74件の地名を収録
昔の「吾勝野(あがつの)」が二つに分かれ、「アカ村」と「ツノ村」になったという伝承が地名由来として伝えられています。景行天皇の言葉にちなむ説が、村名の成立を説明します。
朝倉市の地名由来は諸説ありますが、古くは「麻氐良(まてら)」に由来するという説が知られています。地元の伝承や文献解釈に基づく説があり、確定的な定説はありません。
遠賀川河口の港町として古くから栄えた「芦屋」に由来します。地名は、古い港名「岡水門(おかのみなと)」に連なる歴史を持つとされます。
飯塚市の地名には、神功皇后の伝説に由来する説と、飯を炊いた塚にちなむ説の二つがあります。市の公式案内ではこの二説が紹介されています。
糸島市の名は、旧怡土郡と志摩郡を合わせて「糸島郡」としたことに由来します。旧郡名の由来は明確ではありませんが、伊都国や島に結びつける説が知られています。
町名は、町内の泌泉(たぎり)に由来するとされます。古くから生活用水や灌漑用水として利用された水辺の地名が、そのまま町名として定着しました。
うきは市の「うきは」は、古代の地名「浮羽」に由来し、『日本書紀』にも見える古い地名です。水辺に浮かぶような地形を連想させる名と考えられています。
神功皇后が応神天皇を出産した「産み」に由来するとされ、安産の地名として知られます。古事記・日本書紀の伝承と結びついた由来が伝わっています。
大川市の名は、筑後川という九州随一の大河や、その河口の「大川口」に由来すると伝えられています。明治22年の町村合併で大川町が成立し、のちに市制施行で現在の市名となりました。
町名は、周辺の地形や集落の呼称をもとに成立したと考えられる合成地名です。福岡県三潴郡の町として1955年に発足しました。
大任町の名は、明治22年に成立した大任村に由来します。大行事村と今任原村の合併で生まれた村名で、町名はそのまま町制施行後に引き継がれました。
大野城市の地名は、天智4年(665年)に大野山(現在の四王寺山)へ築かれた朝鮮式山城「大野城」に由来します。市制施行前の大野町の名も、この古代山城にちなむものです。
大牟田の地名は、古くは「大牟田」と表記され、地域の地形や土地の呼び名に由来すると考えられています。市の公式資料でも地名由来を紹介しており、難読地名としても知られます。
岡垣町の地名は、古い地名の「岡」と「垣」を折衷して生まれたもので、小高い砂丘と松林に由来するとされています。自然の地形と人々の暮らしが結びついた町名です。
小郡市の地名は、古くからの郡名「御原郡」や周辺の小規模な集落名に由来するとされます。現在の市名は、地域の中心性を示す地名として定着しました。
遠賀町の「遠賀」は、町内の上別府などに見られる「別府」が古代の特別な土地を示す語に由来する可能性があり、地域の開発史と結びついていると考えられます。町名そのものは郡名を受け継いだもので、遠賀川流域の地名として定着しました。
市名は市内の春日神社に由来します。『筑前国続風土記』には、春日村は神社があることにちなみ名づけられたと記されています。
粕屋町の地名は、町内の長者原に伝わる「長者屋敷」の伝説など、地域の民話・地名伝承と結びついています。町名そのものの由来は資料上明確ではありませんが、周辺の地名には古い伝承が色濃く残ります。
嘉麻市の「嘉麻」は、律令制の嘉麻郡に由来する古い地名です。明治期に嘉麻郡と穂波郡を合わせて嘉穂郡が成立しましたが、市名はさらに古い「嘉麻」を採用しています。
川崎という地名は、神武天皇の言葉に由来すると伝えられます。明治期の合併を経て町域が整い、現在の川崎町の基盤が形づくられました。
香春町の地名は、古代文献に見える「香春(加波流)」に由来し、川原の意味を表す当て字とされます。古代朝鮮語に語源を求める説もあり、複数の表記が伝わっています。
苅田町の地名は、かつて「カタ」とも呼ばれたことから、潟(内湾)に由来するという説が有力です。表記は「苅田」ですが、読みは「かんだ」で定着しています。
五市合併の新市名として、既に地域で広く使われていた「北九州」から採られた名称です。九州北部を指す一般名でもあり、地域性と認知度を兼ね備えています。
百済救援に参加した筑紫国造が「鞍橋君(くらじのきみ)」と称されたことに由来し、その呼び名が転じて「くらて」になったと伝えられます。
久留米市の地名は、古くから流れていた川の名「久留米川」に由来するとされます。市名は1889年の市制施行で成立し、筑後川流域の要地として発展しました。
町内を流れる泉河内川が、かつて桂川(かつらがわ)と呼ばれていたことに由来するとされます。川の名を受け継いだ地名で、難読ながら自然由来の町名です。
上毛町の町名は、旧新吉富村・旧大平村の合併に際して新たに定められた名称です。山国川をはさんで大分県中津市と深い結びつきを持つ地域性を背景に、町名が定着しました。
古賀市の地名は、古くからの「古賀」という地名を受け継いだもので、周辺の古い集落名や宿場町としての歴史と結びついて定着したと考えられます。
町内の街道沿いに竹薮が生い茂り、「小竹の処」と呼ばれたことが町名の由来とされています。
