水系由来
川・湖・海・湿地など、水のありようから付いた地名。
561件収録
「愛知」の県名は古代の郡名「愛知郡」に由来する。「あいち(あゆち)」はかつて名古屋南部に広がった干潟「年魚市潟(あゆちがた)」を語源とし、崩落地形を意味する古語に遡る。
「石川」の県名は加賀地方にあった古代の郡名「石川郡」に由来する。石川郡の名は県最大の河川・手取川の古名「石川(石・岩の多い川)」に由来し、扇状地の砂礫地形を表す地名である。
753年の遣唐使記録に「阿児奈波島(アコナハ島)」として登場するのが最古の記録で、「沖の漁場」や「置縄(釣り縄を置く場所)」に由来するとする説が有力とされる。
「香川」の県名は古代から続く郡名「香川郡」に由来する。「かがわ」の語源は「樺川(かばかわ)」の転訛や、花の香りが川に移る様子など複数の説がある。廃藩置県後に2度廃止・2度復活という日本唯一の波乱の歴史を持つ。
「神奈川」の県名は、東海道の宿場として栄えた神奈川宿(現・横浜市神奈川区)の地名に由来する。「かながわ」はかつてこの地を流れていた小川「上無川(かみなしがわ)」が転訛したものとされる。
「高知」の地名は、山内一豊が鏡川と江の口川に囲まれた地形から「河中山(こうちやま)」と命名したことに由来する。水害連想を嫌い「高智」→「高知」と改字され、城名・城下町名から県名へと引き継がれた。
「埼玉」の県名は廃藩置県時に県庁設置予定地として計画された「埼玉郡」に由来する。「さきたま」は湿地や水辺の端を意味する地形由来の古称で、飛鳥時代には「前玉」と記されていた。
『肥前国風土記』は「佐賀」の起源として、日本武尊が楠の繁茂を見て「栄の国」と呼んだ説と、佐嘉川の荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ説の2つを伝える。ほかに坂・逆・洲処の転訛説もある。
「徳島」の名は1585年(天正13年)、蜂須賀家政が吉野川河口の三角州に築いた城を「徳島城」と命名したことに由来する。島状の地形と縁起の良い「徳」の字を組み合わせた命名とされる。
信濃川・阿賀野川河口に新しくできた干潟(潟)に由来する。「にいかた(新方)」が転訛して「にいがた(新潟)」になったとする説が有力で、永禄11年(1568年)の上杉謙信書状に初出する。
戦国大名・毛利輝元が太田川河口の三角州に築城した際の地名に由来し、広大なデルタの島(洲)を意味する「広い島」から名付けられたとされる。
「福井」の地名は江戸時代初期に城下町の「北庄」から改称されたものである。松平忠昌が「北」の字を敗北に通じるとして忌避し、城内の「福の井」という井戸にちなんで「福居」→「福井」と改めたとされる。
「三重」の県名は古代の郡名「三重郡」に由来する。「み(水)」+「え(辺)」で水辺の地形を表すとする説が有力。廃藩置県後に安濃津県として発足したが、県庁移転に伴い三重郡の名から「三重県」に改称された。
宮城郡名に由来し、湿地を意味する「みやき(やき)」が転じた説と、塩竈神社や多賀城など宮や城の存在にちなむ説がある。1871年(明治4年)に仙台県から宮城県へ改称。
町名は、町の中央を流れる中津川が古く鮎河(あゆこう)と呼ばれたことに由来し、その音に合わせて「愛川」の字が当てられたと伝えられます。川とともに発展してきた町名です。
会津美里町の町名は、旧会津高田町・会津本郷町・新鶴村の合併に際し、会津の歴史と美しい里のイメージを重ねて名づけられました。地名の「会津」自体は、古事記に見える「相津」に由来するとされます。
会津若松市の「会津」は、古くは川や水辺が合う場所を表す「相津」に由来するとされ、のちに「会津」と表記されました。市名の「若松」は蒲生氏郷が城下町整備の際に改称したものです。
アイヌ語の「アイペッ(ay-pet)」(矢の川)に由来し、急流の川をたとえた地名とされています。
村名はアイヌ語の「フレ・ペツ(赤い川)」に由来するとされ、赤土の多い地形にちなむともいわれます。明治32年の分村を経て、明治39年に赤井川村として成立しました。
阿賀野市の市名は、市域を流れる阿賀野川に由来します。阿賀野川の名は、阿賀郡と野積・野田などの「野」の地名要素に関わるとされ、地域の自然地形を反映した名称です。
阿賀町の町名は、町域を流れる阿賀野川の「阿賀」に由来します。川名は古くから地域を象徴する呼び名として用いられ、町名にも受け継がれました。
町名は、旧国名の「安芸」と、町域を流れる太田川に由来します。太田川の上流域に沿って形成された町であることを示す地名です。
「アク」は魚や漁業を意味する言葉、「ネ」は岩礁を表すとされ、古くから漁港として栄えた土地であることを示す地名です。平安期には「英袮院」、鎌倉期には「莫祢」と記されました。
浅川町の地名は、町内を流れる浅川に由来すると考えられます。町名は古くからの村名を受け継いで定着しました。
市内を流れる忠別川のアイヌ語名を「チュㇷ゚・ペッ」(日・川)と解し、これを意訳して1890年(明治23年)に「旭川」と命名された。
鰺が多く獲れたことによる説と、古地図の「アシが沢」が転じたとする説があり、いずれとも定まっていない。
芦北町の地名は、古くは「葦北郡」として奈良時代の木簡にも見える古い郡名に由来します。葦の生える低湿地を表す地名と考えられ、漢字表記は時代とともに「葦北」から「芦北」へ変化しました。
芦別市の地名はアイヌ語に由来し、「ハシュペッ(低木の中を流れる川)」または「アシペッ(切り立った川)」を語源とする説がある。
アイヌ語の「エショロ・ペッ」(沿って下る川)に由来するとされ、川沿いの道筋を表す地名が転訛して定着したと考えられています。
海中から熱い温泉が湧き出して海が熱くなったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、転じて「熱海」になったと伝えられます。
アイヌ語の「アツケウシイ」または「アツケシ」に由来するとされ、オヒョウニレの樹皮をはがす場所、あるいは牡蠣の漁場を意味する説があります。
熱田区の地名は、古くは「吾湯市(あゆち)」や「年魚市潟(あゆちがた)」に由来するとされる説が有力です。ほかに、熱田神宮の伝承に結びつく説も伝わっています。
厚別区の地名は、区内を流れる厚別川の名に由来し、その川名はアイヌ語の「アッ・ペッ(樹皮の川)」にさかのぼるとされます。
アイヌ語の「アットマム」(向こうの湿地帯)に由来するとされる地名です。湿地の広がる地形を表した呼び名が転訛して厚真となりました。
穴水町の地名は、平安時代にはすでに見える古い地名で、町の案内では808年に存在が確認されるとされています。由来については、清泉の湧く「穴水」や「穴見津」などの説があり、確定していません。
阿知川の南にある地域として「阿南」と呼ばれるようになり、昭和32年の合併時に町名として採用されました。周辺地域との交流の深さから「ちょう」と読む呼称も定着しました。
「尼崎」は、海に関わる仕事に就く人々を表す「尼」と、海に突き出た場所を表す「崎」から成る地名で、漁民・海民の集落を意味したと考えられています。
阿見町の地名は、古くは「波佐間戸」とも書かれ、霞ヶ浦沿岸の入り組んだ地形や舟着き場に由来すると考えられています。町内の廻戸は「めぐる」意の「廻」と「戸」から成る地名で、地形的特徴をよく表しています。
綾川町の町名は、町名の頭文字「a」と「川」の流れを組み合わせたもので、若々しさと町の由来を重ねた名称です。
綾瀬市の地名は、1889年に成立した高座郡綾瀬村に由来します。由来には、支流が綾のように連なる地形、旧称の綾瀬川、養蚕にちなむ説があります。
区名は、区の北部を流れていた荒川の川名に由来します。現在の荒川区は、1932年に南千住・日暮里・三河島・尾久の4町が合併して成立しました。
有田川町の町名は、町の中央を流れる有田川に由来します。2006年に吉備町・金屋町・清水町が合併して成立し、河川名をそのまま新町名に採用しました。
村名は、島名の「粟島」に由来し、浦は島の港や入り江を表す地名要素と考えられます。文献上は古くから「粟生」とも記され、縄文期からの人の営みがうかがえます。
あわら市の地名は、湿地や悪所を表す「アシハラ(芦原)」に由来するとされます。転じて「あわら」となり、旧芦原町の名を受け継いで市名になりました。
出羽丘陵に発して八郎潟に注ぐ井川の流域を占める町。旧村名も「上井河」「下井河」で、川名との関わりが深い。
岐阜県池田町の地名は、古代の「池田郷」に由来し、池や水田の広がる土地を表したと考えられます。町名は中世以来の地名を受け継いだものです。
近世の村名「池田町村」に由来し、さらに「イケ(水のある所)+タ(場所を示す接尾語)」とみる説があります。千国街道の宿駅として発達した中心地名が町名として受け継がれました。
石狩市の名は、石狩川を指すアイヌ語「イシカラペツ」に由来し、「曲がりくねって流れる川」や「神が美しくつくった川」などの意味を持つとされる。
石巻市の地名は、石が水流に巻かれるように見えた「石巻石」や、「伊寺水門」からの転訛など、港と川にまつわる説が伝わります。
昭和61年の戸塚区分区の際、泉が湧き出るように若い活力を生み出しながら発展するよう願って名付けられました。地名は区内の湧水の多さとも重なり、自然を感じさせる名称です。
仙台市泉区の「泉」は、区名の由来となった泉ヶ岳にちなむとされます。自然に由来する瑞祥的な地名として受け止められています。
泉崎村の地名は、村内にある泉の湧く崎状の地形に由来するとされます。古くから水に恵まれた土地柄を反映した地名です。
古くから清水が湧き出る土地として知られ、泉井上神社の「和泉清水」に由来すると伝えられます。のちに「泉」に好字の「和」を添えた二字佳名として「和泉」と表記されました。
町名は、かつてこの地にあった「板倉村」に由来し、さらに古くは「伊奈良の里」と呼ばれたことにちなむとされます。万葉集に見える「伊奈良の沼」との関連も指摘されています。
旧中山道と石神井川にかかる「板橋」という橋に由来する説が有力です。一方で、台地の端を表す地形由来の説もあり、由来は一つに定まっていません。
市川市の地名は、江戸川が「一の川」と呼ばれたことや、川沿いに市が立ったことに由来するとされます。市内には真間や菅野など、地形を反映した地名も多く残ります。
市川町の地名は、町内の鶴居に伝わる「鶴井」の伝承など、古くからの地名が受け継がれてきたことに由来します。町名そのものは市川流域の地域名として定着しました。
「一ノ堰」が転じた説と、平泉の関所にちなむ説があり、北上川の治水や交通に関わる地名と考えられています。
市原の地名は、古くは「市原郡」「市原郷」として見え、諸説あるものの、養老川の浸食地形や「いちいの繁茂する原野」などに由来するとされます。
糸魚川市の地名は、暴れ川として恐れられた姫川を「厭い川」と呼んだことに由来するという伝説が残ります。現在の市名はこの伝承に基づくとされます。
町名は、町内の泌泉(たぎり)に由来するとされます。古くから生活用水や灌漑用水として利用された水辺の地名が、そのまま町名として定着しました。
地名の由来には諸説あり、古い史料では「いとまむ村」とも表記されました。漁業や海人に関わる語から転じたとする説が有力視されています。
町名は町内を流れる猪名川に由来します。川名は古くからこの地方に住んでいた人物名「あがなが」がなまったものとする説が伝わります。
伊那の地名は、伊那谷一帯を指す古い呼称に由来するとされ、井名・稲・畝などを語源とする諸説があります。市名としては近代以降に定着しました。
地名の由来には諸説あり、良い井戸水が湧く土地を表す説や、茨(いばら)が多い地だったとする説が伝えられています。
昭和30年の合併で成立した町名で、奈良時代の「伊備郷」にさかのぼる「揖斐」に、町内を流れる揖斐川の名を重ねて付けられました。
「指宿」は古くは「湯豊宿(ゆほすき)」と呼ばれた地名がもとで、『和名類聚抄』には「以夫須岐」と記されました。周辺の「湯」の付く小字の多さから、温泉地に由来する地名と考えられています。
