合併由来
市町村合併のときに新しく付けられた地名。旧町村名を組み合わせたものを含みます。
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2006年に愛知川町と秦荘町が合併して成立した合成地名です。両町名の一字ずつを取って「愛荘」と名づけられました。
会津美里町の町名は、旧会津高田町・会津本郷町・新鶴村の合併に際し、会津の歴史と美しい里のイメージを重ねて名づけられました。地名の「会津」自体は、古事記に見える「相津」に由来するとされます。
愛南町は、2004年の合併で誕生した町名で、「愛媛」の「愛」と南予の「南」を組み合わせた合成地名です。県名由来の「愛媛」と地域名の「南」を重ね、愛媛県南部に位置することを示しています。
赤磐市の地名は、合併前の赤坂郡と磐梨郡の郡名を組み合わせたものです。奈良時代以来の郡名を受け継いだ、比較的新しい合成地名です。
昭島市の市名は、昭和町の「昭」と拝島村の「島」を組み合わせて命名されました。昭和29年の合併によって現在の市名が成立しています。
古くは秋留郷と呼ばれ、阿伎留神社や秋留台地など「あきる」の名が地域に親しまれてきました。新市名は、その歴史ある呼称に「野」を加え、親しみやすさと将来への発展性を込めて命名されました。
明日香村の地名は、古くは飛鳥地方の呼称に由来し、地形説や外来語説など複数の説があるとされています。行政名としては1956年の合併時に縁起のよい「明日香」が採用されました。
昭和29年に市羽村と小貝村が合併した際、両村名から一字ずつ取って付けられた合成地名です。しかも旧・市羽村の名自体が市塙村と赤羽村の合成地名でした。
旧市川大門町・三珠町・六郷町の合併で誕生した町名で、「市川」と「三つの郷」を組み合わせた名称です。平成の大合併による新設町で、旧町名の要素を受け継いでいます。
糸島市の名は、旧怡土郡と志摩郡を合わせて「糸島郡」としたことに由来します。旧郡名の由来は明確ではありませんが、伊都国や島に結びつける説が知られています。
稲城市の地名は、明治22年の六か村合併で新たに命名されたものですが、由来を示す確かな史料は残っていません。稲の産地や城跡にちなむとする説、稲毛から転じたとする説が伝わります。
稲沢の地名は、明治期に稲葉村と小沢村が合併して生まれた合成地名とされます。市名はこの旧村名の一字ずつを取ったものです。
今金町の町名は、開拓功労者の今村藤次郎と金森石郎の姓から一字ずつ取って名付けられたとされています。町名自体は人名由来ですが、周辺にはアイヌ語地名も多く残ります。
岩美町の町名は、明治29年に邑美・法美・岩井の3郡が合併して岩美郡が成立したことに由来し、「岩井」の「岩」と「邑美・法美」の「美」を合わせて名付けられました。
平成18年の合併で誕生した市名で、旧国名の「奥州」に由来します。水沢市・江刺市などが一つになった新しい自治体名です。
大網は「大きな網」を意味する地形・漁撈に関わる地名とされ、白里は白砂の海岸や里の景観に由来すると考えられています。合併で市名となった大網白里市は、旧来の地名を組み合わせた名称です。
昭和32年に小泉町と大川村が合併した際に付けられた新町名です。命名の理由づけを直接記した資料は確認できていませんが、合併で生まれた地名であることははっきりしています。
町名は、周辺の地形や集落の呼称をもとに成立したと考えられる合成地名です。福岡県三潴郡の町として1955年に発足しました。
太田村と小口村などの合併で「太口村」となり、その後「太」の字が改められて「大口町」となった合成地名です。
昭和29年に大野村と熊町村が合併した際、二つの村名の頭文字を取って付けられた合成地名です。それぞれの村名も明治22年の合併で生まれた地名でした。
明治7年に須原・長野・殿・野尻の4か村が合併した際、旧4か村の集合であることと、良い桑を作り養蚕業を発展させる願いを込めて「大桑村」と命名されました。
昭和29年に大谷村・粕川村・大松沢村の3村が合併して大郷村が発足した際の新しい村名で、昭和34年に町制施行しました。命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
