語源
八千代町の町名は、昭和47年(1972)の町制施行のときに、それまでの自治体名であった八千代村の名をそのまま引き継いだものです。八千代村は昭和30年(1955)1月1日、結城郡の安静村・下結城村・中結城村・西豊田村・川西村の5か村が合併して誕生しました。
『八千代町史 通史編 本編』によれば、この新村名は次のように選ばれました。昭和29年10月28日に5か村の合併促進協議会が成立し、11月8日の協議会で新村名の選定条件として、(一)関係郡名および村名の漢字を用いないこと、(二)審議会委員全員による無記名投票の結果、最多数の投票を得たものを新村名とすること、(三)県内の市町村と同名を用いないこと、の3点が定められました。投票は数回行われ、同書は「出席委員三七名中一七票の多数票で『八千代村』と決定した。次点は一三票の五美村、八票の穂波村であった」と記しています。
このほかの候補には、昭和・茨城・いばらき・共栄・新生・五条・平・清和・睦・清野・五郷・五依・和五・五光・朝日・明和・常総・結真・清澄・共和・大平・和生・五和・五都・富久和・大輪などが挙がっていました。なお、川西村が加わる前、西豊田村ほか3か村(中結城村・安静村・下結城村)で県知事へ出された合併申請では、新村の名を「城田村(仮称)」としていました。村名は川西村の参加後に、上記の手続きで改めて選び直されたことになります。新村名の決定を受けて、昭和29年11月25日付で5村長の連名により県知事宛の合併申請書が提出されました。
「八千代」という名に込められた意味については、『茨城県史 市町村編2』が「この名は、古くこの地方が下山川、水の井、葺津、若女、貝谷、粟野、堀渡、川廻の八郷にまたがっていたため『千代に八千代に栄える』という意味を含めて定められた」と記しています。つまり、この地方がかつて8つの郷にまたがっていたことと、末永い繁栄を願う「千代に八千代に」の言葉の2つを込めて名付けられたことになります。なお、上記の町史と八千代町公式サイトには、この名の意味についての説明は見られません。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 明治 | 安静村・下結城村・中結城村・西豊田村・川西村 | 明治22年の市町村制施行により結城郡の5か村が成立 |
| 昭和 | 八千代村 | 昭和30年1月1日、5か村が合併して発足。村名は無記名投票で選定 |
| 昭和 | 八千代町 | 昭和47年の町制施行により、村名を引き継いで町となる |
地名の特徴
新村名の条件(一)が「関係郡名および村名の漢字を用いない」と定めていたため、結城郡や旧5か村の名を受け継ぐ選択肢は初めから外されていました。候補として挙がった名の多くが旧村名と結び付かないのは、この条件によるものです。
村の発足後には区域の調整も行われました。町史によれば、昭和30年5月17日に名崎村が三和村へ合併したことで、中結城地区の中に取り残される形になった名崎村の飛地・大字成田新田について、八千代村への編入が申請されました。5月31日付での実施を求めた申請でしたが、政府の認可(総理告示第1260号)による施行は同年6月5日となっています。八千代町公式サイトが「旧5か村と三和村成田が合併して八千代村が誕生し」と記すのは、この編入を含めた説明です。
特産・名物
八千代町は豊かな自然に恵まれ、農業をはじめとする食の分野で多くの特産品を生み出しています。特に「常陸牛」や新鮮な農作物が町の大きな魅力です。
【茨城県が誇る高級和牛「常陸牛」】 茨城県を代表する極上和牛である常陸牛は、A4~A5ランクの厳選されたモモ肉などを使用し、そのきめ細やかな肉質と豊かな風味を保っています。老舗洋食店の監修による煮込みハンバーグやビーフシチューなど、様々な形で「常陸牛」の旨味が楽しめます。
【八千代町産の新鮮な農産物】 農業が盛んな地域であり、特に白菜は生産量日本一を誇ります。また、旬を迎えるフルーツも豊富で、黒皮小玉スイカやタカミメロンなど、丹精込めて育てられた果物は高い人気を集めています。その他にも、地元産の野菜を使った漬物や加工食品がJA直営店などで幅広く手に入ります。
【その他の食の恵み】 農産物だけでなく、地元の食材を活かした総菜や加工品も充実しており、生産者の想いが詰まった「食」を通じて町の魅力を感じることができます。