今別町の地名は、アイヌ語の「ima-pet(イマ・ペッ)」に由来するとされ、意味は「鮭を取る川」と解釈されます。古い地名が津軽半島北西部に残った例として知られます。
市名は旧射水郡の郡名に由来し、万葉集に見える「伊美豆」「伊美都」といった表記にさかのぼるとされます。語源は「出ずる水」を意味するともいわれ、川口や湧き水を示す地名と考えられています。
伊予市の「伊予」は、古代の伊予国に由来する地名で、温泉や湧水など水に関わる説が知られています。市名は旧国名を受け継いだもので、地域の歴史を今に伝えています。
岩の間から湧き出る泉に由来するとされる地名です。地形と水に結びついた、わかりやすい命名といえます。
紀の川沿いに珍しい形の岩が多く突き出していたことから「岩出」と呼ばれたとされます。もとは「巌出」とも表記され、のちに現在の字に改められました。
岩内町の地名は、アイヌ語の「イワウナイ(硫黄の沢)」に由来する説が有力です。ほかに「山・川」や「軽石の多い川」とする説も伝わります。
岩沼市の地名は、鵜ヶ崎城(岩沼城)が岩質の地形と沼に囲まれていたことに由来するとされます。古くは「武隈」とも呼ばれ、地形と城下町の歴史が重なって現在の名が定着しました。
岩見沢の地名は、開拓使が設けた休泊所で人々が「湯浴み」をしたことから生まれた「浴澤(ゆあみさわ)」が転化した和名由来の地名とされる。
魚沼の地名は、かつてこの一帯に広がっていた大きな沼地や湖沼を表す「大沼」に由来するという説が有力です。のちに「大」が音変化や表記変化を経て「魚」に転じたと考えられています。
牛久市の地名は、牛久沼に由来する説が有力で、沼の性質や伝説に結びつけて説明されます。アイヌ語由来説など諸説ありますが、古くから定着した地名です。
宇陀の地名は、古くは菟田・宇太・宇田などとも書かれ、境界や端を表す語に由来するとされます。水の神を祀る宇太水分神社や河川流域との関わりから、水辺の土地名としても解釈されています。
歌志内市の地名は、アイヌ語の「ペンケウタシュナイ」に由来し、「砂のたくさんある沢」を意味するとされる。
アイヌ語の「ウライウシナイ(梁のある川)」、または「ウラシナイ(笹川)」に由来するとされる地名です。いずれも川の様子を表した説で、諸説あります。
浦河町の地名は、アイヌ語の「ウラㇻペッ(urar-pet)」(霧・川)に由来する説が有力で、霧深い川を表したと考えられています。ほかに「ウララペツ」「ウラカ」などの異説も伝わります。
浦和の地名は、川や海辺の曲がりくねった「浦」から転じたとする説が有力です。縄文期から人が住み、江戸期には宿場町として発展しました。
雨竜町の地名は、雨竜川の名に由来し、アイヌ語の「ウリロペツ」(鵜の多い川)などから転訛したとされます。川辺に鵜が多くいたことにちなむと伝えられています。
「嬉野」の地名は鎌倉時代に「宇礼志野」として初出し、万葉語で端・末端を意味する「末(うれ)」に助詞「し」と「野」を組み合わせた地名が語源とされる。
区名は東端を流れる江戸川にちなみます。江戸川は「江戸に通ずる川」という意味で、さらに江戸は入江の門戸を表す地形由来とされます。
江別の地名は、アイヌ語の「ユベオツ(サメのいる川)」や「イブツ(大事な場所への入口)」に由来するとされる。
アイヌ語の「ウイェペッ(u-ye-pet)」に由来し、「相・話する・川」を意味するとされます。天塩山中のアイヌが海浜のアイヌと語り合った川の名が、町名のもとになりました。
2006年に下田町と百石町が合併して誕生した町で、町名は町域を流れる奥入瀬川に由来する。
王滝村の地名は、もとは「大滝」と書かれ、王滝川に由来するとされます。後白河法皇の「皇」の字から「王」を取ったという伝説も伝わっています。
雄武町の地名は、アイヌ語の「オムイ」(河口が塞がる)に由来し、雄武川河口の波風の強さを表したものとされています。
大洗町の地名は、鬼洗い・鬼儺いに由来する説や、大きな波に海岸が洗われる様子にちなむ説が伝わります。大洗磯前神社周辺の呼称が広がり、現在の町名として定着したとされます。
町名は、相模湾に面した大きな磯を意味する「大磯」に由来すると考えられています。古くから東海道の宿場町として知られ、地名も海岸地形と結びついて定着しました。
古くは「大柿」とも書かれ、洪水に悩まされた地で大きな堤防や垣を築いたことに由来すると考えられています。
村名は、かつて八郎潟が「大方(おおがた)」と呼ばれたことに由来するとされます。公募で選ばれ、干拓地の新しい村名として定着しました。
大川市の名は、筑後川という九州随一の大河や、その河口の「大川口」に由来すると伝えられています。明治22年の町村合併で大川町が成立し、のちに市制施行で現在の市名となりました。
大川村の地名は、村内を流れる大川に由来すると考えられます。高知県内の地名辞典でも「大川村」として掲載され、河川名を基にした地名とみられます。
町名は、白石川流域の広い河原を意味する「大河原」に由来すると考えられます。地形を表す古い呼び名が、そのまま町名として定着したものです。
市名は旧来の地名「狭山」に由来し、狭山池や狭山丘陵にちなむと考えられます。明治期の狭山村・狭山町を経て、1987年の市制施行時に大阪狭山市へ改称されました。
「大多喜」は、古くは「大滝」「大瀧」とも書かれ、川の流れが急で大きな滝のように見える地形に由来するとされます。城下町として発達した大多喜町の中心地名として定着しました。
古語で「港」を意味する「津」に「大きな・主要な」を表す「大」を冠した地名で、琵琶湖の主要な港として栄えたことに由来する。
大槌町の地名は、アイヌ語由来とされる説が有力で、「オオ・シツ・ウツ・ベツ」が訛ったものと考えられています。町内の大槌川・小鎚川に伝わる鬼打ち伝説も、地名の由来として語られています。
大船渡市の地名は、「大きな船着場」を意味するとされ、港としての性格をよく表しています。海に開けた地形と、船の出入りが盛んな土地柄に由来する地名です。
「おおまち」の地名は諸説あり、干潟「大沼(おおぬま)」の縁を走る道「大沼路」が転訛したとも、広大な水田「大田」に由来するとも、聖岳の修験者が集った「待会」に由来するとも伝わる。
大間町の地名は「大きな澗(ま)=港」に由来し、津軽海峡に面した良港を意味する言葉から生まれたとされる。
町名は、下渕の「淀」と初代村長・大北作次郎の「大」を合わせたとする説が有力です。万葉集の「大川淀」に由来するという説も伝わります。
小川町の町名は、近世の小川村を明治22年の町制施行時に引き継いだものです。「小川」の語義そのものを説明する一次資料は確認されておらず、小さな川に由来するとの解釈が通説的に語られています。
「多摩」の奥にある山間部を示す地名で、東京府下の多摩地域の上流・山地側を表す呼称として定着しました。大正末期に「奥多摩」という名称が生まれ、観光地名としても広まりました。
地名は「沖側(おきがわ)」や「起き川(おきがわ)」に由来するという説があり、広々とした田畑や川の水源地を表したと考えられています。由来には諸説ありますが、いずれも地形や水に関わる説が有力です。
アイヌ語の「オケトゥウンナイ」に由来し、「川尻に獣皮を乾かす張り枠のある川」を意味するとされます。緑川の呼び名が転訛して地名になったと伝えられます。
アイヌ語の「オウコッペ」に由来し、「川尻の合流しているところ」を意味するとされます。興部川と藻興部川が合流して海に注いでいた地形が名前の背景です。
忍野村は、1872年に忍草村と内野村が合併して成立した合成地名です。忍草の「忍」は、もとは湿地を表す「しぶ」系の語に由来するとされます。
アイヌ語の「オサマㇺペッ」に由来し、「川尻が横になっている川」と解される説が有力です。ほかに「ヒラメのいるところ」などの説も伝わります。
小樽の地名はアイヌ語の「オタ・オル・ナイ(砂浜の中の川)」または「オタルナイ」に由来するとされ、砂浜を流れる川を意味する地形由来の名称と考えられている。
越知町の地名は、旧名の「霧深川(きりみがわ)」から改称されたとされ、川沿いの地形や霧の立ちやすい環境が背景にあると考えられます。
小千谷市の地名は、古代の「千屋郷」に由来する説が有力で、そこにある小さな集落や低湿地を表す語が転じたとも考えられています。
アイヌ語の「オトイネㇷ゚」に由来し、川口の泥で濁った川、または川尻が泥んこである川を意味するとされます。音威子府川が天塩川に合流する地点の地形にちなむ地名です。
アイヌ語の「オトプケ(otop-ke)」に由来し、「毛髪が生ずるところ」を意味するとされます。音更川や然別川の支流が多く流れる土地柄に結びつけて説明されます。
アイヌ語の「オトウンペ」または「オトペ」に由来し、川尻に沼がある場所を表した地名が転化したとされています。町内を流れる川は現在、姫川と呼ばれています。
女川町の地名は、黒森山麓の安野平から流れ出る小川に由来するとされます。前九年の役の際に婦女子を避難させた伝承が結びつき、命を守る場所の記憶を帯びた名と伝えられています。
小浜市の地名は、南川・北川の河口近くにできた海浜の小集落に由来するとされ、中世にはすでに「小浜」の名が見えます。小さな浜辺を意味する地形由来の地名と考えられます。
帯広の地名は、アイヌ語の「オペレペレケプ(川尻がいくつにも裂けているところ)」に由来するとされ、後に「オベリベリ」が転じて現在の「帯広」になった。
アイヌ語の「o-pira-us-pet(河口に崖のある川)」に由来するとされ、小平蘂川河口北岸の丘を指した地名です。
小矢部川の名に由来し、さらにその川名は上流の小矢部村や「小さな谷部」を意味する地名にさかのぼると考えられています。
鏡沼にまつわる伝説から「鏡石」の名が生まれたとされます。町名は、沼の鏡のような景観や悲恋の物語に由来する地名として伝えられています。
町名は合併時に新たに定められたもので、古くからの「香々美(かがみ)」に由来すると考えられています。鏡を作る鏡作部伝説と、川上を意味する「香美(かがみ)」の転訛説があり、由来は確定していません。
市名は市内を流れる逆川の古名「懸川」に由来するとされ、川の流れや崖地形を表した地名と考えられています。由来には複数説があり、古くから東海道の宿駅として記録されています。
加古川市の名は市域を貫く加古川に由来し、その川名は古代の郡名「賀古(加古)」にさかのぼります。郡名については『播磨国風土記』が丘の姿を鹿児(かこ)に見立てた説話を伝えますが、水夫(かこ)説など諸説があり、語義は定まっていません。
鹿嶋市の地名は、船をつなぐ杭を意味する「カシ」と、周囲を水に囲まれた「シマ」からなるとする説が有力です。鹿島神宮のある聖地としての性格や、海・河口に近い地理条件とも結びつけて説明されています。
嘉島町の地名は、古くは「加島」とも書かれ、嘉島の「嘉」はめでたい意を持つ当て字と考えられます。町域は熊本平野南縁の沖積地にあり、水辺の地形と結びついた地名です。
柏市の地名は、手賀沼の河岸場「かしば」が転じた説と、カシワの木が多かったことに由来する説があり、正確な起源は未詳です。
春日部の地名由来は定説がなく、御名代部に由来する説と、川沿いの地形に由来する説が知られています。春日部氏起源説は成り立たないとされています。
市名は霞ヶ浦にちなみ、湖の名を受けた地名です。霞ヶ浦自体は古くからの地名で、周辺の水辺景観や船運と結びついた名称と考えられています。
『日本三代実録』に見える古地名「方上」に由来し、「方」は潟、八郎潟に面した上手の地を指す。
片品村の地名は、村内を流れる片品川に由来すると考えられています。川名の由来は諸説ありますが、地域の地形や水系と深く結びついた地名です。
町名は町内を西北に流れる勝浦川に由来し、川の名を受けて成立した地名です。勝浦川流域の山あいに広がる町として知られます。
米代川と支流の小坂川が盆地北部で交わる形が鹿の角に似ることによるといわれる地名。古くは「上津野」と書いた。
