語源
明治初年まで、現在の大桑村の地域は須原村・長野村・殿村・野尻村の4か村でした。明治7年(1874年)6月、筑摩県は県下の町村に対し、小さな町村を合併し、良い字・好ましい村名を選んで称するよう指示しました。
同年12月に4か村が合併すると、須原村の西尾治郎左ヱ門が戸長に就き、各旧村から選ばれた副戸長と有志の代表者が集まって新しい村名を話し合いました。長野村の古瀬年蔵が提案した村名を熟議のうえ決定し、村民にも諮って承認を得て「大桑村」と命名されました。志波英夫『大桑村の歴史と民話』は、この経緯について、当時どの村も村名選びに苦労したなかで、旧村名にこだわらず新しい村名を用いたのは上出来であったと評しています。
「大桑村」の語意は、大桑三校読書会編の村史第二輯が曲里力吉・篠原安太郎・横沢安五郎の三氏の談話をまとめて記すところでは、次の2点です。
- 旧4か村の大部落が集まってできた村であること
- 当時は明治政府の勧業寮の奨励で田畑や用水の開墾・開削が盛んに行われ、横浜港が開かれてアメリカとの貿易も盛んになっていた。貿易品のなかでも生糸は将来有望であり、これを伸ばすには良い桑を大量に作って養蚕業を発展させるべきであること
大桑村公式サイトも、旧4か村の集合によってさらに発展していくことへの願いと、当時日本の主要輸出産業であった養蚕の振興による豊かな村づくりへの願いを込めた村名と説明しています。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 明治初年まで | 須原村・長野村・殿村・野尻村 | 4か村に分かれていた |
| 明治7年(1874年) | 大桑村 | 筑摩県の指示により4か村が合併し、長野村の古瀬年蔵の提案で命名 |
| 明治14年(1881年) | 須原村・長野村・殿村・野尻村 | 3月に大桑村を解体し、旧4か村に戻る |
| 明治17年(1884年) | (聯合村) | 3月に長野村ほか3か村で聯合村を組成し、戸長役場を長野平沢に置く |
| 明治22年(1889年) | 大桑村 | 4月1日の町村制施行に伴い4か村が再び合併し、大桑村に復帰。旧4か村は大字須原・長野・殿・野尻の各区となる |
地名の特徴
大桑村は木曾郡の中央部よりやや南寄りに位置する村です。志波英夫『大桑村の歴史と民話』によれば、村名のとおり養蚕業は目覚ましく発展し、山麓の傾斜地や河原が開墾されて桑園となりました。明治・大正・昭和の初年ごろまでは、村の財政の8割あまりを養蚕の収入でまかなっていたこともあったといいます。村章は、桑の葉を図案化し、「大」の文字と組み合わせたデザインです。
特産・名物
- 桑の葉クッキー: かつて養蚕が盛んだった歴史に由来し、健康食材としても注目される桑の葉パウダーを練り込んだクッキーです。地元の中学生が開発に携わっており、パッケージデザインにも貢献しています。
- 木曽牛: 大自然に育まれた豊かな味わいを特徴とする地方特産品です。肉質が柔らかくジューシーでコクがあり、地元グルメとして人気を博しています。
- 地酒「木曽のかけはし」: 中央アルプス伊奈川渓谷の源流水と地元の上質な米を使用し、伝統の蔵で醸造されています。特にどぶろく風味の杣酒は、楽天市場のランキング上位にランクインしています。