内の伐株山(きりかぶさん)にまつわる伝説と結びつけて語られています。山の切り株の民話が「くす」の名の由来として伝えられています。
国東市の地名は、古代の「国前(くにさき)」に由来すると考えられます。『豊後風土記』などに見える表記が、のちに「国東」へと転じたものです。
熊取町の地名は、周囲を山地や丘陵に囲まれた谷・盆地の地形に由来するとされます。古くは「熊取野」「熊取荘」などの名でも知られ、伝承も残ります。
久米島町の地名は、古く『続日本紀』に見える「球美(くみ)」に由来すると考えられています。琉球方言で「米」を意味するクミと結びつけ、米どころの島を表したとされます。
栗原市の地名は、旧栗原郡の名を受け継いだもので、郡名の由来ははっきりしません。市内の金成では、金が産出した土地や祈願成就にちなむ説が伝わっています。
下呂市の地名は、古代の駅家「下留(しものとまり)」が転じて「げる」「げろ」になったとされます。温泉地として知られる下呂の名は、白鷺伝説とともに広く伝わりました。
甲賀市の市名は旧甲賀郡に由来し、古代の「鹿深(かふか)」が転じたものと考えられています。市名は合併時に「こうか」と読む形で定められました。
神津島村の地名は、神々が集まって島々の創生を相談したという伝承に由来し、古くは「神集島」とも書かれました。神話と結びついた島名として伝えられています。
「神戸(こうべ)」は奈良時代の律令制で生田神社に租税・労役を提供した民戸「神封戸(かんべ)」に由来し、「かんべ」が転訛して「こうべ」となった地名。
奈良・平安時代に東山道の駅家と郡家が置かれたことから「コホリ」が転じて桑折となったとされます。古代の郡衙に由来する地名と考えられています。
郡山市の地名は、古代の行政区画である「郡」と、目印となる「山」を組み合わせたものとされ、安積郡の中心を示す地名として定着しました。
古代の「許我」「古我」にさかのぼる地名で、南北朝時代以後に「古河」が定着しました。渡良瀬川・利根川の水運や街道の要衝として発展した歴史も背景にあります。
条里制に由来する「五条」の地名がもととされる一方、「御霊(ごりょう)」が転じたとする説も伝わります。
区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花」から採られたものです。大正14年の区新設時に、地元案の中からこの雅な表現が選ばれました。
狛江市の名は、前身の狛江村が古代の地名「狛江郷」から採ったものです。狛江郷の由来には高麗人の居住地にちなむ説などがあり、確定はしていません。
平安時代の篠原郷が、京都の仁和寺のあった「小松郷」にちなみ「小松島」と呼ばれるようになったと考えられています。港町として発展した歴史も持つ地名です。
小諸市の地名は、古くは「大村」「小村」から「大室」「小室」を経て「諸」へ転じたと考えられています。浅間山南西麓の地形や古代の牧場に由来する説が有力です。
西都市の市名は、西都原古墳群をはじめとする古代日向の中心地としての歴史を背景に、「西の都」を意味する名称として成立したとされる。
佐井村の地名は、斉明天皇5年の『日本書紀』に見える「イブリサエ」に由来するという説があり、古くからの地名として伝えられています。下北半島西端の港町として、海とともに発展してきました。
「佐賀」の地名は『肥前国風土記』に複数の伝承が記されており、日本武尊が大楠木の繁栄を見て「栄(さか)の国」と呼んだという説と、荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ「賢女(さかしめ)郡」が転じたとする説が有力である。
坂祝町の地名は、町内の坂祝神社に由来するとされます。古くは「坂祝(さかはふり)神社」と記され、地名の起源になったと伝えられています。
左京区の名は、平安京で内裏から見て左側、すなわち東側の「左京」に由来します。現在の行政区名は昭和4年に成立し、古代都城の方角観を今に伝えています。
「佐久」は遅くとも866年編纂の『日本三代実録』に見える古い地名で、少なくとも平安時代以前には定着していたと考えられます。由来の詳細は諸説ありますが、古代から続く地名として知られます。
