動植物由来
その土地に多い草木や、集まる鳥獣・魚の名から付いた地名。
193件収録
「青い森(常緑樹の林)」が港付近に広がっていたことに由来する。1871年(明治4年)の廃藩置県で青森県が成立し、港湾都市・青森が県名となった。
県名は古代の茨城郡(いばらきぐん)に由来する。『常陸国風土記』に記された黒坂命が「茨の城」を設けて賊を討ったという説話が語源とされ、「うばらき」が母音交代により「いばらき」に変化した。
「香川」の県名は古代から続く郡名「香川郡」に由来する。「かがわ」の語源は「樺川(かばかわ)」の転訛や、花の香りが川に移る様子など複数の説がある。廃藩置県後に2度廃止・2度復活という日本唯一の波乱の歴史を持つ。
「千葉」の県名は設置時に県庁が置かれた「千葉郡千葉町」の名に由来する。「千葉」という地名の語源は「台地の端(ちば)」を意味する地形説が有力で、万葉集にもその名が見られる古称である。
県名は明治4年(1871年)の廃藩置県時の県庁所在地「栃木町(現・栃木市)」に由来する。「栃木」の地名自体はトチノキ(栃の木)が多く自生していたとする説や、神社の千木に由来するとする説など諸説ある。
水鳥を捕る職能集団『鳥取部(とっとりべ)』に由来し、その起源は『日本書紀』垂仁天皇の代に天湯河板挙が白鳥を捕獲した説話にまでさかのぼる。
「山梨」の県名は律令制下から続く古代の郡名「山梨郡」に由来する。廃藩置県時に甲府県から改称された。「やまなし」は「山を成す(山平らし)」など複数の説があるが、古代からの地名がそのまま郡名・県名へと受け継がれた。
藍住町の地名は、阿波藍の栽培・流通で栄えた土地柄に由来するとされます。藍の産地としての歴史が、町名にも色濃く残っています。
青木村の村名は、村内にあったネズの木「青木」に由来するとされます。東山道の道しるべとなった木にちなむと伝えられ、村の歴史と結びついた地名です。
区名は公募で選ばれ、木々に囲まれた美しい街のイメージや、若い芽が育つように将来へ伸びやかに発展する願いを込めて「青葉区」と定められました。
港付近に生い茂っていた常緑樹の「青い森」に由来するとされる。江戸時代初期に津軽藩が港湾開発を行った際、この地名が定着した。
上松町の地名は、木曽谷の上流側にある「上の松」に由来するとされ、木曽路の宿場町としての位置づけとも結びついています。
赤穂市の名は古代の郡名「赤穂」を受け継いだものです。『播州赤穂郡志』は千種川の水辺に生える赤いタデの穂に由来すると説きます。読みは『和名類聚抄』以来ながく「あかほ」で、「あこう」が公式になるのは昭和35年のことでした。
麻生区の名は、古くこの地で麻が広く産したことに由来すると伝えられています。1982年に多摩区から分区して誕生した新区名で、歴史的な地名を継承しました。
鰺が多く獲れたことによる説と、古地図の「アシが沢」が転じたとする説があり、いずれとも定まっていない。
芦北町の地名は、古くは「葦北郡」として奈良時代の木簡にも見える古い郡名に由来します。葦の生える低湿地を表す地名と考えられ、漢字表記は時代とともに「葦北」から「芦北」へ変化しました。
芦屋の地名は、海辺・河辺の低湿地に茂るアシ(芦・葦)に由来する地形名とされます。古代には六甲山南麓の臨海低地一帯を指す広い呼称で、郷名・荘名・村名を経て1940年の市制施行で市名になりました。
芦屋町の名は、かつて遠賀川の岸に何キロメートルも続いたアシの原にちなみ、アシで屋根を葺いた家が建つ場所を意味するとされます。港としては『日本書紀』に「岡水門」と見え、平安中期からは芦屋津として栄えました。
アイヌ語の「アツケウシイ」または「アツケシ」に由来するとされ、オヒョウニレの樹皮をはがす場所、あるいは牡蠣の漁場を意味する説があります。
徳島県の古代国名「阿波」や阿波郡に由来し、もとは「粟国」と呼ばれた地名が、好字二字令によって「阿波」と表記されるようになったと考えられています。
あわら市の地名は、湿地や悪所を表す「アシハラ(芦原)」に由来するとされます。転じて「あわら」となり、旧芦原町の名を受け継いで市名になりました。
