41件の地名を収録
海中から熱い温泉が湧き出して海が熱くなったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、転じて「熱海」になったと伝えられます。
伊豆市の「伊豆」は旧国名に由来し、その語源には、温泉が多く湧き出ることから「湯出づ」の意とする説などがあります。2004年の4町合併に際し、公募で最も多かった「伊豆」が市名に選ばれました。
2005年に伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併して成立した市名で、旧国名「伊豆国」に由来します。合併協議会が公募した493種類の名称から候補が絞られ、2004年3月の投票で「伊豆北条市」を12対10で退けて決まりました。
伊東市の地名は「伊豆国の東部」を意味する漢語表現に由来するとされます。中世の郷名・荘園名の復活使用による新命名とする説もあります。
古代の郡名「磐田」に由来し、「岩石の多い場所」を意味すると考えられています。昭和15年の町名採用を経て、市名として受け継がれました。
駒形神社の御前に位置する崎(岬)を意味する説と、かつて御厩崎(うまやざき)と呼ばれたことが転じた説が伝わります。2004年の浜岡町との合併では、合併協議会で「全国的にも知られている」として御前崎市の名が提案され、全会一致で決まりました。
町名は、町域の中心集落である小山(おやま)に由来します。周辺の山地や谷地形の中で形成された集落名が、そのまま町名として定着しました。
市名は市内を流れる逆川の古名「懸川」に由来するとされ、川の流れや崖地形を表した地名と考えられています。由来には複数説があり、古くから東海道の宿駅として記録されています。
河津町の地名は、『和名抄』にみえる賀茂郡川津郷にさかのぼります。その名は荘園・郷の河津庄・河津郷に受け継がれ、河津町はその遺称地とされています。
町名は、旧来の「川根」と合併時の「本町」を組み合わせたものです。地名「川根」は、大井川の湾曲地にある階段状の地形や砂礫地に由来すると考えられています。
町名は、箱根山の南に位置することに由来します。1889年の合併時に「箱根の南」を意味する名として採用され、のちに読みが「かんなみ」に統一されました。
市名は市内を流れる菊川に由来します。前身に同名の菊川町がありましたが、2005年の小笠町との合併では公募を経て「菊川市」が選ばれ、その選定理由は名の元として旧町名を挙げず、川の名「菊川」から取った名前と説明しています。
浜名湖の西岸に位置することから「湖西」と名づけられた市名です。1955年の町制施行時に湖西町となり、1972年の市制施行で湖西市となりました。
徳川家康が当地に御殿の造営を命じたことに由来し、御殿の周辺に新町が形成されたことで「御殿場」と呼ばれるようになりました。
明治2年(1869年)に「府中」から改称された際、近くの賤機山(しずはたやま)に因んで「賤ヶ丘」とする案が「賤(いやしい)」を理由に修正され、「静岡」と命名された。
「島田」は鎌倉時代の『吾妻鏡』にも見える古い名で、名の意味を説明する確かな出典は確認できていません。2005年の金谷町との合併では、全国公募を経て旧市名「島田市」が引き継がれました。
町名は「湧水地」を意味する清水に由来し、柿田川をはじめとする豊かな湧水で知られます。地名は明治22年の清水村成立を経て、昭和38年の町制施行で清水町となりました。
伊豆半島南東端の海辺にあることから「下手の田」、すなわち低い場所の田地を意味する「下田」に由来するとされます。古くから良港として栄え、地名は地形と港町としての歴史の両面を映しています。
富士山の裾野に位置することから名づけられた市名です。山麓の緩やかな傾斜地を意味する「裾野」に由来します。
明治22年の合併時に、旧大岡荘の「長」と旧小泉荘の「泉」を合わせて名付けられた合成地名です。
伊豆半島の西岸に位置する町で、町名は語の構成からみて旧国名の「伊豆」に方角の「西」を冠した形です。2005年の賀茂村との合併では、松崎町を含む三町村の合併協議が破綻したのち、三町村案でも使われていた旧町名「西伊豆町」がそのまま新町名に選ばれました。
狩野川河口の沼沢地に、港として使われた「津」があったことから「沼津」と呼ばれるようになったとされます。文献上は『吾妻鏡』に1208年の記録が初出です。
浜松の地名は、もとは「浜津」に由来し、中世には「浜松」と呼ばれるようになったとされます。天竜川の西、浜名湖の東に位置する地名として定着しました。
伊豆半島東海岸の中央に位置する町で、町名は方角を示す「東」と「伊豆」を組み合わせたものと考えられます。1959年に稲取町と城東村の合併で成立しました。
四方を丘に囲まれた袋状の土地に大きな井戸があったことから、袋井と呼ばれるようになったと伝えられます。旧東海道の袋井宿としても知られます。
若一王子神社の社伝では、八幡太郎義家が見た藤の絡まる松の木にちなみ「藤枝」と書くようになったと伝えられます。ほかに、藤が自生する枝村に由来する説もあります。
「富士」の語源は諸説あり定まっていません。古代の文献には「福慈」「布士」「布自」「不尽」「不二」「不自」などの表記が見え、平城京出土の木簡には「富士郡」の名が確認できます。
市名は富士山本宮浅間大社の旧称「富士の宮」に由来します。1942年の市制施行の際、浅間神社が「富士の宮」とも称されて広く知られていたことと、埼玉県にすでに大宮市があったことから、この名に決まりました。
市名は市の北部に広がる牧之原台地と同じ名で、台地名「牧之原」は古く一帯に官牧や私牧が置かれたことに由来するとされます。2005年の相良町・榛原町の合併にあたり、公募と合併協議会の投票を経て「牧之原市」に決まりました。
那賀川の河口に防風林として松並木を植えたことから「松ヶ崎」の名が生まれたのではないか、という説話が伝わります。文書上は建暦元年(1211年)の「仁科荘松崎」が現存する最も古い例とされます。
三島市の地名は三嶋大社に由来します。当地はもと伊豆国府が置かれ「国府」と称されましたが、伊豆諸島から名を携えて遷座した大社にちなみ、13世紀末ごろから「三島」と呼ばれるようになりました。
町名は1955年の町制施行時に公募で選ばれた「南伊豆」です。方角を示す「南」と「伊豆」を組み合わせた形で、町は伊豆半島の最南端に位置します。
町名は近世の森町村に由来し、「森のあった所」または「盛り」に通じる高くなった所を意味した可能性があるとされます。町の自然をそのまま表した名前とも伝えられます。
日本武尊が草薙剣で葦を薙ぎ、火を放って敵を退けた伝説に由来するとされる地名です。古事記に見える「ヤキツ」が転じて、現在の焼津になったと伝えられます。
室町初期に、葦が生い茂る土地を「葦田」と呼んだものの、「悪し田」に通じるため、縁起のよい「吉田」に改めたと伝えられます。町名は佳名好名を願って付けられたとされています。