語源
枕崎の「マクラ」については、大きく二つの説が伝わります。どちらも海に面したこの土地の性格を映したものです。
漂着伝説による説
古代文化研究所が引く『枕崎市史』は、恵比須の御神体が箱枕の引き出しに入って近瀬という瀬に流れ着いたので、そのあたりを枕崎と呼ぶようになった、という伝説を伝えています。
同じ漂着の話は枕崎神社の由緒にも見えます。鹿児島県神社庁によれば、往昔、枕崎浦の近瀬という暗礁に丈五寸の金仏が漂着し、浜田門の人が拾って奉安していたといい、慶長10年(1605年)に枕崎浦の豪商・四本六兵衛がこれを本尊として社を建て、大将軍宮と称したと伝えられます。同社は明治5年に枕崎神社と改称されました。
暗礁を指す「マクラ」の説
一方、同研究所が引く小川亥三郎『南日本の地名』は、三島村から十島村にかけての海域で暗礁を「マクラ」と呼ぶことを挙げ、枕崎の「マクラ」も同じ語であろうとしています。同研究所自身は、箱枕の伝説は説得力に欠けるとしてこの暗礁説を採りつつ、枕崎に特定の暗礁があるという確証は得られないとも述べています。この読みに立てば、「枕崎」は暗礁のある岬を指す地形語ということになります。漂着伝説に出てくる「近瀬」も暗礁とされており、二つの説はこの岩礁を共通の背景に持ちます。
なお、地名としての「枕崎」は近世にはすでに浦の名として使われていました。江戸時代のこの地は薩摩国川辺郡の鹿篭郷で、その浦ははじめ枕崎浦と白沢津浦の2か浦だったと記録されています。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 江戸 | 鹿篭郷・鹿篭村 | 薩摩国川辺郡。浦の一つとして「枕崎浦」の名が見える |
| 江戸 | 枕崎浦 | 宝永年間(1704〜11年)に紀州から森弥兵衛が鰹節の製法を伝え、カツオ漁で栄えた |
| 明治 | 枕崎村ほか | 明治14年(1881年)、鹿篭村が枕崎村・東鹿篭村・西鹿篭村に分割 |
| 明治 | 東南方村 | 明治22年(1889年)、町村制施行により4村が合併して成立 |
| 大正 | 枕崎町 | 大正12年(1923年)、町制施行にあわせて改称 |
| 昭和 | 枕崎市 | 昭和24年(1949年)、市制施行 |
地名の特徴
枕崎の名は、もとは鹿篭郷のなかの一つの浦の名にすぎませんでした。18世紀初頭まで人口1000人に満たない村でしたが、カツオ漁とその加工で浜辺の枕崎が栄え、経済の中心が山麓の鹿篭から海岸部へ移っていきます。大正12年に東南方村が町制を施くにあたり、村名ではなくすでに知られていた浦の名「枕崎」が新しい町名に選ばれました。
郷名だった「鹿篭」は東鹿篭・西鹿篭といった地名として市内に残っており、地名の主役が山手から浜へ移った経緯をたどることができます。
特産・名物
枕崎市は日本一の「かつおのまち」として全国でも有数の港町であり、生産量日本一の「枕崎鰹節」が代表的な特産品です。古来の伝統と最新技術で製造されたこの鰹節は、日本のおふくろの味を支える調味料として大好評をいただいています。
また、暖地性を生かした農業も盛んであり、特にお茶や電照菊の一大生産地となっています。豊かな自然環境を活かし、高品質な農産物が栽培されています。
枕崎港に水揚げされる新鮮な魚介類も有名で、その美味しさで知られています。