大河原村と鹿塩村の合併で成立した合成地名で、両村名の一字ずつを取って「大鹿村」となりました。いったん分村したのち、町村制施行で再び復活しています。
大空町は、女満別町と東藻琴村の合併で誕生した新しい町名で、澄み切った大空とその下に広がる豊かな大地を表しています。住民が夢と希望を持って暮らす願いを込めて命名されました。
大森区と蒲田区が合併した際、それぞれの一字ずつを取って名付けられました。なお「太田区」ではなく「大田区」としたのは、太田道灌を連想させるためともいわれます。
大玉村の地名は、村内の玉井・大山・玉ノ井などの地名要素を含む地域名に由来するとされます。現在の村名は、旧村名の合併・再編を経て定着しました。
大月町は、旧大内町と月灘村の合併で成立した町名で、月灘村の「月」を受け継いだ地名です。町内には月に関わる地名が多く残り、地域の歴史を今に伝えています。
大任町の名は、明治22年に成立した大任村に由来します。大行事村と今任原村の合併で生まれた村名で、町名はそのまま町制施行後に引き継がれました。
昭和30年の4か村合併で生まれた村名で、『大豊町史』は大杉の「大」と豊永の「豊」を組み合わせたものと記します。将来大きく豊かな村にという村民の願いも込められています。
邑南町は、2004年の合併で成立した町名で、「邑智郡の南部」に位置することを表す地名です。郡名の「邑智」と方位の「南」を組み合わせた合成地名と考えられます。
岡垣町の地名は、古い地名の「岡」と「垣」を折衷して生まれたもので、小高い砂丘と松林に由来するとされています。自然の地形と人々の暮らしが結びついた町名です。
忍野村は、1872年に忍草村と内野村が合併して成立した合成地名です。忍草の「忍」は、もとは湿地を表す「しぶ」系の語に由来するとされます。
小川町・美野里町・玉里村の3町村の頭文字を1字ずつ取った合成地名です。合併協議会が881点の公募名称から3候補に絞り、委員の投票で決定しました。
海津市の名は、旧海津郡に由来し、さらに海西郡と下石津郡を合わせた合成地名です。海西の「海」は古く尾張国海部郡にさかのぼるとされます。
2006年に旧海南町・海部町・宍喰町が合併して成立した町で、町名は旧海部郡の「海」と「陽」を組み合わせた新しい名称です。海に面した地域性を踏まえた合成地名と考えられます。
明治22年に下風呂・易国間・蛇浦の3村が合併し、それぞれの一字を組み合わせて成立した合成地名です。
蒲郡市の地名は、蒲形村の「蒲」と西之郡村の「郡」を取って作られた合成地名です。明治期の村の合併を背景に成立したと伝えられています。
神河町の町名は、2005年の合併時に旧神崎町の「神」と越知川・市川流域の「河」を合わせて名付けられたとされます。
2005年に香住町・村岡町・美方町が合併して成立した町で、町名は旧香住町の「香」と美方郡の「美」を合わせた合成地名です。
平成15年に加美郡の中新田町・小野田町・宮崎町が合併して誕生した町です。町名は郡名と同じ「加美」ですが、命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
朝明川の北と南の村々が合併し、文字どおり「川を越えて」一つの村になったことから「川越」と名づけられました。
町名は、旧来の「川根」と合併時の「本町」を組み合わせたものです。地名「川根」は、大井川の湾曲地にある階段状の地形や砂礫地に由来すると考えられています。
昭和30年に津田・原水・白水の3村が合併した際に付けられた新しい村名で、のち町制施行で菊陽町となりました。命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
木城町は、明治22年の町村制施行時に椎木の「木」と高城の「城」を組み合わせて命名された地名である。
木曽川の源流域に位置することから、「木曽の祖なり」の意味を込めて名付けられたとされます。1889年の合併時に、藪原村・小木曽村・菅村を合わせて新たに村名が定められました。
北塩原村の村名は、合併前の北山村・大塩村・檜原村の3村から一字ずつ取って名付けられた合成地名です。塩原温泉郷などの「塩原」とは直接の関係はありません。