門真市の地名は、低湿地を表す「門間(かどま)」や「潟沼(かたぬま)」に由来するという説があり、室町時代末期には現在の名が使われていました。
市名は香取神宮の門前町として知られる「香取」に由来し、古くは『万葉集』にも「香取海」と見える地名です。語源には諸説ありますが、神社名と結びついた地名として定着しました。
神奈川区の地名は、古くは現在の区域にあった「神奈河」や「神奈川宿」に由来します。県名の由来にもなった歴史ある地名で、陸海交通の要衝として知られてきました。
山科の農民・藤五郎が芋を洗った沢から砂金が出たという伝説に由来し、「金洗いの沢」が「金沢」へと転じたとされる。室町時代後期の史料に文献初出がある。
海辺に柳が茂り、多くの蟹が生息していたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられます。初出は1215年の文献とされます。
鹿沼市の地名は、古くは「鹿沼宿」などと記され、周辺に沼地が広がる土地に由来すると考えられています。市名の由来は諸説ありますが、地形に関わる名とみられます。
河北町は、最上川流域の「河北」に由来し、川の北側に位置することを示す地名と考えられます。町名は地理的な方角を表す呼び名として定着しました。
「上勝」は勝浦川上流の地域を表す地名で、勝浦郡の「上」に位置することに由来すると考えられます。町内の「傍示」は、町村の小区画や新しい地区を指す語として伝わっています。
石狩川の川上にあることを表す意訳地名で、アイヌ語の「ペニウンクㇽコタン」に由来するとされます。開拓期に現在地へ改称され、郷土を示す名称として定着しました。
神河町の町名は、2005年の合併時に旧神崎町の「神」と越知川・市川流域の「河」を合わせて名付けられたとされます。
町名は神流川(かんながわ)にちなむとされ、1954年の合併時に住民投票で新たに命名されました。周辺には金鑽神社など、神流川流域の歴史と結びつく地名・信仰が残ります。
北山川上流域にあることから「北山」と呼ばれ、江戸時代の北山上組にちなむ村名です。紀州本領の北に位置する地理的な呼称がもとになりました。
小阿仁川の上流域を占めることによる村名。「阿仁」は房住山の高倉長者の娘婿「阿仁殿」の名によるという伝承がある。
香美市の「香美」は、古くは「鏡」とも書かれた地名に由来し、物部川の清流や美しい景観を鏡にたとえた説が伝わります。奈良・平安期の表記変化を経て、現在の市名として定着しました。
上士幌町は、士幌の上流に位置することから「上士幌」と名付けられました。もとの「士幌」はアイヌ語由来とされ、広大な土地や急流を表す説があります。
神之池と息栖神社に由来し、地域の水辺の歴史を映して名づけられた市名です。旧神栖村の成立を経て、現在の神栖市へと受け継がれました。
砂川の上流に位置することから「上砂川」と名づけられた町です。母町の砂川はアイヌ語由来で、川の上流側を示す地名として成立しました。
上富田町は、富田川の上流側に位置することから「上富田」と名づけられました。旧富田村を上・下に分けた呼称に由来する、新しい行政地名です。
上三川町の地名は、河内郡内の三川郷に由来する説と、鬼怒川・江川・田川の三つの川にちなむ説があります。いずれも水辺の地形と深く結びついた地名です。
江戸時代に山口県内へ置かれた三つの海の関所のうち、都に近い側の「上関」に由来するとされます。かつては「竈戸関」とも呼ばれ、海上交通の要衝として発展しました。
上富良野町の地名は、アイヌ語の「フラヌイ」に由来する富良野に、富良野川の上流にあることを示す「上」を付けたものです。十勝岳周辺の硫黄臭や噴気にちなむとされます。
アイヌ語の「カムイ・ナイ」に由来し、「神の沢」「美しい神の沢」を意味するとされます。地形が険しく、人が近づきがたい神秘的な沢を表した地名です。
市名は、市域を流れる加茂川に由来し、旧地名の「加茂」や『倭名類聚抄』にみえる加茂郷との関連も指摘されています。明治22年の町村合併時に、史的所伝を踏まえて鴨川町と名付けられました。
軽井沢町の地名は、古くは「かるいさわ」と呼ばれ、由来には「軽石沢」「枯井沢」「凍り沢」など複数の説があります。いずれも決め手に欠け、現在も定説はありません。
大和川と曽我川の合流地に位置することから、川が合う地として「河合」と呼ばれるようになったと考えられます。町内の川合地区名にも、その地形由来の名残が見られます。
阿武隈高地を流れる川に沿う集落に由来し、古くは「川内」と呼ばれました。明治22年に上川内村と下川内村が合併して現在の村名になりました。
千曲川の最上流部に位置することから、「川の上」にある村として名づけられた地名です。山間の高地にある村の立地をそのまま表した名称と考えられます。
村名は文字通り「川の上流」を意味し、吉野川の最上流に位置することに由来します。古くは「川の辺(ほとり)」の意味も含むとされます。
手取川の北側に位置することから「川北」と名づけられた町名で、町域の立地をそのまま表した地名です。
川口市の地名は、荒川と芝川の合流点に由来する「川口」から来たとされます。もとは「小川口」とも記され、川の合流地を示す地名です。
川越市の地名は、入間川を越える土地を表す「河越」や、氾濫で肥沃になった土地を表す「河肥」に由来するという説があります。中世には河越氏の名で知られ、のちに「川越」と表記されました。
朝明川の北と南の村々が合併し、文字どおり「川を越えて」一つの村になったことから「川越」と名づけられました。
川崎区の地名は、多摩川河口のデルタ地帯に由来し、「川の先」や「川のほとり」を表すと考えられています。中世には「河崎荘」とも見え、のちに「川崎」と表記されました。
川崎市の地名は、多摩川河口近くのデルタ地帯に由来し、「川の先」または「川のほとり」を意味すると考えられています。中世の「河崎荘」にさかのぼる古い地名です。
荒川・入間川・越辺川などに囲まれた低地にあることから、川の中の島を意味する地名と考えられます。古くは川島郷の遺称地ともされ、河川に囲まれた地形が名の由来です。
「川棚」の地名は、町内を流れる川棚川に由来するとされる。川沿いに広がる棚状の段丘地形を表した地名と考えられている。
町名は、昭和30年(1955)に生板・源清田・長竿の3村が合併して成立し、のちに金江津村を加えて旧4か村となった河内村に由来します。利根川と新利根川に挟まれた水郷・低地の地域性を背景にした地名です。
川西市の地名は、古くは雀部朝臣が原野を開墾したという説や、猪名川流域の西側に位置することに由来する説が伝わります。市名は地理的な位置を表す地名として定着しました。
寺川の西側に位置することから「川西」と呼ばれ、合併時にその名が町名として採用されました。寺川の東側の川東村に対する呼称でもあります。
町名は、松川の西岸に位置することから「川西」と呼ばれたことに由来します。周辺では鬼面川の西側を指す地名としても用いられていました。
町名は、旧来の「川根」と合併時の「本町」を組み合わせたものです。地名「川根」は、大井川の湾曲地にある階段状の地形や砂礫地に由来すると考えられています。
村名は、村内を流れる薄根川に由来するとされます。川のほとりに開けた土地であることを表す地名で、自然豊かな山村の景観とも結びついています。
地名は約1300年前の「川辺郷」にさかのぼり、川のほとりを意味する「川辺」に由来します。飛騨川沿いの立地を反映した地名で、鎌倉時代には「川辺庄」とも呼ばれました。
川俣町の地名は、町内を流れる川と、その合流・分岐に由来する「川俣」の地形的な呼び名に基づくと考えられています。古くから絹織物の町として知られ、地名も地域の歴史とともに定着しました。
川南町の地名は、町の北側を流れる名貫川の南側に位置することに由来するとされる。河川を基準に方角を表した地名である。
川本町の町名は、町内を流れる江の川の支流域に位置し、「川」と「本(もと)」の地勢を表したものと考えられます。町章も「川」と「水」をかたどっており、水とともにある土地柄を示しています。
香春町の地名は、古代文献に見える「香春(加波流)」に由来し、川原の意味を表す当て字とされます。古代朝鮮語に語源を求める説もあり、複数の表記が伝わっています。
苅田町の地名は、かつて「カタ」とも呼ばれたことから、潟(内湾)に由来するという説が有力です。表記は「苅田」ですが、読みは「かんだ」で定着しています。
町名は町内を流れる神流川に由来します。神流川の名を受け継いだ地名で、清流と山あいの地形を背景に定着しました。
市名は市内を流れる菊川に由来します。前身に同名の菊川町がありましたが、2005年の小笠町との合併では公募を経て「菊川市」が選ばれ、その選定理由は名の元として旧町名を挙げず、川の名「菊川」から取った名前と説明しています。
菊池市の地名は、古くは『菊池』を『久々知』と訓じた記録があり、のちに菊池氏の本拠地として定着しました。市名は中世以来の歴史と、菊池川流域の地域名に由来します。
アイヌ語の「リコナイ」または「リㇼオナイ」に由来し、「登る沢」や「潮の差し入る川」を意味するとされます。川や海の流れに関わる地形を表した地名です。
「きさらぎのつ」が転じたとする説があり、月の名「きさらぎ」と港を表す「津」に由来すると伝えられます。ほかにも「城の津」など複数の説がある地名です。
木曽岬町の地名は、木曽川河口東岸の岬状の地形に由来すると考えられます。木曽川に面した土地の形を表した呼び名が、そのまま町名として定着しました。
木曽町の「木曽」は、木曽川流域の地名に由来し、「生麻(きそ)」や「着麻(きそ)」など麻に関わる語から生まれたとする説が知られています。町名は、地域を代表する木曽の名を受け継いだものです。
木曽川の源流域に位置することから、「木曽の祖なり」の意味を込めて名付けられたとされます。1889年の合併時に、藪原村・小木曽村・菅村を合わせて新たに村名が定められました。
北上市の地名は、北上川に面した地勢に由来すると考えられます。市名は合併で成立した新しい自治体名ですが、地域の中心を流れる川の名が基盤になっています。
木材を集めて積む場所を意味する方言「コツム」に由来し、川へ流した材木の集積地を表した地名とされます。
北山村の名は、村域が北山川流域の山間部にあることに由来すると考えられます。明治期に和歌山県へ編入され、現在は日本唯一の飛び地の村として知られます。
木津川市の地名は、古代に木材の陸揚げ港として栄えた「木津」に由来し、市名は市域を流れる木津川にちなみます。2007年に木津町・加茂町・山城町の合併で誕生しました。
市名は市内を流れる紀の川に由来し、さらにその名は「紀伊国を流れる川」などの意味で理解されています。上流では吉野川と呼ばれる同じ川の下流域名を市名に採ったものです。
喜茂別町の地名は、アイヌ語の「キㇺオペッ(kim-o-pet)」に由来し、「山奥にある川」を意味するとされます。ほかに「キㇺウンペッ(kim-un-pet)」に由来する説もあります。
村名は、丹沢山地の清らかな川が流れる土地柄を表したものとされます。村の公式案内でも、清い川が渓谷美をつくる地として紹介されています。
旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせた地名とされます。あわせて、ヤマトタケルが「清き土なり」と言ったという清戸の伝説も伝わります。
町名は西側に広がる錦江湾(鹿児島湾)に由来し、公募で決定されました。2005年に大根占町と田代町が対等合併して発足した町名です。
草津町の地名は、草津温泉の強い硫黄臭を表す「くさみず」「くそうづ」に由来するとされます。古くは「草生津」「九相津」などとも書かれ、臭い湯の湧く土地を示したと考えられています。
久慈市の地名は、南北朝期から郡名として見られ、海食でえぐられて崩れた地形や、河口の船着場を表す語に由来するという説があります。