鯖江の地名は、鯖の尾に似た「佐婆矢」から転じたという伝承や、「鯖」と「深江」の「江」を取ったとする説が伝わります。
市名は古代の「夷参(いさま)」に由来するとされ、地名の変化を経て「座間」と定着したと考えられています。
古代の地名「さよ」に由来し、『播磨国風土記』では「五月夜(さよ)」に植えたのかという説話で説明されます。のちに「さよう」と読まれるようになり、現在の町名として定着しました。
三条市の地名由来は確定しておらず、条坊制や荘園制に由来する諸説があります。京都の三条や「散所」などに結びつける説もありますが、決定的な史料は見つかっていません。
三田市の地名由来は、古くからの地名「三田」によるもので、由来の詳細は諸説あります。現在も市名としてそのまま受け継がれています。
椎葉村の地名は、那須大八郎宗久が椎の葉で仮屋の屋根を葺いたことに由来すると伝えられる。平家伝説と深く結びついた歴史的な地名である。
塩竈市の地名は、鹽竈神社に見られる「塩を焼くかまど」に由来する説が有力で、製塩と信仰の歴史を映す地名です。
塩谷町の地名は、古くからの郡名である塩谷に由来します。地形や塩に直接結びつくというより、地域の歴史的な呼称が町名として受け継がれたものです。
色麻町の地名は、奈良時代の史料『続日本紀』に見える「色麻柵」にさかのぼるとされます。古くから「しかま」と読まれ、軍事拠点として記録された歴史ある地名です。
町名は「酒の井」伝説に由来するとされ、孝行息子が井戸から酒を汲んだという話が広く伝わります。ほかに「洒々井」や「出水」からの転訛とみる説も紹介されています。
宍粟市の地名は、奈良時代の『播磨国風土記』に見える宍禾郡に由来すると考えられています。7世紀末の木簡にも「宍粟」の表記があり、古くから使われていた地名です。
設楽の地名は、清流が滴る様子を表す「したたる」に由来するという説や、古くは『之多良』と記されたことに由来する説が伝わります。語源は確定していませんが、山間の地形や水の豊かさと結びつけて考えられています。
七ヶ浜町の地名は、平安時代にこの一帯を総称した「松ヶ浦島」に由来するとされます。町内の七つの浜を連想させる現在の名は、海岸地形と古い呼称の結びつきから生まれたと考えられています。
町名は旧国名の信濃国に由来し、古くから親しまれてきた北信濃・奥信濃の呼び名を簡潔に表したものです。
天智天皇がこの地の人々の「志」の高さに感激し、「志布志」と名付けたという伝承が地名の由来です。布を献上した妻女と侍女の話にちなむ説として伝えられています。
志摩市の「志摩」は、志摩半島周辺に島が多いことから生まれた地名で、古くは志摩国・志摩郡の名として見えます。市名は旧志摩郡に由来します。
下郷町の町名は、会津地方の南部に位置することから「下の郷」を意味すると考えられます。古くからの郷村名を基にした地名で、周辺の会津盆地南縁の地理を反映しています。
下野市の地名は、旧国名の「下野国」に由来します。2006年の市制施行にあたり、地域の歴史的な呼称を受け継いで名付けられました。
『和名抄』に「しもつま」と見える古い地名で、現在の「下妻」という表記は鎌倉時代以降に定着したとされます。語源の詳細は確定していませんが、古くから伝わる地名です。
勝央町の「勝」は、旧勝田郡勝田郷・勝間田の系譜を引く地名で、好字化の影響を受けつつ「かつまだ」と読まれてきた歴史に由来します。町名は昭和の合併で成立しました。
白子町の地名は、地域の鎮守・白子神社に由来するとされます。白い亀の上に白蛇が現れたという伝承が、地名成立の背景として伝えられています。
古代の木簡に「温泉郷」と見えることから、温泉が湧き出る土地にちなむ地名と考えられます。2005年に浜坂町と温泉町が合併して新温泉町となりました。
熊野速玉大社の「新しい宮」に由来するとされ、神々を遷した社にちなむ地名です。熊野信仰の中心地として発展した歴史が背景にあります。
