20件の地名を収録
愛南町は、2004年の合併で誕生した町名で、「愛媛」の「愛」と南予の「南」を組み合わせた合成地名です。県名由来の「愛媛」と地域名の「南」を重ね、愛媛県南部に位置することを示しています。
伊方町の「伊方」は古くからの地域名ですが、語源を説明する資料は確認できていません。愛媛県に多い「〜方」型地名の一つに数えられます。
慶長5年に藤堂高虎が「今張」を「今治」と改めました。それ以前は「今針」「今張」と書かれ、「いまばり」という音が何を意味したのかは未詳です。
伊予市の「伊予」は、古代の伊予国に由来する地名で、温泉や湧水など水に関わる説が知られています。市名は旧国名を受け継いだもので、地域の歴史を今に伝えています。
内子町の地名は、1340年の史料に見える「内之子忠太夫」に由来するといわれます。中世の人名にちなむとされる、歴史の古い地名です。
宇和島市の地名は、古くは板島と呼ばれた地域に由来し、宇和郡の立間郷などの地名変遷を経て定着したと考えられています。宇和荘に含まれたとする説や、伊但馬に由来する伝承もあります。
近世以前は「大津」と称し、明暦・万治年間に「大洲」と改められました。もとの「大津」が何を指すのかを説明した資料は確認できず、語義は未詳です。
古くからの地域名「かみじま」に由来し、藩政期の「上」「下」の区分や三島七島の「上島」に結びつくとされます。
町名は、旧宇和島藩の北部に位置することから「鬼北」と名づけられたとされます。鬼ヶ城山系など「鬼」の字を含む地域名とも結びつき、山間の地勢を反映した名称です。
旧「久万」は山の奥や山あいの土地を表す語とされ、2004年の合併時に観光名でもあった「久万高原」を採って町名となりました。
古代の条里制にちなむ地名で、新居郡の東方を東條、西方を西條と称したことによります。鎌倉時代には荘園名「新居西条庄」として文献に見え、のちに西条藩・市名へ受け継がれました。
四国中央市は、四国のほぼ中央に位置することから名付けられた市名です。2004年の合併で誕生し、地理的な中心性をそのまま表しています。
西予市の「西予」は、愛媛県南予地域の西側に位置することを示す地名で、旧宇和郡西部の広域合併市名として定着しました。
「東温」は、旧温泉郡の東部に位置することを示す名称で、合併前から地域名として用いられてきました。市名はこの「東温」を採用したものです。
砥部町の地名は、町内で産出した砥石や陶土に由来すると考えられ、砥部焼の産地としての歴史とも深く結びついています。
新居浜の地名は、古くは「新居浜浦」と呼ばれた海浜地名に由来し、新しく開けた浜辺を表すと考えられています。市名は町制・市制施行の際にこの地名を受け継いで定着しました。
松前町の町名は、加藤嘉明が正木城から松山城へ居城を移した際、「松山の前」の意で「松前」と改めたという説が知られます。ただし他説もあり、由来の詳細は確定していません。
松野町の町名は、昭和30年(1955年)に松丸町と吉野生村が合併した際、松丸の「松」と吉野生の「野」を一字ずつ取って付けられた合成地名です。
「松山」の地名は慶長8年(1603年)に加藤嘉明が勝山へ城を移し「松山城」と命名したことに由来する。長寿と繁栄の象徴である松にちなんだ瑞祥地名とされる。
八幡浜の地名は、養老年間からあり、八幡大神がこの地の浜に立たせられたことに由来すると伝えられています。