斑鳩町の地名は、イカル(斑鳩)という鳥が群れていたことに由来する説が有力です。ほかに、伊香留我伊香志男命にちなむ説も伝わります。
生駒の地名は、古い語形「イコマ」に由来し、鹿がいる山を表す説や地形由来の説が伝わります。市名は生駒山の名を受け継いだものです。
板柳町の地名は、板状の土地や板屋根の家屋と柳の多い風景に由来するとされる。
市原の地名は、古くは「市原郡」「市原郷」として見え、諸説あるものの、養老川の浸食地形や「いちいの繁茂する原野」などに由来するとされます。
稲城市の地名は、明治22年の六か村合併で新たに命名されたものですが、由来を示す確かな史料は残っていません。稲の産地や城跡にちなむとする説、稲毛から転じたとする説が伝わります。
猪苗代町の地名は、古くは「猪鼻代」「猪名代」などとも書かれ、猪の鼻のように突き出した地形や、猪が多くいた土地に由来するとする説があります。
犬山市の地名由来は定説がなく、狩猟に適した土地だった説、小野山が転じた説、戌亥の方角に由来する説が伝えられています。
市名の由来には、イバラの木が多かったことや「荊切りの里」が転じたとする説などがあり、複数の説が伝わっています。古くは「荊切」「茨城」などの表記も見られました。
地名の由来には諸説あり、良い井戸水が湧く土地を表す説や、茨(いばら)が多い地だったとする説が伝えられています。
今別町の地名は、アイヌ語の「ima-pet(イマ・ペッ)」に由来するとされ、意味は「鮭を取る川」と解釈されます。古い地名が津軽半島北西部に残った例として知られます。
古くは魚堵(おど)・小戸ケ浦・小戸・小津と呼ばれ、魚がよく獲れる産地であったことから魚津に改称されたと伝わります。
宇部市の地名は、ムベの繁茂地、海辺の景観、宇治部の部民集住などを由来とする諸説があります。古くは「むべ」「むへ」とも記され、のちに「宇部」の表記が定着しました。
浦幌町の地名はアイヌ語に由来し、「霧が多いところ」または「ヤマシャクヤクの所」とする二説が伝えられています。
雨竜町の地名は、雨竜川の名に由来し、アイヌ語の「ウリロペツ」(鵜の多い川)などから転訛したとされます。川辺に鵜が多くいたことにちなむと伝えられています。
市名は沖縄の言葉で「サンゴの島」を意味する「うるま」に由来します。沖縄の雅名としても用いられ、海に面した景観の美しさを表す地名です。
アイヌ語の「エサㇱウㇱ(e-sas-us)」などに由来するとされ、昆布が獲れる場所や岬が突き出した場所を表す説があります。
海老名の地名は由来不明とされつつ、相模川の曲流地形や段丘崖にちなむ説が有力です。入江に大きな海老がいたという伝承もあります。
えびの市の名称は、霧島山麓に広がるえびの高原に由来するとされる。高原一帯のススキが火山ガスの影響で海老色(えびいろ)に染まる景観が語源と伝えられている。
江別の地名は、アイヌ語の「ユベオツ(サメのいる川)」や「イブツ(大事な場所への入口)」に由来するとされる。
平将門ゆかりの「青梅」の伝説に由来するとされます。金剛寺境内の梅が青いまま残ったことから、この地を青梅と呼ぶようになったと伝えられています。
大館市の地名は、古くから馬市が開かれた流通拠点としての「大きな館(たて)」に由来するとされます。周辺には馬喰町など馬に関わる地名も残り、馬のまちとしての歴史を伝えています。
市公式によれば、ケヤキの別名「大槻」が群生していたことから地区名が「大槻」となり、寛文検地の際に駒橋から見た月が大きく見えたことから「大月」に変わったと伝えられます。
アイヌ語の「オサマㇺペッ」に由来し、「川尻が横になっている川」と解される説が有力です。ほかに「ヒラメのいるところ」などの説も伝わります。
麻績村の地名は、古くからこの地にあった「麻績(おみ)」の集落名に由来するとされます。麻を績む(つむ)ことに関わる地名とみられ、古い生業や土地の歴史を伝えています。
「鹿児島」の地名は、桜島が薩摩半島・大隅半島に「囲(かご)まれた島」であることに由来するという説が有力とされる。古くは桜島を指した地名が次第に対岸の地域全体に広がった。
「鹿島(かしま)」の地名は、樫(カシ)の木が林立する州島「カシシマ」が転化したとする説が有力で、延喜式(927年)に「肥前国 鹿嶋馬牧」として初出する。
