前回、17カテゴリの重なり方を見ていったとき、アイヌ語由来は他のカテゴリと組み合わさって付くことがほとんどで、単独で付くのはわずか4件(2.1%)でした。この「重なりやすさ」の背景を、今回は地理的な広がりという切り口から見ていきます。アイヌ語由来の地名は、北海道の外で本当に途切れているのでしょうか。それとも、地図の上に見えていたのは、もっと別のものだったのでしょうか。
北海道161件は、どれほどの重みを持つのか
アイヌ語由来タグは全国189件、うち161件が北海道に集中し、偏在率(あるカテゴリのタグが北海道の延べタグに占める割合を、全国平均に対する倍率で示す指標)は約6.39(全国平均の約6.4倍)です。北海道の延べタグ406件のうち161件がアイヌ語由来で、およそ10件に4件(39.7%)を占めます。辞典が収録する1919件・延べ3046件のタグは現行の市区町村名を単位とし、大字や河川名、旧地名は対象外です。この収録単位の粗さは、後述するように集中の実像を考えるうえで無視できない条件になります。
地方別の内訳は東北15件・関東8件・中部3件・近畿1件・四国1件で、中国・九州沖縄は0件です。ただしこの0件はタグが見当たらなかっただけで実態の不在を意味せず、逆にタグの存在も由来の確定を意味しません(岩手県のある町では誤付与が修正された例もあります)。抜け漏れも一様ではなく、仙台市・秋田市の本文には自治体名自体のアイヌ語由来説が語義つきで記載されているのにタグは付いていません。新発田市・福生市も同様に、市名自体の語義つきアイヌ語由来説を持ちながら未付与です。米沢市・鎌倉市の本文にもアイヌ語由来説への言及はありますが、語形または意味の記載を欠くため、この基準では数えていません。四万十市(高知)は「アイヌ語由来説、四万川と十川の合成説、地形由来説など複数の説」と記しながら未付与です。もっとも、このアイヌ語由来説は四万十市という市名ではなく、市内を流れる四万十川という河川名の語源に対するものです。鹿児島の屋久島町にも辞典本文にアイヌ語説の記載がありますが、クメール語・モン語など複数言語を並べた諸説列挙の一項目にすぎず、語義つきの独立記述である仙台市・秋田市等とは扱いが異なります。北海道161件という集中も、この収録単位のうえで数えた集中です。後述の表の28件はあくまで収録範囲のタグに基づくものであり、付与・不付与に揺らぎがある前提で読んでください。
図:都道府県別のアイヌ語由来タグの件数(全189件)。北海道の161件に対し、道外は最多の青森県・岩手県でも5件です。白いマスは、その県にタグの付いた地名が無いことを示すもので、アイヌ語由来説の記述が無いことを意味するわけではありません。前段で触れた仙台市・秋田市・新発田市・福生市——市名自体の語義つき説を持ちながらタグが未付与の例です——もこの図には数えられておらず、この4件はいずれもすでに色の付いた県にあります。マスを押すと、その県の地名一覧(アイヌ語由来に限らない全件)へ移動します。
北海道のアイヌ語地名は水系(川)を描写した言葉が多く、北海道の延べタグに占める水系由来の割合は全国平均の約1.6倍にあたります(偏在率1.59・47都道府県中4位。水系由来116件中111件がアイヌ語由来を併有)。一方、地形由来のタグは北海道ではむしろ全国平均の半分程度にとどまり(偏在率0.51・47都道府県中44位)、地形由来という観点では北海道が突出しているわけではありません。北海道の地形由来タグ35件のうち33件(94.3%)がアイヌ語由来を併有しており、北海道の地形由来タグの多くがアイヌ語の語義訳と重なっていること自体は変わりません。
北海道の地名は、こうして文字になった
