44件の地名を収録
阿見町の地名は、古くは「波佐間戸」とも書かれ、霞ヶ浦沿岸の入り組んだ地形や舟着き場に由来すると考えられています。町内の廻戸は「めぐる」意の「廻」と「戸」から成る地名で、地形的特徴をよく表しています。
石岡市の地名は、古代の茨城郡にあった茨城郷に由来するとされます。高台や崩落地を表す古い地名要素が転じた説が有力です。
古くは板来・板久とも書かれ、常陸国風土記では「伊多久」の郷と記された地名です。水郷の要衝として栄え、のちに潮来へ改称されました。
稲敷市の地名は、旧郡名の「稲敷郡」に由来します。郡名の「敷」は、台地や低湿地などの地形を表す古い語と考えられています。
茨城町の町名は、県名と同じく古代の茨城郡・茨城郷に由来すると考えられます。地名の原義は高台や崩落地を表す説があり、後世に当て字として「茨城」が用いられました。
牛久市の地名は、牛久沼に由来する説が有力で、沼の性質や伝説に結びつけて説明されます。アイヌ語由来説など諸説ありますが、古くから定着した地名です。
大洗町の地名は、鬼洗い・鬼儺いに由来する説や、大きな波に海岸が洗われる様子にちなむ説が伝わります。大洗磯前神社周辺の呼称が広がり、現在の町名として定着したとされます。
小川町・美野里町・玉里村の3町村の頭文字を1字ずつ取った合成地名です。合併協議会が881点の公募名称から3候補に絞り、委員の投票で決定しました。
笠間市の「笠間」は、笠間盆地とそこに開けた12の里の形が、昔の人が雨のときにかぶった「すげ笠」に似ていることに由来すると市は説明しています。
鹿嶋市の地名は、船をつなぐ杭を意味する「カシ」と、周囲を水に囲まれた「シマ」からなるとする説が有力です。鹿島神宮のある聖地としての性格や、海・河口に近い地理条件とも結びつけて説明されています。
市名は霞ヶ浦にちなみ、湖の名を受けた地名です。霞ヶ浦自体は古くからの地名で、周辺の水辺景観や船運と結びついた名称と考えられています。
神之池と息栖神社に由来し、地域の水辺の歴史を映して名づけられた市名です。旧神栖村の成立を経て、現在の神栖市へと受け継がれました。
町名は、昭和30年(1955)に生板・源清田・長竿の3村が合併して成立し、のちに金江津村を加えて旧4か村となった河内村に由来します。利根川と新利根川に挟まれた水郷・低地の地域性を背景にした地名です。
北茨城市の市名は、県名の「茨城」に県北端という位置を示す「北」を付けたものです。市域は多賀郡で茨城郡ではなく、古代の郡名を継承した市名ではありません。
「こが」の語源には、未開地を意味する「空閑(くが)」の転訛、草原を意味する「カガ」の転訛、水辺で船をさおさすことを表す「滸找」など諸説あり、確定していません。
近世の主要村落を「五ヶ村」と呼んだことや、霞堤に由来する通称が転じて「五霞」となったとされます。水害と築堤の歴史を背景に生まれた地名です。
境町の「境」は、古くは地域の境界や区切りを示す地名として用いられたと考えられます。町名の由来は明確な定説が少ないものの、周辺の地形や歴史的な区分と結びつく可能性があります。
市名は、市域を流れる桜川に由来します。合併で誕生した市で、桜の名所として知られる地域性も地名に反映されています。
『和名抄』に「しもつま」と見える古い地名で、現在の「下妻」の表記は鎌倉時代以降に定着したとされます。ただし「しもつま」の語義を説明した資料は確認できず、由来は未詳です。
2005年に常北町・桂村・七会村が合併して成立した町名で、「城」と「里」を組み合わせた新しい地名です。城下や城跡の歴史を受け継ぎつつ、里山的な地域性を表した名称と考えられます。
常総市の地名は、旧水海道の「水」と水運・集落を示す「海道(カイト)」に由来すると考えられています。鬼怒川と小貝川に挟まれた水辺の地形が、名の背景にあるとされます。
高萩市の地名は、市内にある萩の多い高台の地形に由来するとされます。市の花にも萩が選ばれており、土地の特徴をよく表した地名です。