柏市の地名は、手賀沼の河岸場「かしば」が転じた説と、カシワの木が多かったことに由来する説があり、正確な起源は未詳です。
市名は旧志紀郡柏原村・柏原町に由来し、古くは「柏」が生える原野を表した地名と考えられます。語源にはカシワやカシなどの樹木が多かった土地を示す説があります。
「葛飾」は古い広域地名で、台地と低地が入り交じる土地の様子や、かずらの繁茂、狩場に由来するなど諸説あります。区名としては1932年に採用されました。
米代川と支流の小坂川が盆地北部で交わる形が鹿の角に似ることによるといわれる地名。古くは「上津野」と書いた。
海辺に柳が茂り、多くの蟹が生息していたことから「蟹江」と呼ばれるようになったと伝えられます。初出は1215年の文献とされます。
鹿屋市の地名は、カヤが密生していたことに由来する説が有力です。ほかに熊襲の首長名や、鹿が多かったことに結びつける説も伝わります。
地名の由来は定説がなく、釜形の谷や蒲・茅の生える谷などの説がある。中世の「蒲萱」表記との関連も指摘されている。
亀岡市は、もとは亀山と呼ばれ、明治2年に伊勢の亀山との混同を避けるため亀岡へ改称されたと伝えられます。亀山の名は明智光秀の時代にさかのぼるとする説が有力です。
「神山(かみやま)」が転じたとする説が有力で、忍山の神の山に由来するとされます。亀の形の丘陵にちなむという伝承や、石亀伝説も伝わります。
ゆるやかな丘陵地が放牧に適していたことから、「上の牧・下の牧」があった地として上牧の名が生まれたとされます。古代の宮廷の馬の放牧地に由来する地名と伝えられています。
木曽町の「木曽」は、木曽川流域の地名に由来し、「生麻(きそ)」や「着麻(きそ)」など麻に関わる語から生まれたとする説が知られています。町名は、地域を代表する木曽の名を受け継いだものです。
桐生市の地名由来は、「桐が多く生える土地」や「霧の多い土地」などの説がありますが、決定的な定説はありません。中世に開かれた山間の要害地を示す地名とみられています。
葛巻町の地名は、「葛の生えた牧場」を意味する「葛牧」や、傾斜地を崩して焼畑にした「葛蒔」に由来するという説があります。
熊谷市の地名は、熊を退治したという説、神谷(くまけや)説、曲谷(くまがい)説など諸説あります。平安時代後期までにはすでに地名として成立していたと考えられています。
久米島町の地名は、古く『続日本紀』に見える「球美(くみ)」に由来すると考えられています。琉球方言で「米」を意味するクミと結びつけ、米どころの島を表したとされます。
栗山町の地名は、アイヌ語の「ヤム・ニ・ウシ」に由来し、「栗の木の繁茂しているところ」を意味するとされています。旧称の角田村から1949年に改称されました。
呉市の地名は、造船用材の「榑(くれ)」に由来する説が有力です。九つの峰を指す「九嶺」説などもありますが、地名辞典では榑木に関わる説がよく挙げられます。
黒部市の地名は、黒く深い山や川の景観を表す説、常緑樹の別名に由来する説、アイヌ語由来説などが伝わります。複数の説があり、決定的な定説はありません。
桑名市の地名は諸説ありますが、豪族「桑名首」に由来する説が有力とされています。古くは『日本書紀』にも見える古い地名です。
剣淵町の地名は、アイヌ語の「ケネペッ」や「ケネペップトゥ」などに由来し、ハンノキの生えていた川やその川口を表すと考えられています。
「国府の州(こくふのす)」が転じたとされ、後にコウノトリ伝説から「鴻巣」の字が当てられたと伝わります。市公式は諸説あるとしており、歴史と伝承が重なる地名です。
小菅村の地名は、小さな菅が群生した土地を表すとされます。古くから見える地名で、室町期には武田家家臣の小菅遠江守信景が領した記録もあります。
町内の街道沿いに竹薮が生い茂り、「小竹の処」と呼ばれたことが町名の由来とされています。
小松市の地名は、花山法皇の別荘跡にちなむ「園の小松原」説や、平重盛の小松寺に由来する説などが伝わります。中世には「もとおり」とも呼ばれ、のちに小松の名が定着しました。