九十九里町は、町名が九十九里浜の名に由来するとされます。九十九里浜の長大な海岸線を背景に、合併時の新命名として定着しました。
釧路の地名はアイヌ語に由来するとされ、「クスリ」「クシュル」「クッチャロ」など複数の語源説が伝わる。現在の漢字表記「釧路」は明治期に定められた。
アイヌ語の「クッサンイ(kut-san-i)」に由来し、「くだのようなところを流れ出るところ」を意味するとされます。のちに倶登山川の旧名「クッシャニ」などを経て、現在の地名表記が定着しました。
昭和29年の合併で、球磨郡の渡村・一勝地村・神瀬村が一つになって成立しました。村名は、住民生活と深く結びつく球磨川や郡名の「球磨」に由来します。
久留米市の地名は、古くから流れていた川の名「久留米川」に由来するとされます。市名は1889年の市制施行で成立し、筑後川流域の要地として発展しました。
町名は、太平洋を流れる黒潮にちなむとされ、海に面した町の性格を端的に表しています。平成の合併で誕生した新しい行政地名です。
村名は、この地を潤す清澄な水の流れにちなむといわれます。奈良県中央部の山深い渓谷地帯にあることから、自然景観を映した地名と考えられています。
アイヌ語の「クル・マツ・ナイ」(和人の女のいる沢)に由来するとされ、出稼ぎの漁夫を慕って来た妻たちが滞留したという伝承が残ります。
アイヌ語の「クンネプ」に由来し、「黒いところ」や「水が黒く見える場所」を意味するとされます。湿地の多い地形や、やち川の水の色にちなむ地名です。
町内を流れる泉河内川が、かつて桂川(かつらがわ)と呼ばれていたことに由来するとされます。川の名を受け継いだ地名で、難読ながら自然由来の町名です。
気仙沼の地名は、湾の形や港としての性格に由来すると考えられています。古くから良港として発達し、海とともに歩んだ土地柄を反映した名称です。
「玄海」の地名は、日本海の入り海にあたる玄界灘(玄海灘)の別称「玄海」に由来し、この灘に面した位置を表す地名。
剣淵町の地名は、アイヌ語の「ケネペッ」や「ケネペップトゥ」などに由来し、ハンノキの生えていた川やその川口を表すと考えられています。
広田川にちなむ「広田」から、鉄道駅名に合わせて「幸田」へ改称したのが由来です。のちに町名は「こうだ」から「こうた」へ読みが改められました。
「高知」の地名は「河中山城(こうちやまじょう)」に由来し、水害への恐れから「河中」の字を避けて「高智」と改め、さらに「高知」と表記された。川に囲まれた地形と水害の歴史が名前に刻まれている。
江津市の地名は、江の津、すなわち川の河口や船着き場を意味する「江津」に由来すると考えられます。古くから港や河川交通と結びついた地名です。
江東区の区名は、隅田川の東に位置する地理的意味から選ばれました。江は深川、東は城東を含む意もあり、古くから広く東部一帯を指す呼称でもありました。
木曽川を中国の長江に見立て、その南側に位置することから「江南」と名付けられました。1954年の合併時に新たに採用された市名です。
町内を流れる複数の河川が合流して「府(中心)」をなす場所であることから名付けられたとされます。
「江北」の地名は、有明海に注ぐ六角川(「江」)の北側(「北」)に位置することから命名された地形・方角由来の地名。
八ヶ岳の水蒸気爆発でせき止められてできた湖に由来し、残った相木湖を「小さい海」と見立てて名付けられたと伝わります。
古代の倭名抄に見える甲良郷に由来し、もとは「カハラ」と読まれたとされます。犬上川沿いの川原を表す地名が転じたものです。
市名は花鶴川の流域にあった古賀村の名を受け継いだものです。「コガ」の語義には入江を指す「江河」説、陸地を指す「クガ」説、国衙説などがあり、定説はありません。
「こが」の語源には、未開地を意味する「空閑(くが)」の転訛、草原を意味する「カガ」の転訛、水辺で船をさおさすことを表す「滸找」など諸説あり、確定していません。
五ヶ瀬町の名称は町を流れる五ヶ瀬川に由来し、清く美しい川のように町が発展することへの願いが込められている。
小金井市の地名は、豊富な湧水を「黄金に値する」と見立てた「黄金井(こがねい)」に由来する説が有力です。ほかに、崖沿いの湧水を表す語から転じたとする説もあります。
近世の主要村落を「五ヶ村」と呼んだことや、霞堤に由来する通称が転じて「五霞」となったとされます。水害と築堤の歴史を背景に生まれた地名です。
浜名湖の西岸に位置することから「湖西」と名づけられた市名です。1955年の町制施行時に湖西町となり、1972年の市制施行で湖西市となりました。
古座川町の町名は、町内を流れる古座川に由来します。古座川の名は、古くは「神座(かみくら)」の転とも考えられ、神を祀る山や川に結びつく地名と伝えられます。
古くは「越ヶ谷」「腰ヶ谷」などと表記され、自然堤防上の土地や地形に由来する地名と考えられています。江戸期の越ヶ谷郷・越ヶ谷町を経て、現在の越谷市名に定着しました。
明治24年の駅逓所設置の際、ポンヤンベツ川付近の湧き水を「小さな清水」と意訳して名付けたことに由来します。アイヌ語の地名を和訳した説も伝わります。
岩木川が屈曲して五か所に川原ができたことによる名とされるが、御神体の漂着伝承から「御所川原」が転じたとする説も伝わる。
御所市の地名は、葛城川の瀬に由来する説や、孝昭天皇の御諸(みむろ)が転じたとする説などが伝わります。いずれも古代の地形や信仰と結びついた由来と考えられています。
五泉市の地名は、豊富な湧水や川に由来するという説が有力です。『五つの泉』や『五川』から転じたとされ、水に恵まれた土地柄をよく表しています。
町名は、東伯郡内の海岸部に広がる「琴の浦」に由来するとされます。美しい響きを持つ地名で、海と山に抱かれた町の景観を象徴しています。
市名は琵琶湖南側の広域地名「湖南」に由来し、滋賀県南部の地域名として定着したものです。2004年の合併で市制施行の際に採用されました。
西海市の名称は、合併前から存在した西海町の名を継承したもので、「西の海」に面する地域の地理的特徴に由来する。
寒河江市の地名は、寒川からの移住者が故郷に似た地形を見て呼んだ説や、大江広元が「寒い河」に「江」を添えて名付けた説などが伝わります。
『肥前国風土記』は「佐賀」の起源として、日本武尊が楠の繁茂を見て「栄の国」と呼んだ説と、佐嘉川の荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ説の2つを伝える。ほかに坂・逆・洲処の転訛説もある。
酒田市の地名は、古くは「砂潟」「坂田」とも書かれ、砂地の干潟や狭い潟、傾斜地の田などを表す地形由来と考えられています。後に好字として「酒田」の字が当てられました。
柳瀬川など町内の川が北へ流れ他と逆であることから「サカガワ(逆川)」が転じたとする説と、「狭い谷間の川」を意味する「サカハ(狭川)」に由来するとする説があります。
「桜の井」と呼ばれた井戸に由来する説があり、地形にちなむとする見方もあります。市の紹介では、履中天皇の稚桜の説話とも結び付けて説明されています。
市名は、市域を流れる桜川に由来します。合併で誕生した市で、桜の名所として知られる地域性も地名に反映されています。
村名は村内を流れる鮭川に由来し、サケが多く上る川として名づけられたと考えられています。村内には鮭にまつわる史跡や食文化が残り、地域の象徴となっています。
「佐々(さざ)」の地名は中世には既に存在するが由来は諸説あり、笹(竹の一種)が繁生していた地形説や、川の砂浜を表す「砂々(すなすな)」が変化した説などがある。
アイヌ語「サッ・ポロ・ペッ(乾いた大きな川)」または「サリ・ポロ・ペッ(葦原の大きな川)」に由来する。明治期に北海道開拓の拠点として発展した。
「川内」は川内川と高城川の内側にある低地を表す地名で、洪水の多い川の内側の土地を示すとされます。2004年の合併で薩摩川内市となりました。
川水が集まる湿地を意味する「沢田(さわた)」に由来すると考えられています。「雑太(さはた)」は沢田の当て字で、これに「佐渡」の字が当てられ「さど」の読みに変わったとされます。
鯖江の地名は、鯖の尾に似た「佐婆矢」から転じたという伝承や、「鯖」と「深江」の「江」を取ったとする説が伝わります。
様似町の地名はアイヌ語に由来し、サンマウニ(寄木の多い所)やエサマンベツ(カワウソのいる川)など諸説あります。
寒川神社に由来する地名とされ、古くは『和名抄』に高座郡寒川郷の名が見えます。水の冷たい川を表す説や古代朝鮮語に由来する説もあります。
鮫川村の地名は、村を流れる鮫川と、その源流域に伝わる鮫池伝説に由来するとされます。池の主である黄金の鮫が娘に化身したという民話が、村名の背景として語り継がれています。
更別村の地名は、アイヌ語の「サㇻペッ」に由来し、「葦原の川」「葦や茅が生い茂るところ」を意味するとされています。開拓以前の流域が湿地と草原に覆われていた自然環境を反映した地名です。
猿払村の地名は、アイヌ語の「サロプト」「サラブツ」などが転化したもので、「葦原の河口」「カヤの生えた河口」を意味するとされます。
アイヌ語の「サㇻオマト(葦原にある沼)」に由来し、転訛して「サロマ」となった地名を、1915年に佐呂間村として和文表記に改めたものです。
町名は「酒の井」伝説に由来するとされ、孝行息子が井戸から酒を汲んだという話が広く伝わります。ほかに「洒々井」や「出水」からの転訛とみる説も紹介されています。
中世には「滴石」と呼ばれ、川底に石が多い地形を表す「沈く石」に由来する説と、雫石神社の湧き水「たんたん」にちなむ説があります。
設楽の地名は、清流が滴る様子を表す「したたる」に由来するという説や、古くは『之多良』と記されたことに由来する説が伝わります。語源は確定していませんが、山間の地形や水の豊かさと結びつけて考えられています。
七ヶ浜町の地名は、平安時代にこの一帯を総称した「松ヶ浦島」に由来するとされます。町内の七つの浜を連想させる現在の名は、海岸地形と古い呼称の結びつきから生まれたと考えられています。
渋谷の地名には、塩谷が転じた説、渋谷重家に由来する説、渋色の川や谷地形にちなむ説など複数あり、定説はありません。
標茶町の地名は、アイヌ語の「シペッチャ」(大きな川のほとり)に由来するとされます。釧路川などの大河川に囲まれた土地柄をよく表した名前です。
士別の地名は、アイヌ語の「シペッ(大いなる川)」に由来し、天塩川の豊かな流れを表した名称とされる。
アイヌ語の「シ・ベツ(大きい川)」に由来し、明治2年に標津の漢字が当てられました。
蘂取村の地名は、アイヌ語の「シベトロ(大きな川の処)」に由来するとされます。村域を流れる蘂取川と、その河口付近の地形を表した名です。
明治22年の町村制施行で成立した島本村に由来します。『大阪府全志』は、その地が島上郡における河水の上流に位置することから、その意を採って名付けられたと記しています。
四万十市の地名は、中心を流れる四万十川の名に由来します。四万十川の語源自体は諸説あり、定説はまだありません。
四万十町の町名は、町内を流れる四万十川に由来します。四万十川の名は、流域の地名や川名の変遷を経て定着したと考えられています。
清水区の地名は、良質な清水が湧き出した井戸に由来すると伝えられます。チャンチャン井戸の伝承が広く知られ、地名の起源として語られています。
アイヌ語で「清澄な川」を意味する語の意訳に由来し、駅逓名から町名へと定着しました。昭和期に清水村から清水町へ改称・町制施行されています。
町名は「湧水地」を意味する清水に由来し、柿田川をはじめとする豊かな湧水で知られます。地名は明治22年の清水村成立を経て、昭和38年の町制施行で清水町となりました。
占冠村の地名は、アイヌ語の「シムカㇷ゚(si-mukap)」に由来し、「鵡川の源流」を表すとされます。村公式には別説もありますが、いずれも鵡川上流の地勢と結びついた名です。
アイヌ語の「パンケヌカナン(下流側のヌカナン川)」を意訳した地名で、町内を流れる川沿いの呼び名に由来します。