町名は公募で決まり、紀州の「紀」と美里町の「美」、野上町の「野」を組み合わせたものです。「君の町」の意味も重ねられています。
京丹後市は、旧丹後国の地名を受け継いで2004年に誕生した市名で、丹後地方の中心性を示す「京」と地域名「丹後」を組み合わせたものです。
昭和30年の三村合併の際に村名を公募して「共和」と名付けられました。共同親和や「和して同ぜず」の理念、昭和という時代背景を踏まえて選ばれたとされています。
旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせた地名とされます。あわせて、ヤマトタケルが「清き土なり」と言ったという清戸の伝説も伝わります。
久世郡の「久」、御牧村の「御」、佐山村の「山」を合わせて命名された町名です。1954年の合併時に生まれた新しい地名で、各旧村の名を一字ずつ受け継いでいます。
芸西村の村名は、昭和29年(1954年)に和食・馬ノ上・西分の3村が合併した際、安芸郡の西端にあることから「芸西」と名付けられたものです。
香南市の「香南」は、旧香美郡南部の地域名をもとにした合成地名で、香美地域の南に位置することを示す名称です。
九重町の町名は、九重連山にちなむとされます。1955年の合併で成立し、山岳景観を背景にした地名として定着しました。
小平市の地名は、中心となった小川村の「小」と、平坦な地形の「平」を合わせた合成地名と伝えられています。明治22年の小平村成立に由来し、武蔵野台地の平らな地勢をよく表しています。
五島市の名称は五島列島に由来し、古くは主要な五つの島々を指した「五島」の名を受け継いでいる。市名は2004年の市町合併時に採用された。
栄町は、合併によって誕生した町名で、「栄える」という縁起のよい語を用いた新しい自治体名です。町内の安食の地名には、五穀豊穣を祈願して「食に安んずる」ようになったことに由来する伝承があります。
村名は相良氏に由来し、昭和31年の川村・四浦村合併の際に「相携えて良くなるように」という願いも込めて名付けられました。
佐久町と八千穂村の合併で生まれた町名で、「佐久」と「穂」を合わせた合成地名です。旧町村名の要素を引き継ぎ、地域の歴史を反映しています。
里見村と新庄村が合併した際、それぞれの地名から一字ずつを取って「里庄」とした合成地名です。対等合併の経緯を反映した町名とされています。
明治22年に立野・勢野・南畑の三村が合併して成立したことから、「三つの郷」を意味する三郷の名が生まれました。
山武市の市名は、旧郡名の山武郡に由来する合成地名です。山辺郡と武射郡の名を合わせたもので、読みは旧来の「さんむ」を受け継いでいます。
市名は、合併前の旧市町名である「山陽」「小野田」を並べた合成地名です。漢字5文字の市名としては日本で唯一とされています。
2005年に常北町・桂村・七会村が合併して成立した町名で、「城」と「里」を組み合わせた新しい地名です。城下や城跡の歴史を受け継ぎつつ、里山的な地域性を表した名称と考えられます。
新郷村は、旧戸来村と西越村の合併で成立した村名で、「新しい郷」を意味する合成地名です。村内の旧地名「戸来」は、南部地方の歴史やキリスト伝説とも結び付けられています。
町名は、旧来の「神石(じんせき)」の呼称に高原地帯の地勢を組み合わせて成立したものです。神石の由来には「亀石」から転じた説と、「神の石」を祀る信仰に由来する説があります。
新富町は1959年に新田村と富田村が合併して誕生した町で、両村名から一文字ずつ取って命名された。
周防大島町は、旧国名の「周防」と島名の「大島」を合わせた町名です。瀬戸内海に浮かぶ大島を中心とする地域であることを示す地名と考えられます。
昭和22年の本所区と向島区の合併時に新たに命名された区名で、隅田川堤の通称「墨堤」の「墨」と「隅田川」の「田」を取ったものです。
住田町は、上有住村・下有住村・世田米町の合併で成立した合成地名です。町名は「住」と「田」を組み合わせたもので、当初案の「鳴瀬町」から変更されました。
大紀町は、2005年に旧大宮町・紀勢町・大内山村が合併して成立した町名で、「大」と「紀」を組み合わせた合成地名です。旧町村名の一字ずつを取り入れ、地域の一体化を表しています。
