29件の地名を収録
町名は「朝日」の地名に由来し、古くはこの地で見た朝日にちなむと伝えられます。三重県朝日町では、町史や博物館の案内でもこの由来が紹介されています。
市名は旧国名の伊賀に由来する広域地名で、伊賀地域全体を示す名称として採用されました。平成の大合併で名張市を除く旧1市3町2村が合併し、現在の伊賀市が発足しました。
伊勢市の地名は、伊勢神宮の門前町である宇治・山田周辺を「伊勢」と呼んだ俗称に由来し、さらに古代の国名「伊勢国」にさかのぼると考えられています。語源としては「磯」や「五十瀬」に結びつける説もあります。
市名は古代の豪族・猪名部氏に由来し、和銅6年に「猪名部」から「員弁」へ改められたと伝えられます。現在の市名は旧員弁郡の名を受け継いだものです。
町名は、町域にまたがる大台ヶ原山に由来すると考えられます。大台ヶ原の「大台」を採った地名で、山地景観と結びついた名称です。
地名は「おわし」「おわしぇ」とも読まれた古い呼称に由来し、山の尾端にあることから生じたとする説などが伝わります。由来は確定していませんが、中世文書には「おハし」と見えます。
「神山(かみやま)」が転じたとする説が有力で、忍山の神の山に由来するとされます。亀の形の丘陵にちなむという伝承や、石亀伝説も伝わります。
朝明川の北と南の村々が合併し、文字どおり「川を越えて」一つの村になったことから「川越」と名づけられました。
木曽岬町の地名は、木曽川河口東岸の岬状の地形に由来すると考えられます。木曽川に面した土地の形を表した呼び名が、そのまま町名として定着しました。
町名は、山海の幸に恵まれた東紀州の町であることを表す「紀宝」に由来します。2006年に旧紀宝町と鵜殿村が合併して現在の町名となりました。
旧紀伊長島町と旧海山町の合併で誕生した町名で、紀伊国北部に位置することを表す「紀北」に由来します。
熊野市の「熊野」は、紀伊半島南部の熊野地方に由来する地名です。古くは「隈野」などの意味合いで、奥まった土地や山あいの地を表す説が知られています。
桑名市の地名は諸説ありますが、豪族「桑名首」に由来する説が有力とされています。古くは『日本書紀』にも見える古い地名です。
マコモやクサヨモギが生い茂る原野を切り開いて村づくりが始まったことから、「こもの」と名づけられたと伝わります。地名表記は薦野・古茂野・菰野などが用いられてきました。
志摩市の「志摩」は、志摩半島周辺に島が多いことから生まれた地名で、古くは志摩国・志摩郡の名として見えます。市名は旧志摩郡に由来します。
鈴鹿市の地名は、古くは鈴鹿関や鈴鹿郡に見え、語源は定説がありません。篶竹(すずたけ)の生える土地に由来する説が有力とされています。
大紀町は、2005年に旧大宮町・紀勢町・大内山村が合併して成立した町名で、「大」と「紀」を組み合わせた合成地名です。旧町村名の一字ずつを取り入れ、地域の一体化を表しています。
郡名の「多気」を町名に採用したもので、語源には高くなった所を表す地形語や、竹の生育地、古語の「多木」などの説があります。
神宮の鎮座とともに神領となった土地で、町名は「玉のように美しい城」や田丸城に由来するとされます。昭和30年に田丸町などが合併して玉城町が成立しました。
古語で「港」を意味する「津」に由来し、「安濃津(あのつ)」の上略形として江戸初期に定着した地名。
東員町は、合併で成立した際に町域の東部にあることと員弁郡に属することから「東員」と名づけられました。地名は行政上の位置関係を反映した比較的新しい町名です。
鳥羽市の地名は、古くは「泊浦(とまりうら)」「泊(とば)」に由来するとされ、港としての地形や機能を表したと考えられています。あわせて、賀多神社の縁起に見える伝承から「鳥羽」の字が定着したとも伝えられます。
名張市の地名は、山間に隠れて目立たないことを表す古語「なばる」や「隠(なばり)」に由来するとされます。万葉の昔から宿駅として開け、伊勢参りの宿場町として発展しました。
蒲生氏郷が天正年間に築いた城下町に由来し、「松」は吉祥の意、「阪」は大坂城の「坂」にちなむとされます。明治以降は「松阪」に統一され、読みは「まつさか」です。
伊勢市の南に位置することから「南伊勢」と名付けられました。2005年に南勢町と南島町が合併して誕生した町名です。
七里御浜に面することから「御浜」と呼ばれたとされ、神の浜を意味する「み+はま」に由来すると考えられています。熊野古道の浜街道とも結びつく海岸地名です。
明和町の町名は、旧三和町の「和」と旧斎明村の「明」を組み合わせた合成地名です。1958年に神郷町から改称して現在の町名になりました。
地名は、室町時代に毎月四日・十四日・二十四日に市が立ったことに由来するとされます。古くは「四日市庭」とも記され、のちに「四日市」と定着しました。
「伊勢神宮の五十鈴川を渡って神様に会いに行く」が語源とされる地名です。伊勢との結びつきが強く、古くから神域への往来を示す名として伝わります。