マコモやクサヨモギが生い茂る原野を切り開いて村づくりが始まったことから、「こもの」と名づけられたと伝わります。地名表記は薦野・古茂野・菰野などが用いられてきました。
「桜の井」と呼ばれた井戸に由来する説があり、地形にちなむとする見方もあります。市の紹介では、履中天皇の稚桜の説話とも結び付けて説明されています。
市名は、市域を流れる桜川に由来します。合併で誕生した市で、桜の名所として知られる地域性も地名に反映されています。
区名は公募で選ばれ、上位候補の一つだった「桜区」が採用されました。区の木がサクラであることとも響き合う、親しみやすい名称です。
市名は桜の名所が多いことにちなみ、合併後の新市名として「さくら」が採用されました。春の景観を象徴する親しみやすい地名です。
村名は村内を流れる鮭川に由来し、サケが多く上る川として名づけられたと考えられています。村内には鮭にまつわる史跡や食文化が残り、地域の象徴となっています。
「佐々(さざ)」の地名は中世には既に存在するが由来は諸説あり、笹(竹の一種)が繁生していた地形説や、川の砂浜を表す「砂々(すなすな)」が変化した説などがある。
佐世保の地名は諸説あるが、狭い川瀬を意味する「狭瀬」と中世の行政単位「保」が結びついたとする説や、シャシャンボの古名「サセブ」に由来する説が広く知られている。
様似町の地名はアイヌ語に由来し、サンマウニ(寄木の多い所)やエサマンベツ(カワウソのいる川)など諸説あります。
鮫川村の地名は、村を流れる鮫川と、その源流域に伝わる鮫池伝説に由来するとされます。池の主である黄金の鮫が娘に化身したという民話が、村名の背景として語り継がれています。
更別村の地名は、アイヌ語の「サㇻペッ」に由来し、「葦原の川」「葦や茅が生い茂るところ」を意味するとされています。開拓以前の流域が湿地と草原に覆われていた自然環境を反映した地名です。
猿払村の地名は、アイヌ語の「サロプト」「サラブツ」などが転化したもので、「葦原の河口」「カヤの生えた河口」を意味するとされます。
アイヌ語の「サㇻオマト(葦原にある沼)」に由来し、転訛して「サロマ」となった地名を、1915年に佐呂間村として和文表記に改めたものです。
椎葉村の地名は、那須大八郎宗久が椎の葉で仮屋の屋根を葺いたことに由来すると伝えられる。平家伝説と深く結びついた歴史的な地名である。
アイヌ語の「クテㇰウㇱイ(kutek-us-i)」に由来し、「鹿捕り柵のあるところ」を意味します。鹿を追い込んで捕らえた施設を表す地名を、漢字で「鹿追」と意訳したものです。
鹿部町の地名は、アイヌ語の「シケルペ」(キハダの木のあるところ)に由来し、後に「鹿部」と表記されるようになりました。別説として「シケペ」(背負う・ところ)もあります。
斜里町の地名は、アイヌ語のサルまたはシャルに由来し、「アシの生えているところ」を意味するとされています。
小豆島町の名は、島名「小豆島」に由来し、「しょうど」は「小豆」の音読みが転訛したものとされます。小豆の産地説と、崖の多い地形に由来する説が伝わっています。
白老町の地名は、アイヌ語の「シラウオイ(siraw-o-i)」に由来し、「虻の多いところ」を意味するとされます。ほかに「潮汐多きところ」とする説もあります。
白岡の地名は、貝塚の貝殻が光る岡に見えたという説や、白い鳩が舞った白い岡に由来するという説などが伝わっています。
白子町の地名は、地域の鎮守・白子神社に由来するとされます。白い亀の上に白蛇が現れたという伝承が、地名成立の背景として伝えられています。
知内町の地名は、アイヌ語の「チリ・オチ」(鳥のいる所)に由来するとされます。鷹の産地として知られ、松前藩の鷹狩りとも深い関わりがありました。
杉戸町の地名は、杉の木が茂る渡し場や「杉津」「杉渡」に由来するとされ、古利根川の渡場・宿場として発達した歴史を持ちます。
杉並区の地名は、かつてこの一帯に杉並木があったことに由来するとされます。周辺の自然景観を表す地名として定着したものです。
市史は、枯れた葦を古代の人々が「すくも」と呼んだことに由来するとの見方を最も妥当としています。松田川河口の沖積平野は、かつて一面に葦の茂る湿地でした。