アイヌ語の「シャン・ナイ」(下る川)に由来するとされる地名です。択捉島中部の中心地として知られました。
常総市の地名は、旧水海道の「水」と水運・集落を示す「海道(カイト)」に由来すると考えられています。鬼怒川と小貝川に挟まれた水辺の地形が、名の背景にあるとされます。
アイヌ語の「ソエサンペッ(so-e-san-pet)」に由来し、「滝が・そこで・流れ出ている・川」を意味するとされます。別説に「シシャモ・川」を意味する説もあります。
白老町の地名は、アイヌ語の「シラウオイ(siraw-o-i)」に由来し、「虻の多いところ」を意味するとされます。ほかに「潮汐多きところ」とする説もあります。
白河市の地名は、白河の関近くを流れる小川の「白川」に由来するとされます。ほかにアイヌ語起源説もあり、古代から交通の要衝として知られる土地柄を反映しています。
白川町の地名は、町内を流れる白川に由来すると考えられます。川の水が濁って白く見えたことや、大白川という川名との関係が示されています。
白川村の地名は「白い川」を意味し、庄川の水が白く濁って見えることに由来するとされます。白山由来の温泉成分や川の水色に着目した説が伝えられています。
白糠町の地名は、アイヌ語のシラリ(磯)とカ(上)に由来し、波が磯を越えてしぶきが立つ岩磯のほとりを表すとされます。白糠漁港付近の岩磯地帯を見て名付けられたという説が有力です。
白浜町の地名は、白い砂浜の景観に由来するとされます。古くは白良浜とも書かれ、白い砂が雪のように見えることから名づけられたという説が有力です。
白井市の地名は、古くからの「白井郷」に由来すると考えられます。泉の豊かさや水の清らかさ、谷津田開発に関わる説も伝わります。
古代の木簡に「温泉郷」と見えることから、温泉が湧き出る土地にちなむ地名と考えられます。2005年に浜坂町と温泉町が合併して新温泉町となりました。
新篠津村の名称は、明治29年に篠津村(現在の江別市篠津地区)から分村して成立した新しい村であることに由来する。「篠津」はアイヌ語に由来するとされ、川や湿地の地形を表した地名と考えられている。
「次田(すきた)」が音変化して「すいた」となり、のちに「吹田」の字が当てられたと考えられています。湿地や水田に由来する説も伝わります。
須賀川市の地名は、川洲が堆積した川辺を表す「スカ(洲処)カハ(川)」に由来するとされます。南北朝時代から見える古い地名です。
杉戸町の地名は、杉の木が茂る渡し場や「杉津」「杉渡」に由来するとされ、古利根川の渡場・宿場として発達した歴史を持ちます。
市史は、枯れた葦を古代の人々が「すくも」と呼んだことに由来するとの見方を最も妥当としています。松田川河口の沖積平野は、かつて一面に葦の茂る湿地でした。
太平洋の荒れすさぶ海にちなみ、「すさぶうみ」が転じた地名とされます。旧称の周参見は当て字で、海の荒々しさを表す語感が由来です。
アイヌ語の「シュプキペツ(茅の多い川)」が転訛した地名で、町内を流れる朱太川に由来するとされます。
砂川市の地名は、アイヌ語「オタウシナイ(砂の多い川)」を和訳したことに由来する。
昭和22年の本所区と向島区の合併時に新たに命名された区名で、隅田川堤の通称「墨堤」の「墨」と「隅田川」の「田」を取ったものです。
古代から付近一帯を「住之江」と呼んだことに由来します。『古事記』『日本書紀』『万葉集』では墨江・住吉・清江などとも表記され、いずれも同じ地名系統とされています。
住吉区の地名は、古くは「すみのえ」と読まれた住吉の古称に由来し、住吉大社や住吉津に結びつく古い歌枕の地名として定着しました。
洲本市の地名は、洲のように砂がたまった地形を表す「洲」と、港町を意味する「本」に由来すると考えられています。洲本川河口の港を中心に発達した城下町・港町としての性格が、地名の背景にあります。
駿河区の区名は、旧国名「駿河」に由来します。さらにその「駿河」は、富士川の急流や砂州など、地形に関わる説が複数伝わっています。
諏訪市の地名は、諏訪湖を「洲端(すは)」とみる説が有力で、湖の洲の端にある地形に由来すると考えられています。古くは「スハ」と読まれ、諏訪・諏方・州羽などの表記がありました。
関川村の地名は、村を流れる関川に由来する。近世以降の村名として定着し、川沿いの地形を示す地名と考えられる。
町名は公募で決まり、語源はアイヌ語の「セタルシュペナイ」から転じた「セタナイ」に由来するとされています。
市名は2004年の合併で誕生した新しい行政地名で、瀬戸内海に面する立地を端的に表したものです。海域名「瀬戸内」に由来し、地域の地理的特徴をそのまま市名に採っています。
瀬戸内町の町名は、奄美大島と加計呂麻島の間にある内海のような海域にちなむと考えられます。瀬戸の内側に位置する地形を表した地名です。
地名は、山間の狭い流れが開ける「瀬戸」や、陶器を焼く場所を意味する「陶処(すえと)」に由来するとされます。市名は古くから陶器の産地として知られた土地柄とも深く結びついています。
アイヌ語の「so-pet(滝川)」に由来し、洞爺湖の水が流れ出して滝となる川を指した地名です。漢字の「壮瞥」は当て字です。
地名は「率土の浜(そっとのひん)」に由来するとされ、国土の端・外れの浜を意味すると考えられています。古くは陸奥湾岸一帯を指す広い呼称としても用いられました。
市名は市域を流れる胎内川に由来します。合併協議会は「胎内」をアイヌ語で「清い水の流れ」を意味すると説明し、公募1位のこの名を新市名に選びました。なお川名そのものの由来には、ほかにも複数の説があります。
高石市の地名は、高師浜(たかしのはま)に由来し、古くは「高脚」とも書かれた海岸の美称とされています。岩石の多い海岸を表す語から転じたとする説が有力です。
高根沢町の地名は、地形を表す「高根」と、沢地を示す「沢」が組み合わさったものと考えられます。周辺の起伏や水辺の地勢を反映した地名です。
高梁市の地名は、高梁川の名に由来します。高梁藩が川の名を取って改称したことが、現在の市名のもとになりました。
高浜市の地名は、衣浦湾岸の高くなった浜辺を意味する地形由来と考えられています。文献上の初見は1409年で、古くから「高浜郷」として知られていました。
町名は「高い浜」を意味する形状地名とされ、台地の端が高く立つ海岸を表したと考えられます。中世以来の地名が受け継がれ、若狭高浜の海辺の景観とも結びついています。
田川市の地名は、周辺を流れる田川に由来すると考えられます。市域は筑豊の炭鉱地帯として発展し、地名も地域の歴史とともに定着しました。
滝川市の地名は、アイヌ語「ソーラプチ(滝下る所)」を意訳したもので、空知川の滝状の地形に由来するとされる。
市名は、地内を流れる「滝のある河川」に由来するとされます。岩手県の文化情報大事典でも、滝沢村の由来としてこの説が紹介されています。
渚滑川上流の「ポンカムイコタンの滝」の上に市街地があることから、滝の上の町として名づけられました。
多古町の地名由来は確定史料がなく諸説ありますが、湖沼の多い土地を表す「多湖」からの変化説や、古い村が多かったとする説などが伝わります。
町名は河川名の田尻川に由来し、「た」は接頭語、「しり」は湿地を表すと考えられています。明治の合併で生まれた新命名で、のちに町制施行により現在の町名となりました。
立川市の地名由来には、多摩川の流れや音にちなむ説、館川説、立川氏に由来する説など複数あり、いずれも確証はありません。
田野町の地名は、奈半利川の治水と開墾によって生まれた「田野郷」に由来すると伝えられます。原意は段丘状の地形を表す「棚」に関わるとする説もあります。
丹波山村の「丹波」は、丹波川の名に由来し、山中の平坦地や谷あいを表す古い地名要素「タバ」に結びつくと考えられています。多摩川源流域の地名として、地形を反映した名称です。
田布施町の地名は、中世から見える「田布施郷」に由来します。万之瀬川支流の堀川流域一帯を指す地名で、古くは「多布施」とも表記されました。
玉川村の地名は、村内を流れる玉川に由来すると考えられます。地形に根ざした川名をそのまま村名にした、わかりやすい命名です。
多摩区の「多摩」は、多摩川に由来する地名です。区名は川沿いの地形や地域名を受け継いだもので、古くからの広域地名が行政区名として定着しました。
市名は多摩川に由来するとされ、さらにその語源は上流の丹波川(たばがわ)にさかのぼるという説が有力です。
玉村町の地名は、利根川や烏川など水がたまりやすい地形に由来すると考えられています。伝説としては「龍の玉」にまつわる話も伝わります。
垂井町の地名は、古くから「垂井の泉」が歌枕「たるいの水」として詠まれてきたことに由来するとされます。町名はこの古い地名を受け継いだものです。
垂水区の地名は、東垂水周辺にあった滝の存在に由来すると考えられています。万葉集にも詠まれた「垂水」の古い地名が、地域名として受け継がれました。
垂水市の地名は、垂水城の崖下で岩間から清水が滴り溜まっていたことに由来するという説が知られています。平安時代にはすでに記録があり、古い地名として伝わっています。
千曲市は千曲川の名を採った新しい市名で、川の蛇行や崖・湿地を表す語に由来する説があります。旧更埴市・戸倉町・上山田町の合併で成立しました。
アイヌ語に由来し、「通路のある川」や「舟の通る川」などを意味するとされます。現在の表記は、明治期の「秩父志別」を略したものと考えられています。
利根川河口が酒器の銚子に似ることから名づけられたとされる地名です。江戸時代後期から用例が見られ、河口の狭い地形に由来する説が有力です。
多摩川で晒した布を「調」として朝廷に納めたことに由来する地名です。古代の租税と多摩川流域の布づくりが結びついた名とされています。
古語で「港」を意味する「津」に由来し、「安濃津(あのつ)」の上略形として江戸初期に定着した地名。
津島市の地名は、津島川(現・天王川)東岸の自然堤防上に形成された集落に由来すると考えられます。中世には「津嶋」の表記がみられ、港や川筋に関わる地名として定着しました。
霞ヶ浦西岸の低湿地に由来し、「土(つち)+浦(うら)」で土砂の堆積した水辺を表す地名と考えられています。
清津川の以南にあることから「津南」と呼ばれるようになったとされます。明治以降に一般化した地名で、水に関わる土地柄を反映しています。
津幡町の地名は、津幡川と河北潟を行き来する舟の「津の端」に由来するとされます。北陸道の宿場町として栄えた歴史も、地名の定着に影響したと考えられます。
燕市の地名は、古くは「津波目」と書かれたとする説があり、信濃川の舟運に関わる港的な場所を示した可能性があるとされます。現在の「燕」の字への変化時期は明確ではありません。
アイヌ語の「tu-pet(トゥペッ)」に由来し、「二つの川」または「山の走り根の下の川」を意味するとされます。津別川と網走川に関わる地名と伝えられています。
鶴ヶ島市の地名は、湿原の中の島状の地に鶴が巣をつくったという伝承に由来するとされます。近世の小字名にちなむとする見方もあります。
都留市の「都留」は、富士山の裾野に蔓が伸びる様子や、鶴が多くいたこと、流れに由来する語感など、複数の説が伝わる地名です。
鶴見区の地名は、鶴見川の蛇行や流れのゆるやかな地形を表す「ツルミ」に由来する説が有力です。鶴が群れる伝承もありますが、区の資料では水辺の地形説が紹介されています。
区名は鶴の飛来伝承や低湿地のツル群生地説などがあり、昭和49年の分区時には鶴見緑地にちなむ命名も行われました。
天塩町の地名は、アイヌ語の「テシュ」系の語に由来し、ヤナ(魚を捕る仕掛け)を表すとされています。天塩川流域の漁労と深く結びついた地名です。
弟子屈町の地名は、アイヌ語の「テㇱカカ」に由来するとされ、岩盤が川を横切る場所や、その岸を表すと考えられています。
区名は、北東から南西へ流れる天白川に由来します。天白川の名は、下流域に天白社が祀られていたことにちなむとされています。