北海道の実例では、和人が音をそのまま漢字に写す「音訳」と、意味をくみ取って漢字を当てる「意訳」でアイヌ語の地名を文字にしてきました。札幌市は第一の説とされるサッ・ポロ・ペッ(乾いた大きな川)の音訳、旭川市は忠別川のアイヌ語名を和人が「チュㇷ゚・ペッ」(日・川)と解し、その意味をくみ取って「旭川」とした意訳の例です。アイヌ語地名に漢字を当てる書き方は江戸期の和人の記録にすでに見られ、「旭川」の村名が定められたのは1890年(明治23年)のことでした。
これらの地名を今も使い、名づけの言葉を伝えてきたアイヌは、過去の存在ではありません。文化庁の整理によれば、ユネスコは2009年、アイヌ語を消滅の危機に瀕した言語のうち最も深刻な段階に分類しました。2019年施行のアイヌ施策推進法のもとでは、アイヌ語の教育・継承や文化振興の取り組みが現在も続いています。地名はアイヌ語が残した痕跡の一つにすぎず、言葉自体を今に伝えようとする人々の存在を、地名だけで語り尽くすことはできません。
アイヌ語由来説を唱えたのは、誰だったか
189件から161件を引くと、28件が北海道の外にあります。本連載が参照する地名由来辞典の各項目は公開情報をもとにAIが作成し出典を付したものであり、語源説の学術的評価そのものではありません。記述の詳しさは対象の性質ではなく生成時に拾われた出典の性質を反映しうるため、確度の高さとしてそのまま扱えません。そこで指標を、記述の具体性ではなく、辞典がアイヌ語由来を有力説として扱うか諸説の一つに留めるかという区別に置き換えます。
28件を見る前に前提を置きます。串本町の説は「アイヌ語・縄文語系」という括りで紹介されており、アイヌ語単独の由来説として提示されているわけではありません。
辞典が有力説として扱う例には十和田市(「岩の多い湖」)、平内町(ピラナイ=山と山の間に川がある土地)、田子町(タプコプ=小高い丘、最も有力)などがあります。花巻市は地名由来に定説がないと辞典が明記し、釜石市・名取市・白河市もアイヌ語由来説がほかの説と並記される段階にとどまります。
ここで区別しておきたいのは、諸説の「層」の違いです。北海道の札幌や釧路にある諸説は、あくまで語義に関する諸説であり、アイヌ語由来であること自体は前提として揺らいでいません。一方、関東以南の多くの地名にある諸説は、そもそもアイヌ語由来かどうかという、より根本的なところに諸説があります。同じ「諸説あり」という言葉でも、指している不確かさの階層が異なっているのです。厚木市・秩父市・葛飾区は辞典自身がそれぞれ定説がないことを明記し、串本町は「アイヌ語・縄文語系」の説と、地形を表す語として理解する別の説明が並記され、土佐市も旧国名由来説が主で、アイヌ語説は一つの語源説にすぎません。
ただしこの断定度の高低は南北の位置と対応しているわけではありません。石川県の能登町は、「能登」がアイヌ語のノッ・ノットゥ(岬)に由来するという説を辞典が有力説として紹介しています。同じ「能登」を名に含む中能登町では、事情が違います。辞典が町名の成り立ちとして述べているのは能登半島のほぼ中央に位置することであり、ノットゥ説は構成語「能登」についての背景説明として添えられているにすぎません。同じ説でも、名の成り立ちそのものとして書かれるか、名に含まれる語の背景として書かれるかで、置かれる位置が変わります。能登町のある石川県は、諸説どまりの名取市がある宮城県より南に位置する都道府県ですが、断定度は青森の有力説と同水準です。ノットゥ説を載せる資料が能登側にあるからです。ただし中能登町が示すように、資料があるだけでは足りません。その説が名の成り立ちの本体として書かれてはじめて、有力説として置かれます。地名の側に何かが起きているのではなく、どの資料が手元にあり、辞典がそれをどこに置いたかが断定度を決めています。
