63件の地名を収録
青ヶ島の地名は、島名「青ヶ島」に由来します。由来には「アヲ」は「アブ」の転で「崖の島」とする説があり、火山島の険しい地形を反映した名と考えられています。
昭島市の市名は、昭和町の「昭」と拝島村の「島」を組み合わせて命名されました。昭和29年の合併によって現在の市名が成立しています。
古くは秋留郷と呼ばれ、阿伎留神社や秋留台地など「あきる」の名が地域に親しまれてきました。新市名は、その歴史ある呼称に「野」を加え、親しみやすさと将来への発展性を込めて命名されました。
足立区の地名は、古代の武蔵国足立郡に由来します。『葦立ち』説もありますが、区の公式説明では『阿太知』を当てた古い郡名が起源とされています。
区名は、区の北部を流れていた荒川の川名に由来します。現在の荒川区は、1932年に南千住・日暮里・三河島・尾久の4町が合併して成立しました。
旧中山道と石神井川にかかる「板橋」という橋に由来する説が有力です。一方で、台地の端を表す地形由来の説もあり、由来は一つに定まっていません。
稲城市の地名は、明治22年の六か村合併で新たに命名されたものですが、由来を示す確かな史料は残っていません。稲の産地や城跡にちなむとする説、稲毛から転じたとする説が伝わります。
区名は東端を流れる江戸川にちなみます。江戸川は「江戸に通ずる川」という意味で、さらに江戸は入江の門戸を表す地形由来とされます。
平将門ゆかりの「青梅」の伝説に由来するとされます。金剛寺境内の梅が青いまま残ったことから、この地を青梅と呼ぶようになったと伝えられています。
大島町の地名は、伊豆大島という島の名に由来し、オホは接頭語で「島」に近い意味を持つとされます。島名そのものを町名にした、比較的素朴な由来です。
大森区と蒲田区が合併した際、それぞれの一字ずつを取って名付けられました。なお「太田区」ではなく「大田区」としたのは、太田道灌を連想させるためともいわれます。
小笠原村の名は、小笠原諸島の島名が小笠原氏の名に由来することにちなみます。もとは小笠原貞頼発見伝説を背景に広まった名称で、地名から名字、さらに地名へと転じた例です。
「多摩」の奥にある山間部を示す地名で、東京府下の多摩地域の上流・山地側を表す呼称として定着しました。大正末期に「奥多摩」という名称が生まれ、観光地名としても広まりました。
「葛飾」は古い広域地名で、台地と低地が入り交じる土地の様子や、かずらの繁茂、狩場に由来するなど諸説あります。区名としては1932年に採用されました。
北区は、1947年に旧滝野川区と旧王子区が合併して成立した区名で、区の位置をそのまま表した地名です。区名そのものは新設時の行政地名で、旧来の町名・大字名の継承ではありません。
旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせた地名とされます。あわせて、ヤマトタケルが「清き土なり」と言ったという清戸の伝説も伝わります。
国立市の地名は、国分寺と立川の間にある新駅名として両駅名の頭文字を取ったことに由来し、「この地から新しい国が立つ」という願いも込められました。
神津島村の地名は、神々が集まって島々の創生を相談したという伝承に由来し、古くは「神集島」とも書かれました。神話と結びついた島名として伝えられています。
江東区の区名は、隅田川の東に位置する地理的意味から選ばれました。江は深川、東は城東を含む意もあり、古くから広く東部一帯を指す呼称でもありました。
小金井市の地名は、豊富な湧水を「黄金に値する」と見立てた「黄金井(こがねい)」に由来する説が有力です。ほかに、崖沿いの湧水を表す語から転じたとする説もあります。
武蔵国分寺に由来する地名で、奈良時代の国分寺建立の詔に基づく寺院名が市名のもとになりました。
小平市の地名は、中心となった小川村の「小」と、平坦な地形の「平」を合わせた合成地名と伝えられています。明治22年の小平村成立に由来し、武蔵野台地の平らな地勢をよく表しています。
狛江市の名は、前身の狛江村が古代の地名「狛江郷」から採ったものです。狛江郷の由来には高麗人の居住地にちなむ説などがあり、確定はしていません。
品川区の地名は、古くから品川宿や品川湊として知られた「品川」に由来します。現在の区名は、旧品川町などの地域名を受け継いで定着しました。
渋谷の地名には、塩谷が転じた説、渋谷重家に由来する説、渋色の川や谷地形にちなむ説など複数あり、定説はありません。
甲州街道の宿場として元禄年間(1698年頃)に内藤家屋敷跡へ新設されたことに由来し、「新しく設けられた宿(宿場)」を意味する地名である。
杉並区の地名は、かつてこの一帯に杉並木があったことに由来するとされます。周辺の自然景観を表す地名として定着したものです。
昭和22年の本所区と向島区の合併時に新たに命名された区名で、隅田川堤の通称「墨堤」の「墨」と「隅田川」の「田」を取ったものです。
世田谷区の「世田谷」は、古い「瀬田」や「瀬戸」に通じる地名が転じたものとされ、谷の多い土地を表したと考えられています。区内には用賀など由来不詳の地名もあり、複数の説が伝わっています。
台東区の名称は、上野の高台を表す「台」と、上野の東に位置する浅草などを表す「東」を組み合わせた瑞祥的な新命名です。文字の意味と地勢の両方が込められています。
立川市の地名由来には、多摩川の流れや音にちなむ説、館川説、立川氏に由来する説など複数あり、いずれも確証はありません。