筑西市の市名は、筑波山の西方に位置することに由来します。「筑西」という郡は存在せず、2005年の合併に際して地理的な位置を表す名として新たに定められたものです。
市名は『風土記』に見える筑波岳(筑波山)に由来し、山尾根の端に突出した地形を表すと考えられています。漢字の誤読を避けるため、ひらがな表記が採用されました。
2006年に旧伊奈町と谷和原村が合併して誕生した市名で、「つくば」と「みらい」を組み合わせた新しい造語です。筑波研究学園都市に近い立地と将来性を意識した命名とされています。
霞ヶ浦西岸の低湿地に由来し、「土(つち)+浦(うら)」で土砂の堆積した水辺を表す地名と考えられています。
村名は、合併前の村松村・石神村が組合立東海中学校の「東海」を採ったもので、さらにその「東海」は藤田東湖の詩句に由来します。
利根町は、町名のとおり利根川に面した地名で、河川名に由来すると考えられます。現在の町域は利根川の流路や治水・開削の歴史と深く結びついています。
「取手」は、戦国時代にこの地へ築かれた砦に由来するという説が有力です。ただし、平安時代末の史料にも周辺地名が見えるため、正確な起源は断定されていません。
大子町の地名は、古くは「依上保(よりかみのほ)」と呼ばれた地域に由来し、のちに「保内郷」とも称されました。現在の町名は大子村の町制施行を経て定着したものです。
那珂市の地名は、古代の郡名「那珂」に由来し、もとは「中(なか)」を表す地名と考えられます。周辺の中心的な場所を示す呼び名が、好字二字化によって現在の表記になりました。
常陸国風土記では、ヤマトタケルが地形の入り組んだ様子を「行細(なめくわし)」と表したことに由来するとされます。別説では、古代アイヌ語・縄文語系の「泉のほとり」を意味する語に結びつける見方もあります。
市名は旧国名「常陸」と、中心集落の太田を組み合わせたものです。常陸は東北へ通じる平坦な道や、豊かな土地を表す語に由来するとされます。
常陸大宮市の地名は、旧国名の「常陸」と、中心地としての「大宮」を組み合わせたものです。合併により誕生した市名で、地域の歴史的中心性を示しています。
神峰神社で徳川光圀が朝日の昇る景観をたたえたことにちなむとされ、日立村の村名から市名へ受け継がれました。日立製作所の社名もこの地名に由来します。
平成6年の合併で誕生した新しい市名で、旧国名「常陸」と旧郡名「那珂」を組み合わせて名付けられました。地域の歴史を反映した合成地名です。
鉾田市の地名は、古代の武器や石槍などが多く出土した土地を意味する「鉾多」に由来する説が知られています。
市名は関東地方の古称「坂東」に由来し、利根川の異称「坂東太郎」にも結びつきます。2005年の合併時に、関東平野を代表する都市を目指す思いを込めて選ばれました。
那珂川の水運における地理的要衝(水の入口・出口)を意味する「みと」に由来する地名。室町時代には既に記録があり、江戸時代に水戸徳川藩の成立とともに定着した。
美浦村の「美浦」は、村内にある美しい入り江状の地形や水辺の景観を連想させる名で、周辺の地形的特徴を踏まえて付けられたと考えられます。
守谷の地名は、日本武尊の「森なる哉」に由来する説や、平将門が「守るに易い谷」と評したことに由来する説などが伝わります。
八千代町の町名は、昭和47年の町制施行の際にそれまでの八千代村の名を引き継いだものです。八千代村の名は、昭和30年の5か村合併にあたり、合併協議会の審議会委員による無記名投票で多数の候補の中から選ばれ、この地方が八つの郷にまたがっていたことと「千代に八千代に栄える」という意味を込めた名とされています。
結城市の地名は、古くは「結城」と書かれ、結城氏の城下町として知られたことに由来します。地名の成立は中世の城郭・武家勢力と深く結びついています。
龍ケ崎市の地名は、竜巻が多い土地柄や龍の伝説、台地の形、在地領主の名など複数の説が伝わる。定説はなく、古くから「龍」にまつわる想像力が重ねられてきた地名である。