語源
古河市の市名は、市域西北部にあたる「古河」の地名によります。この「こが」という音がもともと何を意味したかについては、郷土史の側でいくつかの説が立てられており、いずれも決め手を欠いています。
空閑(くが)説 — もっともよく知られているのは、未開地を意味する「空閑」の転訛とする説です。
カガ(芝生・草原)説 — これに対し郷土史研究家の鎗水柏翠は、古河は渡津の要衝であって未開の地ではないから空閑を起源とするのは不自然だとし、芝生や草原を意味する「カガ」の転訛とする仮説を立てました。ただし古代の古河が水に囲まれた狭く括れた土地であったことを考えると、この仮説も決め手に欠けるとしています。
滸找(コガ)説 — そこで鎗水はもう一つの仮説として、「ほとり」「水辺」を意味する滸と、「さおさす」「ふねをすすめる」を意味する找から「滸找」=「水辺にさおさすところ」という地名が生じ、そこから「許我」という表記が派生したとしています(鎗水柏翠『古河通史 上巻』柏翠会、昭和61年)。
表記の面では、『万葉集』巻14に許我、『吾妻鏡』養和元年(1181年)閏2月23日条の野木宮合戦の記事に古我が見え、中世に「古河」の表記が定まりました。奈良時代にはすでに渡良瀬川の渡し場としてにぎわっており、万葉集にはそのころの情景が二首詠まれています。これらは「こが」という音がいつからあったかを示す記録であって、語の意味を説明するものではありません。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 奈良 | 許我 | 『万葉集』巻14に見える。渡良瀬川の渡し場として二首に詠まれる |
| 鎌倉 | 古我 | 『吾妻鏡』養和元年(1181年)閏2月23日条(野木宮合戦)に見える |
| 南北朝 | 古河 | この表記が定着 |
| 室町 | 古河 | 古河公方の本拠地として発展 |
| 江戸 | 古河 | 古河藩の中心地、日光街道の古河宿として栄える |
| 明治 | 古河 | 古河駅の開業などで近代都市化が進む |
地名の特徴
「こが」の語源説は、未開地・草原という陸の土地の状態を見るものと、水辺で船をさおさす場所という水運の側から見るものに分かれます。渡良瀬川の渡し場という土地の性格をどう評価するかで説が割れており、地名研究として興味深い例です。
古河は茨城県の最西端に位置しながら、歴史的には埼玉県・栃木県との結びつきが強い地域です。古河城や古河宿に由来する寺社・町割が今も残り、「関東の小京都」とも呼ばれています。周辺にも諸川、仁連など古くからの地名が伝わっています。
特産・名物
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