新ひだか町は、平成18年に静内町と三石町が合併して成立した町で、町名は旧日高地方にちなむ「日高」を継承しつつ新設されたものです。日高の名は松浦武四郎の命名による国名由来で、東方を意味する古名に通じます。
古墳時代に須恵器が当地で生産されていたことに由来するといわれる町名です。古代の窯業と結びついた地名として伝わっています。
須坂市の地名は、古くは「墨坂」と書かれた地名が転訛したものとされ、墨坂神社との関わりが指摘されています。奈良の墨坂伝承とも結びつく、古い由来をもつ地名です。
珠洲市の地名は、須須神社の「鈴」に由来する説が有力で、万葉仮名の須須・須受から珠洲の表記が生まれたとされます。古くは「スス」の岬を表す地名としても伝えられています。
古代から付近一帯を「住之江」と呼んだことに由来します。『古事記』『日本書紀』『万葉集』では墨江・住吉・清江などとも表記され、いずれも同じ地名系統とされています。
住吉区の地名は、古くは「すみのえ」と読まれた住吉の古称に由来し、住吉大社や住吉津に結びつく古い歌枕の地名として定着しました。
不破関のあった原野を意味する地名で、古代の関所「不破関」に由来するとされます。関ケ原の戦いの舞台としても知られ、交通の要衝として発展しました。
伊達政宗が慶長5年(1600年)頃に国分氏の居城「千代城」を「仙臺」に改めた地名。「仙臺」は中国・唐代の漢詩に由来し、仙人が住む高台・聖域を意味する。
添田町の地名は、岩石山に移り住んだ新羅国の曽褒里神(ソホリ)が転化して「ソエダ」になったという伝承がある。ほかに、吾勝野がアカ村・ツノ村に分かれた話など複数の地名伝説が伝わる。
弟橘媛の袖が海岸に流れ着いたという伝説に由来するとされ、東京湾の入り江や岬の形にちなむ説も伝わります。市名は旧袖ヶ浦町から市制施行後に継承されました。
地名は「率土の浜(そっとのひん)」に由来するとされ、国土の端・外れの浜を意味すると考えられています。古くは陸奥湾岸一帯を指す広い呼称としても用いられました。
古くは『古事記』の「蘇邇」などに見える地名で、石礫の多い足場の悪い土地を表すとされます。村名はこの古い地名に由来し、難読ながら歴史の深い名称です。
聖徳太子ゆかりの町であることから名づけられた地名です。旧鵤荘の地域にあたり、太子信仰と深く結びついています。
地名の由来は定説がなく、『紀伊続風土記』では泰地氏が住んだことに由来する可能性が示されています。古くは太地・泰地と書かれ、由来未詳とされる地名です。
大阪市の東に位置する衛星都市としての将来性を、「光は東方より」ということわざに託して名付けられた市です。
太白区の名は、区内の象徴である太白山に由来します。区名選定では「南区」案もありましたが、方角名を避けて地域の象徴を採ったとされています。
大和町の町名は、古代の「大和」に通じる雅称を採ったものとされ、町域の歴史的な位置づけを示す地名です。由来の詳細は一義的ではありませんが、周辺の古代史との結びつきがうかがえます。
『詩経』の「鳳凰鳴矣于彼高岡」にちなむ瑞祥地名で、前田利長が1609年に高岡城とともに名付けたと伝わります。城下町として開かれ、のちに商工業都市へ発展しました。
旧高島郡の名を受け継ぐ市名で、古くは『万葉集』『和名抄』にも見える「太加之萬」に由来すると考えられます。三尾国の高島宮にちなむ説もあります。
多賀城市の地名は、古代の城柵・多賀城に由来します。「多賀」は「賀(よろこび)が多い」という意味を持つとされ、国家の安寧や繁栄を願う名と考えられています。
高千穂の名は天孫降臨神話に結び付けられるほか、高所を意味する古い地名に由来するとする説もある、神話と自然が融合した地名である。
高原町の地名は、神々の住む場所とされる「高天原(たかまがはら)」に由来すると伝えられる一方、古くから広がる原野地形に由来する説もみられる。
「高松」の地名は、平安時代の地誌「和名類聚鈔」に「多加津の郷」として現れる古い地名に由来し、天を突くような大きな松があったことにちなむという説が有力である。
高森町の「高森」は、周囲より高く森のように見える地形に由来すると考えられます。町内には神話や民話に結びつく地名も多く残っています。