鈴鹿市の地名は、古くは鈴鹿関や鈴鹿郡に見え、語源は定説がありません。篶竹(すずたけ)の生える土地に由来する説が有力とされています。
アイヌ語の「シュプキペツ(茅の多い川)」が転訛した地名で、町内を流れる朱太川に由来するとされます。
アイヌ語の「タイキウシイ(tayki-us-i)」に由来し、「ノミ・多い・ところ」を意味するとされます。大木が群生する場所とする説もありますが、文法上は疑問視されています。
喬木村の地名は、村内にある高木・喬木のような樹木にちなむとされる説があり、自然環境を反映した名と考えられています。
アイヌ語の「チカㇷ゚ウンイ(鳥・いる・ところ)」に由来し、大きな鳥のすむ場所を意味するとされます。のちに意味を汲んで「鷹栖」と漢字が当てられました。
「高槻」は、古くは「高月」とも書かれ、高い槻の木(ケヤキ)のそばに本陣が置かれたことから現在の表記になったと伝えられます。地名の元には、神社名に由来する説や地形由来の説もあります。
高萩市の地名は、市内にある萩の多い高台の地形に由来するとされます。市の花にも萩が選ばれており、土地の特徴をよく表した地名です。
「高松」の地名は、平安時代の地誌「和名類聚鈔」に「多加津の郷」として現れる古い地名に由来し、天を突くような大きな松があったことにちなむという説が有力である。
郡名の「多気」を町名に採用したもので、語源には高くなった所を表す地形語や、竹の生育地、古語の「多木」などの説があります。
「高来(たく)」を語源とし、栲の木が多く生えた場所を意味するとも、古代朝鮮半島の高麗(高句麗)からの渡来人に関わる地名とも伝えられる。
多治見市の地名由来には複数の説があり、古代の部民名や皇子に由来する説、地形や川の流れに由来する説などが伝わります。いずれも決定説はなく、由来の確定していない地名です。
篠山の地名は、築城をきっかけに定着したとされ、「笹の山」説と「神聖な場」を意味する説が伝わります。2019年に市名へ「丹波」を冠し、丹波篠山市となりました。
茅ヶ崎市の地名は、古くは「千ヶ崎」「千賀崎」などとも書かれ、茅が生い茂る岬状の地形を表したと考えられています。相模湾に面した海岸地形に由来する地名です。
千種区の「千種」は、古くからの地名で由来ははっきりしません。一般には、種々の草を表す「千種・千草」に通じ、縁起のよい名として用いられたと考えられています。
地名は、古くこの一帯に自生していた紫草(むらさき)に由来するとされます。紫草は染料の原料として重視され、筑紫の地名と結びついて筑紫野市の名になりました。
秩父の地名は、アイヌ語系の解釈や「知々夫彦」など複数の説があり、決定的な定説はありません。地形や水流に由来するという見方が有力視されています。
茅野市の地名は、茅(かや)の生える野を意味する「茅野」に由来し、駅名を町名に採ったことから市名として定着しました。
語源は未詳とされるが、茅が生い茂る土地「茅生(ちぶ)」が転じた説や、下総台地の崖地を意味する地形語源説が有力候補として挙げられる。
知立市の地名は、古くは「池鯉鮒」「智鯉鮒」などの字が当てられ、御手洗池に鯉や鮒が多かったことに由来するともいわれます。江戸時代には東海道の宿場町として「ちりゅう」の名が広まりました。
特別天然記念物タンチョウの生息繁殖地にちなみ、「鶴が居る」ことから名付けられた村名です。釧路湿原とタンチョウの保護活動が地名の由来に結びついています。
鶴岡市の地名は、鶴岡城の周辺に広がる「鶴のいる岡」のような景観に由来するとされます。市内の旧町名には、赤川の流路や原野、神社名などにちなむものが多く残ります。
鶴ヶ島市の地名は、湿原の中の島状の地に鶴が巣をつくったという伝承に由来するとされます。近世の小字名にちなむとする見方もあります。
都留市の「都留」は、富士山の裾野に蔓が伸びる様子や、鶴が多くいたこと、流れに由来する語感など、複数の説が伝わる地名です。
鶴田町の地名は、鶴にちなむ村名とする説が有力ですが、由来は決定的ではありません。町の公式説明でも「鶴に因んだ村名」としつつ、詳細は明確でないとされています。
区名は鶴の飛来伝承や低湿地のツル群生地説などがあり、昭和49年の分区時には鶴見緑地にちなむ命名も行われました。
