🗾 地名由来辞典

都道府県名の由来

和歌山県 わかやまけん

安土桃山時代由来
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「和歌山」の名は1585年(天正13年)、豊臣秀吉が紀伊を攻略した際に、名勝「和歌の浦(わかのうら)」にちなんで命名したとされる。城と城下町に「和歌の山」の名が与えられ、以後「和歌山」として定着した。

語源

「和歌山(わかやま)」の地名は、戦国時代末期に**豊臣秀吉(とよとみひでよし)**が命名したとされる。

1585年(天正13年)、秀吉は紀州(紀伊国)を平定し、弟の**豊臣秀長(とよとみひでなが)**に与えた。秀長は虎伏山(とらふすやま)に城を築く際、この台地が古来から「岡山(おかやま)」と呼ばれていた地であったが、付近に広がる景勝地「和歌の浦(わかのうら)」にちなんで「和歌山」と改称したとされる。

「和歌の浦」は紀ノ川河口付近の海岸で、古来から歌枕として知られ、『万葉集』にも多く詠まれた名勝地である。「和歌の山」の城名・地名はその文化的な高名を城と城下町に冠したものといえる。

旧国名の「紀伊(きい)」は、「木の国(きのくに)」が転訛したものとされる。紀ノ川流域の豊かな山林地帯を「木の豊かな国」と表した古称で、律令制下では「紀伊国」として南海道に属した。

県名確定の経緯

江戸時代、和歌山は徳川御三家の一つ「紀州藩(紀州徳川家)」の拠点として栄えた。第8代将軍・徳川吉宗もこの紀州藩出身である。

1871年(明治4年)の廃藩置県で、和歌山藩・田辺藩・新宮藩など複数の藩と**五條県(奈良南部)**が合流する形で「和歌山県」が設置された。廃藩置県後も行政区域の大きな変動なく現在に至っており、近畿地方の府県のなかでは比較的安定した経緯をたどっている。

歴史的変遷

時代区分・名称備考
律令期紀伊国(きいのくに)成立南海道に属す令制国
古代和歌の浦万葉集にも詠まれた名勝として知られる
1585年(天正13年)「和歌山」命名秀吉・秀長が岡山台地に城を築き改称
江戸時代紀州藩(徳川御三家)徳川吉宗を輩出した御三家の拠点
1871年(明治4年)和歌山県成立廃藩置県で複数藩・五條県が統合

地名の特徴

「和歌山」という地名は、単なる地形や旧国名ではなく、文化的名勝「和歌の浦」を由来に持つ雅な命名である点が特徴的だ。旧国名「紀伊(木の国)」は今も「紀伊半島」「紀ノ川」「紀州梅」などとして広く使われており、両方の地名が現代でも生き続けている。

地名の変遷

  1. 奈良 紀伊国(きいのくに) — 律令制下の令制国。南海道に属す。「木の国(きのくに)」が転訛して「紀伊」になったとされ、紀ノ川流域の豊かな森林地帯を表す。
  2. 安土桃山 岡山(おかやま) — 秀吉入国以前の地名。虎伏山(とらふすやま)付近の台地を「岡山」と呼んでいた。秀長・桑山重晴の入城後に「和歌山」に改められた。

参考資料・出典

最終更新: 2026-05-01