地名は「小さく裂け分かれたような地形」を表すとされ、篠栗は「ささくれ」と同系の語源と考えられています。室町期にはすでに地名が見え、江戸期には勢門河内の一部として記録されています。
志免町の地名由来は、古くからの地名「志免」に基づくものですが、由来の詳細は公開資料からは明確に確認できません。現在は福岡都市圏の中心部に近い町として知られています。
新宮町の地名は、熊野の新宮に由来するという説が有力です。上府・下府両村の氏神である新宮神社と結びついて名づけられたと伝えられます。
古墳時代に須恵器が当地で生産されていたことに由来するといわれる町名です。古代の窯業と結びついた地名として伝わっています。
添田町の地名は、岩石山に移り住んだ新羅国の曽褒里神(ソホリ)が転化して「ソエダ」になったという伝承がある。ほかに、吾勝野がアカ村・ツノ村に分かれた話など複数の地名伝説が伝わる。
田川市の地名は、周辺を流れる田川に由来すると考えられます。市域は筑豊の炭鉱地帯として発展し、地名も地域の歴史とともに定着しました。
南北朝時代に菊池武光が刀を洗ったという伝承に由来するとされる地名です。表記は「太刀洗」と「大刀洗」が混在しています。
筑後市の「筑後」は、古代の筑後国に由来する地名で、地域の歴史的な国名を受け継いだものです。市名はそのまま旧国名を継承しており、筑後地方の中心的な地名として定着しました。
地名は、古くこの一帯に自生していた紫草(むらさき)に由来するとされます。紫草は染料の原料として重視され、筑紫の地名と結びついて筑紫野市の名になりました。
町名は旧郡名の築城郡に由来し、平成の合併で椎田町と築城町が一体化して成立しました。古代の「築城(ついき)」の名を受け継ぐ、歴史の深い地名です。
筑前町の町名は、旧国名の筑前国に由来します。2005年の町村合併で誕生した際、地域の歴史的な呼称を受け継いで名付けられました。
旧小石原村と旧宝珠山村の合併により誕生した村名で、村内の東にある峰々の景観を踏まえて名づけられました。自然豊かな山あいの地形を表す地名です。
太宰府市の地名は、古代の役所「大宰府」に由来し、中世以降は「太」の字が広く用いられて定着しました。歴史的な官衙の名を受け継ぐ、由緒ある地名です。
市名は市内を流れる那珂川に由来します。古くは「儺川」とも呼ばれ、さらに古代の儺県の名を受けた地名と考えられています。
中間市の地名は、古くから遠賀川流域の交通・生活の要地として「中ほどの間」に位置することに由来するとされます。市名は地域の中心性を示す呼び名として定着しました。
地名は、懐良親王の「王方(のうがた)」に由来する説と、旧来の小村名「直方(能方)村」の読みを受け継いだ説が伝わります。のちに縁起のよい「直方」の字が当てられました。
久山町の地名は、町域にある久原(くばら)や山地の地形と関わるとみられますが、由来を直接示す確かな史料は見つかっていません。現時点では、町名の成立過程は未詳として扱うのが適切です。
町名は町内を流れる広川に由来するとされます。広い川筋を持つ地形を表した地名で、町の語源となった川の存在がそのまま行政地名に受け継がれました。
「福岡」の地名は慶長6年(1601年)に黒田長政が築城した際、黒田家の発祥地である備前国(現・岡山県)の「福岡」にちなんで城名と城下町名を命名したことに由来する。
福智町の「福智」は、町のシンボルである福智山に由来する地名です。町内の旧村名を合わせて成立した新しい町名で、地域の象徴をそのまま町名に採っています。
福津市の地名は、旧福間町と津屋崎町の合併により生まれた市名で、それぞれの地名は海岸地形や入り江に由来すると考えられています。
旧国名の「豊前」に由来する市名です。福岡県東部の豊前地域に位置することを示す地名として定着しました。
地名は「水の巻く意」とされ、古くは水巻(みまき)と記されました。遠賀川流域の水に関わる地形や暮らしと結びついた名と考えられます。
『日本書紀』の景行天皇紀にみえる「京」に由来し、京都郡やみやこ町の名につながったとされます。古代の仮宮の伝承が地名の背景にあります。
市名の「みやま」は、旧三池郡の「三」と旧山門郡の「山」を取った合成地名です。合併協議では平仮名表記が採用され、親しみやすさも重視されました。
宮若市の「宮若」は、旧宮田町と若宮町の合成名です。宮田の「宮」は宗像神社の神領となった際の「神田」に由来するとされ、若宮の「若」と合わせて市名になりました。
宗像の地名は、沼沢地に接する集落を表す説や、ムネ・カタの転訛とする説があります。古くは胸肩・宗形・牟那加多などとも書かれ、中世以降に宗像の表記が定着しました。
柳川市の地名は、古くからこの地に見られた「柳川」という呼び名を受け継いだものです。水路が縦横に走る水郷の景観とともに、城下町として発展した歴史が地名の定着に影響しました。
八女市の地名は、八女津媛(やめつひめ)に由来するという伝承が知られています。古くからの神社伝承と結びついた地名とされます。
1889年の町村合併の際、行事村と大橋村からそれぞれ一字ずつ取って「行橋」と名づけられました。
室町時代から呼ばれてきた「吉富郷」に由来して名付けられました。古くからの地名を受け継いだ町名です。