大曲市と仙北郡の頭文字「大」「仙」を採った合成地名。2003年の新市名称公募で最多の143件を集め、「新大曲市」との議論を経て臨時協議会で全会一致で決定した。
台東区の名称は、上野の高台を表す「台」と、上野の東に位置する浅草などを表す「東」を組み合わせた瑞祥的な新命名です。文字の意味と地勢の両方が込められています。
昭和30年(1955年)4月20日に1町4カ村が合併して発足した際、「大きな和の町」を目指して名づけられた町名です。古代の「大和(やまと)」とは別系統で、読みも「たいわ」となります。
高山村の地名は、旧村名の高井村に由来する明治期の村名整理の結果として定着したものです。周辺の高井野郷・山田郷など、山地と高原の地形を背景にした地域名として受け継がれました。
武豊町の地名は、長尾村の武雄神社と大足村の豊石神社から一字ずつ取って「武豊」としたことに由来します。明治11年の合併で武豊村が成立し、のちに町制を施行しました。
「玉」は日比町の中心地区・玉、「野」は宇野町の「野」を取った合成地名です。明治22年に宇野村と玉村が合併して生まれた「玉野村」の名が、昭和25年の市制で復活しました。
村名は旧村名の千早村と赤阪村を合併して生まれた合成地名です。楠木正成ゆかりの千早城や赤坂城にちなむ地名として知られます。
長生村の名は、明治29年に長柄郡と上埴生郡が統合してできた長生郡に由来します。昭和28年の3村合併にあたり村名を一般公募し、多数の応募の中から郡名の「長生」が選ばれました。
2006年に旧伊奈町と谷和原村が合併して誕生した市名で、「つくば」と「みらい」を組み合わせた新しい造語です。筑波研究学園都市に近い立地と将来性を意識した命名とされています。
東栄町の町名は、1955年の合併で発足した新しい行政地名です。旧本郷町などの町村名を受け継がず、地域の将来への発展を願う意味合いを込めた命名と考えられます。
東御市の市名は、2004年の合併で誕生した旧東部町と北御牧村の合成地名に由来します。旧町村名の一部を組み合わせた新しい市名です。
明治22年の町村制施行で、十三の里にちなむ「富里村」として成立し、のちに市制施行しました。地名は開墾の順序と美称を組み合わせたもので、七栄や十倉なども開墾順に由来します。
豊明市の地名は、旧村名の「豊倉屋」と元号の「明治」から一字ずつ取ったとされ、宮中行事の「豊明節会」にも因むと伝えられます。
町名は、明治29年に豊島郡と能勢郡が合併してできた郡名「豊能」に由来します。1977年、東能勢村が町制施行する際にこの郡名を採って命名されました。
明治39年に豊場村と青山村が合併して成立した地名で、両村名の一字ずつを取って「豊山」と名付けられました。あわせて「物産豊かに山をなす」というめでたい意味合いも込められたとされます。
明治22年の合併時に、旧大岡荘の「長」と旧小泉荘の「泉」を合わせて名付けられた合成地名です。
明治41年に中村と井ノ口村が合併した際の新命名で、両村の字を合わせた「中井村」に由来します。町名はこの村名を受け継いだものです。
2005年に中里町と小泊村が合併した際、旧町村名から一字ずつを採って「中泊」とした合成地名。
2005年に長門町と和田村が合併して成立した町名で、両町村の頭文字を合わせて「長和」と名付けられました。中山道の宿場町と黒耀石の産地としての歴史も、地名の背景を形づくっています。
2006年の合併で誕生した町名で、旧三加和町の「和」と旧菊水町の「水」を組み合わせたものです。両町の地名を取り入れ、調和と清らかな水を感じさせる名称になっています。
那須郡の「那須」と、旧烏山町の「烏山」を合わせた合成地名です。2005年の市制施行で誕生し、地域の歴史的な地名を引き継いでいます。
那須塩原市の「塩原」は、山間の狭い平地や塩類泉に由来する地名とされます。市名は那須と塩原を合わせた合成名で、2005年の市制施行で定着しました。
町名は、古くからの港町「勝浦」と、熊野信仰の中心地・那智を合わせた合成地名です。勝浦は「良い入り江・良港」、那智は語源に諸説あり定説を見ません。
七飯町の地名は、明治12年に七重村と飯田村が合併してできた「七飯村」に由来し、両村名の「七」と「飯」を合わせた合成地名です。
