語源
加古川市の市名は、市域を南北に貫いて播磨灘へ注ぐ加古川の名を採ったものです。市の公式サイトは「加古川市は、一級河川『加古川』の水の恵みを受けて発展してきた都市です」と述べ、市章についても「川を中心に配置し、その両岸に発展をつづける加古川市を表しています」と説明しています。1950年の市制施行で中心となった自治体が加古川町であり、その町名がさらに川の名に由来するという二段構えの関係です。
では川の名はどこから来たのか。「かこ」という語そのものは川の名より古く、古代の郡名にさかのぼります。『播磨国風土記』が伝える賀古郡がそれで、兵庫県立歴史博物館の解説によれば、古代の賀古郡は現在の加古川市域と高砂市域にまたがっていました。
表記は一定していません。風土記が「賀古」と書くのは、朝廷が地名には「好き字」(めでたい漢字)を用いよと命じたためで、同館は「『かこ』の地名は、『加古』と記される資料もありますが、あえて『賀古』とされたのは」この命によると説明しています。ほかに「鹿子」「鹿児」「可古」などの表記も用いられ、現在の「加古」が一般化するのは江戸中期ごろとされます。川の名としても、中世の文書には「賀古川」(建久3年=1192年の官宣旨案)や「加古川」(康永2年=1343年の書下案)の表記が現れます。Wikipedia は鎌倉時代中期には「かこ川」の名が定着したとしますが、この時期を示した資料は今回ほかに確認できませんでした。
ただし、「かこ」という語がもともと何を意味したのかは定まっていません。 以下に主な説を挙げますが、いずれも決め手を欠きます。
「かこ」をめぐる諸説
鹿児(かこ)説。 兵庫県立歴史博物館は『風土記』の記述を「郡内のある丘の形が『鹿児かこ』に似ているから、『かこ』と呼ばれるようになった」と要約しています。説話としては、天皇が四方を見渡して、この丘を見ると鹿児のようだと述べたことによる、という形で伝えられます。語源由来辞典はこの丘を日岡としています。
水夫(かこ)説。 「かこ」は船を漕ぐ人、すなわち水夫を指す古語です。『精選版 日本国語大辞典』は、川について「江戸時代は物資の輸送路として」利用されたと記し、町については「古くは西国街道の宿場町、のち加古川を上下する高瀬舟の発着場として栄えた」と記しています。語源由来辞典は、この「カコ(水夫)」の意味で船頭のいる地を表したとする説を挙げています。
カハ+コ説。 「カハ(川)」に接尾語「コ」が付いた「カハコ」が転じたとみて、単に川のある所を表した地名とする説です。
その他。 河口の地形が入り江のように囲まれていることを「囲む」の語に結びつける説や、周辺に鹿が多く棲んでいたことによるとする説も伝えられています。
なお、風土記の説話は郡名の由来を語るものであって、川名の由来を語るものではありません。川の名が郡の名から出たのか、その逆かを明確に述べた資料は、今回確認した範囲では見あたりませんでした。ここでは、市名が川名を受け継ぎ、川名と郡名が同じ「かこ」という語を共有している、というところまでを確かなこととして記します。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 奈良 | 賀古郡 | 『播磨国風土記』に見える郡名。好字令により「賀古」と表記された。郡域は現在の加古川市域と高砂市域にまたがる |
| 鎌倉 | 賀古川 | 建久3年(1192年)の官宣旨案などに川名として見える |
| 南北朝 | 加古川 | 康永2年(1343年)の書下案に見える |
| 江戸 | 加古 | 「鹿子」「鹿児」「可古」などに代わり、「加古」の表記が一般化するのは江戸中期ごろ |
| 明治 | 加古郡加古川町 | 1889年、印南郡加古川町と加古郡寺家町・篠原村が合併して成立 |
| 昭和 | 加古川市 | 1950年6月15日、加古川町・神野村・野口村・平岡村・尾上村が合併して市制施行 |
| 昭和 | 加古川市(現市域) | 1951年に別府町、1955年に八幡・上荘・平荘の各村、1956年に東神吉・西神吉村ほか、1979年に印南郡志方町を編入 |
地名の特徴
加古川市の地名は、河川名をそのまま市名に採った例として理解されますが、その川の名がさらに古代の郡名にさかのぼる点に厚みがあります。「かこ」という一語が、郡・川・町・市と器を変えながら千年以上受け継がれてきた形です。
見落とされやすいのは、加古川がかつて郡の境であったことです。河口部では左岸(東側)が加古郡、右岸(西側)が印南郡と分かれており、1889年に成立した加古郡加古川町は、加古郡の寺家町・篠原村と、印南郡の加古川町とが川をまたいで合併したものでした。「加古」を名乗る町が加古郡だけで完結していたわけではなく、郡域と地名の範囲は一致していません。加古郡の郡役所も当初は寺家町に置かれ、合併後に加古川町へ移っています。
市内には、日岡山のように風土記の説話を伝える地名のほか、氷丘・神野・野口・平岡・尾上・志方など、旧村名・旧町名を引き継いだ地区名が今も生きています。兵庫県立歴史博物館は、『播磨国風土記』が賀古郡に挙げる地名として日岡・比礼墓などを掲げています。この一帯が早くから記録に現れる土地であったことを示しています。
特産・名物
加古川市は、歴史に育まれたものづくり精神と豊かな食文化が魅力です。代表的な特産品としては以下のものが挙げられます。
- 加古川和牛:神戸ビーフと同じく兵庫県産の但馬牛の血統を持つブランド牛です。12カ月以上かけて大切に育てられた黒毛和牛は、きめ細やかな肉質と良質な脂のバランスが絶妙で、地元でも高い評価を得ています。
- くつした(靴下):古くから播州の三白の一つである木綿を材料とした歴史があり、加古川市周辺地域は全国有数の靴下産地として知られています。手織りによる「質の高い」製造技術が受け継がれています。
- 国包建具:江戸時代に発祥した伝統工芸品で、木材をパズルのように組み上げる緻密な細工技術が特徴です。ものづくりの精神が根付く加古川の文化を象徴する品の一つです。
- かつめし:市内100軒以上の飲食店で提供される郷土料理で、熱々のごはんに牛カツと特製ソースをかけたものです。食育の一環として小学校の給食にも登場するなど、地域に根差した味を楽しめます。
また、加古川市では「棋士のまち」を掲げ、若手プロ棋士の登竜門となる公式戦の観戦権などがふるさと納税の記念品としても提供されています。