語源
「高知(こうち)」の地名は、江戸時代初期の**山内一豊(やまのうちかずとよ)**による命名に由来する。
1600年(慶長5年)の関ヶ原の戦い後、徳川家康から土佐国を与えられた山内一豊は、入国後に居城として「大高坂山(おおたかさやま)」に目をつけた。この山は鏡川と江の口川という二つの川に囲まれた地形にあり、一豊はその地形的特徴から「河中山(こうちやま)」と命名したとされる。「川の中の山」という地形描写がそのまま地名となった。
しかし、川に囲まれた立地は洪水にも悩まされた。水害が頻発したことから、2代藩主**山内忠義(やまのうちただよし)**は1610年(慶長15年)頃、「河中(こうち)」という水害を連想させる表記を嫌い、「高智山城(こうちやまじろ)」へと改字した。「高い・賢い」という縁起の良い字を充てたものである。
その後さらに「智(ち)」の字が「知(ち)」へと変化し、「高知(こうち)」として定着した。城名がそのまま城下町の名となり、廃藩置県でも継承されて県名となった。
旧国名の「土佐(とさ)」は、律令期以前からの古い地名で、語源については「外(とさ)=辺境の地」説や「刀佐(とさ)」説など諸説ある。
県名確定の経緯
1871年(明治4年)の廃藩置県で「高知県」が成立した。四国の他県が一時的な統合・分離を経験した(徳島が高知県に合併されるなど)のに対し、高知県は設置後も比較的安定した行政区域を維持した。
歴史的変遷
| 時代 | 区分・名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 律令期 | 土佐国(とさのくに)成立 | 南海道に属す令制国 |
| 江戸時代初期 | 大高坂山城 | 長宗我部氏の時代の旧称 |
| 1600年(慶長5年) | 河中山城(こうちやまじろ)命名 | 山内一豊が川に囲まれた地形から命名 |
| 1610年頃(慶長15年) | 高智山城→高知山城に改字 | 2代・忠義が水害連想を嫌い改字 |
| 江戸時代 | 土佐藩(山内家) | 山内氏が明治まで統治 |
| 1871年(明治4年) | 高知県成立 | 廃藩置県で発足 |
| 1876年(明治9年) | 名東県(徳島)を合併 | 四国整理で徳島が一時合併 |
| 1880年(明治13年) | 徳島が分離独立 | 現在の高知県域が確定 |
地名の特徴
高知は「土佐(とさ)」という旧国名のほうが歴史的には古く、「土佐犬」「土佐清水」「土佐日記」など「土佐」を冠した名称は今も広く使われている。「高知」という地名は「河中山」→「高智山」→「高知」という段階的な字の変化を経た珍しい例で、地形描写から出発した命名が縁起改字を経て定着した経緯を持つ。