命名経緯(公募)
公募や造語など、近代以降の意図的な命名で生まれた地名。公募に限りません。
141件収録
市名は平成の大合併時に公募で決まり、「愛知県の西部」に位置することから「愛西」と名付けられました。候補の中から「海西市」との決選投票を経て採用されています。
会津美里町の町名は、旧会津高田町・会津本郷町・新鶴村の合併に際し、会津の歴史と美しい里のイメージを重ねて名づけられました。地名の「会津」自体は、古事記に見える「相津」に由来するとされます。
区名は公募で選ばれ、木々に囲まれた美しい街のイメージや、若い芽が育つように将来へ伸びやかに発展する願いを込めて「青葉区」と定められました。
朝霞市の名は、昭和7年の町制施行時に、東京ゴルフ倶楽部名誉会長の朝香宮にちなんで改称されたことに由来します。旧村名の膝折村からの改称で、近代の町名制定の経緯が色濃く残る地名です。
区名は公募で決まり、字画が少なく簡潔で、朝日が昇るような将来性を表すことから「旭区」が採用されました。
松本盆地南部の西山麓高原にあり、朝日がいち早く当たることから名づけられました。旭日のように輝かしく発展する願いも込められています。
阿知川の南にある地域として「阿南」と呼ばれるようになり、昭和32年の合併時に町名として採用されました。周辺地域との交流の深さから「ちょう」と読む呼称も定着しました。
綾川町の町名は、町名の頭文字「a」と「川」の流れを組み合わせたもので、若々しさと町の由来を重ねた名称です。
市名は旧国名の伊賀に由来する広域地名で、伊賀地域全体を示す名称として採用されました。合併協議会の全国公募で最も多くの応募を集めた名称で、名張市を除く旧1市3町2村が合併して伊賀市が発足しました。
伊豆市の「伊豆」は旧国名に由来し、その語源には、温泉が多く湧き出ることから「湯出づ」の意とする説などがあります。2004年の4町合併に際し、公募で最も多かった「伊豆」が市名に選ばれました。
2005年に伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併して成立した市名で、旧国名「伊豆国」に由来します。合併協議会が公募した493種類の名称から候補が絞られ、2004年3月の投票で「伊豆北条市」を12対10で退けて決まりました。
昭和61年の戸塚区分区の際、泉が湧き出るように若い活力を生み出しながら発展するよう願って名付けられました。地名は区内の湧水の多さとも重なり、自然を感じさせる名称です。
市名は旧入間郡からの借用で、古くは「入間野」と呼ばれた地域名に由来します。語義は「入り込んだ谷間・低地」を表すとする説が有力です。
1966年の新設合併で誕生した市名で、既存の「磐城市」との重複や吸収合併の印象を避けるため、ひらがなの「いわき」が採用されました。漢字表記は石城・岩城・磐城などの歴史的変遷をたどります。
浦安市の名は、明治22年の三村合併時に「浦、安かれ」と海辺の安泰を願って付けられたとされます。一説には『日本書紀』に見える「浦安の国」にちなむともいわれます。
旧出雲国の南に位置する地方を意味する「雲南」が、古くから親しまれてきた呼び名として市名に継承されました。
村名は、かつて八郎潟が「大方(おおがた)」と呼ばれたことに由来するとされます。公募で選ばれ、干拓地の新しい村名として定着しました。
明治7年に須原・長野・殿・野尻の4か村が合併した際、旧4か村の集合であることと、良い桑を作り養蚕業を発展させる願いを込めて「大桑村」と命名されました。
大空町は、女満別町と東藻琴村の合併で誕生した新しい町名で、澄み切った大空とその下に広がる豊かな大地を表しています。住民が夢と希望を持って暮らす願いを込めて命名されました。
昭和30年の4か村合併で生まれた村名で、『大豊町史』は大杉の「大」と豊永の「豊」を組み合わせたものと記します。将来大きく豊かな村にという村民の願いも込められています。
「大治」は「大いに治まる」を意味する瑞祥地名とされます。町名には、平穏で安定した土地であってほしいという願いが込められたと考えられています。
1974年の新設合併で誕生した市名で、公募により「沖縄市」が選ばれました。県都・那覇に次ぐ中枢都市を目指す意図が込められています。
小川町・美野里町・玉里村の3町村の頭文字を1字ずつ取った合成地名です。合併協議会が881点の公募名称から3候補に絞り、委員の投票で決定しました。