「塚」は市内に多く残る古墳を指し、宝のように大切な塚がある土地として宝塚の地名が生まれたと考えられています。江戸時代にはすでに地名として用いられていました。
「高来(たく)」を語源とし、栲の木が多く生えた場所を意味するとも、古代朝鮮半島の高麗(高句麗)からの渡来人に関わる地名とも伝えられる。
町名は中心集落の竹富島に由来し、八重山の島嶼群を束ねる行政地名として定着しました。島名の由来は諸説ありますが、古い琉球語地名を受け継ぐものと考えられています。
竹原の地名は、少なくとも1090年の「安芸国竹原荘」に見えるのが初見です。荘園名として成立した地名で、のちに竹原市の市名として受け継がれました。
太宰府市の地名は、古代の役所「大宰府」に由来し、中世以降は「太」の字が広く用いられて定着しました。歴史的な官衙の名を受け継ぐ、由緒ある地名です。
館林市の地名は、古代の郡名「邑楽(おうら)」に連なる地域史の中で定着したもので、周辺の古い行政区画や地名の変遷と深く結びついています。
「太良」の地名は肥前国風土記の「託羅(たら)郷」に由来し、景行天皇が「食物が豊かに足りる(豊足・たらい)」と称えたことで命名されたとする伝承がある。
垂井町の地名は、古くから「垂井の泉」が歌枕「たるいの水」として詠まれてきたことに由来するとされます。町名はこの古い地名を受け継いだものです。
垂水区の地名は、東垂水周辺にあった滝の存在に由来すると考えられています。万葉集にも詠まれた「垂水」の古い地名が、地域名として受け継がれました。
筑後市の「筑後」は、古代の筑後国に由来する地名で、地域の歴史的な国名を受け継いだものです。市名はそのまま旧国名を継承しており、筑後地方の中心的な地名として定着しました。
町名は旧郡名の築城郡に由来し、平成の合併で椎田町と築城町が一体化して成立しました。古代の「築城(ついき)」の名を受け継ぐ、歴史の深い地名です。
筑西市の地名は、旧郡名の「筑西」に由来し、筑波山の西側に位置する地域名として定着したものです。
地名は古代の郡名「知多」に由来し、現在の知多市域を含む地域名が市名として受け継がれました。郡名の由来には知多臣氏にちなむ説などがあり、市名は知多半島の通称から採られています。
千歳市の地名は、もともとのアイヌ語地名「シコツ」を改称したもので、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と名付けられた。
市名は『風土記』に見える筑波岳(筑波山)に由来し、山尾根の端に突出した地形を表すと考えられています。漢字の誤読を避けるため、ひらがな表記が採用されました。
対馬市の名称は古代から使われる『対馬』に由来する。語源には『津(港)の島』を意味する『津島』が転じたとする説が有力で、大陸との交流拠点であった地理的特徴を表している。
日本武尊が東征の際に愛妻・弟橘媛を偲んで「吾嬬者耶(あづまはや)」と嘆いた伝説にちなむとされる地名です。村名の「嬬恋」は「妻恋し」の意を重ねた表記と考えられています。
「天の安河の宮」や「天の川」に由来する伝承があり、聖域視された谷川の名から村名が定着したと考えられています。修験道と天河大辨財天社の歴史とも深く結びついた地名です。
村名は、合併前の村松村・石神村が組合立東海中学校の「東海」を採ったもので、さらにその「東海」は藤田東湖の詩句に由来します。
「時津」は、めでたいことを意味する古語「時つ」と港を意味する「津」を組み合わせた地名で、幸福を運ぶ港への願いが込められているとされる。
地名は、粘土層が露出して地盤が滑らかだったことから「床滑(とこなめ)」と呼ばれたとする説が有力です。万葉集にも見える古い地名で、常滑焼の産地としても知られます。
「鳥栖」の地名は肥前国風土記に記された「鳥屋の郷(とりやのさと)」に由来し、応神天皇の御代にこの地で鳥を飼育して朝廷に献上したことから「鳥の巣(とりす)」と呼ばれたのが起源。
十津川村の地名は、都や津(港)から遠い場所を意味する「遠津川(とおつかわ)」に由来するとされます。中世の文書にも「遠津川」と見え、のちに十津川と表記されるようになりました。
