31件の地名を収録
町名は、旧国名の「安芸」と、町域を流れる太田川に由来します。太田川の上流域に沿って形成された町であることを示す地名です。
旧高田郡に由来する「高田」に、旧国名の安芸を冠して成立した市名です。合併前の郡名を受け継ぎつつ、同名市との重複を避ける形で定着しました。
市名は広島湾に浮かぶ江田島の島名によりますが、島名の語義を説明した資料は確認できず、由来は未詳です。古くは「衣田島」とも書かれました。
大崎上島町は、町域の中心となる大崎上島の名に、旧大崎町・東野町・木江町の合併による新町名として「上島」を加えて成立しました。瀬戸内海の島しょ部に位置する地名で、島名をそのまま町名に継承したものです。
「横竹」と書いておおたけとする説、大きな滝があったとする説、竹が多いからとする説などがありますが、確実な根拠を持つ説明はありません。天平6年(734年)の『続日本紀』に「大竹川」の名が見えます。
『日本大百科全書』は、町並みが海に迫る「山の尾」のすそをはう「道」に由来すると説明しています。ほかにも説はありますが、確認できたのはこの説です。
平安末期の荘園「開田荘」に由来し、のちに海田市と呼ばれるようになった地名です。瀬野川河口の地形変化と宿駅・市場の発展が、現在の町名の背景にあります。
2005年に山県郡の芸北町・大朝町・千代田町・豊平町が合併して成立した町で、広島県の北西部に位置することから「北」を冠した町名が採られました。
安芸郡の「隈(くま)」にある野原を意味する「くまの」が地名の由来とされます。のちに漢字表記が動物の熊に改められ、熊野となりました。
呉市の地名は、造船用材の「榑(くれ)」に由来する説が有力です。九つの峰を指す「九嶺」説などもありますが、地名辞典では榑木に関わる説がよく挙げられます。
坂町の地名は、古くから「坂村」として見えることから、地形に由来する可能性が高いと考えられます。周辺の山がちな地形を背景にした坂地形の呼称が定着したものとみられます。
庄原市の「庄原」は、古くからの地名「庄原村」に由来し、周辺の村名として定着したものです。市名は町制・市制を経て受け継がれました。
世羅町の地名は、古くこの地を治めたとされる世良彦命に由来するという伝承があり、町名はその「世羅」によるとされています。合併前の旧町名にも受け継がれ、地域名として定着しました。
町名は、旧来の「神石(じんせき)」の呼称に高原地帯の地勢を組み合わせて成立したものです。神石の由来には「亀石」から転じた説と、「神の石」を祀る信仰に由来する説があります。
竹原の地名は、少なくとも1090年の「安芸国竹原荘」に見えるのが初見です。荘園名として成立した地名で、のちに竹原市の市名として受け継がれました。
地名は、中世以来この地で毎月20日に開かれた「廿日(はつか)の市」に由来します。厳島神社の門前・宿場として市が定着し、現存する古い「市」地名の一つとされています。
広島県の東部にある市名で、県名の「広島」に方角を表す「東」を付けて新設時に命名されたものです。旧市町村の中心地である西条などを含む広域市域を示す名称です。
「広島」の地名は、天正17年(1589年)に毛利輝元が太田川の広大な三角州(デルタ)に城を築いた際に命名された。広々とした川の三角州を「島」にたとえた地形由来の地名とされる。
福山城のある一帯が、もとは蝙蝠山と呼ばれていたことに由来します。「蝠」が「福」に通じることから、縁起を担いで福山と名づけられました。
約1300年前に備後国の国府が置かれたことに由来する地名です。市内には当時の国府の名残を示す地割や遺跡が残ります。
古代の安芸国で国府が置かれていたことに由来する地名です。現在も町内には当時の中心地だった名残が各所に残っています。
三原市の地名は、旧市街地の後背にある谷間の平地に由来し、三つの「ハラ」から「三原」と呼ばれるようになったとされます。城下町として発展した歴史も地名の定着に影響しました。
三次市の地名は、古代からの郡名「三次(みよし)」に由来し、由来には諸説あります。