50件の地名を収録
春から秋にかけて朝方に発生する幻想的な霧にちなみ、「あさぎり町」と名づけられました。盆地特有の気候と豊かな自然を表す地名です。
芦北町の地名は、古くは「葦北郡」として奈良時代の木簡にも見える古い郡名に由来します。葦の生える低湿地を表す地名と考えられ、漢字表記は時代とともに「葦北」から「芦北」へ変化しました。
阿蘇の地名は、『日本書紀』に見える阿蘇都彦・阿蘇都媛の神話に由来するとされます。景行天皇の問いかけに二神が応えた故事が、地名成立の伝承として伝わっています。
天草の地名は、古事記に見える「天両屋(あまのふたや)」の転化や、海士・民草に由来する説などが伝わります。島々の自然や人々の暮らしを映した名と考えられています。
「あらお」の語義を説明した資料は確認できず、由来は未詳です。地名としては康暦元年(1379年)の文書にさかのぼり、近世の荒尾村を経て市名に受け継がれました。
「いつき」の語義を説明した資料は確認できず、由来は未詳です。球磨の歴史に五木が初めて登場するのは建久3年(1192年)の平河文書とされます。
市名は、宇土市・宇土郡・下益城郡を合わせた県央地域の旧称「宇城」に由来します。平成の大合併で新設された比較的新しい市名です。
宇土市の地名は、宇土半島がもとは島で「浮土」と表したものが転じたという説や、細く長い谷を意味するという説がある。古くから宇土郡の名で見られる地名で、地形に由来する可能性が高い。
村名は、古代の神話・伝説で阿蘇地域を治めた健磐龍命の嫡孫が生まれた地とされることに由来すると伝えられます。
大津町の「大津」は由来が判明していない地名です。戦国期には「大津」を名乗る武士が確認でき、その頃には地名として存在していたとみられます。
阿蘇神社の祭神・健磐竜命の伝説にある「国小なり」という言葉に由来するとされます。北小国村が町制施行時に小国町へ改称され、現在の町名が定着しました。
嘉島町の地名は、古くは「加島」とも書かれ、嘉島の「嘉」はめでたい意を持つ当て字と考えられます。町域は熊本平野南縁の沖積地にあり、水辺の地形と結びついた地名です。
天草諸島の北側に位置することから「上天草」と名づけられた市名です。天草地域の玄関口として、島々と海に囲まれた地形を表しています。
菊池市の地名は、古くは『菊池』を『久々知』と訓じた記録があり、のちに菊池氏の本拠地として定着しました。市名は中世以来の歴史と、菊池川流域の地域名に由来します。
昭和30年に津田・原水・白水の3村が合併した際に付けられた新しい村名で、のち町制施行で菊陽町となりました。命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
昭和29年の合併で、球磨郡の渡村・一勝地村・神瀬村が一つになって成立しました。村名は、住民生活と深く結びつく球磨川や郡名の「球磨」に由来します。
「熊本」は元来「隈本」と表記され、「隈(くま)」は川や山が曲がりくねった入り組んだ地形、「本(もと)」は中心地を指すとする地形説が有力。慶長12年(1607年)に加藤清正が新城の完成に合わせて「熊」の字に改めた。
町名は、阿蘇四社の一つとして知られる甲佐神社にちなみます。同社はもと鏑崎宮と称し、神功皇后が甲冑を納めたことから甲佐宮と改めたと伝えられます。
古代の合志郡に由来する地名で、713年の「好字」使用の詔により「合志」の表記が定着したと考えられます。市名は長い郡名の歴史を受け継いだものです。
昭和30年の合併時に公募で決まり、玉名郡の東に位置することから「玉東」と名付けられたとされています。
村名は相良氏に由来し、昭和31年の川村・四浦村合併の際に「相携えて良くなるように」という願いも込めて名付けられました。
高森町の「高森」は、周囲より高く森のように見える地形に由来すると考えられます。町内には神話や民話に結びつく地名も多く残っています。
玉名市の市名は古代の郡名「玉名」を受け継いだものです。『日本書紀』の「玉杵名(たまきな)」から「たまいな」を経て「たまな」に変化したとされます。