日露戦争後の時勢を背景に、国運の上昇を願う日の出のイメージから「旭」と名付けられた市名です。旧尾張国の地であることから「尾張」を冠しています。
市名は旧国名の加賀に由来し、1958年の合併時に公募で採用されました。加賀国の名は古くから見えますが、その語源自体は「崖・傾斜地」など諸説あり、確定していません。
市名は昭和31年の合併時に採用された新しい地名で、香芝中学校名や「カマシバ」転訛説に由来するとされます。下田の鹿島神社周辺の地名変化が有力です。
町名は町域北端の葛城山脈(和泉葛城山)にちなみ、合併時に県知事が命名したものです。古くは奈良県側の葛城に由来する地名とされます。
町名は神流川(かんながわ)にちなむとされ、1954年の合併時に住民投票で新たに命名されました。周辺には金鑽神社など、神流川流域の歴史と結びつく地名・信仰が残ります。
市名は市内を流れる菊川に由来します。前身に同名の菊川町がありましたが、2005年の小笠町との合併では公募を経て「菊川市」が選ばれ、その選定理由は名の元として旧町名を挙げず、川の名「菊川」から取った名前と説明しています。
合併前の師勝町・西春町で公募し、名古屋の知名度を生かせることから新市名に採用されました。名古屋市の北に位置することを示す合成地名です。
北見市の名称は、松浦武四郎が命名した旧国名「北見国」に由来する。1942年の市制施行にあたり、北見国の中央に位置し商工業の中心であることから、野付牛町を改めて市名とした。
町名は、山海の幸に恵まれた東紀州の町であることを表す「紀宝」に由来します。2006年に旧紀宝町と鵜殿村が合併して現在の町名となりました。
町名は公募で決まり、紀州の「紀」と美里町の「美」、野上町の「野」を組み合わせたものです。「君の町」の意味も重ねられています。
昭和30年の三村合併の際に村名を公募して「共和」と名付けられました。共同親和や「和して同ぜず」の理念、昭和という時代背景を踏まえて選ばれたとされています。
昭和30年の合併時に公募で決まり、玉名郡の東に位置することから「玉東」と名付けられたとされています。
町制施行の際に、「清く住みよい里」という意味を込めて名付けられました。さらに「清」は小清水、「里」は斜里を表し、分村の歴史も重ねています。
市名は合併協議で「清洲市」と競った末に、2004年の再投票で「清須市」が選ばれて決定しました。読みは「きよす」で、旧清洲の地名を受け継ぎつつ表記を改めたものです。
町名は西側に広がる錦江湾(鹿児島湾)に由来し、公募で決定されました。2005年に大根占町と田代町が対等合併して発足した町名です。
国立市の地名は、国分寺と立川の間にある新駅名として両駅名の頭文字を取ったことに由来し、「この地から新しい国が立つ」という願いも込められました。
町名は「国を見はるかす町」という意味を込めて名付けられたとされます。阿武隈川流域の地形と、周囲を見渡せる地勢が由来に結びついています。
平成17年の合併時に公募で選ばれた市名で、「甲州」は甲斐国の別称です。市域に甲州葡萄・甲州ワイン・甲州百目柿など「甲州」を冠した産物が多いことも採用の理由とされます。
1969年の行政区再編で誕生した区名で、公募により「港の南に位置する」ことを意識して名付けられました。地元の要望を受けて採用された名称です。
平安期の「率浦郷」から「五十目」へ転じ、元禄ごろから「五城目」の表記が現れた。明治28年、商業の実態に村名が釣り合わないとして村会が改称を決議し、翌年の県告示で「五城目町」となった。
市名は琵琶湖南側の広域地名「湖南」に由来し、滋賀県南部の地域名として定着したものです。2004年の合併で市制施行の際に採用されました。
古代に「前玉(さきたま)」と呼ばれた湿地帯の地形に由来する地名で、「先(突き出た場所)」と「玉(水が溜まる)」が組み合わさり、水辺のそばを意味する。
区名は公募で選ばれ、本郷・豊田の共栄と、未来に向けて大きく栄えていく願いを込めて名付けられました。明るく華やかな印象と、簡潔で語調のよさも重視されています。
栄町は、合併によって誕生した町名で、「栄える」という縁起のよい語を用いた新しい自治体名です。町内の安食の地名には、五穀豊穣を祈願して「食に安んずる」ようになったことに由来する伝承があります。