市名は多摩川に由来するとされ、さらにその語源は上流の丹波川(たばがわ)にさかのぼるという説が有力です。
中央区は、東京市の地理的中央に位置し、経済・文化の中心地であることから名付けられました。戦後に旧日本橋区と旧京橋区が合併して成立した区名です。
多摩川で晒した布を「調」として朝廷に納めたことに由来する地名です。古代の租税と多摩川流域の布づくりが結びついた名とされています。
千代田区の区名は、江戸城の別名「千代田城」にちなむもので、城を中心に発展してきた地域性を踏まえて名付けられました。麹町区と神田区の統合にあたり、昭和22年に新しい区名として採用されました。
東京都の特別区部は、旧東京市の区制を引き継いだ行政区域で、個別の地名由来というより区の総称として定着した名称です。
区名は古代の武蔵国豊島郡に由来し、郡名を受け継いで昭和7年に誕生しました。由来には「高所の島」や「豊かな島」などの説があります。
利島村の地名は、島名の「利島」に由来します。島名の語源は明確ではありませんが、古くから伊豆諸島の一島として知られ、明治期に行政名として利島村となりました。
中野区の地名は、古くからこの一帯が「中野」と呼ばれてきたことに由来します。武蔵野台地の中央部に位置する内陸の地形を表す地名として定着しました。
新島村の「新島」は、島の色が白いことから「あたら島(新島)」と名付けられたという伝説に由来します。火山活動で生まれた新しい島という意味合いも伝えられています。
田無市と保谷市の合併に際し、公募と市民投票で選ばれた新市名です。東京23区の西側に接する位置関係を意識した名称とされています。
「ねりま」の由来には、赤土をねった「ねり場」や「根沼」など複数の説があり、定説はありません。練馬区公式ホームページでも諸説併記で紹介されています。
八王子市の地名は、牛頭天王と八人の王子を祀る八王子信仰に由来し、八王子神社を中心に地域名として定着したと伝えられます。
八丈町の町名は、中心となる八丈島の名を受けたものです。島名の由来は諸説ありますが、古くから伊豆諸島の主要な島として知られてきました。
河岸段丘の「ハケ」から「ハケ村」となり、転じて羽村になったとする説と、武蔵野台地西端の「ハシ」から「ハシ村」となったとする説があります。
市名は、黒目川の旧称「久留米川」に由来するとされ、福岡県久留米市との混同を避けるため「東」を冠して成立しました。
東村山市の地名は、村山地方の東に位置することから「東村山」と名付けられたとされています。明治22年の町村制度施行時に、方位を取った命名が採用されました。
大正8年に6か村が和して「大和村」となり、昭和45年の市制施行時に東京の大和市との区別を意識して「東大和市」と名づけられました。
日野市の地名は、烽火台の「火野」から転じた説など複数あり、由来は一つに定まっていません。日野中納言や日奉宗頼にちなむ説も伝わります。
旧大久野村と旧平井村の合併時、日の出山にちなみ「日の出村」と命名されたのが由来です。「日の出の勢い」の意味も込められ、後に町制施行で日の出町となりました。
檜原村の地名は、檜などの大木が生い茂る山の神秘的な姿や、檜の大もとを意味する表現に由来するとされます。古くは橘郷、柏の庄、椿の庄とも呼ばれました。
武蔵国の国府が置かれた「国府の中」に由来する地名で、古代の政治拠点としての歴史を今に伝えます。
福生市の地名は、古くは「扶桑」などの表記も見られ、現在の「福生」は当て字とされます。由来の詳細は諸説ありますが、地域の歴史的な表記変化を経て定着した地名です。
「文京」は、旧小石川区と旧本郷区の合併で誕生した新しい区名で、「文教の府」という区の性格を端的に表す名称として選ばれました。
町田市の地名は諸説あり、区画した田地を表す「町田」や、市(いち)の立つ場所に由来する説などが伝わります。商業や交通の要地として発展した歴史とも結びつけて説明されます。
御蔵島村の地名は、三島大明神が蔵を置いた島とする説が有力です。ほかに「海暗(うみくら)」や「御暗」などの説も伝わります。
昭和15年、箱根ケ崎村など4村の合併で町制施行する際、東京府知事・岡田周造が『豊葦原千五百秋瑞穂国』にちなみ命名したと伝わります。豊穣を意味する縁起のよい美名が選ばれました。
三鷹市の地名は、野方領・世田谷領・府中領にまたがる鷹場の村々が集まったことに由来するといわれます。江戸時代の鷹場と、三つの領にまたがる地勢が名前の背景です。
港区の地名は、芝・麻布・高輪などの旧地名を基礎に、江戸の埋立や町割り、住居表示の変遷を経て成立しました。区名そのものは港湾都市の印象を持ちますが、由来は旧区名の統合にあります。
三宅村の名は、島の形を家三つに見立てた説、式内社の多さから「宮家島」とする説、火山活動の多さから「御焼島」とする説などが伝わります。古い島名のため由来は一つに定まりません。
武蔵野市の名は、1889年に4カ村が合併して「武蔵野村」と命名されたことに由来し、さらにその「武蔵野」は『万葉集』に見える地名から採られたと考えられています。
「村山」は狭山丘陵の峰々を指す「群山(むれやま)」が訛ったものとされ、1970年の市制施行時に同名回避のため「武蔵」を冠しました。
目黒区の地名由来は定説がなく、馬畔説や地形説、目黒不動尊にちなむ説など複数が伝わります。いずれも決め手に欠け、由来は未詳とされています。