「戸畑」は奈良時代の文献に見える「飛幡(とばた)」に由来するとされ、のちに「戸畑」の字が用いられるようになりました。古くは「鳥旗」「名籠屋」などの表記も見られます。
町名は、古代の地名「富加」に由来し、半布里(はにゅうり)に比定される地域の歴史を受け継いでいます。古代の戸籍史料や中世の加治田の地名が、現在の町名成立の背景を示します。
登米市の「登米」は、古い「遠山(とおやま)」に由来する説が有力で、のちに「米が登る」とも解されました。明治期以降に「とめ」と読むようになった経緯も伝わります。
直島町の町名は、島の地形や「素直」「まっすぐ」といった意味合いに結びつけて語られることがあり、古くから直島の名で知られてきました。
横浜市中区の地名由来は、吉田新田や外国人居留地の埋立・町名整理に深く関わります。町名は縁起名や人名、地形名など多様な由来を持ちます。
堺市の中部地域にあたることから「中区」と命名。2006年の政令指定都市移行に際して設置された。区内には行基ゆかりの土塔・八田・深井など歴史的地名が多く残る。
那珂市の地名は、古代の郡名「那珂」に由来し、もとは「中(なか)」を表す地名と考えられます。周辺の中心的な場所を示す呼び名が、好字二字化によって現在の表記になりました。
中之条町の地名は、吾妻郡の中心にあたる「中の条」に由来すると考えられます。古くは伊参郷に属したと伝えられ、地域の中心性を示す地名として受け継がれてきました。
中村区の地名は、古代の「中村郷」に由来し、「中心となる村」を意味すると考えられています。現在の名古屋市中村区は、明治期の中村町を経て区名として定着しました。
平安時代末期の荘園名「那古野荘(なごやのしょう)」に由来し、崩壊地形「ナギ」の野原を意味する地形語源説が有力とされるが、複数の説が並立し定説はない。
区名は大阪の古称「なにわ」に由来し、王仁の歌にちなむ命名とされています。古くは難波江・難波潟と呼ばれた海辺の地で、地形と歴史の両面が背景にあります。
平安時代の「楢葉郷」に由来し、古くからこの地域で用いられてきた地名が町名として採用されました。町の成立時に複数の候補の中から選ばれた名称です。
南牧村の地名は、古くからの郡名・地名の流れを受ける群馬県域の一部として成立したもので、村名自体の由来は資料上では明確に確認できません。現時点では、群馬県の古代地名「群馬(くるま)」に連なる地域名として理解するのが妥当です。
新座市の地名は、奈良時代に置かれた新羅郡が「新座郡」へ改称されたことに由来します。古い郡名を受け継いで、昭和30年に新座町、昭和45年に新座市となりました。
市名は、備中国に置かれた新見郷に由来するといわれています。古代の郷名を受け継いだ地名で、平成の合併で現在の市名として定着しました。
堺市西区は、堺市の西部に位置することから「西区」と命名されました。2006年の政令指定都市移行時に設置された区で、古代の大鳥連豪族に由来する「鳳」、浜辺の寺院に由来する「浜寺」など、日本書紀にも登場する古い地名を多く擁します。
西成区の地名は、古代の「西生(にしなり)」に由来し、「上町台地の西側に新たに生まれた集落」を意味するとされます。のちに「西成」と表記が定着しました。
西宮市の地名は「西の宮」に由来し、門前町として発展した西宮神社にちなむとされます。平安後期には「にしの宮」と見え、のちに「西宮」と表記されました。
町名は、町内の川勾神社が相模国の二宮であることに由来します。二宮は「二之宮」とも書かれ、古くから神社名にちなむ地名として定着しました。
二本松市の地名は、古くから「二本松」と呼ばれてきた土地名に由来します。市勢要覧では万葉の時代から名が知られていたとされ、城下町として発展した歴史とともに定着しました。
野木町の地名は、古くは「野木宮」や「野木郷」として見え、周辺の古代地名に由来する可能性があります。町名の直接の語源は明確ではありませんが、古い地名がそのまま受け継がれたと考えられます。