栄村は、昭和31年(1956年)に下高井郡堺村と下水内郡水内村が合併して発足した村です。村名は両村の一般からの公募で最も多かった「栄村」が採用されました。
村名は相良氏に由来し、昭和31年の川村・四浦村合併の際に「相携えて良くなるように」という願いも込めて名付けられました。
区名は公募で選ばれ、上位候補の一つだった「桜区」が採用されました。区の木がサクラであることとも響き合う、親しみやすい名称です。
明治2年(1869年)に「府中」から改称された際、近くの賤機山(しずはたやま)に因んで「賤ヶ丘」とする案が「賤(いやしい)」を理由に修正され、「静岡」と命名された。
「島田」は鎌倉時代の『吾妻鏡』にも見える古い名で、名の意味を説明する確かな出典は確認できていません。2005年の金谷町との合併では、全国公募を経て旧市名「島田市」が引き継がれました。
市名の「周南」は、周防国の南部を意味する広域地名に由来します。平成の合併で、地域に定着していた呼称を新市名として採用しました。
山城国南部の「城」と、日当たりのよい土地を表す「陽」を組み合わせた地名です。京都と奈良のほぼ中間に位置し、縁起のよい意味を込めて名付けられました。
昭和町の地名は、元号の「昭和」に由来し、1942年の合併時に公募で名付けられたとされます。町公式サイトでは、甲府盆地の水害と水利用の歴史の中で形成された各集落の由来も紹介されています。
2005年に常北町・桂村・七会村が合併して成立した町名で、「城」と「里」を組み合わせた新しい地名です。城下や城跡の歴史を受け継ぎつつ、里山的な地域性を表した名称と考えられます。
新郷村は、旧戸来村と西越村の合併で成立した村名で、「新しい郷」を意味する合成地名です。村内の旧地名「戸来」は、南部地方の歴史やキリスト伝説とも結び付けられています。
榛名山の東麓に位置することから「榛東」と名づけられたとされます。合併後の新村名を公募して採用した、比較的新しい地名です。
町名の「精華」は、教育勅語の「国体の精華」に由来する瑞祥地名です。「美しい花」の意味もあり、町の発展への願いを込めて採用されました。
町名は公募で決まり、語源はアイヌ語の「セタルシュペナイ」から転じた「セタナイ」に由来するとされています。
大曲市と仙北郡の頭文字「大」「仙」を採った合成地名。2003年の新市名称公募で最多の143件を集め、「新大曲市」との議論を経て臨時協議会で全会一致で決定した。
大阪市の東に位置する衛星都市としての将来性を、「光は東方より」ということわざに託して名付けられた市です。
市名は市域を流れる胎内川に由来します。合併協議会は「胎内」をアイヌ語で「清い水の流れ」を意味すると説明し、公募1位のこの名を新市名に選びました。なお川名そのものの由来には、ほかにも複数の説があります。
太白区の名は、区内の象徴である太白山に由来します。区名選定では「南区」案もありましたが、方角名を避けて地域の象徴を採ったとされています。
昭和30年(1955年)4月20日に1町4カ村が合併して発足した際、「大きな和の町」を目指して名づけられた町名です。古代の「大和(やまと)」とは別系統で、読みも「たいわ」となります。
町名は蓼科山麓の「蓼科」に由来しますが、当用漢字に「蓼」がなかったことや、古くは立科山と呼ばれたことから「立科」の字が採られました。
千葉市の中心部に位置することから、区名は公募で「中央」と定められました。市名の「千葉」は古くからの郡郷名に由来し、区名はその中心性を示す瑞祥的な命名です。
相模原市の政令指定都市移行に伴い、公募で最も多い1,305件の応募を集めた「中央区」が区名に採用されました。
さいたま市中央区は、政令指定都市移行時に設置された行政区で、区名は「市域の中央に位置する」ことを踏まえて名付けられました。旧与野市域をほぼ継承しつつ、さいたま新都心西側地区の一部を含みます。
長生村の名は、明治29年に長柄郡と上埴生郡が統合してできた長生郡に由来します。昭和28年の3村合併にあたり村名を一般公募し、多数の応募の中から郡名の「長生」が選ばれました。
昭和30年の合併に際して新しく付けられた村名で、旧村名の文字を使わないという方針のもと、三か村とも農村であることから「千代に八千代に栄える農村」という意味を込めて選ばれました。