浜松市天竜区の地名は、区名の由来として天竜川にちなむと考えられます。区内には「月」「空」など独特の地名も残り、地形や屋号に由来する説が紹介されています。
天龍村は、村の中央を流れる天竜川にちなみ、合併後に名付けられた地名です。ダム建設で変わった川の姿を惜しみ、天にも昇る勢いで村を発展させたいという願いも込められました。
道志村の地名は、村内を流れる道志川に由来するとされます。川名の由来は諸説ありますが、古くから地域を示す呼び名として定着しました。
当別の地名はアイヌ語の「トーペッ(to-pet)」に由来し、「沼から来る川」あるいは「沼川」を意味するとされる。
アイヌ語の「トオマナイ(沼・に入る・川)」に由来するとされ、のちに「当麻」の漢字が当てられました。屯田兵による開拓とともに地名が定着した町です。
洞爺湖町は、旧虻田町と旧洞爺村の合併で成立した町名で、町の中心にある洞爺湖に由来します。洞爺の地名はアイヌ語の「トーヤ」(湖・湾の意)に由来するとされます。
平成18年の合併で誕生した町名で、旧都幾川村と玉川村を流れる都幾川にちなみます。都幾は「都幾山」から、さらに「ツキ(高くなった所)」に由来すると考えられています。
「徳島」は天正13年(1585年)に蜂須賀家政が吉野川河口の三角州に城を築いた際に命名した地名。旧称「渭津」から改名し、「島」は川に囲まれた三角州の地形を、「徳」は縁起の良い美称を表す。
所沢の地名は由来が確定していませんが、古い資料に見える「野老沢」にちなみ、ヤマイモ科のトコロ(野老)に結びつけて説明されることが多いです。
古くは「清水」と呼ばれ、渡場にある名水にちなむ地名と伝えられます。のちに土佐国の清水であることを示すため「土佐清水」となりました。
十津川村の地名は、都や津(港)から遠い場所を意味する「遠津川(とおつかわ)」に由来するとされます。中世の文書にも「遠津川」と見え、のちに十津川と表記されるようになりました。
「鳥取」の地名は、水鳥を捕らえる職業集団「鳥取部(ととりべ)」が当地に住んでいたことに由来する。鳥取平野の湿地帯は古代から水鳥の猟場として知られていた。
利根町は、町名のとおり利根川に面した地名で、河川名に由来すると考えられます。現在の町域は利根川の流路や治水・開削の歴史と深く結びついています。
鳥羽市の地名は、古くは「泊浦(とまりうら)」「泊(とば)」に由来するとされ、港としての地形や機能を表したと考えられています。あわせて、賀多神社の縁起に見える伝承から「鳥羽」の字が定着したとも伝えられます。
「戸畑」は奈良時代の文献に見える「飛幡(とばた)」に由来するとされ、のちに「戸畑」の字が用いられるようになりました。古くは「鳥旗」「名籠屋」などの表記も見られます。
苫小牧の地名はアイヌ語に由来し、「沼の奥にある川」などを意味する語が転訛したものとされている。
泊村の「トマリ」は、アイヌ語の「モイレトマリ(静かな泊地)」や「ヘモイトマリ(マスを寄せる入海)」に由来するとされます。入り江の多い地形と漁場としての性格が地名に反映されたと考えられています。
泊村の「トマリ」は、アイヌ語で「静かな泊地」や「マスを寄せる入海」を意味する語に由来するとされます。入り江の多い地形と漁場としての性格が地名に反映されたと考えられます。
旧称の弁辺から、農産物や水産物が豊かで内浦湾に面する土地柄を表す「豊浦」へ改称されました。豊かさへの願いも込められた町名です。
市名は市内を流れる豊川に由来し、古くは「豊河」とも記されました。旧豊川村の地名が基になり、川名から地域名へ広がったと考えられます。
アイヌ語の「イペコㇿペッ(食物・を持つ・川)」に由来するとされ、豊かな川の恵みを表した地名です。町内を流れる川の存在とも結びつけて説明されています。
市名は十和田湖にちなむ。湖名はアイヌ語のトーワタラ(湖・岩=岩の多い湖)に由来するとされる。
アイヌ語の「ナヱ」「ナエイ」「ナイエ」などに由来する説があり、砂多き川や谷川、その川を意味すると考えられています。
長井市の地名は、水の集まる場所を意味する「ながい」に由来するとされ、川や水路が多い土地柄をよく表しています。市内には清流や水路が広がり、地名と地形・水環境の結びつきが強い地域です。
中川区の名は、区の設置時に区名の由来となった中川運河(旧河川名)の「中川」にちなみます。区内には庄内川や新川など多くの川が流れ、水の多い地形が地名の背景にあります。
市名は市内を流れる那珂川に由来します。古くは「儺川」とも呼ばれ、さらに古代の儺県の名を受けた地名と考えられています。
中川町の地名は、天塩川の中流部に位置することから「中川」と呼ばれたもので、入植当初は無名村だったため所属郡名が採られました。
町の中央を流れる那珂川にちなむ地名で、清流を町名に採ったものです。2005年に馬頭町と小川町の合併で成立しました。
千曲川の上流域に位置することから、村名は「川の中ほど」を意味する地形由来と考えられます。周辺の川筋にちなむ素朴な地名です。
札内川の中流にあることから「中札内」と名づけられ、アイヌ語の「サツナイ(乾いた川)」に由来するとされます。
標津川の中流域にあることに由来する地名で、川の位置関係をそのまま表した名称です。北海道東部の地形と結びついた、比較的わかりやすい由来とされています。
阿武隈川沿いの低地にある「中島」の地形を表す地名とされます。村域の中心部にある中島の呼称が、そのまま村名として定着しました。
長洲町の地名は、古くは「長渚」「長須」などと記され、長い渚の浜辺を表したとされます。景行天皇の伝承に由来する「泣洲」の説も伝わります。
町名は、古代から続く「那賀郡」に由来し、さらにその語源は「長(なが)の国」や那賀川流域の古称にさかのぼると考えられています。川名・郡名が重なって受け継がれた地名です。
中津川市の地名は、中心集落の中津川村に由来し、さらに中津川という川名へと結びつくと考えられています。市名は合併や市制施行を経て定着しました。
中津は、山国川の河口部に開けた港・洲に由来する地名と考えられます。『津』は港や船着き場を表し、海辺の地形と結びついて成立した名称です。
荒川の流れが長く静かな「瀞」となって続くことから、長瀞の名がついたとされます。町名は景勝地・長瀞に由来し、自然景観を表す地名です。
中頓別町の地名は、アイヌ語由来の「頓別」に、頓別川の中流域にあることを示す「中」が付いたものです。
アイヌ語で「長い沼」を意味するタンネトに由来し、その沼の名が町名のもとになりました。現在もタンネトーの碑が残されています。
中富良野町の地名は、アイヌ語の「フラヌイ」に由来し、富良野川の中流に位置することから「中」を付けたものです。十勝岳周辺の噴気や硫黄臭にちなむとされます。
流山市の地名は、上州赤城山の一部や赤城神社のお札が洪水で流れ着いたという伝承に由来するとされます。市名は水害と深く結びついた「流れ山」のイメージから生まれたと伝えられています。
那須町の「那須」は、那珂川の中洲を意味する「なか川の洲」に由来するという説が有力です。のちに国名・郡名としても用いられ、地名として長く受け継がれました。
区名は、灘の生一本で知られる酒どころにちなむとされますが、「ナダ」の語源自体は未詳で、風波の荒い海を表す語との関連も指摘されています。
名取市の地名は、アイヌ語の湿田を表す語に由来するという説と、陸奥国名取郡にちなむ説が伝わります。古くからの地名が市名として受け継がれました。
区名は大阪の古称「なにわ」に由来し、王仁の歌にちなむ命名とされています。古くは難波江・難波潟と呼ばれた海辺の地で、地形と歴史の両面が背景にあります。
「那覇」の地名は、古くから魚が豊かな漁場(なは・なば)であったことに由来するという説が最も有力とされる。沖縄学の父・伊波普猷が提唱した説で、国場川・安里川・久茂地川の河口部の漁場環境と合致する。
奈半利の地名は、古くは「ナハ」ともされ、魚のいる場所や田の実りに関わる語から転訛したと伝えられます。町内の須川は菅の自生地に由来するとされ、周辺の自然環境が地名に反映されています。
浪江町の地名は、古くは「波江」などの表記も見られ、海や波に関わる地形・景観に由来すると考えられています。町域は太平洋に面し、海辺の地名として成立したとみられます。
町名は町の中央を流れる滑川に由来し、その川名は泉から湧き出る水が滑らかに流れる様子、またはアイヌ語由来とする説が紹介されています。
市名は、市域を流れる「波入川(なみいりがわ)」に由来し、中世に「滑河」の字が当てられて定着したとされます。川名の転訛と漢字表記の変化が重なって生まれた地名です。
名寄市の地名はアイヌ語に由来し、名寄川と天塩川の合流地点を意味する「ナイオㇿプトゥ(nay-or-putu)」に由来するとされる。
鳴沢の地名は、富士山から転がり落ちる砂の音が鳴り響く沢を表す「鳴沙」に由来するとされます。古くから万葉集にも見える古い地名です。
鳴門市の地名は、鳴門海峡の激しい潮流と渦潮の音に由来します。もとは「鳴南市」と名乗りましたが、市民の評判が悪く、短期間で現在の市名に改称されました。
アイヌ語の「ポロモイ(poro-moy)」に由来し、湾曲して緩やかに流れる場所を指した地名です。のちに「幌向」から、町制施行時に「南幌」と改められました。
信濃川・阿賀野川が運ぶ土砂で河口に形成された「新しい潟(干潟・砂洲)」に由来する地形語源説が有力で、室町時代の史料に「新潟」の表記が登場する。
新居浜の地名は、古くは「新居浜浦」と呼ばれた海浜地名に由来し、新しく開けた浜辺を表すと考えられています。市名は町制・市制施行の際にこの地名を受け継いで定着しました。
西会津町の「会津」は、古事記に見える「相津」に由来し、川が集まる場所を表すとされます。町名の「西」は会津地方の西部に位置することを示します。
興部の地名はアイヌ語由来で、「川尻が合流するところ」を意味するとされ、西興部村はその西側に位置することから名付けられました。
西桂町の「桂」は、明治8年に複数の村が合併して桂村となった際、桂川にちなむと考えられています。桂川の名は、都留郡の「つる」との関連や、桂の木にあやかったとする説があります。
淀川の西側に位置することから名づけられた区名で、区内には姫島・御幣島・歌島など島に由来する地名が多く残ります。
西和賀町の地名は、岩手県の資料では「滝のある河川」を由来とする説が示されています。和賀地域の西側に位置することを踏まえた町名です。
町名は町内を流れる仁淀川に由来し、川名は「にえどの(贄殿)」がなまったとする説が伝えられています。清流と鮎の産地としての歴史が背景にあります。
狩野川河口の沼沢地に、港として使われた「津」があったことから「沼津」と呼ばれるようになったとされます。文献上は『吾妻鏡』に1208年の記録が初出です。
寝屋川市は、市内を流れる寝屋川にちなむ地名とされます。川名の「寝屋」の意味には諸説あり、寝泊まりする場や集まりの場を指すとする説が紹介されています。
「ねりま」の由来には、赤土をねった「ねり場」や「根沼」など複数の説があり、定説はありません。練馬区公式ホームページでも諸説併記で紹介されています。
村名は、中心集落の野沢に湧く温泉に由来します。中世には「湯山」とも呼ばれましたが、近世以降は温泉地としての性格を反映した現在の名称が定着しました。
地名の由来は諸説ありますが、原野が開かれて水田になったことに由来する説が有力です。ほかに「湿地」を表す語や、野田右馬助の館に由来する説も伝わります。
村内を流れる宇部川・明内川流域の湿地や湿田を表す「ヌダ(沼田)」が転じたとされます。ほかに「野のある土地」や方言の「のだ」に由来する説もあります。
建武2年(1335)の文献に現れる古い地名で、和語による解釈とアイヌ語「ヌプンペッ」(野中を流れる川)説がある。
登別の地名は、アイヌ語の「ヌプルペッ(色の濃い川)」に由来するとされ、温泉成分で白く濁る川の様子を表した名称である。
