43件の地名を収録
姶良市の地名は、古代の「姶羅郡」や「始羅郡」に由来し、表記の揺れと混同を経て定着したと考えられています。市名は旧姶良町の町名を引き継いだものです。
阿久根の地名は、県の資料では明確な語源説明が見当たらず、由来は未詳です。古くから海・陸交通の要衝として栄えた北薩の港町として知られます。
町名は、徳之島町との境にある天城岳に由来するとされます。旧名の「雨気(あめぎ)」が転じて「天城」になったという伝承も伝わっています。
奄美市の「奄美」は、古代の文献に見える「海見(あまみ)島」に由来すると考えられます。市域の中心である名瀬の地名は諸説ありますが、定説はありません。
市名は、明治期に成立した伊佐郡の郡域に由来します。現在の伊佐市域がおおむねその範囲にあたり、合併時に歴史的な郡名を新市名として採用しました。
出水市の地名は、古くからの郡名・地名である「出水」に由来し、薩摩国出水郡の名としても知られます。県の資料では個別の語源説明は見当たりませんが、歴史的に早くから定着した地名です。
伊仙町の地名由来は、現時点で確かな定説が確認できていません。町名の成立経緯は今後の調査が必要です。
市名は、旧串木野市と旧市来町の合併により成立した複合地名です。串木野は在地の「串木野氏」に由来し、市来は古くからの地名として受け継がれています。
「指宿」は古くは「湯豊宿(ゆほすき)」と呼ばれた地名がもとで、『和名類聚抄』には「以夫須岐」と記されました。周辺の「湯」の付く小字の多さから、温泉地に由来する地名と考えられています。
宇検村の地名は、村内の集落名「宇検」に由来すると考えられます。奄美大島南西部の地名として定着し、現在の村名になりました。
町名は「大崎郷」に由来し、江戸時代に置かれた大崎外城・大崎郷の名がもとになったと考えられます。古くは救仁(くに)と呼ばれた地域で、近世以降に大崎の地名が定着しました。
「鹿児島」の地名は、桜島が薩摩半島・大隅半島に「囲(かご)まれた島」であることに由来するという説が有力とされる。古くは桜島を指した地名が次第に対岸の地域全体に広がった。
鹿屋市の地名は、カヤが密生していたことに由来する説が有力です。ほかに熊襲の首長名や、鹿が多かったことに結びつける説も伝わります。
「喜界」は、1645年頃から見られる表記で、鬼界島・奇界島・貴海島などの異表記の中から、縁起のよい「喜」の字が定着したとされます。
町名は、合併協議で採用された「肝付」に由来し、地域に馴染み深い名称として決定されました。旧肝付氏の支配と結びつく歴史的背景もあります。
霧島の名は、霧に包まれた霧島連山が島のように見えることに由来するとされます。天孫降臨の伝承に結びつく説も伝わっています。
町名は西側に広がる錦江湾(鹿児島湾)に由来し、公募で決定されました。2005年に大根占町と田代町が対等合併して発足した町名です。
「川内」は川内川と高城川の内側にある低地を表す地名で、洪水の多い川の内側の土地を示すとされます。2004年の合併で薩摩川内市となりました。
宮之城町・鶴田町・薩摩町の合併で誕生した町名で、旧薩摩町の「薩摩」に由来します。鹿児島県北西部の地域名をひらがな表記にしたものです。
天智天皇がこの地の人々の「志」の高さに感激し、「志布志」と名付けたという伝承が地名の由来です。布を献上した妻女と侍女の話にちなむ説として伝えられています。
瀬戸内町の町名は、奄美大島と加計呂麻島の間にある内海のような海域にちなむと考えられます。瀬戸の内側に位置する地形を表した地名です。
曽於市の「曽於」は、古くからの郡名・地域名に由来するとされます。鹿児島県の地名由来資料では個別の説明は見当たらず、現時点では由来の詳細は限定的です。
龍郷町の地名由来は、町名そのものの明確な語源説明は見当たりませんが、町内の「龍郷柄」などに見られる「龍」の字が象徴的に用いられています。現状では由来を断定できる一次情報が不足しています。
垂水市の地名は、垂水城の崖下で岩間から清水が滴り溜まっていたことに由来するという説が知られています。平安時代にはすでに記録があり、古い地名として伝わっています。
「知名(チナ)」は島言葉(シマムニ)で「ジンニャ」と呼ばれ、「キナ(焼畑を行う場所)」を語源とする。大山の南に位置し日当たりが良く、沖永良部島内最大規模の焼畑耕作地だったことに由来する。
徳之島町は、徳之島の東部を行政区域とする町で、島名をそのまま採った地名です。町名は1958年の新設合併で成立しました。
「十島」は、かつてトカラ列島の島々を総称して呼んだ「川辺十島」に由来します。明治期に村制が施行され、のちに現在の読みである「としまむら」として定着しました。
町名は、町域の中心となる長島に由来します。長くのびた島の形状を表した地名と考えられ、周辺の島々を含む地域名として定着しました。
中種子町は、種子島の中央部に位置することから「中」を冠した地名です。島名の「種子」は古くからの島の呼称に由来し、町名は地理的位置をそのまま表しています。
西之表市の「西之表」は、種子島の北西側にある表口の集落・港を指す地名と考えられます。島の玄関口としての位置を表す呼び名が、そのまま市名として定着しました。
日置市の地名は、旧郡名の「日置」に由来します。鹿児島県の地名由来資料では個別の説明は見当たりませんが、地域名として古くから用いられてきた名称が市名に受け継がれています。
東串良町は、明治22年の町村制施行で串良川を境に東西へ分かれた「東串良村」に由来し、昭和7年の町制施行で現在の町名となりました。地名は、旧来の「串良」に方角を示す「東」を付したものです。
近世末期以降、経済の中心が麓から浜辺の枕崎へ移ったことから現在の市名になったとされます。旧称は鹿篭郷・鹿篭村でした。
三島村は、竹島・硫黄島・黒島の三つの島から成ることに由来する地名です。村名は構成する島々をそのまま表したもので、離島群としての性格を示しています。
南大隅町の地名は、旧郡名の「南大隅郡」に由来し、大隅半島南部に位置することを示す名称です。2005年の町村合併で現在の町名となりました。
南九州市は、2007年に川辺町・知覧町・頴娃町が合併して成立した市名で、南薩地域の南部に位置することを表す合成地名です。
南さつま市の「さつま」は、旧薩摩国の南部に位置することに由来する地名です。市名は2005年の合併で成立し、地域の歴史的な「薩摩」の名を受け継いでいます。
種子島の南側に位置することから「南種子」と呼ばれるようになった町名です。もとの「種子」は島名の種子島に由来し、方位を表す「南」が付いて現在の地名になりました。
屋久島の「屋久」は、古代文献に見える「掖久(やく)」に由来すると考えられています。島名が町名となり、現在は屋久島と口永良部島を行政区域とする町です。
大和村の名は、大和朝廷の時代にさかのぼるという伝承や、大和から来た人々が立ち寄った良港に由来するとされます。明治41年に大和浜から村名をとって大和村となりました。
町名は、町内に豊かな湧水が多く見られることに由来します。合併時に地域の自然環境を象徴する名称として採用されました。
与論町の地名は、島の歴史を通じて用いられてきた呼称に由来し、琉球・薩摩の支配変遷の中で定着したと考えられます。県資料では町名そのものの直接の語源説明は見当たりません。
和泊町の地名は、古くから港や泊地として用いられた「泊」に由来すると考えられます。『和』は穏やかさや調和を表す字として解され、地名全体で良港の性格を示すとみられます。