地名は「つわぶきの生い茂る野」に由来するとされます。町の花をつわぶきに定めていることも、この由来を裏づける要素です。
地名は「鴇が根(ときがね)」に由来するとされ、最福寺背後の山嶺がトキの頭に似ることから転訛したという説が有力です。江戸期には徳川家康の御成を機に「東金町」と称したと伝えられます。
所沢の地名は由来が確定していませんが、古い資料に見える「野老沢」にちなみ、ヤマイモ科のトコロ(野老)に結びつけて説明されることが多いです。
「鳥栖」の地名は肥前国風土記に記された「鳥屋の郷(とりやのさと)」に由来し、応神天皇の御代にこの地で鳥を飼育して朝廷に献上したことから「鳥の巣(とりす)」と呼ばれたのが起源。
栃木市の地名は、神明宮の千木にちなむ「十千木」説やトチノキに由来する説などがあり、確定していません。県名の由来にもなった歴史ある地名です。
「鳥取」の地名は、水鳥を捕らえる職業集団「鳥取部(ととりべ)」が当地に住んでいたことに由来する。鳥取平野の湿地帯は古代から水鳥の猟場として知られていた。
「となみ」は古くは「利波評」とも書かれ、古代の部民や鳥網(となみ)に由来する説があります。現在の「砺波」は、意味を持つ漢字を当てた表記と考えられています。
アイヌ語の「トマ・オマ・イ(toma-oma-i)」に由来し、「エゾエンゴサク・ある・ところ」を意味するとされます。別説として「岬・にある・入江」を意味する説もあります。
町名はアイヌ語の「トエコロ」に由来し、「大きなフキが生えていたところ」といわれます。ほかに「人死して住まわざるところ」などの説も伝わります。
町名の「豊郷」は、米穀の豊穣を願って名づけられたとされます。古くから稲作が盛んな土地柄を反映した、縁起のよい地名です。
今帰仁は「イマキ(新来者)」や「ナキズミ(魚来住)」に由来するという説があり、いずれも沖縄の古い地名音を反映した当て字と考えられています。
南木曽町の「南木曽」は、木曽谷の南端に位置することを示す地名と考えられます。木曽の語源には「生苧(きそ)」に由来する説などがあり、町名はその地理的位置を踏まえて定着しました。
「那覇」の地名は、古くから魚が豊かな漁場(なは・なば)であったことに由来するという説が最も有力とされる。沖縄学の父・伊波普猷が提唱した説で、国場川・安里川・久茂地川の河口部の漁場環境と合致する。
奈半利の地名は、古くは「ナハ」ともされ、魚のいる場所や田の実りに関わる語から転訛したと伝えられます。町内の須川は菅の自生地に由来するとされ、周辺の自然環境が地名に反映されています。
アイヌ語の「ni-kap(木の皮・楡皮)」に由来し、楡皮の衣にちなむ地名です。もとは「ピポㇰ(岩下)」でしたが、文化6年に新冠へ改称されました。
西桂町の「桂」は、明治8年に複数の村が合併して桂村となった際、桂川にちなむと考えられています。桂川の名は、都留郡の「つる」との関連や、桂の木にあやかったとする説があります。
地名は旅人の目印となった二本の松に由来するとされます。古城・四本松城から二本の松を移植したことによるとする説もあり、地名として広く見えるのは戦国時代以降です。
七里岩の先端がニラの葉のように尖っていることから「韮崎」と呼ばれたとされます。地形に由来する市名で、韮の葉に見立てた伝承が広く知られています。
根室の地名はアイヌ語に由来し、「樹木が繁茂する所」や「木の湾」などを意味する語から転じたとされる。
市名はハギの花に由来するという説があり、市花とも結びついています。ほかに「ツ」の字が省かれてハギになったとする説も伝わります。
古代の表記に「羽咋」「羽喰」「波久比」が見え、地名は「鵜咋(うくい)」が転じたものとする説が有力です。鵜や白鳥など水辺の鳥と結びつける見方も伝わっています。
白馬村の名は、白馬岳の雪形が代掻き馬に見えたことに由来します。山名は本来「しろうま」と読まれましたが、村名としては「はくば」が定着しました。
蓮田市の地名は、蓮華院弥陀堂に由来するという伝承が知られています。沼地に咲く蓮の花にちなむ説や、「はしど(橋処)」が転じたとする説も伝わります。