市名は古く「波多野郷」と記された地名に由来し、秦氏に結びつける説もありますが、古代の開拓を示す確証は見つかっていません。江戸時代以降に「はだの」の読みが確認できます。
羽生の地名は、埴輪や埴生(はにふ)に由来する説があり、土地の性質を表す古い地名と考えられています。市名としては中世以降に広まりました。
羽曳野市の地名は、ヤマトタケルが白鳥となってこの地を飛び立ったという白鳥伝説に由来すると伝えられています。古市古墳群や白鳥神社と深く結びついた歴史ある地名です。
浜松の地名は、もとは「浜津」に由来し、中世には「浜松」と呼ばれるようになったとされます。天竜川の西、浜名湖の東に位置する地名として定着しました。
市名は関東地方の古称「坂東」に由来し、利根川の異称「坂東太郎」にも結びつきます。2005年の合併時に、関東平野を代表する都市を目指す思いを込めて選ばれました。
阪南市の地名は、古代の「和泉国日根郡鳥取郷」に由来し、さらに『日本書紀』の鳥取部・鳥取造の説話とも結び付けて語られます。市域の中心的な旧地名「鳥取」は、古くから地域を示す名称として受け継がれてきました。
東吾妻町の「吾妻」は、日本武尊が東方を指して「吾嬬(あづま)」と呼んだ伝説に由来するとされます。町名は吾妻郡の東部に位置することを示す地名でもあります。
岡山市東区の地名は、古代の阿知・大伯などの地名や渡来系氏族の伝承を背景に、地域ごとの旧地名を引き継いで成立しています。
「彼杵(そのぎ)」は古代の肥前国の地名で、肥前国風土記に記された「具足玉国(そないだまのくに)」が転訛したとする説が有力。「東」は大村湾の東側に位置することに由来する。
彦根市の地名は、活津彦根命を彦根山に祀ったことに由来するとされます。城下町として発展した歴史と、彦根山・金亀山に結びつく信仰が背景にあります。
日高村の地名は、古くは「日下(くさか)」と呼ばれた地が転じたもので、日が昇る方角にちなむ意味合いを持つとされます。
日之影町の名称は日之影川に由来するとされるほか、神話に由来する伝承も残されている。深い渓谷地形と密接に結び付いた地名である。
日野町の地名は、古代の「日野牧」に由来すると伝えられ、肥えた耕地を意味する地名とみられます。平安期には牧や荘園として知られ、中世以降は城下町・商人町として発展しました。
姫路市の名は、播磨国風土記に見える「日女道(ひめじ)」に由来し、姫山へ登る小道を表す地名とされます。のちに「姫路」と表記が定着し、城下町名から市名へ受け継がれました。
姫島村の地名は、『古事記』の国生み神話に登場する女島や、『日本書紀』にみえる比売語曽(ひめこそ)の伝承に由来するとされます。神話と伝説が重なる、離島らしい由緒をもつ地名です。
日向市の名称は旧国名である日向国に由来し、「日の出る方に向かう国」を意味すると伝えられる。1951年の市制施行時に歴史的な国名を採用した。
枚方の地名は、古代文献に見える「比駄」などの表記にさかのぼる古い地名で、淀川沿いの平らな潟や入江に由来するという説が有力です。ほかに「白肩之津」から転じた説も伝わります。
平戸の地名は古代の松浦郡庇羅郷に由来するとされ、平戸瀬戸を押さえる要地として発展する中で島名・地名として定着した。
明智光秀が福智山城を築いた際に「福智山」と名づけたことが、現在の福知山の地名の由来とされます。のちに「智」が「知」に転じ、福知山となったと伝えられます。
藤崎町の地名は、坂上田村麻呂が突き立てた藤の杖が伸びて花が咲いたという伝説に由来するとされます。町名の「藤」は、後にりんごの品種「ふじ」の名にも受け継がれました。
市名は富士山本宮浅間大社の旧称「富士の宮」に由来し、門前町としての性格を反映して命名されました。浅間大社と富士山頂の奥宮に結びつく、地域色の強い地名です。
伏見区の地名は、古くは「俯見」「臥見」などと書かれ、のちに「伏水」とも表記されました。豊かな伏流水に恵まれた土地柄を背景に、地名が定着したと考えられています。
旧国名の「豊前」に由来する市名です。福岡県東部の豊前地域に位置することを示す地名として定着しました。
