🗾 地名由来辞典

島田市 ( しまだし )

静岡県 / 島田市 鎌倉時代由来

AI生成

「島田」は鎌倉時代の『吾妻鏡』にも見える古い名で、名の意味を説明する確かな出典は確認できていません。2005年の金谷町との合併では、全国公募を経て旧市名「島田市」が引き継がれました。

語源

島田(しまだ)という名の意味や語源を説明する確かな出典は、現在のところ確認できていません。

古くは島田郷と呼ばれた地域の中心部が東海道の宿となったとみられ、『吾妻鏡』建久元年(1190年)12月23日の条に「嶋田」の名が見えます。京都から鎌倉へ帰る途中の源頼朝が、ここに宿泊した記事です(コトバンク〈日本歴史地名大系〉)。

市名の決定(命名の経緯)

2005年(平成17年)の島田市と金谷町の合併は、両市町を廃止して新しい市を置く新設合併でした。島田市・金谷町合併協議会は、新市の名称を小委員会で検討したうえで協議会が決めると確認しました。その小委員会が選定方法を全国公募とし、協議会に報告しています。

公募は2004年(平成16年)3月19日から4月15日まで、全国の小学生以上を対象に行われました。選定基準では、全国にすでにある市名は採用しないことを原則としながら、「島田、金谷の名称は、公募の対象に含める」とされていました。応募数は選定や決定に影響させないことも定められていました。

小委員会は「大井川市」「島田市」「東海道市」「蓬莱市」「牧の原市」の5点を候補に選び、6月28日の第7回協議会で、新市の名称を「島田市」とすることが確認されました。日本都市センターが掲載する合併の資料は、選定理由を「歴史と知名度があり、慣れ親しんだ名称である。」としています。

2008年(平成20年)の川根町の編入でも、合併後の市の名称は「島田市とする」と確認されました(島田市・川根町合併協議会)。

歴史的変遷

時代呼称備考
鎌倉時代嶋田『吾妻鏡』建久元年(1190年)の条に見える
江戸時代嶋田宿(駿河国志太郡)/金谷宿(遠江国榛原郡)大井川をはさむ東海道の宿場
明治22年(1889年)島田町・伊久身村・大長村・大津村・六合村・笹間村(志太郡)/金谷町・五和村・初倉村・下川根村(榛原郡)4月1日、町村制の施行により島田宿が単独で島田町となる
昭和23年(1948年)島田市1月1日、島田町が市制を施行
昭和30年(1955年)島田市1月1日、六合村・大津村・大長村と伊久身村の一部を編入
昭和30年(1955年)川根町4月1日、下川根村(2月に笹間村を編入)が町制を施行し、同日川根町と改称
昭和32年(1957年)金谷町10月1日、金谷町と五和村が合併
昭和36年(1961年)島田市6月1日、初倉村を編入
平成17年(2005年)島田市5月5日、島田市と金谷町の新設合併
平成20年(2008年)島田市4月1日、川根町を編入

地名の特徴

島田市は大井川の両岸に位置します。旧島田市側の嶋田宿と旧金谷町側の金谷宿は、大井川をはさんで向かい合う東海道の宿場でした。

地名の変遷

  1. 鎌倉 嶋田 — 『吾妻鏡』建久元年(1190年)の条に見える
  2. 江戸 嶋田宿(島田宿) — 中世から東海道の宿駅として栄え、慶長6年(1601年)に東海道の宿場に定められる。駿河国志太郡
  3. 明治 志太郡島田町 — 明治22年(1889年)の町村制施行で島田宿が単独で町となる

参考資料・出典

最終更新: 2026-09-29