西川町の町名は、合併前の西山村と川土居村の両村が設置した「西川中学校組合」の名称に由来します。1954年の合併で町が発足した際、その名称が町名として採用されました。
昭和30年に西村・一武村・木上村の3村が合併して錦村が発足した際に定められた新しい村名で、昭和40年に町制施行しました。命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
野迫川村の名は、旧来の野川組・迫組・川並組が合併して成立した村名に由来します。現在の村名は、これらの地域名を組み合わせて定着したものです。
羽島市の名は、近代に羽栗郡と中島郡が合併してできた羽島郡に由来します。さらにその背景には、木曽川の洪水と流路変化による郡名の変遷があります。
町名は、合併前の八森町と峰浜村の各一字を合わせた合成地名です。さらに「八峰」は「多くの峰」を意味し、白神山地に連なる山並みを連想させます。
東吾妻町は、平成18年(2006年)に吾妻郡の吾妻町と東村が合併して成立した町です。「吾妻」は旧吾妻町が昭和31年に郡名から採った名で、「あづま」は日本武尊の伝説にちなむとされます。
大正8年に6か村が和して「大和村」となり、昭和45年の市制施行時に東京の大和市との区別を意識して「東大和市」と名づけられました。
昭和31年に久原村と山田村が合併した際、両村名から一字ずつ取って付けられた合成地名です。「久」は久原村から、「山」は山田村から採られました。
市名は旧国名「常陸」と、中心集落の太田を組み合わせたものです。常陸は東北へ通じる平坦な道や、豊かな土地を表す語に由来するとされます。
常陸大宮市の地名は、旧国名の「常陸」と、中心地としての「大宮」を組み合わせたものです。合併により誕生した市名で、地域の歴史的中心性を示しています。
平成6年の合併で誕生した新しい市名で、旧国名「常陸」と旧郡名「那珂」を組み合わせて名付けられました。地域の歴史を反映した合成地名です。
福崎町の町名は、明治22年(1889年)の町村制で7か村が合併して福崎村が発足した際、福田村の「福」と山崎村の「崎」を取って付けられた合成地名です。
福智町の「福智」は、町のシンボルである福智山に由来する地名です。町内の旧村名を合わせて成立した新しい町名で、地域の象徴をそのまま町名に採っています。
福津市の地名は、旧福間町と津屋崎町の合併により生まれた市名で、それぞれの地名は海岸地形や入り江に由来すると考えられています。
昭和30年に藤琴村と粕毛村が合併した際、藤琴の「藤」と粕毛の景勝地・素波里の「里」を採って名付けられた合成地名。
昭和31年の合併で成立した富士見村に由来し、富士山がよく見える土地であることから名づけられました。瑞祥的な意味合いを持つ地名です。
双葉町の町名は、明治期に標葉郡と楢葉郡が合併して「双葉郡」と名付けられた流れを受けたもので、二つの「葉」から成る地域を表します。町名そのものは、郡名に由来する地名です。
2005年の合併で誕生した市名で、旧国名の「豊後」と郡名・地域名の「大野」を組み合わせたものです。
町名は、能登半島最高峰の宝達山と、旧志雄町の「志」と旧押水町の「水」を組み合わせて命名されました。合併協議で両町の意向を反映した合成地名です。
町名は、旧町村名の「北条」と「大栄」を合わせて「北栄」とした合成地名です。合併後の新町名として、両地域の一体感を表す意図で名付けられました。
松野町の町名は、昭和30年(1955年)に松丸町と吉野生村が合併した際、松丸の「松」と吉野生の「野」を一字ずつ取って付けられた合成地名です。
平成17年に真庭郡の8町村と上房郡北房町が合併して誕生した市です。市名は郡名と同じ「真庭」ですが、命名の理由づけを記した資料は確認できていません。
東和村・彦成村・早稲田村の三村合併に由来する「三」と、旧来の二郷半領にちなむ「郷」を組み合わせた地名です。
町名は、合併により誕生した新しい自治体名で、自然豊かな郷土を「美しい郷」と表現したものです。江の川流域の山と川に囲まれた景観や、地域の魅力を象徴する名称として定着しました。
2004年に中央町と砥用町が合併して成立した町名で、「美しい里」を意味する新しい合成地名です。町の公式サイトでも「美里町」と表記され、自然豊かな地域性を表しています。