約1300年前に備後国の国府が置かれたことに由来する地名です。市内には当時の国府の名残を示す地割や遺跡が残ります。
武蔵国の国府が置かれた「国府の中」に由来する地名で、古代の政治拠点としての歴史を今に伝えます。
古代の安芸国で国府が置かれていたことに由来する地名です。現在も町内には当時の中心地だった名残が各所に残っています。
富津市の地名は、日本武尊と弟橘媛の伝説に由来する「布流津(ふるつ)」が転じたとする説が有力です。ほかに、古い港を意味する「古津」や、岬の突端を表す古語「ほと」など複数の説があります。
別府市の地名は、中世の荘園制度で特別に区分された「別符(べふ)」に由来するとされます。石垣荘の開発地を指した呼び名が、のちに別府へ転じたという説が有力です。
鉾田市の地名は、古代の武器や石槍などが多く出土した土地を意味する「鉾多」に由来する説が知られています。
益城町の町名は、昭和の合併で郡内第一番目の合併町であることを示すために「益城」の名を採ったとされます。古くは益城郡の名があり、地域の歴史を受け継いだ地名です。
「瑞穂」はみずみずしい稲穂を意味し、豊かな実りを連想させる地名です。区名は旧村名に由来し、瑞穂の語感を生かして名づけられました。
「瑞穂」は『古事記』『日本書紀』に見える日本の美称「豊葦原之瑞穂国」に由来し、豊かな稲穂の国を意味します。倭姫命の伝承が残る当地の歴史を踏まえて市名に採用されました。
昭和15年、箱根ケ崎村など4村の合併で町制施行する際、東京府知事・岡田周造が『豊葦原千五百秋瑞穂国』にちなみ命名したと伝わります。豊穣を意味する縁起のよい美名が選ばれました。
「御嵩」は、清らかな山を敬って呼んだ「みたけ」に由来するとされます。地名表記は時代とともに変遷し、尊称を伴う形で定着しました。
「美濃」は古くから諸説ある地名で、「御野」「三野」「水辺」などの説が知られます。美濃市はその名を受け継ぐ市名で、岐阜県南部の歴史ある地域名に由来します。
景行天皇の九州平定の巡幸で、その御船(おんふね)が着岸したことに由来すると伝えられます。町名は古くからの地名として受け継がれました。
宮城野区の名は、古くから歌枕として知られた「宮城野」に由来します。仙台市東部の原町・榴岡周辺に受け継がれた歴史的地名で、平安期の文学にも見える由緒ある呼称です。
地名は古代の直営地「屯倉(みやけ)」に由来するとされ、倭屯倉の名を継ぐ土地と考えられています。町内には太子道や古墳群も残り、古代大和との結びつきが深い地域です。
都島の地名は、宮の向かいにある島を意味する「宮向島」が転化したものとされます。難波宮や長柄豊崎宮との位置関係に由来する説が有力です。
『日本書紀』の景行天皇紀にみえる「京」に由来し、京都郡やみやこ町の名につながったとされます。古代の仮宮の伝承が地名の背景にあります。
「宮崎」の地名は「宮(みや)の前(さき)」が語源とされ、神武天皇が住まわれた宮の前方の地を意味するという説が有力である。奈良時代には「宮埼郡」として文献に登場する。
宮田村の地名は、平安時代の『延喜式』や『倭名類聚抄』に見える「宮田」に由来するとされます。古くから東山道の宮田駅が置かれ、地域の中心地として発展しました。
妙高市の地名は、霊峰・妙高山に由来します。仏教世界の中心にそびえる須弥山(シュメール)を意味する「妙高」を当てたとされ、山岳信仰と深く結びついています。
市名は古代からの郡名「三好」に由来し、三野・三津・三縄の三郷にちなむ説や、深い山間の「みよしの」の略とする説があります。
『伊勢物語』に見える「三芳野の里」にちなみ、洪積台地の原野を美称した「三芳野」から生まれた地名です。合併時に同名地が多かったため「野」を省いて三芳村となり、後に三芳町へ改称しました。
武蔵野市の名は、1889年に4カ村が合併して「武蔵野村」と命名されたことに由来し、さらにその「武蔵野」は『万葉集』に見える地名から採られたと考えられています。
村山市の地名は、古代の郡名である「村山」に由来すると考えられます。山の奥寄りの地域を示す地名がもとになったとされ、周辺の山形地方の歴史と深く結びついています。