2005年の合併で成立した市で、市名は青森県西部一帯を指す広域地名・旧郡名「津軽」に由来する。「津軽」自体の語源は未詳。
2006年に旧伊奈町と谷和原村が合併して誕生した市名で、「つくば」と「みらい」を組み合わせた新しい造語です。筑波研究学園都市に近い立地と将来性を意識した命名とされています。
東栄町の町名は、1955年の合併で発足した新しい行政地名です。旧本郷町などの町村名を受け継がず、地域の将来への発展を願う意味合いを込めた命名と考えられます。
昭和44年に上野町と横須賀町が合併した際、公募で寄せられた5,125通の応募から、合併協議会の投票と愛知県知事の審査を経て決まった市名です。東海地方を代表するスケールの大きい名であることなどが採用の理由でした。
旧称の弁辺から、農産物や水産物が豊かで内浦湾に面する土地柄を表す「豊浦」へ改称されました。豊かさへの願いも込められた町名です。
町名の「豊郷」は、米穀の豊穣を願って名づけられたとされます。古くから稲作が盛んな土地柄を反映した、縁起のよい地名です。
明治39年に豊場村と青山村が合併して成立した地名で、両村名の一字ずつを取って「豊山」と名付けられました。あわせて「物産豊かに山をなす」というめでたい意味合いも込められたとされます。
市名は「南国」の字を用いるが、読みは「なんこくし」。市の説明では、「みなみのくに」という意味と、「くに」に濁点がないことから、「国」を「ごく」ではなく「こく」と読むことで見解が一致したとされる。
西川町の町名は、合併前の西山村と川土居村の両村が設置した「西川中学校組合」の名称に由来します。1954年の合併で町が発足した際、その名称が町名として採用されました。
田無市と保谷市の合併に際し、公募と市民投票で選ばれた新市名です。東京23区の西側に接する位置関係を意識した名称とされています。
日進市の地名は、明治期に新たに付けられた名称で、村の発展が日々進むようにとの願いを込めたとする説が有力です。ほかに、装甲巡洋艦「日進」や漢籍の語句に由来する説も伝わります。
花見川区の名は、区内を流れる花見川に由来し、さらに「ハナ」は先端や高地を表す古い地名要素とみられます。後世に「花見」の字が当てられ、美しい川名として定着しました。
浜名区は、浜名湖や浜名郡に由来する歴史ある呼び名を受け継いだ区名です。区名公募でも、地域の自然と伝統を表す名称として支持されました。
町名は旧国名の播磨国に由来し、播磨工業地帯の中核にふさわしい広域地名として採用されました。旧称の阿閇から改称された経緯もあります。
市名は、もともとの「松山」に方角を示す「東」を付け、四国の松山市との混同を避けるために定められました。1954年の市制施行時に現在の市名となっています。
大正8年に6か村が和して「大和村」となり、昭和45年の市制施行時に東京の大和市との区別を意識して「東大和市」と名づけられました。
光市の市名は、戦時中に海軍工廠を置く際、呉と同じ一文字地名を望んで周南町から改称されたことに由来します。のちに光町から光市となり、縁起のよい市名として定着しました。
1955年の高麗村・高麗川村の合併に際し、両村住民からの公募490種類の中から選ばれた町名です。名の意味を記した公的な説明はなく、日和田山の「日」と高麗の「高」を採ったとする説があります。
2006年の合併で誕生した市で、市名は3町村を流域とする平川にちなみ、一般公募により決定された。
洋野町の町名は、2006年の合併時に一般公募で決められた瑞祥地名です。「洋野」の「野」は旧大野村の「野」とは無関係とされます。旧種市町域の地名由来には諸説が伝わります。
市名は富士山本宮浅間大社の旧称「富士の宮」に由来します。1942年の市制施行の際、浅間神社が「富士の宮」とも称されて広く知られていたことと、埼玉県にすでに大宮市があったことから、この名に決まりました。
市名は、1993年開業のふじみ野駅に由来し、2市2町合併構想の中で生まれた名称がそのまま採用されたものです。合併後の新市名として選ばれ、2005年の市制施行時に正式な市名となりました。
「文京」は、旧小石川区と旧本郷区の合併で誕生した新しい区名で、「文教の府」という区の性格を端的に表す名称として選ばれました。
北斗市は、旧上磯町と旧大野町の合併時に公募で選ばれた名称で、北斗七星のように輝くまちへの願いが込められている。
