語源
伊豆の国市は、2005年(平成17年)に伊豆長岡町・韮山町・大仁町の3町が合併して成立した市です。市名は、旧国名「伊豆国」に由来します。伊豆国の範囲は伊豆半島に伊豆諸島を加えた地域でした。
『扶桑略記』の天武天皇9年(680年)7月条には、駿河国から2つの郡を割いて伊豆国を設けたとあります。割かれたのは田方・賀茂の両郡とみられ、合併した3町はいずれも田方郡の町でした。
市名は、合併協議会が公募した名称の中から選ばれました。協議会がまとめた主な応募理由には「昔からの歴史ある名称」「伊豆という言葉が入り、響きが良い」「農協と同じ名前で地域に定着している」「3町に共通、公平」が挙がっています。
命名の経緯
伊豆長岡町・韮山町・大仁町合併協議会は、新市の名称を公募しました。締切は2004年(平成16年)1月9日で、応募は2,922件(応募者2,003人)、名称は493種類にのぼりました。
新市名称候補選定検討小委員会では、委員がそれぞれ10点以内を選び、そこで挙がった35種類を「地理的に3町がイメージされる名称」「歴史にちなんだ名称」などに分けて絞り込みました。議論の中で、字数の多い名称は住民に好まれないこと、ひらがなの名称と現在の3町の町名を含む名称はふさわしくないことが共通認識とされました。選定に影響するおそれがあるとして、名称ごとの応募数は公表しないことも確認されています。「伊豆の国市」は「地理的に伊豆全体がイメージされる名称」の中から、「昔は伊豆の国と呼ばれ、個性的であり、響きがよい」として選ばれています。
2004年1月28日の第6回協議会で、小委員会は「伊豆中央市」「伊豆の国市」「伊豆北条市」「狩野川市」「北伊豆市」「田方市」「田方野市」の7点を候補として報告しました。2月25日の第8回協議会では、件数を伏せたまま応募数の上位10点が公表されましたが、「伊豆の国市」はこの10点に入っていませんでした。応募数が多かったからではなく、小委員会の選定を経て候補になった名称です。
同じ第8回協議会で、7点を2点に絞る投票が行われました。「伊豆北条市」が10票で1位となり、「伊豆の国市」と「狩野川市」が5票ずつで並んだため再投票を行い、15対9で「伊豆の国市」が残りました。
2004年3月24日の第9回協議会で、2点から1点を選ぶ投票が行われ、「伊豆の国市」12票、「伊豆北条市」10票(無効1票)で「伊豆の国市」に決まりました。この投票では、県から出ている委員は投票を控えています。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 飛鳥 | 伊豆国 | 680年(天武天皇9年)、駿河国から2郡を割いて設けられたと『扶桑略記』に見える |
| 平安 | 伊豆国田方郡 | 『和名抄』(930〜935年編)では、伊豆国に田方・那賀・賀茂の3郡、21郷があったとされる |
| 明治 | 韮山町 | 1877年(明治10年)、多田村・山木村・金谷村・土手和田村・滝山村が合併 |
| 明治 | 川西村・江間村・韮山村・田中村・北狩野村 | 1889年(明治22年)の合併で成立。川西村は古奈・戸澤・長岡・天野・小坂・長瀬・墹之上・花坂の8村、江間村は南江間・北江間の2村、韮山村は韮山町と長崎・奈古谷・原木・四日町・寺家・中条・南条・中・内中の9村、田中村は田京・大仁・吉田・守木・御門・宗光寺・白山堂・神島・三福の9村、北狩野村は牧之郷・柏久保・年川・大野・浮橋・下畑・田原野の7村から |
| 昭和 | 伊豆長岡町 | 1934年(昭和9年)、川西村が町制施行 |
| 昭和 | 大仁町 | 1940年(昭和15年)、田中村が町制施行 |
| 昭和 | 伊豆長岡町 | 1954年(昭和29年)、江間村を編入 |
| 昭和 | 大仁町 | 1959年(昭和34年)、北狩野村のうち下畑・田原野・浮橋の全域と、大野・年川の各一部を編入 |
| 昭和 | 韮山町 | 1962年(昭和37年)、韮山村が町制施行 |
| 平成 | 伊豆の国市 | 2005年(平成17年)、伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併 |
地名の特徴
「伊豆の国」は、現在の市域だけでなく、伊豆全体を指す旧国名をそのまま市名に掲げている点が特徴です。選定を担った小委員会も、この名称を「地理的に伊豆全体がイメージされる名称」に分類していました。
最後まで争った「伊豆北条市」は、北条氏ゆかりの地であることにちなむ名称でした。北条は田方郡にあった地名で、北条時政の本拠地であり、源頼朝がここで平氏打倒の兵を挙げたと伝えられます。市内では今も韮山・伊豆長岡・大仁の旧町名が地区の呼び名として使われています。