70件の地名を収録
市名は平成の大合併時に公募で決まり、「愛知県の西部」に位置することから「愛西」と名付けられました。候補の中から「海西市」との決選投票を経て採用されています。
町名の由来は明確には不明ですが、古代の木簡に見える「阿具比」や「英比」にさかのぼると考えられています。中世には「阿古居」と書かれた例もあり、古い郷名の復活使用によって現在の町名が定着しました。
市名は、合併前の3町が属していた郡名「海部(あま)」をひらがなにしたものです。難読の「海部」を避け、親しみやすさを重視して命名されました。
安城市の地名は、戦国時代の安祥城に由来する説が有力です。ほかに、安祥寺の荘園名や瑞祥地名とする説も伝わっています。
尾張国の一の宮である真清田神社の門前町に由来し、「一宮」の名が市名として定着しました。大正期に市制施行し、後に周辺町村との合併で現在の市域になりました。
稲沢の地名は、明治期に稲葉村と小沢村が合併して生まれた合成地名とされます。市名はこの旧村名の一字ずつを取ったものです。
犬山市の地名由来は定説がなく、狩猟に適した土地だった説、小野山が転じた説、戌亥の方角に由来する説が伝えられています。
岩倉市の地名は、新溝神社の巨石群に見られる「磐座(いわくら)」に由来するという説が有力です。ただし文献上の初出は中世で、語源には諸説があります。
太田村と小口村などの合併で「太口村」となり、その後「太」の字が改められて「大口町」となった合成地名です。
「大治」は「大いに治まる」を意味する瑞祥地名とされます。町名には、平穏で安定した土地であってほしいという願いが込められたと考えられています。
大府市の地名は、獅子舞の大夫にちなむとする説が有力で、古くは「大夫」「大部」「大符」とも書かれました。市内の字名には、地形や開墾、土地の様子に由来するものも多く見られます。
岡崎市の地名は、丘陵地の「崎」に由来し、岡の端にある地形を表したものと考えられています。古くは「オカサキ」「岡崎郷」と見え、地形由来の地名です。
日露戦争後の時勢を背景に、国運の上昇を願う日の出のイメージから「旭」と名付けられた市名です。旧尾張国の地であることから「尾張」を冠しています。
春日井市の市名は、旧春日井郡に由来し、さらに春日部の転声とされます。春日大娘皇女の御名代部や春日氏に結びつける説も伝わります。
海辺に柳が茂り、多くの蟹が生息していたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられます。初出は1215年の文献とされます。
刈谷の地名は、古くは「借屋」「苅屋」などと記され、狩谷出雲守に由来するという伝承もあります。史実上の初見は1409年で、由来は明らかではないとされています。
合併前の師勝町・西春町で公募し、名古屋の知名度を生かせることから新市名に採用されました。名古屋市の北に位置することを示す合成地名です。
市名は合併協議で「清洲市」と競った末に、2004年の再投票で「清須市」が選ばれて決定しました。読みは「きよす」で、旧清洲の地名を受け継ぎつつ表記を改めたものです。
広田川にちなむ「広田」から、鉄道駅名に合わせて「幸田」へ改称したのが由来です。のちに町名は「こうだ」から「こうた」へ読みが改められました。
木曽川を中国の長江に見立て、その南側に位置することから「江南」と名付けられました。1954年の合併時に新たに採用された市名です。
小牧山を目標に舟が帆を巻いた「帆巻」が転じたとする説と、馬市に由来する「駒来」説が伝わりますが、由来は確定していません。
蒲郡市の地名は、蒲形村の「蒲」と西之郡村の「郡」を取って作られた合成地名です。明治期の村の合併を背景に成立したと伝えられています。
設楽の地名は、清流が滴る様子を表す「したたる」に由来するという説や、古くは『之多良』と記されたことに由来する説が伝わります。語源は確定していませんが、山間の地形や水の豊かさと結びつけて考えられています。
新城市の名は、旧来の「新城(しんじょう)」と区別するため、奥平信昌が築いた新しい城を「新城(しんしろ)」と呼んだことに由来します。戦国期の城名が市名として定着しました。
地名は、山間の狭い流れが開ける「瀬戸」や、陶器を焼く場所を意味する「陶処(すえと)」に由来するとされます。市名は古くから陶器の産地として知られた土地柄とも深く結びついています。
高浜市の地名は、衣浦湾岸の高くなった浜辺を意味する地形由来と考えられています。文献上の初見は1409年で、古くから「高浜郷」として知られていました。
武豊町の地名は、長尾村の武雄神社と大足村の豊石神社から一字ずつ取って「武豊」としたことに由来します。明治11年の合併で武豊村が成立し、のちに町制を施行しました。