博多区の地名は、古代から博多湾沿岸一帯を指した「博多」に由来します。語源には港の停泊地や地形に関わる説があり、国際貿易港として発達した歴史を背景に定着しました。
古代の表記に「羽咋」「羽喰」「波久比」が見え、地名は「鵜咋(うくい)」が転じたものとする説が有力です。鵜や白鳥など水辺の鳥と結びつける見方も伝わっています。
蓮田市の地名は、蓮華院弥陀堂に由来するという伝承が知られています。沼地に咲く蓮の花にちなむ説や、「はしど(橋処)」が転じたとする説も伝わります。
町名はかつての湖・八郎潟による。湖名は「八郎」という人が神となり湖を開いて住んだという伝えにちなむ。
花巻市の地名は、花の牧、北上川の花びらが渦を巻く景観、アイヌ語由来など複数の説があり、定説はありません。現在の「花巻」の表記は江戸時代初期に定着しました。
花見川区の名は、区内を流れる花見川に由来し、さらに「ハナ」は先端や高地を表す古い地名要素とみられます。後世に「花見」の字が当てられ、美しい川名として定着しました。
アイヌ語の「ハポロペッ(ha-poro-pet)」に由来し、「広大な川の流域」や「広大な川の流れる地」を意味するとされています。別説として「ハプㇽ(hapur)=柔らかい」からの転訛説もあります。
「浜田」は、浜に田を開いたことに由来すると伝えられ、平安時代中期の伝承が残ります。文安元年(1444)の『濵田村』が初見とされます。
アイヌ語の「ト・ウン・ペツ」(湖に入る川)に由来するとされ、頓別川の流れにちなむ地名です。のちに頓別村から改称して浜頓別町となりました。
砂浜の中央に集落があったことから「浜中」と名づけられ、アイヌ語の「オタノシケ(砂浜の真中)」を意訳したとされます。
浜名区は、浜名湖や浜名郡に由来する歴史ある呼び名を受け継いだ区名です。区名公募でも、地域の自然と伝統を表す名称として支持されました。
町名は町の中央を流れる早川に由来し、川を中心とした地形的特徴から名づけられました。町誌では「早川」を「速河」とみる説も示されています。
かつて周辺が海で、早島はその海に浮かぶ島だったことに由来するとされます。干拓によって陸続きになった地形の変化が、地名の背景にあります。
市名は関東地方の古称「坂東」に由来し、利根川の異称「坂東太郎」にも結びつきます。2005年の合併時に、関東平野を代表する都市を目指す思いを込めて選ばれました。
美瑛町の地名は、アイヌ語の「ピイェ(piye)」に由来し、「油っこい」「油ぎっている」ほどの意味とされます。美瑛川の水が硫黄山の影響で濁っていたことにちなむと考えられています。
東川町の地名は、旭川の東に位置することから付いた和名で、もとはアイヌ語のチュプペツ(Chup Pet)を意訳したものとされています。
市名は、黒目川の旧称「久留米川」に由来するとされ、福岡県久留米市との混同を避けるため「東」を冠して成立しました。
村名は村内を流れる白川に由来し、白川の東側に位置することから「東白川村」と名づけられました。白川の名は、川の水が濁って白く見えることにちなむと伝えられます。
明治22年に3村が合併して成立。村の中央を縦断する成瀬川の名に、同日に発足した同じ雄勝郡の西成瀬村と区別する「東」を冠した村名。
淀川流域に位置し、西淀川区との相対的な位置関係から「東淀川区」と名づけられました。区名は、同時期に誕生した行政区との対比を意識したものです。
町名は町内を流れる氷川に由来し、氷川流域の地名として定着しました。氷川は古く『火の国』ゆかりの地ともされ、地域の歴史と深く結びついています。
町名は町内を流れる日高川に由来します。日高川は護摩壇山に源を発し、町の中央を流れる和歌山県を代表する河川です。
アイヌ語の「ピピペッ」や「ピオㇷ゚」に由来するとされ、石の多い川や場所を表す地名と考えられています。湿地や石の多い川床の地形が背景にあると伝えられます。
日之影町の名称は日之影川に由来するとされるほか、神話に由来する伝承も残されている。深い渓谷地形と密接に結び付いた地名である。
町名は町の中央を流れる日野川に由来すると考えられます。周辺の地形や水系と結びついた、自然由来の地名です。
美唄の地名は、アイヌ語の「ピパ・オ・イ(沼の貝の多いところ)」に由来するとされる。
アイヌ語の「ペポロ(pe-poro)」に由来し、水が多く清流が合流する豊かな場所を表すとされます。明治8年に漢字表記が「美幌」に統一されました。
氷見の地名は、火見・氷見・干海など複数の説が伝わり、立山連峰の万年雪や漁り火に由来するとする説が知られています。
北上川の氾濫原にある平地の泉地、または山麓の清泉を表す地名とされます。平らな土地に湧く井戸や泉に由来するという説が伝わっています。
枚方の地名は、古代文献に見える「比駄」などの表記にさかのぼる古い地名で、淀川沿いの平らな潟や入江に由来するという説が有力です。ほかに「白肩之津」から転じた説も伝わります。
2006年の合併で誕生した市で、市名は3町村を流域とする平川にちなみ、一般公募により決定された。
平戸の地名は古代の松浦郡庇羅郷に由来するとされ、平戸瀬戸を押さえる要地として発展する中で島名・地名として定着した。
アイヌ語の「ピラナイ」(山と山の間に川がある土地の意)に由来するといわれる地名。
アイヌ語の「ピルイペッ」に由来し、「砥石のとれる川」を意味するとされます。転訛して「ピロー」「ビロウ」などと呼ばれ、のちに広尾の地名として定着しました。
町名は、旧三か町村を流れて海に注ぐ広川に由来します。古くは広庄と呼ばれ、熊野路往還の地として栄えた歴史も伝わります。
町名は町内を流れる広川に由来するとされます。広い川筋を持つ地形を表した地名で、町の語源となった川の存在がそのまま行政地名に受け継がれました。
「広島」の地名は、天正17年(1589年)に毛利輝元が太田川の広大な三角州(デルタ)に城を築いた際に命名された。広々とした川の三角州を「島」にたとえた地形由来の地名とされる。
笛吹市の市名は、合併した6町村の川の流れが笛吹川に集まる姿にちなみ、地域の中心として飛躍する願いを込めて名付けられました。
深浦町の地名は、深い浦、つまり入り江の奥深い海岸地形に由来すると考えられています。日本海に面した港町としての性格を反映した地名です。
深川市の地名は、アイヌ語の「オオホ・ナイ(深い川)」に由来する説や、「メム(清い湧水のある場所)」に由来する説がある。
深谷市の地名は、低湿地を意味する「フカ」+「ヤ」の反復地名とされ、地形に由来する説が有力です。古くは湿地や谷あいの土地を表したと考えられています。
城内にあった「福の井」と呼ばれる井戸、または水がよく湧き出る土地「脹井(ふくヰ)」に由来するとされ、江戸時代初期に縁起を担いだ改称を経て定着した地名。
福島区の地名は、菅原道真がこの地で「福島」と名づけたという伝承に由来します。もとは湿地や砂洲の島で、古くは「餓鬼島」とも呼ばれたと伝えられます。
福島町の地名は、もとはアイヌ語のホロカナイ(逆流する川)に由来し、のちに福島村へ改められたと伝えられます。吉祥字としての改称説や、松前の福山に対する名付けとする説もあります。
福津市の地名は、旧福間町と津屋崎町の合併により生まれた市名で、それぞれの地名は海岸地形や入り江に由来すると考えられています。
四方を丘に囲まれた袋状の土地に大きな井戸があったことから、袋井と呼ばれるようになったと伝えられます。旧東海道の袋井宿としても知られます。
町名は、旧河口湖町に富士山の「富士」を冠して成立したもので、河口湖の地名は湖に注ぐ川の河口を意味する「河口」に由来します。
町名は、町域を流れる富士川に由来します。富士川は甲府盆地の水を集めて南流する日本三急流の一つで、古くから交通・水運の要衝でした。
藤沢市の地名は、淵や沢の多い土地を表す「ふちさわ」が転じたとする説が有力です。藤の多い水辺や藤沢次郎清親の居住地に由来する説もあります。
伏見区の地名は、古くは「俯見」「臥見」などと書かれ、のちに「伏水」とも表記されました。豊かな伏流水に恵まれた土地柄を背景に、地名が定着したと考えられています。
普代村の地名は、「二井」「塞井」「方言のふだい」「譜代」など複数の説が伝わり、開拓地や地形、家臣団に由来すると考えられています。
舟形町の地名は、町域を流れる最上川の舟運や、舟形の地形にちなむとされます。古くから交通の要衝として発展した地域です。
海老川に舟を並べて板を渡した「船橋」に由来するとされます。ほかに、台地の端を表す地形語が転じたとする説もあります。
富良野の地名は、アイヌ語の「フラ・ヌ・イ(臭気をもつ所)」に由来するとされ、十勝岳の硫黄臭を含む川にちなむといわれる。
別海町の地名は、アイヌ語の「ペッカイ(川の折れ目)」または「ペッカイェ(川を折る)」に由来し、西別川が河口で曲がりくねる様子を表したとされます。
雨竜村から分村した際、雨竜川の北岸にある市街地として「北竜」と名付けられました。地名は「雨竜川の北岸」を意味するとされています。
アイヌ語の「ホㇿカナイ(horka-nay)」に由来し、「逆戻りする川」を意味するとされます。町南部を流れる幌加内川の流れ方にちなむ地名です。
本別町の地名は、アイヌ語の「ポン・ペッ(pon-pet)」に由来し、「小川」を意味するとされます。町を流れる本別川にちなむ地名です。
アイヌ語の「マㇰウンペッ(mak-un-pet)」に由来し、「後(山の方)にある川」を意味するとされます。山側を回って本流に合流する分流を指した地名がもとになったと考えられています。
「枕崎」の由来には、箱枕に入った御神体が近瀬という暗礁に漂着したという伝説と、南九州の島々で暗礁を指す「マクラ」に「崎」が付いたとする説があります。江戸時代の郷名は鹿篭でした。
益田の名は、高津川・益田川の沖積作用でできた砂質の田「真砂田(ますなだ)」に由来するといわれます。平安期の『和名抄』に益田郷として見え、後に本拠を移した益田氏がこの地名を名字としました。
松浦市の名は古代の松浦郡に由来し、松の生える美しい海辺や入り江を意味するとされる。古くは「まつら」と読まれた歴史ある地名である。
アイヌ語の「マㇰ・カㇼ・ペッ」(奥で曲がる川)に由来するとされる地名です。羊蹄山の南麓に位置し、村名は周辺の川の形状を表したものと考えられています。
町名は中央アルプスから流れる片桐松川の川名に由来します。昭和31年の合併で誕生した際に、この川の名を採って松川町と命名されました。
松川村の地名は、村内を流れる松川という河川名に由来するとされます。『マ(間)・ツ・カハ(川)』で「谷間の川」を表すという説が紹介されています。
那賀川の河口に防風林として松並木を植えたことから「松ヶ崎」の名が生まれたのではないか、という説話が伝わります。文書上は建暦元年(1211年)の「仁科荘松崎」が現存する最も古い例とされます。
太日川(現在の江戸川)の渡し場に由来する説があり、「馬津(うまつ)」や「待渡(まちど)」が転じたとされます。渡河の要地としての性格が、松戸の地名形成に影響したと考えられています。
松伏町の地名は、松の樹形が伏せ松であったことに由来するという説と、河川がつくる自然堤防の「ぶし」に松が生えた地形由来説の2説が伝わります。
町名は町域を流れる真室川に由来します。「真室」は中世にさかのぼる地域名で、鮭延城は「真室城」とも呼ばれましたが、語義そのものは未詳です。修験道由来としてよく語られるのは町名ではなく町内の地名「及位」です。
町名は、古代のため池「満濃池(まんのういけ)」に由来します。満濃池は讃岐を代表する大規模な灌漑施設で、地域の歴史と結びついた地名です。
「みうら」は『日本書紀』に「御浦」と記される1300年以上前からの地名です。半島の東・西・南の三方が海(浦)に面することから「三浦」と書くようになったという説があります。
三川町の地名由来は、町域を流れる三つの川にちなむと考えられます。庄内地方の水系と結びついた地名として理解されています。
三木市の名は中世の三木庄・近世の三木町を受け継いだものです。その「みき」の語義には、古代の郡名「美嚢(みなぎ)」が転じたとする説と、神功皇后に献じた御酒(みき)によるとする説の二つが伝えられています。
