語源
「多久」の地名は、平安時代初期(713年以降)に編纂された『肥前国風土記』に登場する「高来駅」に由来するとされる。同書では島原半島一帯も「高来郡」、雲仙岳を「高来峰」として記しており、「たく」という地名が広域にわたって使われていたことが確認できる。
地名の語義については大きく二説が伝わる。
栲木説:日本最古の百科事典とされる『和名類聚抄』には「小城郡高來(多久)あり、名義は古に栲木の多き處などにて負せたるべし」と記される。栲(楮)はコウゾ科の木で、その樹皮は和紙の原料として用いられた。この地に栲の木が多く自生していたことが地名の起源と考えられている。
渡来人説:全国に点在する「高来」という地名は、古代における朝鮮半島北部の高麗(高句麗)の人々の渡来に関わる地名とも解釈される。雲仙岳の山岳信仰の拠点であった温泉山満明寺の「温泉山縁起」には、本尊の四面大菩薩が高麗から飛来した四人の王女に由来すると記されており、多久市一帯にも高麗からの人の流れがあった可能性が指摘されている。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 奈良時代 | 高来郷(こうらいごう) | 小城郡の一郷。『肥前国風土記』に記述 |
| 南北朝時代 | 多久荘(たくのしょう) | 中頃の文書に「多久荘」の語が初出 |
| 鎌倉時代 | 多久(前多久氏の支配) | 摂津の御家人・津久井宗直が地頭として入部し多久氏と改名 |
| 安土桃山〜江戸時代 | 多久邑(たくゆう) | 龍造寺長信が入城、後多久氏として佐賀藩親類同格の立場で続く |
| 昭和29年(1954年) | 多久市 | 多久5か町村合併により市制施行 |
地名の特徴
多久市は佐賀県中央部、筑紫山地の東縁に広がる盆地の町。南部の鬼ノ鼻山周辺はサヌカイト(安山岩)の産地で、旧石器時代の大型石器製作遺跡が集中しており、古代から大陸・朝鮮半島との交流の痕跡をとどめる地域である。
江戸時代には4代領主・多久茂文が元禄12年(1699年)に藩校「東原庠舎」を開き、宝永5年(1708年)には孔子を祀る「多久聖廟(恭安殿)」を創建した。この聖廟は現在も国の重要文化財・史跡に指定され、春秋の年2回、儒学の先哲を祀る「釈菜」の儀式が続けられている(佐賀県指定重要無形民俗文化財)。儒学を重んじた地の気風は現在も「文教の里」として語り継がれている。
特産・名物
多久市は筑紫山地に囲まれた盆地の温暖な気候を生かし、多彩なフルーツが生産される農業の町である。びわ・桃・みかん・梨・ブドウ・シャインマスカットと季節ごとに旬の果物が収穫され、ふるさと納税の返礼品でも果物の品揃えが充実している。
畜産では佐賀牛が筆頭特産品で、ハンバーグやヒレステーキとして返礼品に並ぶ。また「みつせ鶏」も佐賀を代表するブランド鶏として提供されている。「文教の里」として知られる多久市の農産物は、丁寧な生産を旨とする地域文化に支えられている。