市名は、北にある八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの山々を背景に、「北」の方位と、星座の「北斗」に通じる響きを重ねた新しい合成地名です。2004年の合併で誕生しました。
市名は合併時に公募で選ばれ、知名度の高い「米原」を採用して「まいばらし」と読みます。地名の由来には「迷原」から転じたとする説など諸説あります。
市名は市の北部に広がる牧之原台地と同じ名で、台地名「牧之原」は古く一帯に官牧や私牧が置かれたことに由来するとされます。2005年の相良町・榛原町の合併にあたり、公募と合併協議会の投票を経て「牧之原市」に決まりました。
町名は旧三木郡に由来し、さらに『全讃史』に見える三つの大樹の伝承を受け継いだものとされます。地域の歴史と自然を重ねた地名です。
2005年の合併に際して公募で決まった町名です。協議会の記録に名の意味の説明はなく、合併後の町の形が花びらに見えることから「美しく咲く」意を込めたとする説が伝えられています。
2003年に千畑町・六郷町・仙南村の合併協議会が公募し、2,828通の応募から選ばれた名。協議会では「美しい故郷」のイメージを挙げる委員が多く、「美郷」を支持する意見が大勢を占め、「六郷町」を推す意見との議論を経て決まった。
2006年に南郷村・西郷村・北郷村が合併して誕生した町です。合併協議会は候補6点の提案理由に「美しい自然の山々に囲まれたふる里がいつまでも続くことをイメージした名称」と記しています。
町名は、合併により誕生した新しい自治体名で、自然豊かな郷土を「美しい郷」と表現したものです。江の川流域の山と川に囲まれた景観や、地域の魅力を象徴する名称として定着しました。
2004年に中央町と砥用町が合併して成立した町名で、「美しい里」を意味する新しい合成地名です。町の公式サイトでも「美里町」と表記され、自然豊かな地域性を表しています。
2006年の小牛田町・南郷町の合併に際し、住民から公募した名称の中から合併協議会の投票で選ばれた町名です。旧町名の文字を組み合わせた合成地名ではありません。
1954年の合併時に住民投票で採用された新しい町名で、「美しい里」を意味する瑞祥地名です。
瑞浪市の地名は、土岐川の南にあることを示す「水の南」と、瑞穂の浪打つ町という意味を合わせて名づけられたとされます。市名決定時には旧瑞浪町案が採用され、駅名の影響もあったと伝えられます。
千葉市緑区の区名は、区域を代表する地名がなかったため公募で決められました。自然や緑が豊かな地域性を反映した名称とされています。
横浜市の公募で選ばれた区名で、「緑を美しく保存したい」という願いが込められています。区内に緑地や農地が多く、自然の豊かさを象徴する地名です。
2010年の政令指定都市移行時に公募で選ばれた区名。区域の約77%を山林・河川・湖が占める豊かな自然環境を反映して名付けられました。
さいたま市の政令指定都市化に伴って設置された区名。区名選定の住民投票では6候補中5位でしたが、上位の候補が旧市名を含むなどの理由で除外された結果、緑豊かな地域性にちなむ「緑区」が採用されました。
みどり市は、2006年に笠懸町・大間々町・東村の3町村が合併して発足した市です。市名は公募で集まった189の候補から合併協議会が絞り込んで決めたもので、緑豊かなふるさとへの思いと自然との共存への願いが込められています。
町名は、利根川の水源地にあたる「水上」に由来する説と、若山牧水の『みなかみ紀行』にちなむ説が知られます。平成17年の合併で誕生した新しい町名です。
市名は公募で選ばれ、南アルプス山麓に位置する地理的特徴と、豊かな自然をわかりやすく示す名称として定着しました。日本の市名としては珍しいカタカナを含む外来語由来の地名です。
南あわじ市は、平成の合併で誕生した市名で、旧南淡地区が新市名として採用したものです。淡路島南部に位置することを示す「南」と、島名の「あわじ」を組み合わせた地名です。
町名は1955年の町制施行時に公募で選ばれた「南伊豆」です。方角を示す「南」と「伊豆」を組み合わせた形で、町は伊豆半島の最南端に位置します。
伊勢市の南に位置することから「南伊勢」と名付けられました。2005年に南勢町と南島町が合併して誕生した町名です。
2010年の政令指定都市移行時に公募で選ばれた区名。候補の中で最多得票(1132票)を獲得し、大きな差をつけて選ばれました。
