🗾 地名由来辞典

赤穂市 ( あこうし )

兵庫県 / 赤穂市 平安時代由来

AI生成・人間確認済み

赤穂市の名は古代の郡名「赤穂」を受け継いだものです。『播州赤穂郡志』は千種川の水辺に生える赤いタデの穂に由来すると説きます。読みは『和名類聚抄』以来ながく「あかほ」で、「あこう」が公式になるのは昭和35年のことでした。

語源

赤穂市の市名は、古代からの郡名「赤穂」を受け継いだものです。その語義について広く伝えられているのが、赤いタデの穂に由来するという説です。享保12年(1727年)の『播州赤穂郡志』がこれを説き、市内を流れる千種川(ちくさがわ)の河原一面に赤い穂のタデが生えていたことによる、と説明されています。

「赤穂」の名は平安時代の記録にさかのぼります。承平年間(930年代)に成立した『和名類聚抄』は播磨国の一郡として赤穂郡を挙げ、その東急本には「阿加保(あかほ)」の訓が付されています。享保八年版の『延喜式神名帳』も「アカホ」とします。千年以上前から、この地は「あかほ」と呼ばれていたことになります。

なお、播磨の地名を数多く伝える『播磨国風土記』には、赤穂郡の条がありません。 現存する同書は播磨国の総説・明石郡の全体・加古郡の冒頭、そして赤穂郡の全体を欠いており、明石郡は逸文が『釈日本紀』に残るのに対し、赤穂郡は手がかりを欠いたまま抜け落ちています。郡名の由来を語る最も古い層の記録が失われているため、タデの穂の説も、8世紀の記録ではなく18世紀の地誌が伝えるものである点には留意が必要です。

「あかほ」から「あこう」へ

赤穂の地名で見落とされやすいのが、読みが変わったのが近代以降だということです。現在の「あこう」が公式に採用されたのは昭和に入ってからで、それまでは長く「あかほ」でした。

神戸新聞の調査によれば、明治から大正にかけての資料は「あかほ」と振り仮名を付けています。1913年(大正2年)の『教育画集赤穂義士』、1919年(大正8年)の『赤穂花嶽寺案内記』がその例で、1921年(大正10年)に撮影された赤穂鉄道・播州赤穂駅の駅名板にも「ばんしうあかほ」と記されていました。忠臣蔵の義士たちも、当時は「あかほぎし」と呼ばれていたことになります。

「あこう」の表記が散見されるようになるのは昭和初期からで、1935年(昭和10年)の『銃後の旅』では「あかう」と書かれています。決定的だったのは1960年(昭和35年)4月で、赤穂市広報第100号が題字を「広報あかほ」から「広報あこう」に改めました。その理由は「地名、名前等の名称は発音通り書くのが正しいため」と説明されています。

変化の道筋については二つの見かたが伝えられています。ひとつは、旧仮名遣いの「あかほ」をそのまま「あこう」と読んでいたとする説。もうひとつは国語学的な説明で、「あかほ」が「しほみ→しおみ」と同じ変化で「あかお」となり、さらに「オノウエ→オノエ」と同様に縮まって「あこ」、のちに「あこう」になったとするものです。

歴史的変遷

時代呼称備考
平安赤穂郡(阿加保)『和名類聚抄』に播磨国の一郡として見え、東急本は「阿加保」と訓ずる
平安―『和名類聚抄』が郡内に挙げる八郷は坂越・八野・大原・筑磨・野磨・周勢・高田・飛鳥で、「赤穂」の郷名はない
江戸加里屋元和元年(1615年)の池田政綱入封で赤穂藩が成立
明治赤穂郡(加里屋町)1879年1月8日、郡区町村編制法により行政区画としての赤穂郡が発足。郡役所は加里屋町に置かれた
江戸赤穂(あかほ)享保12年(1727年)『播州赤穂郡志』がタデの穂による由来を記す
明治赤穂町1889年、加里屋町・上仮屋町・中村が合併して赤穂郡赤穂町が成立
昭和赤穂市1951年9月1日、赤穂町・坂越町・高雄村が合併して市制施行
昭和赤穂市(あこう)1960年4月、市広報が題字を「広報あかほ」から「広報あこう」に改める

地名の特徴

「赤穂」は郡の名としては平安時代にさかのぼる古い地名ですが、自治体の名として使われはじめたのは1889年です。それ以前、1879年に発足した赤穂郡の郡役所が置かれ、1889年に赤穂町へ合併された中心の町は加里屋でした。古い広域地名が、近代の町村制を機に中心集落の名を置き換えて自治体名になった、という経路をたどっています。

『和名類聚抄』が赤穂郡に挙げる八郷のなかに「赤穂」の名はありません。郡全体を覆う名であって、特定の集落の名ではなかったと読めますが、これを述べた資料は確認できていません。八郷のうち坂越は地名として残り、のちに赤穂市を構成する坂越町となりました。

地形の面では、千種川が市の中央を深い谷をうがって蛇行し、河口に広がるデルタを中心に市街が形成されています。気候は温暖で降水量の少ない瀬戸内式です。市公式サイトは市域を4つの地区に分け、南部を「塩田の開発によって開かれた」地区としています。

ただし、近代まで市域のすべてが赤穂郡だったわけではありません。『日本歴史地名大系』は「近代まで市域の大部分が赤穂郡、一部が備前国和気郡に属した」と記しており、1963年には岡山県の福浦地区を編入して現在の市域になりました。

特産・名物

兵庫県赤穂市は、豊かな自然に育まれた新鮮な海産物や農産物が特産です。特に有名なのが「坂越かき」と地元の卵を使った加工品などです。

地名の変遷

  1. 平安 阿加保 — 『和名類聚抄』東急本が赤穂郡に付す訓。享保八年版『延喜式神名帳』も「アカホ」とする。
  2. 江戸 加里屋 — 1879年1月8日に行政区画としての赤穂郡が発足したとき、郡役所が置かれた町。
  3. 明治 赤穂町 — 1889年の町村制施行で、加里屋町・上仮屋町・中村が合併して成立。「赤穂」が自治体名として使われた最初。

参考資料・出典

最終更新: 2026-09-21