平安時代中期ごろ、熊野修験者が当地に流入し、紀伊国の地名にちなんで集落名をつけたことが由来とされます。なお「原」は、丘陵地の樹木の育たない土地を指す語です。
地名は古代の郡名「知多」に由来し、現在の知多市域を含む地域名が市名として受け継がれました。郡名の由来には知多臣氏にちなむ説などがあり、市名は知多半島の通称から採られています。
知立市の地名は、古くは「池鯉鮒」「智鯉鮒」などの字が当てられ、御手洗池に鯉や鮒が多かったことに由来するともいわれます。江戸時代には東海道の宿場町として「ちりゅう」の名が広まりました。
津島市の地名は、津島川(現・天王川)東岸の自然堤防上に形成された集落に由来すると考えられます。中世には「津嶋」の表記がみられ、港や川筋に関わる地名として定着しました。
東栄町の町名は、1955年の合併で発足した新しい行政地名です。旧本郷町などの町村名を受け継がず、地域の将来への発展を願う意味合いを込めた命名と考えられます。
昭和44年の市制施行時、上野町と横須賀町の合併にあたり公募で選ばれた市名です。東海地方を代表する大きな名前で、知名度の高さなどが採用理由でした。
明治39年の合併時、愛知郡の東端で尾張の最東部にあることから「東の郷」の意で東郷村と命名されたと伝えられます。
地名は、粘土層が露出して地盤が滑らかだったことから「床滑(とこなめ)」と呼ばれたとする説が有力です。万葉集にも見える古い地名で、常滑焼の産地としても知られます。
近世の新田名に由来し、「飛び離れた島」を意味する地名とされます。干拓前の地形を表した呼び名が、現在の村名として定着しました。
豊明市の地名は、旧村名の「豊倉屋」と元号の「明治」から一字ずつ取ったとされ、宮中行事の「豊明節会」にも因むと伝えられます。
市名は市内を流れる豊川に由来し、古くは「豊河」とも記されました。旧豊川村の地名が基になり、川名から地域名へ広がったと考えられます。
市名は旧挙母市からの改称で、トヨタ自動車と創業者一族の姓「豊田」に由来します。1959年に現在の市名へ変更され、清音で「とよた」と読みます。
豊根村の地名は、村内の豊かな根元・山の尾根にちなむとされ、山地の地形を反映した名です。明治22年の村制施行で現在の村名として定着しました。
豊橋市の地名は、豊川に架けられた橋に由来し、明治初期に藩名改称の候補として採用された「豊橋」が定着したものです。旧称の吉田や今橋、関屋との関係も伝わっています。
明治39年に豊場村と青山村が合併して成立した地名で、両村名の一字ずつを取って「豊山」と名付けられました。あわせて「物産豊かに山をなす」というめでたい意味合いも込められたとされます。
長久手の地名は、古くは「長湫」とも書かれ、湿地や低湿な土地を表す地形に由来すると考えられています。市名はこの旧地名を受け継いだものです。
平安時代末期の荘園名「那古野荘(なごやのしょう)」に由来し、崩壊地形「ナギ」の野原を意味する地形語源説が有力とされるが、複数の説が並立し定説はない。
西尾市の地名は、吉良山の西にある尾根状の地形に由来するとされます。ほかに「煮塩」が転訛したとする説も伝わります。
日進市の地名は、明治期に新たに付けられた名称で、村の発展が日々進むようにとの願いを込めたとする説が有力です。ほかに、装甲巡洋艦「日進」や漢籍の語句に由来する説も伝わります。
順正寺の阿弥陀如来絵像の裏書に見える「坂田郷」が起源とされ、「坂田」が「はんだ」と読まれるようになったという説が有力です。埴土の採取地を表す「ハニタ(埴田)」に由来する説もあります。
町名の「東浦」は、古くは小川・小河とも書かれ、1499年に緒川城主を訪ねた歌にちなみ「緒川」と改められたと伝わります。町内には飯喰場や唐治屋敷など、歴史や生業を映す地名も残ります。
扶桑町の名は、町の前身である扶桑村の成立時に、桑園が多いことから名付けられたと伝わります。養蚕や生糸集積の歴史とも結びついた地名です。
市名は、旧碧海郡の南部に位置することに由来します。1948年の市制施行時に、郡名の「碧海」と方位の「南」を組み合わせて名付けられました。
町名は、知多半島の南部に位置することに由来します。1961年の合併で誕生した新しい町名で、旧知多郡の地名を受け継いでいます。
愛知県美浜町の町名は、美しい海岸があることにちなむ瑞祥地名とされます。知多半島南部の海辺の景観を反映した名称です。
市名は旧来の「三好町」に由来し、同名の市との重複を避けるため、2010年の市制施行時にひらがな表記の「みよし市」となりました。
弥富市は、彌(弥)富の字に「いよいよ富む、いやがおうにも富む」という繁栄への願いを込めた瑞祥地名です。