28件の典拠を見ると、独立した28本の観察ではないことが分かります。「裏辺研究所」を典拠に持つのは白河市・釜石市・軽米町・名取市・真岡市の5件、岩手県の文化情報サイトを典拠に持つのは花巻市・遠野市・釜石市・軽米町の4件で、岩手県内のほとんどが単一資料に依拠します。串本町と秩父市も同じ2サイトを共有し、名取市と亘理町も2サイトを共有します(うち1件は後述のウィキペディアです)。土佐市の典拠には青空文庫が含まれます。もっとも大きな共有依存はウィキペディアで、能代市・十和田市・平内町・野辺地町・会津坂下町・牛久市・真鶴町・名取市・亘理町・胎内市・秩父市・滑川町・黒部市・田子町の14件が典拠として使っており、裏辺研究所や岩手県の資料よりも大きな塊です。
地図が映していたのは、何の分布だったのか
アイヌ語地名は、北海道で唐突に途切れるわけでも、南へ行くほど確度が薄れていくわけでもありません。先に見た地図で北海道だけが濃く塗られ、西日本の大半が白く抜けていたのは、アイヌ語が届いた範囲を映したものではありませんでした。そこに見えていたのは、アイヌ語で地名を説明しようとした人々が、どこにどれだけいたかという分布です。能登に有力説が現れるのは、ノットゥ説を載せる資料がそこにあり、その説が町名の成り立ちそのものとして書かれたからです。タイトルの問いに戻れば、答えはこうなります。アイヌ語地名は北海道で止まっていません。ただし止まっていないのは地名そのものではなく、地名をアイヌ語で読み解こうとする試みのほうでした。地名の語源はどれも、それを支える資料に依存した解釈であり、辞典が示すのはその解釈の分布でもあるのです。
この記事で気になった地名は、辞典で
今回の28件を、辞典本文での扱いとともに表にしておきます。辞典がアイヌ語由来を有力説として扱うのは、このうち6件です。気になった地名があれば、辞典本文で確認してみてください。
| 都道府県 | 自治体 | 辞典の扱い |
|---|---|---|
| 青森県 | 十和田市 | 有力説 |
| 青森県 | 平内町 | 有力説 |
| 青森県 | 今別町 | 有力説 |
| 青森県 | 野辺地町 | 諸説 |
| 青森県 | 田子町 | 有力説 |
| 岩手県 | 大槌町 | 有力説 |
| 岩手県 | 花巻市 | 諸説 |
| 岩手県 | 遠野市 | 諸説 |
| 岩手県 | 釜石市 | 諸説 |
| 岩手県 | 軽米町 | 諸説 |
| 宮城県 | 名取市 | 諸説 |
| 宮城県 | 亘理町 | 諸説 |
| 福島県 | 白河市 | 諸説 |
| 福島県 | 会津坂下町 | 諸説 |
| 秋田県 | 能代市 | 諸説 |
| 茨城県 | 牛久市 | 諸説 |
| 茨城県 | 行方市 | 諸説 |
| 栃木県 | 真岡市 | 諸説 |
| 埼玉県 | 秩父市 | 諸説 |
| 埼玉県 | 滑川町 | 諸説 |
| 東京都 | 葛飾区 | 諸説 |
| 神奈川県 | 厚木市 | 諸説 |
| 神奈川県 | 真鶴町 | 諸説 |
| 新潟県 | 胎内市 | 諸説 |
| 富山県 | 黒部市 | 諸説 |
| 石川県 | 能登町 | 有力説 |
| 和歌山県 | 串本町 | 諸説 |
| 高知県 | 土佐市 | 諸説 |
次回は視点を変えて、一本の川と、その流域の街の名前との関係を見ていきます。利根川に紐づく市町の地名を一つずつ辞典で読み直すと、川と名前の「距離」には思いのほか幅がありました。どこまでが本当に川からもらった名前なのかをたどる回になる予定です。