🗾 地名由来辞典

東吾妻町 ( ひがしあがつままち )

群馬県 / 東吾妻町 平成時代由来

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東吾妻町は、平成18年(2006年)に吾妻郡の吾妻町と東村が合併して成立した町です。「吾妻」は旧吾妻町が昭和31年に郡名から採った名で、「あづま」は日本武尊の伝説にちなむとされます。

語源

東吾妻町(ひがしあがつままち)は、平成18年(2006年)3月27日に、吾妻郡の吾妻町(あがつままち)と東村(あづまむら)が新設合併して成立した町です。町名は、合併した2つの町村の名を構成要素として持ち、町域が吾妻郡の東南部にあたることとも重なっています。ただし、「東吾妻」という名がどのような協議を経て選ばれたのかを述べた資料は確認できていません。以下は、名を構成する「吾妻」と「東」それぞれの来歴です。

「吾妻」——郡名から採られた町名

合併前の吾妻町は、もともと原町(はらまち)という名でした。昭和30年(1955年)に周辺の村と合併したのちも原町を名乗っていましたが、新しい町名を公募したところ妙案が出ず、昭和31年(1956年)2月1日、吾妻郡の郡名を採って吾妻町と改めています。つまり「吾妻」は、郡名が町名に降りてきた名です。

「東」——同じ伝説を語源とされる村名

一方の東村は、明治22年(1889年)の町村制施行で生まれ、平成の合併まで一度も合併を経験しなかった村です。群馬県にはかつて5つの東村があり、そのうち吾妻郡の東村だけが「あづま」と濁って読みました。

群馬県にこれほど「東村」が多い理由について、群馬地名研究会は日本武尊(やまとたけるのみこと)の伝説を挙げています。『日本書紀』では、東征の帰路に今の群馬県内の峠で亡き妻を偲んで「吾嬬者耶(あづまはや)」とつぶやいたとされ、そこから東国を「あづま」と呼ぶようになったと伝えられます。「市町村変遷パラパラ地図」が引く読売新聞2006年3月4日の記事によれば、同会は「東は『日いずる所』を意味する。明るく上昇するイメージも重ねたのだろう」と述べています。郡名「吾妻」も同じ伝説に由来するとされ、「吾妻」と「東」はもともと語源を共有する名ということになります。

歴史的変遷

時代呼称備考
明治原町 / 東村明治22年(1889年)の町村制で、原町・太田村・岩島村・坂上村・東村などが成立
昭和原町昭和30年(1955年)、原町が太田村・岩島村・坂上村と合併
昭和吾妻町昭和31年(1956年)、公募が不首尾に終わり、吾妻郡の郡名を採って改称
平成東吾妻町平成18年(2006年)3月27日、吾妻町と東村が新設合併して成立

地名の特徴

東吾妻町は群馬県北西部、吾妻郡の東南に位置し、北は中之条町、西は長野原町、東は渋川市、南は高崎市に接します。町域には岩櫃山や浅間隠山がそびえ、吾妻川が吾妻渓谷を刻んで流れています。

「吾妻」を名に持つ自治体は吾妻郡一帯に広がり、同じ日本武尊伝説を村名の由来とする嬬恋村(つまごいむら)も同じ郡内にあります。嬬恋が「妻恋し」の意を名そのものに表しているのに対し、東吾妻の場合は伝説が郡名「吾妻」を説明し、その郡名を継いだ町名がさらに合併で受け継がれた、という何段階かを経た名です。

なお、平成の大合併によって群馬県から「東村」の名はすべて消えました。吾妻郡の東村は、隣り合う吾妻町と合併することで、語源を共有する名どうしが一つの町名に収まる結果になっています。

特産・名物

東吾妻町の代表的な特産品として、「榛名のたまご」が挙げられます。この卵は、上州を誇る榛名湖と山岳地帯という自然豊かな環境に位置する養鶏場から採れる、朝採れの新鮮な卵です。

【特選 はるなのたまご】

地名の変遷

  1. 明治 原町 — 明治22年(1889年)の町村制で成立。昭和30年(1955年)に太田村・岩島村・坂上村と合併したのちも町名は原町のままだった
  2. 昭和 吾妻町 — 昭和31年(1956年)、原町から改称。新町名を公募したが妙案が出ず、吾妻郡の郡名を採った
  3. 明治 東村 — 読みは「あづまむら」。明治22年(1889年)の町村制で成立し、平成18年(2006年)まで一度も合併しなかった

参考資料・出典

最終更新: 2026-09-04