『日本大百科全書』は「町名は鎌倉時代における一帯の荘園名『多良木荘』によっている」と記します。ただし「たらぎ」という音の語義は未詳です。
景行天皇が大泊港に船をつながれたという故事に由来すると伝えられる町名です。港に船をつないだことから「津奈木」と呼ばれるようになったとされます。
長洲町の地名は、古くは「長渚」「長須」などと記され、長い渚の浜辺を表したとされます。景行天皇の伝承に由来する「泣洲」の説も伝わります。
2006年の合併で誕生した町名で、旧三加和町の「和」と旧菊水町の「水」を組み合わせたものです。両町の地名を取り入れ、調和と清らかな水を感じさせる名称になっています。
南関町の地名は、古くこの地に置かれた関所「南の関」に由来するとされます。交通の要衝として発展した歴史が、町名に今も残っています。
昭和30年に西村・一武村・木上村の3村が合併して錦村が発足した際に定められた新しい村名で、昭和40年に町制施行しました。命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
阿蘇外輪山の西麓にあることから「西原」と呼ばれたと考えられる地名です。村域の地形をそのまま表した、わかりやすい地名といえます。
町名は町内を流れる氷川に由来し、氷川流域の地名として定着しました。氷川は古く『火の国』ゆかりの地ともされ、地域の歴史と深く結びついています。
人吉市の地名は、交通の要衝にあった宿場的な性格に由来するという説があり、平安時代にはすでに文献に見えます。球磨川流域の盆地に発達した城下町としての歴史も、地名の定着に影響しました。
益城町の町名は、昭和の合併で郡内第一番目の合併町であることを示すために「益城」の名を採ったとされます。古くは益城郡の名があり、地域の歴史を受け継いだ地名です。
2004年に中央町と砥用町が合併して成立した町名で、「美しい里」を意味する新しい合成地名です。町の公式サイトでも「美里町」と表記され、自然豊かな地域性を表しています。
村名は、球磨川の源流域に位置し、山あいの水の上流部にあたる土地柄を表したものと考えられます。豊かな水と山地景観に結びついた地名です。
水俣市の「みなまた」は、水辺の湿地や沼地を表す古い地名要素「ムタ」系の語と関わると考えられています。市域の地形や水辺環境を背景に成立した地名とみられます。
南阿蘇村の「阿蘇」は阿蘇カルデラ一帯の地名で、村名は阿蘇地域の南側に位置することを示すと考えられます。地形に根ざした命名で、阿蘇の広大な自然環境を反映しています。
南小国町の町名は、同じ阿蘇郡の小国町に対する南側の位置関係を示す地名です。旧来の「小国」に由来し、方角を添えて区別したものと考えられます。
景行天皇の九州平定の巡幸で、その御船(おんふね)が着岸したことに由来すると伝えられます。町名は古くからの地名として受け継がれました。
八代市の地名は、『日本書紀』に見える八代県(やつしろのあがた)に由来するとされます。古くは八代神社の門前町に起こった地名で、社(やしろ)に通じるという説も伝わります。
山江村の地名は、村域の地勢をそのまま表したものと考えられます。山に囲まれた地域であることから「山」と、周辺の地形や集落の位置を示す「江」を組み合わせた名称です。
「やまが」の語義を説明した資料は確認できず、由来は未詳です。ただし山鹿郡の名は『筑後国風土記』逸文や平城宮出土木簡に見え、奈良時代までさかのぼる古い地名です。
矢部・清和・蘇陽の3町村合併で誕生した町名です。公募の応募理由には「山の都」として栄えるようにという願いに加え、「山」を「三」と読み替えて3町村を表す意味も込められていました。
湯前町は、町名の「湯前」が温泉地の前にある場所を示す地名と考えられます。球磨地方の地形や交通の要衝としての性格とあわせ、地域名として定着しました。
町名は天草諸島の異称「苓州」の北部にあることに由来します。天草下島の北西端に位置する地名として定着しました。