鳩山町は、合併時に町の中央にあった「鳩山」の地名を採って名づけられました。平和の象徴であるハトと、周辺の地名を合わせた名称とされています。
花巻市の地名は、花の牧、北上川の花びらが渦を巻く景観、アイヌ語由来など複数の説があり、定説はありません。現在の「花巻」の表記は江戸時代初期に定着しました。
羽曳野市の地名は、ヤマトタケルが白鳥となってこの地を飛び立ったという白鳥伝説に由来すると伝えられています。古市古墳群や白鳥神社と深く結びついた歴史ある地名です。
日田市の地名由来には複数の説があり、古代の「久津媛(ひさつひめ)」にちなむ説や、湖が干上がって「日鷹(ひたか)」となったとする伝承が知られます。
檜枝岐村の地名は、周辺に良質な黒檜が多く産したことに由来するとされます。古くは「小屋ノ原」や「檜木亦」などとも記され、山深い土地柄を反映した名です。
檜原村の地名は、檜などの大木が生い茂る山の神秘的な姿や、檜の大もとを意味する表現に由来するとされます。古くは橘郷、柏の庄、椿の庄とも呼ばれました。
美唄の地名は、アイヌ語の「ピパ・オ・イ(沼の貝の多いところ)」に由来するとされる。
福山城のある一帯が、もとは蝙蝠山と呼ばれていたことに由来します。「蝠」が「福」に通じることから、縁起を担いで福山と名づけられました。
若一王子神社の社伝では、八幡太郎義家が見た藤の絡まる松の木にちなみ「藤枝」と書くようになったと伝えられます。ほかに、藤が自生する枝村に由来する説もあります。
藤崎町の地名は、坂上田村麻呂が突き立てた藤の杖が伸びて花が咲いたという伝説に由来するとされます。町名の「藤」は、後にりんごの品種「ふじ」の名にも受け継がれました。
扶桑町の名は、町の前身である扶桑村の成立時に、桑園が多いことから名付けられたと伝わります。養蚕や生糸集積の歴史とも結びついた地名です。
町名はアイヌ語の「マシュキニ」「マシュケ」に由来し、「かもめの多いところ」を意味するとされています。ニシンの群来で海にかもめが集まる景観にちなむと伝えられます。
松浦市の名は古代の松浦郡に由来し、松の生える美しい海辺や入り江を意味するとされる。古くは「まつら」と読まれた歴史ある地名である。
那賀川の河口に防風林として松並木を植えたことから「松ヶ崎」の名が生まれたのではないか、という説話が伝わります。文書上は建暦元年(1211年)の「仁科荘松崎」が現存する最も古い例とされます。
吉野川河口の干拓地に堤を築き、多くの松を植えたことから「松茂村」と名づけられたとされます。町名は、松が茂る景観と新田開発の歴史を映した地名です。
松島町の地名は、島々に松が多く生えていたことに由来する説が有力です。ほかに「待つ島」や「千松島」から転じたとする伝承もあります。
平安時代の史料に見える「松原荘」に由来し、松の生い茂る原野や丹比柴籬宮の伝承と結びついて市名が受け継がれました。
松伏町の地名は、松の樹形が伏せ松であったことに由来するという説と、河川がつくる自然堤防の「ぶし」に松が生えた地形由来説の2説が伝わります。
「松山」の地名は慶長8年(1603年)に加藤嘉明が勝山へ城を移し「松山城」と命名したことに由来する。長寿と繁栄の象徴である松にちなんだ瑞祥地名とされる。
真鶴町の地名は、半島の形が鶴に見えることに由来する説と、アイヌ語の「マナ(岩場)」「ツル(連なる長いもの)」に由来する説が伝わります。古くは真名鶴・真奈鶴とも書かれました。
町名は旧三木郡に由来し、さらに『全讃史』に見える三つの大樹の伝承を受け継いだものとされます。地域の歴史と自然を重ねた地名です。
「瑞穂」はみずみずしい稲穂を意味し、豊かな実りを連想させる地名です。区名は旧村名に由来し、瑞穂の語感を生かして名づけられました。
「瑞穂」は『古事記』『日本書紀』に見える日本の美称「豊葦原之瑞穂国」に由来し、豊かな稲穂の国を意味します。倭姫命の伝承が残る当地の歴史を踏まえて市名に採用されました。
三鷹市の地名は、野方領・世田谷領・府中領にまたがる鷹場の村々が集まったことに由来するといわれます。江戸時代の鷹場と、三つの領にまたがる地勢が名前の背景です。
町名は、梅・桃・桜の三つの花が同時に咲きそろうことから「三つの春」が来るとして名づけられたと伝わります。桜の名所として知られる町の景観とも結びついた地名です。