1954年の合併時に住民投票で採用された新しい町名で、「美しい里」を意味する瑞祥地名です。
三野郡と豊田郡の合併で設置された三豊郡に由来し、その郡名を受け継いだ市名です。
港区の地名は、芝・麻布・高輪などの旧地名を基礎に、江戸の埋立や町割り、住居表示の変遷を経て成立しました。区名そのものは港湾都市の印象を持ちますが、由来は旧区名の統合にあります。
南あわじ市は、平成の合併で誕生した市名で、旧南淡地区が新市名として採用したものです。淡路島南部に位置することを示す「南」と、島名の「あわじ」を組み合わせた地名です。
市名は、美濃国加茂郡に由来します。1954年の市制施行時に、旧郡名を受け継いで「美濃加茂市」と名づけられました。
昭和29年の合併時に、旧郡名の「弥美庄」に通じる「美」と、若狭湾に面する美しい浜辺の「浜」を取って名づけられました。瑞祥的な新町名です。
平尾・黒山・丹南の三村が合併した際、「三つ」の村と美しい平坦地を表す「原」から「美原」と名付けられました。区名は旧美原町の名称を受け継いでいます。
百間村の「宮」と須賀村の「代」を合わせて名付けられた町名です。昭和30年の合併に際し、公募で選ばれました。
市名の「みやま」は、旧三池郡の「三」と旧山門郡の「山」を取った合成地名です。合併協議では平仮名表記が採用され、親しみやすさも重視されました。
宮若市の「宮若」は、旧宮田町と若宮町の合成名です。宮田の「宮」は宗像神社の神領となった際の「神田」に由来するとされ、若宮の「若」と合わせて市名になりました。
御代田町の「御代田」は、明治8年(1875年)に前田原村・池田新田・児玉村・小田井村が合併して御代田村が発足した際に付けられた新しい村名です。
町名は、旧村名の「睦」と「沢」を合わせた合成地名とされ、合併によって成立しました。周辺の村名を組み合わせた新しい自治体名で、地域の結びつきを表しています。
明和町の町名は、旧三和町の「和」と旧斎明村の「明」を組み合わせた合成地名です。1958年に神郷町から改称して現在の町名になりました。
三ヶ村の合併時に公募で「明朗で平和な村に」という願いを込めて名付けられた地名です。町名はその後も受け継がれ、現在の明和町となりました。
毛呂山町は、旧毛呂村と山根村の合併で成立した合成地名です。「毛呂」は集落や小高い地形を表す語に由来するとされ、毛呂氏の本貫地としても知られます。
八潮市の地名は、潮止村・八條村・八幡村の合併時に、それぞれの名称から一字ずつ取って名付けられた合成地名である。
八千代市の市名は、昭和29年の町制施行時に公募で決まった瑞祥地名で、「永くいつまでも」「無限の発展性」を願う意味が込められています。
八幡西区の「八幡」は、明治22年の町村制施行時に、周辺の村が合併して八幡村となったことに由来します。各村が八幡神社を祀っていたため、この名が選ばれました。
八幡東区の「八幡」は、尾倉・大蔵・枝光の三村が合併して八幡村となった際、各村が産土神の八幡神社を祀っていたことに由来します。
山辺郡と添上郡の頭字を合わせて名づけられた村で、「山に添うて発展する」という願いが込められています。神野山を中心とする山里の景観とも結びついた地名です。
大和市の地名は、日本の雅称「大和」ではなく、明治期に鶴見村から改称された「大和村」に由来します。村内の対立を収めるため、「大いに和する」の願いを込めて名付けられました。
矢部・清和・蘇陽の3町村合併で誕生した町名です。公募の応募理由には「山の都」として栄えるようにという願いに加え、「山」を「三」と読み替えて3町村を表す意味も込められていました。
山元町の町名は、合併前の山下村と坂元村の頭文字を合わせた合成地名です。旧村名はそれぞれ「山の下」「坂の元」という地形的な意味合いを持ちます。
1889年の町村合併の際、行事村と大橋村からそれぞれ一字ずつ取って「行橋」と名づけられました。
2005年に本荘市と由利郡7町が合併して成立した市で、郡名「由利」と市名「本荘」を組み合わせた合成地名。
横芝町と光町の合併で成立した町名で、両町の歴史や文化を継承し、心を一つにして発展する願いが込められています。
明治22年の町村制施行にあたり、倉内・平沼・鷹架・尾駮・出戸・泊の6か村が合併して成立したことによる村名。