🗾 地名由来辞典

益田市 ( ますだし )

島根県 / 益田市 平安時代由来

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益田の名は、高津川・益田川の沖積作用でできた砂質の田「真砂田(ますなだ)」に由来するといわれます。平安期の『和名抄』に益田郷として見え、後に本拠を移した益田氏がこの地名を名字としました。

語源

益田市(益田(ますだ))の地名は、高津川(たかつがわ)と益田川が運んだ土砂によって形づくられた沖積平野の土地柄に由来するとされます。コトバンクに収録された辞典類は「益田の名は、川の沖積作用による砂質土壌のための真砂田(ますなだ)からきたといわれる」と説明しており、川砂まじりの田を意味する語が「ますだ」へ転じ、「益田」の字が当てられたとみるのが有力な説です。

この地名は決して新しいものではありません。平安時代に編まれた『和名抄(わみょうしょう)』(和名類聚抄)には、石見国美濃郡(みのぐん)の郷名として「益田郷」が見えます。郡名の「美濃」自体も、益田市中心部が三本の川によってつくられた平地であることから「三野」「美野」「美乃」を経て転じたと伝えられており、郡名・郷名がともに川と平野という同じ地形を映している点は興味深いところです。

地名と益田氏の関係

益田は「人名由来の地名」として語られることがありますが、実際には順序が逆で、地名が先にあり、それを名字としたのが益田氏です。

益田氏の祖は藤原国兼(ふじわらのくにかね)で、永久2年(1114年)に石見守として赴任し、任期後も土着しました。当初は石見上府(かみこう)(現在の浜田市御神本)を拠点として御神本(みかもと)氏を称していましたが、4代兼高(かねたか)の代、建久年間(1190〜1199年)ごろに本拠を美濃郡の益田荘へ移し、以後この土地の名をとって「益田氏」と改めたと伝えられます。

つまり益田という地名は、平安期の郷名から中世の荘園名へ、さらに在地領主の名字へと受け継がれ、最後に近代の自治体名として現在に至った、長い連続性をもつ地名だといえます。

歴史的変遷

時代呼称備考
平安益田郷『和名抄』に載る石見国美濃郡の郷名
鎌倉益田荘荘園名。建久年間ごろ御神本氏が本拠を移し、益田氏を称する
室町〜戦国益田益田氏の城下。七尾城・三宅御土居を中心に町が発展
明治益田町町制施行後の行政地名。明治12年の美濃郡は現在の益田市全域にあたる
昭和益田市1952年(昭和27年)、益田町と周辺町村の合併により市制施行
平成益田市2004年に美都町・匹見町を編入し現市域となる

地名の特徴

益田は石見地方西部の中心都市で、浜田・大田とあわせて「石見の三田」と称されました。中世には益田氏の城下町として栄え、雪舟の作庭と伝わる萬福寺(まんぷくじ)・医光寺(いこうじ)の庭園など、当時の文化的蓄積が今も残ります。

地名の由来という観点から見ると、益田は「砂質の田」という即物的な土地の記述から始まり、それが荘園名・武家の名字・市名へと格上げされていった典型例です。同じ石見の大田市が『和名抄』の邑陀(おおた)郷を継いだ地名であることとあわせると、石見地方には古代の郷名がそのまま現代の市名まで生き延びた例が複数あることが分かります。

特産・名物

益田市を代表するソウルフードが「びっくり焼き」である。親鳥をじっくり煮込み、秘伝のタレをつけて豪快に炭火焼きにした料理で、市内の飲食店で広く提供されており、地元住民に深く愛されている名物だ。

果物の産地としても知られ、シャインマスカット・ピオーネ・デラウェアなどのぶどう類をはじめ、メロン・梨・イチゴなど季節ごとの果物が多彩に栽培されている。市内を流れる高津川(たかつがわ)は清流日本一に複数回選ばれており、その上質な水を活かした米作りも盛んである。また、2022年の全国和牛能力共進会で肉質評価1位を獲得した「しまね和牛」の産地のひとつでもある。

地名の変遷

  1. 平安 益田郷 — 『和名抄』に載る石見国美濃郡の郷名
  2. 鎌倉 益田荘 — 中世の荘園名。益田氏が本拠を移し、名字の由来となった

参考資料・出典

最終更新: 2026-08-28