本部町の地名は、沖縄の地名に広く見られる古い琉球語系の呼び名に由来すると考えられています。『本部』の語源は諸説ありますが、地域の中心的な場所を示す地名として定着しました。
市名は、もとは湿地の多い「藻原」と呼ばれた地名が、江戸時代に「茂原」の字へ改められたことに由来するとされます。古くは藻原荘の名も見られ、地域の歴史と結びついた地名です。
「盛り上がり栄える岡」を意味する瑞祥地名。1691年(元禄4年)に第4代盛岡藩主・南部重信が連歌の一節にちなんで「盛岡」の表記を正式に定めた。
地名の由来は定説がなく、比叡山を守る「守山寺」にちなむという伝承が知られています。古くは『もる山』と表記・詠唱された例もあり、由来は複数説あります。
日本武尊が草薙剣で葦を薙ぎ、火を放って敵を退けた伝説に由来するとされる地名です。古事記に見える「ヤキツ」が転じて、現在の焼津になったと伝えられます。
矢掛町の地名は、温羅伝説に由来する説と、宿場町としての情景から生まれたとする説が伝わっています。
屋久島の「屋久」は、古代文献に見える「掖久(やく)」に由来すると考えられています。島名が町名となり、現在は屋久島と口永良部島を行政区域とする町です。
八雲町の地名は、開墾を進めた徳川慶勝の意向で、須佐之男命の歌「八雲立つ」にちなみ命名されたものです。
村名は漢詩の「泰山丘阜」に由来し、「泰」は水路を拓く意、「阜」は豊かで盛んな様を表すとされます。明治8年に筑摩県17ヶ村が合併して泰阜村が成立しました。
出雲国風土記に見える「安来郷」に由来し、スサノオノミコトが「吾が御心は安平けくなりぬ」と述べたことから名づけられたと伝わります。心安らかな意を表す古語「やすけく」にちなむ地名です。
安田町は、平安時代の『和名類聚抄』に安芸郡安田郷として見える地名で、良田のある土地を表すとされます。『痩せ田』の逆とする説も伝わります。
八代市の地名は、『日本書紀』に見える八代県(やつしろのあがた)に由来するとされます。古くは八代神社の門前町に起こった地名で、社(やしろ)に通じるという説も伝わります。
「高田」に奈良盆地の古称である「大和」を冠した市名で、旧高田の地名を受け継いでいます。中世の高田郷・高田寺内町を基盤に、近代以降に市名として定着しました。
遊佐町の地名は、延長5年(927年)の『延喜式』や承平7年(937年)の『和名類聚抄』に見える古い地名に由来し、千年以上にわたり文字も音もほぼそのまま伝わってきたとされます。
「由利」と旧「本荘」の合成地名で、由利は百合や砂丘地形に由来し、本荘は荘園に由来する。
町名は、元正天皇が美泉にちなみ「養老」と改元した養老伝説に由来します。養老の滝や菊水泉の名と結びついた、めでたい地名です。
与謝野町の「与謝」は、古代の郡名にさかのぼる地名で、狭い谷間を意味するとも、余社宮に由来するともいわれます。2006年に加悦・岩滝・野田川の3町が合併して成立しました。
室町時代から呼ばれてきた「吉富郷」に由来して名付けられました。古くからの地名を受け継いだ町名です。
「吉野ヶ里」は2006年の町合併の際、日本最大の弥生時代の環濠集落「吉野ヶ里遺跡」の名に由来して命名された。「ヶ里」は古代条里制の土地区画「里(さと)」を示す。
吉野町の地名は、古代からの「吉野」の呼称に由来し、良い・美しい野や山を表すとする説や、古い地名形に接頭語が付いたとする説が伝わります。
利府町の地名は、平安時代から知られた「十府(十符)の菅薦」に由来し、のちに佳字の「利」と「府」を当てて現在の表記になったと考えられています。
古代の姓「若桜部」に由来するとされ、平安期の文献にも「若桜郷」として見える古い地名です。町名はこの地に住んだ若桜氏・若桜部にちなむ説が有力です。
「和歌山」は天正13年(1585年)に豊臣秀吉が築城の際に命名した地名で、南方の名勝「和歌浦」の「和歌」と城が置かれた「岡山」の「山」を合わせた合成語とされる。
「わづか」の地名は奈良時代の『万葉集』に見え、和豆香と表記されたのが初出とされます。もとは寺社の杣山・荘園として知られ、のちに皇室領を経て現在の和束町へつながりました。