村名は、球磨川の源流域に位置し、山あいの水の上流部にあたる土地柄を表したものと考えられます。豊かな水と山地景観に結びついた地名です。
瑞浪市の地名は、土岐川の南にあることを示す「水の南」と、瑞穂の浪打つ町という意味を合わせて名づけられたとされます。市名決定時には旧瑞浪町案が採用され、駅名の影響もあったと伝えられます。
地名は「水の巻く意」とされ、古くは水巻(みまき)と記されました。遠賀川流域の水に関わる地形や暮らしと結びついた名と考えられます。
町名は三種川に由来する。川の名は「長寿の種」「福禄の種」「楽の種」の三つの種を語源とすると伝える。
那珂川の水運における地理的要衝(水の入口・出口)を意味する「みと」に由来する地名。室町時代には既に記録があり、江戸時代に水戸徳川藩の成立とともに定着した。
町名は、利根川の水源地にあたる「水上」に由来する説と、若山牧水の『みなかみ紀行』にちなむ説が知られます。平成17年の合併で誕生した新しい町名です。
港区の地名は、名古屋港の築港や新田開発に由来するものが多く、港の繁栄や明るさを願う雅名も目立ちます。区名そのものも港湾地域としての性格をよく表しています。
港区の地名は、大阪港の築港や新田開発、運河・橋梁など港湾に関わる地形や施設に由来するものが多く、区内の町名にもその歴史が色濃く残っています。
「三鍋」と書かれた古い表記があり、三つの石が鍋の底に似ていたことから名づけられたという伝承が伝わります。ほかに「御名部」や「みのべ(海辺)」に由来する説もあります。
水俣市の「みなまた」は、水辺の湿地や沼地を表す古い地名要素「ムタ」系の語と関わると考えられています。市域の地形や水辺環境を背景に成立した地名とみられます。
南相木村は、相木川流域の「相木」に対して南側に位置することから名づけられたと考えられます。地名の「南」は方角を示し、「相木」は地域名を受け継いだものです。
2006年に日和佐町と由岐町が合併して成立した町名です。両町の全世帯アンケートで最多を得て決まり、協議会は「美しい波の町」と説明しました。旧町名をあえて外す方針で選ばれた名です。
区名は、かつてこの一帯にあった見沼に由来します。語源には「三沼」「御沼」など複数の説があり、沼地の地形を反映した名と考えられています。
箕面市の地名は、箕面大滝の形が農具の「箕」に似ることに由来するという説があり、古くは「箕尾山」「箕面山」とも記されました。滝の景観と結びついた地名として伝えられています。
「みのぶ」は「峰の延びた土地」や「水の辺」に由来するという説があり、日蓮入山後に「身を延ぶ」に通じる字へ改めたとする伝承もあります。
昭和29年の合併時に、旧郡名の「弥美庄」に通じる「美」と、若狭湾に面する美しい浜辺の「浜」を取って名づけられました。瑞祥的な新町名です。
七里御浜に面することから「御浜」と呼ばれたとされ、神の浜を意味する「み+はま」に由来すると考えられています。熊野古道の浜街道とも結びつく海岸地名です。
1954年の三尾・和田・松原3村の合併に際し、一般公募から審査を経て決まった町名です。『美浜町史』は「観光立町の上からも望ましいという意見が多数を占めた」と選定の理由を記しています。
三原市の地名は、旧市街地の後背にある谷間の平地に由来し、三つの「ハラ」から「三原」と呼ばれるようになったとされます。城下町として発展した歴史も地名の定着に影響しました。
美浦村の「美浦」は、村内にある美しい入り江状の地形や水辺の景観を連想させる名で、周辺の地形的特徴を踏まえて付けられたと考えられます。
市名は郡名の「美馬」に由来し、古くは馬の産地だったことにちなむ説や、「水間(みま)」の音変化で湿地を表すとする説があります。
三股町の地名は、古くから地域を流れる川が三方向に分かれて流れる地形に由来するとされる。古文書にも『三俣』の表記が見られ、古くから用いられてきた地名である。
むかわ町は、2006年に鵡川町と穂別町の合併で誕生した町で、合併協議会での公募と委員の投票を経て、町域を流れる鵡川の名をひらがなにした町名に決まりました。鵡川の語源はアイヌ語とされますが、原義には諸説あります。
現地名は中世の湊・牟岐に由来し、牟岐川河口部の地名として知られます。古くは「牟岐郷」とも記され、海と港に結びついた地名です。
室戸市の地名は、古くは「室津」などと呼ばれた港湾地名に由来し、弘法大師の修行伝承と結びついて広く知られています。
アイヌ語の「メㇺオロペッ(mem-oro-pet)」に由来し、「湧泉池のところの川」を意味するとされています。泉や池から流れ出る川のほとりにあった地形を表した地名です。
本巣市の地名は、本巣郡に由来し、郡名は飛鳥期の「本簀郡」にさかのぼるとされます。山地から平地へ出る川洲の元になった土地を表す「元洲」の意味と考えられています。
市名は、もとは湿地の多い「藻原」と呼ばれた地名が、江戸時代に「茂原」の字へ改められたことに由来するとされます。古くは藻原荘の名も見られ、地域の歴史と結びついた地名です。
紋別の地名は、アイヌ語の「モペッ(mo-pet)」に由来し、「静かな川」を意味するとされる。もともとは現在の藻鼈川周辺を指した地名である。
八尾市の地名は、八枚の尾羽を持つ鶯の伝説や、「矢負い」「八百の杭」から転じたとする説などが伝えられています。古くは寺内町として発展した地域で、地名伝承も複数残ります。
木曽川の舟運で栄えた湊町に由来し、「八百」は数の多さを表す美称とされます。町名は「津(港)が非常に多い」ことを示すという説が伝えられています。
市名は古代以来の郡名「野洲郡」に由来し、さらに「ヤス」は沖積平野や砂洲を表す古い地名とする説があります。古くは「安」「益須」とも書かれました。
柳井市の地名は、般若姫の伝説に由来する「柳と井戸」が転じたものとされています。井戸の清水と柳の成長を結びつけた説話が市名の起源です。
只見川の河岸に柳が繁茂していたことから生まれた地名で、水運の要地としての歴史を映しています。柳の大木や船着き場に由来する説が伝わります。
柳川市の地名は、古くからこの地に見られた「柳川」という呼び名を受け継いだものです。水路が縦横に走る水郷の景観とともに、城下町として発展した歴史が地名の定着に影響しました。
「やぶ」は奈良時代から見える古い地名で、市教育委員会は円山川付近に「やぶ」の地名が集中することから、川辺の景観(草木の繁る薮)を表した地名と推定しています。
山江村の地名は、村域の地勢をそのまま表したものと考えられます。山に囲まれた地域であることから「山」と、周辺の地形や集落の位置を示す「江」を組み合わせた名称です。
山中湖村は、富士山麓の山中湖を中心に広がる村で、地名は湖の南西岸にある「山中」地区に由来します。村名変更後は湖名を冠して、観光地としての性格を明確にしました。
八幡浜の地名は、養老年間からあり、八幡大神がこの地の浜に立たせられたことに由来すると伝えられています。
海が内陸まで入り込み、水が浅く広がっていたことから「ゆあさ」と呼ばれたとされます。古名「温笠(ゆかさ)」が転じたという説もあります。
町名は、町内に豊かな湧水が多く見られることに由来します。合併時に地域の自然環境を象徴する名称として採用されました。
夕張の地名はアイヌ語に由来し、「ユーパロ(鉱泉の湧き出る所・温泉口)」を語源とする説が有力とされている。
湧別町の地名は、町内を流れる湧別川に由来し、アイヌ語の「ユペ(鮫)」などをもとにした説が伝わります。川や河口周辺の地形・漁場と結びついた名と考えられています。
会津地方の湯川村は、村内を流れる湯川に由来する地名と考えられます。川名をそのまま村名にした、地形由来の地名です。
千歳川と藤木川の河原に温泉が湧いていたことから、「湯のある河原」を意味する地名とされます。温泉名に由来する町名で、湯河原温泉の発達とともに広まりました。
湯沢市の地名は、温泉地として知られる「湯沢」に由来すると考えられます。市域には古くから湯の湧く土地があり、その地勢を表す地名として定着しました。
湯沢町の地名は、温泉の湧く沢や川を意味する「湯沢」に由来すると考えられます。町内には越後湯沢温泉などの温泉地があり、地名と土地の性格がよく一致しています。
アイヌ語の「ユウンニ」(温泉があるところ)がなまったものとされ、温泉に由来する地名です。
湯前町は、町名の「湯前」が温泉地の前にある場所を示す地名と考えられます。球磨地方の地形や交通の要衝としての性格とあわせ、地域名として定着しました。
余市町の地名は、アイヌ語由来とされ、温泉のある場所を意味する説と、蛇の多い場所を意味する説があります。いずれも山田秀三が両説を併記しています。
横須賀市の地名は、横に長く伸びた砂州を意味する「須賀」に由来すると考えられています。鎌倉初期から見られる古い地名で、地形を表したものです。
横瀬町の地名は、町の中央を横に貫く川の瀬(浅瀬)に由来するとされる。丹党の武士「横脛(よこすね)」が転じた地名との説もあり、中世には鎌倉武士団・丹党の本貫地であった。
海岸線に沿って横に長く伸びた砂州(浜)の地形に由来する地名で、「横に長い浜」を意味する地形語源説が有力とされる。
陸奥湾沿いに横に長く伸びる浜の地形によるとされる地名。江戸時代には盛岡藩の湊「横浜湊」として記録される。
昭和30年の合併時に、明治村と駒寄村を結ぶ河川の名にちなみ命名された町名です。平成3年に町制施行され、吉岡町となりました。
吉川市の地名は、低湿地を流れる川にアシが多く生えたことから「芦川(よしかわ)」と呼ばれたことに由来するとされます。のちに「芦」を「吉」の字で表したと伝えられます。
市名は合併時の新命名で、河川の吉野川に由来します。吉野川の名は、川岸にヨシ(葦)が多く茂っていたことにちなむといわれます。
淀川区の区名は、淀川に隣接することに由来します。大阪市の中でも比較的新しい区で、東淀川区・西淀川区から分かれて成立しました。
沖縄語で「よな/ゆな」は海岸の砂地を、「原(バル)」は墾(ハリ)=開墾地を意味し、海岸低湿地帯を拓いた場所を指すとされます。海浜植物ユーナに求める説もあります。
「米の沢(よねのさわ)」、すなわち米が実る湿地や沢地に由来するとされます。稲作に適した米沢盆地の地形を反映した地名で、米と沢の字が当てられました。
アイヌ語の rik-un-pet(高い所にある川)に由来し、陸別川の名から町名が定着したと考えられています。
留別村の地名は、もとになったアイヌ語地名「ルベツ」に由来し、明治期に漢字表記の留別が定着しました。語義は資料により異説がありますが、川や地形に関わる名と考えられています。
留萌市の地名はアイヌ語の「ルルモッペ」に由来し、「潮が静かに入る川」や「海岬につく川」を意味するとされる。
アイヌ語に由来する地名で、砥石を産する川を意味するとされます。漢字の「留夜別」は当て字で、もとはクナシリ島中部東海岸の地名でした。
輪島の地名は「倭の島」や「輪のような入海」などに由来するとされ、古くから複数の説が伝わります。文献上の初出は戦国期の1524年で、現在の市名として定着しました。
「伊勢神宮の五十鈴川を渡って神様に会いに行く」が語源とされる地名です。伊勢との結びつきが強く、古くから神域への往来を示す名として伝わります。
阿武隈川の南岸に位置し、「川を渡る地」を意味する地名とされます。アイヌ語の「ワッタラ」や船着きに由来する説も伝わります。
稚内の地名はアイヌ語「ヤㇺ・ワッカ・ナイ(冷たい水の沢)」に由来し、良質な飲み水が得られる沢を意味するとされる。
島の言葉で「ワドゥマイ」と呼ばれ、由来には「和(ワー)の漁師が波の落ち着くまで泊まった」とする説と、大きな湾を意味する「湾泊(ワンドゥマイ)」の転とする説があります。
江戸期から使われていた「輪の内」が町名の由来で、洪水を防ぐために堤防で囲んだ輪中の内側を指す言葉に由来します。昭和29年の町制施行時に、そのまま町名として採用されました。