🗾 地名由来辞典

北区 きたく

大阪府 / 北区 昭和時代由来

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堺市北区は、堺市の北東部に位置することから「北区」と命名されました。2006年の政令指定都市移行時に設置された区で、仁徳天皇陵を含む百舌鳥古墳群を有し、日本書紀にも登場する「百舌鳥」の地名など古代から続く歴史的地名が残ります。

語源

北区きたくは、堺市の北東部に位置することから「北区」と命名されました。2006年4月1日、堺市が政令指定都市に移行した際に設置された行政区です。区名の選定は、1991年の市内支所制度導入時に「堺・中・東・西・南・北」という方位を基本とした命名体系のもとで決まりました。

区域は五箇荘ごかのしょう百舌鳥もず金岡かなおか新金岡しんかなおか・北八下の5地区から構成されています。2026年5月現在、北区は堺市7区の中で最多の人口(約15万6千人)を有しています。

主な地名の由来

**百舌鳥もず**は、日本書紀に記された伝説に由来します。仁徳天皇67年10月、天皇が河内の石津原で陵地を定めた際、工人たちを鹿に踏み殺されそうになったところ、百舌鳥もず(モズという鳥)が飛び来てその鹿の耳に入り追い払いました。この勇敢な鳥の行為を讃えて地名が付けられたと伝えられています。

**五箇荘ごかのしょう**は、平安時代から鎌倉時代にかけて、この地に五つの荘園があったことに由来するとされています。古代の条里制の遺跡も残る歴史的な地域です。

**金岡かなおか**は、平安時代の著名な画家・巨勢金岡こせのかなおかの業績を称えて、没後にこの地の神社を「金岡神社」と改称したことに由来するといわれています。また、古くからこの一帯が鋳造・鍛冶を生業とする「金屋」の集落であり、田から鋳物かすが出たことから「金田(かなた)」と呼ばれ、それが「金岡」に転じたという説もあります。

**浅香あさか**は、聖徳太子がこの地を巡遊した折、香木を掘り出し「浅からぬ香り」と評したという伝説に由来する地名です。

**八下やしも**は、八上郡の下に位置することから「八下」と呼ばれるようになったとされています。

歴史的変遷

時代呼称備考
古墳〜飛鳥百舌鳥仁徳天皇陵など百舌鳥古墳群が造営される
平安〜鎌倉五箇荘五つの荘園が置かれる
昭和41年新金岡団地開業大規模集合住宅として開発、人口急増
昭和62年大阪市営地下鉄御堂筋線延伸中百舌鳥まで延伸。大阪市へのアクセス向上
平成18年北区堺市政令指定都市移行により設置

地名の特徴

北区の地名は、日本書紀に登場する「百舌鳥」や聖徳太子伝説を持つ「浅香」など、記紀・伝承に結びついた古い地名が目立ちます。百舌鳥地区には世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の一部である仁徳天皇陵にんとくてんのうりょう(大仙陵古墳)が所在しており、日本最大の前方後円墳として知られます。昭和期以降は新金岡団地の開発と御堂筋線延伸によってベッドタウンとして急速に発展し、現在は堺市最大の人口規模を誇ります。

特産・名物

北区の百舌鳥エリアには、世界遺産「百舌鳥・古市古墳群」の中核である**仁徳天皇陵古墳(大仙陵古墳)が所在しており、周辺の大仙公園一帯は観光スポットとして多くの来訪者を集めています。古墳の世界遺産登録(2019年)を機に地元ではもず焼(陶器)**や古代をテーマにした土産品の開発が進んでいます。

堺市の伝統産業である堺打刃物堺線香くるみ餅はふるさと納税で堺市全域からの返礼品として選べます。百舌鳥周辺のカフェやショップでも古墳をモチーフにした限定スイーツが販売されています。

参考資料・出典

最終更新: 2026-06-16