堺市南区は、堺市の南部に位置することから「南区」と命名されました。住民投票では「泉北区」が多数でしたが、東・西・北との統一性のため南区に決定。泉北ニュータウンと日本最大級の須恵器生産遺跡・陶邑窯跡群を有します。
2005年の志津川町・歌津町の合併に際し、公募で最も多く寄せられた名称を合併協議会が採用した町名です。新町が三陸海岸の南部に位置することを表しています。
2006年に日和佐町と由岐町が合併して成立した町名です。両町の全世帯アンケートで最多を得て決まり、協議会は「美しい波の町」と説明しました。旧町名をあえて外す方針で選ばれた名です。
愛知県美浜町の町名は、美しい海岸があることにちなむ瑞祥地名とされます。知多半島南部の海辺の景観を反映した名称です。
昭和29年の合併時に、旧郡名の「弥美庄」に通じる「美」と、若狭湾に面する美しい浜辺の「浜」を取って名づけられました。瑞祥的な新町名です。
1954年の三尾・和田・松原3村の合併に際し、一般公募から審査を経て決まった町名です。『美浜町史』は「観光立町の上からも望ましいという意見が多数を占めた」と選定の理由を記しています。
美浦村の「美浦」は、村内にある美しい入り江状の地形や水辺の景観を連想させる名で、周辺の地形的特徴を踏まえて付けられたと考えられます。
「みやき」の名は、三養基郡の3町(中原町・三根町・北茂安町)が2005年に合併した際、住民公募によって選ばれた。佐賀県で初めてひらがな表記を採用した自治体名。
百間村の「宮」と須賀村の「代」を合わせて名付けられた町名です。昭和30年の合併に際し、公募で選ばれました。
明治22年に馬絹村字宮ノ前付近へ村役場が置かれたことに由来し、旧村名「宮前(みやさき)」を継承して現在の区名となりました。読みは「みやさき」から「みやまえ」へ改められています。
むかわ町は、2006年に鵡川町と穂別町の合併で誕生した町で、合併協議会での公募と委員の投票を経て、町域を流れる鵡川の名をひらがなにした町名に決まりました。鵡川の語源はアイヌ語とされますが、原義には諸説あります。
1960年に大湊田名部市から改称して生まれた、日本初のひらがな表記の市名。旧国名「陸奥」にちなむ。
三ヶ村の合併時に公募で「明朗で平和な村に」という願いを込めて名付けられた地名です。町名はその後も受け継がれ、現在の明和町となりました。
八千代市の市名は、昭和29年の町制施行時に公募で決まった瑞祥地名で、「永くいつまでも」「無限の発展性」を願う意味が込められています。
八千代町の町名は、昭和47年の町制施行の際にそれまでの八千代村の名を引き継いだものです。八千代村の名は、昭和30年の5か村合併にあたり、合併協議会の審議会委員による無記名投票で多数の候補の中から選ばれ、この地方が八つの郷にまたがっていたことと「千代に八千代に栄える」という意味を込めた名とされています。
弥富市は、彌(弥)富の字に「いよいよ富む、いやがおうにも富む」という繁栄への願いを込めた瑞祥地名です。
大和市の地名は、日本の雅称「大和」ではなく、明治期に鶴見村から改称された「大和村」に由来します。村内の対立を収めるため、「大いに和する」の願いを込めて名付けられました。
矢部・清和・蘇陽の3町村合併で誕生した町名です。公募の応募理由には「山の都」として栄えるようにという願いに加え、「山」を「三」と読み替えて3町村を表す意味も込められていました。
湯梨浜町は、羽合町・泊村・東郷町の合併で生まれた町名で、温泉の「湯」、二十世紀梨の「梨」、砂浜の「浜」を組み合わせています。住民公募で集まった名前から候補を5点に絞り、世帯単位の住民アンケートで最多票を得て決まりました。
横芝町と光町の合併で成立した町名で、両町の歴史や文化を継承し、心を一つにして発展する願いが込められています。
町名は昭和初期、本多静六博士が槻川周辺の景観を京都の嵐山になぞらえて「武蔵嵐山」と名付けたことに由来します。のちにこの呼称が町名として採用されました。
若葉区の区名は、区設置前からあった「若葉総合支所」の名に公募で支持が集まって決まったもので、区内に古くからある固有地名ではありません。
市制施行時に旧町名の「大和」が使えなかったため公募で新市名が決まり、「和」は平和、「光」は栄光や前進を表す願いが込められました。