20件の地名を収録
「有田」の地名は「田または畑の有高」、すなわち田畑が豊富にある地域を表す古地名に由来する。町内を流れる有田川の名もこの地名に由来する。
「伊万里」の地名は、天平12年(740年)に藤原広嗣の乱平定のため来訪した紀飯麻呂(いいまろ)の名が「いまり」と転訛したとする説と、古代条里制「伊万ヶ里」に由来するとする説がある。
「嬉野」の地名は鎌倉時代に「宇礼志野」として初出し、万葉語で端・末端を意味する「末(うれ)」に助詞「し」と「野」を組み合わせた地名が語源とされる。
「おおまち」の地名は諸説あり、干潟「大沼(おおぬま)」の縁を走る道「大沼路」が転訛したとも、広大な水田「大田」に由来するとも、聖岳の修験者が集った「待会」に由来するとも伝わる。
肥前国風土記に記された土蜘蛛が防御に利用した「堡(おき)」(砦)が転訛した地名で、古くは「をき」と読まれた。
「鹿島(かしま)」の地名は、樫(カシ)の木が林立する州島「カシシマ」が転化したとする説が有力で、延喜式(927年)に「肥前国 鹿嶋馬牧」として初出する。
「上峰」の名は、町北部にそびえる鎮西山などの峰々を仰ぐ平地の地形を表すとされ、古くは肥前国風土記に記された米多郷(めたごう)の地にあたる。
「唐津」は「唐(大陸・朝鮮半島)への津(みなと)」を意味し、古代から大陸との交流の要衝として栄えた港湾都市に由来する地名。
「神埼」の地名は肥前国風土記に記され、景行天皇の巡幸の際に悪さをする神を鎮めたことから「神幸(かみさち)の里」と呼ばれ、後に「神埼」となったとされる。
「基山」の地名は奈良時代の『肥前国風土記』に「基肄之山(きのやま)」として記された山名に由来し、1889年に村名として正式に採用された古代からの地名。
「江北」の地名は、有明海に注ぐ六角川(「江」)の北側(「北」)に位置することから命名された地形・方角由来の地名。
「玄海」の地名は、日本海の入り海にあたる玄界灘(玄海灘)の別称「玄海」に由来し、この灘に面した位置を表す地名。
「佐賀」の地名は『肥前国風土記』に複数の伝承が記されており、日本武尊が大楠木の繁栄を見て「栄(さか)の国」と呼んだという説と、荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ「賢女(さかしめ)郡」が転じたとする説が有力である。
鎌倉時代に御家人・白石氏が拠点とした地に由来し、江戸時代には鍋島家の支家「白石鍋島氏」の知行地として白石の名が定着。有明海に臨む広大な干拓地が広がる。
「高来(たく)」を語源とし、栲の木が多く生えた場所を意味するとも、古代朝鮮半島の高麗(高句麗)からの渡来人に関わる地名とも伝えられる。
「武雄」の地名は、杵島山東麓に鎮座する武雄神社に由来し、天暦5年(951年)の文書に「肥前国杵嶋西郷武雄宮」として記録されたのが初出とされる。
「太良」の地名は肥前国風土記の「託羅(たら)郷」に由来し、景行天皇が「食物が豊かに足りる(豊足・たらい)」と称えたことで命名されたとする伝承がある。
「鳥栖」の地名は肥前国風土記に記された「鳥屋の郷(とりやのさと)」に由来し、応神天皇の御代にこの地で鳥を飼育して朝廷に献上したことから「鳥の巣(とりす)」と呼ばれたのが起源。
「みやき」の名は、三養基郡の3町(中原町・三根町・北茂安町)が2005年に合併した際、住民公募によって選ばれた。佐賀県で初めてひらがな表記を採用した自治体名。
「吉野ヶ里」は2006年の町合併の際、日本最大の弥生時代の環濠集落「吉野ヶ里遺跡」の名に由来して命名された。「ヶ里」は古代条里制の土地区画「里(さと)」を示す。