市名は郡名の「美馬」に由来し、古くは馬の産地だったことにちなむ説や、「水間(みま)」の音変化で湿地を表すとする説があります。
目黒区の地名由来は定説がなく、馬畔説や地形説、目黒不動尊にちなむ説など複数が伝わります。いずれも決め手に欠け、由来は未詳とされています。
アイヌ語の「モセウㇱ(mose-us)」に由来し、「イラクサ・群生するところ」または「草刈りをいつもするところ」と解されます。明治31年の妹背牛駅開業以降、当て字の「妹背牛」が定着しました。
室町期の「森口」が古い表記とされ、川沿いの森林の入口を意味した地名がもとになったと考えられています。のちに軍事的な意味合いから「守口」へ転じたと伝えられます。
アイヌ語の「オニウシ(樹木の多くあるところ)」を意訳して「森」とした地名です。町名は自然環境をそのまま表した和訳地名として知られます。
町名は近世の森町村に由来し、「森のあった所」または「盛り」に通じる高くなった所を意味した可能性があるとされます。町の自然をそのまま表した名前とも伝えられます。
八尾市の地名は、八枚の尾羽を持つ鶯の伝説や、「矢負い」「八百の杭」から転じたとする説などが伝えられています。古くは寺内町として発展した地域で、地名伝承も複数残ります。
柳井市の地名は、般若姫の伝説に由来する「柳と井戸」が転じたものとされています。井戸の清水と柳の成長を結びつけた説話が市名の起源です。
只見川の河岸に柳が繁茂していたことから生まれた地名で、水運の要地としての歴史を映しています。柳の大木や船着き場に由来する説が伝わります。
山梨市の地名は、古代の郡名・郷名である「山梨」に由来します。語源は「山を成す」や「山梨の木」にちなむ説があり、古くから地域名として定着していました。
湧別町の地名は、町内を流れる湧別川に由来し、アイヌ語の「ユペ(鮫)」などをもとにした説が伝わります。川や河口周辺の地形・漁場と結びついた名と考えられています。
檮原町の地名は、檮の木が多く自生していたことに由来するとされます。山深い森林地帯の自然環境を映した地名です。
2005年に本荘市と由利郡7町が合併して成立した市で、郡名「由利」と市名「本荘」を組み合わせた合成地名。
余市町の地名は、アイヌ語由来とされ、温泉のある場所を意味する説と、蛇の多い場所を意味する説があります。いずれも山田秀三が両説を併記しています。
吉川市の地名は、低湿地を流れる川にアシが多く生えたことから「芦川(よしかわ)」と呼ばれたことに由来するとされます。のちに「芦」を「吉」の字で表したと伝えられます。
室町初期に、葦が生い茂る土地を「葦田」と呼んだものの、「悪し田」に通じるため、縁起のよい「吉田」に改めたと伝えられます。町名は佳名好名を願って付けられたとされています。
市名は合併時の新命名で、河川の吉野川に由来します。吉野川の名は、川岸にヨシ(葦)が多く茂っていたことにちなむといわれます。
語源由来辞典は4説を挙げたうえで、『おもろさうし』に「いなくに」と見えることから「稲の国」の意味、すなわち米に由来する名と見て間違いないだろうとしています。
「米の沢(よねのさわ)」、すなわち米が実る湿地や沢地に由来するとされます。稲作に適した米沢盆地の地形を反映した地名で、米と沢の字が当てられました。
羅臼町の地名は、アイヌ語の「ラウシ(ra-us-i)」に由来し、「獣の骨のあるところ」などと解されます。知床半島東側の町として、自然と海の恵みを背景にした地名です。
蘭越町の地名は、アイヌ語の「ランコ・ウシ」(桂の木が多いところ)に由来します。現在の町名は、町制施行時に役場所在地の蘭越に合わせて改称されたものです。
若松区の地名は、旧若松町に由来します。町名の由来は諸説ありますが、若い松にちなむとする見方が一般的です。
アイヌ語の「ワッサㇺ(wat-sam)」に由来し、「ニレの木の傍ら」を意味するとされます。ニレの木が繁茂していた土地にちなむ地名です。
地名の由来には「蕨」説と「藁火」説があり、植物のワラビにちなむ説や、藁を焚く火に由来する説が伝えられています。文献上の初出は14世紀の「蕨郷上下」です。