77件の地名を収録
青木村の村名は、村内にあったネズの木「青木」に由来するとされます。東山道の道しるべとなった木にちなむと伝えられ、村の歴史と結びついた地名です。
上松町の地名は、木曽谷の上流側にある「上の松」に由来するとされ、木曽路の宿場町としての位置づけとも結びついています。
松本盆地南部の西山麓高原にあり、朝日がいち早く当たることから名づけられました。旭日のように輝かしく発展する願いも込められています。
古くから「阿智」と呼ばれた地域名が村名の由来で、平安初期の史料や延喜式にも見える古い地名です。昭和31年の三村合併後に新村名として採用されました。
安曇野市の「安曇野」は、古代の安曇郡に由来し、海人族の安曇氏に結びつける説が有力です。市名は平成の合併時に採用され、地域の歴史と文化を象徴する地名となりました。
阿知川の南にある地域として「阿南」と呼ばれるようになり、昭和32年の合併時に町名として採用されました。周辺地域との交流の深さから「ちょう」と読む呼称も定着しました。
飯島町の地名は、鎌倉時代に飯島氏がこの地を支配し、飯島郷・飯島城を中心に地名が定着したことに由来します。
「飯田」は「結いの田」、つまり共同で耕す田に由来するとされます。鎌倉時代の文献に見え、地形と共同労働の歴史が重なった地名です。
町名は、町域のシンボルである飯縄山(飯綱山)に由来します。2005年に牟礼村と三水村が合併して成立した新しい自治体名です。
飯山市の地名は、飯山城のあった場所が「飯を盛った山」のような形に見えたことに由来するとされます。中世には「飯山」の表記が見え、城下町として発展しました。
村名は、周辺の地形や集落名に由来すると考えられますが、由来の詳細は確定的な資料が限られています。現行の村名は明治22年の町村制施行で成立しました。
近世の村名「池田町村」に由来し、さらに「イケ(水のある所)+タ(場所を示す接尾語)」とみる説があります。千国街道の宿駅として発達した中心地名が町名として受け継がれました。
伊那の地名は、伊那谷一帯を指す古い呼称に由来するとされ、井名・稲・畝などを語源とする諸説があります。市名としては近代以降に定着しました。
上田市の地名は、鎌倉末期に見える「上田荘」にさかのぼり、段丘上の田地、または段丘の上にある土地を意味すると考えられています。城下町として発展した上田城築城以前からの古い地名です。
売木村の地名由来は明確な文献が乏しく、確定的な説は収録されていません。古くからの地域名として伝わり、難読地名として知られています。
王滝村の地名は、もとは「大滝」と書かれ、王滝川に由来するとされます。後白河法皇の「皇」の字から「王」を取ったという伝説も伝わっています。
村名は、旧4か村の集合によってさらに発展する願いと、養蚕振興による豊かな村づくりへの思いを込めて命名されたとされています。
大河原村と鹿塩村の合併で成立した合成地名で、両村名の一字ずつを取って「大鹿村」となりました。いったん分村したのち、町村制施行で再び復活しています。
大町市の名は、鎌倉時代に仁科氏が居館を置いて町造りを進めたことに由来するとされます。史料上の初見は1553年で、城下町・市場町として発展した歴史を持ちます。
古代の官牧「岡屋牧」に由来するとされ、地名は「岡屋」「岡谷」などと表記されてきました。岡と谷の地形を表す名とみられ、諏訪湖畔の地勢と結びついた地名です。
村名は、開発者の小川九郎兵衛の名字に由来するとされます。近世の新田開発によって成立した地名で、開発者名を村名に採った例です。
小谷村の地名は、平安末期の文献に見える「於他里」などの表記にさかのぼるとされ、のちに「小谷」の字が定着しました。谷あいの地形を表す当て字とみられます。
小布施町の地名は、古くからの地名「小布施」に町制施行時の行政区分「町」を付したものです。由来の確定説は収録情報が限られるため、ここでは町名の成立を中心に記載します。
麻績村の地名は、古くからこの地にあった「麻績(おみ)」の集落名に由来するとされます。麻を績む(つむ)ことに関わる地名とみられ、古い生業や土地の歴史を伝えています。
軽井沢町の地名は、古くは「かるいさわ」と呼ばれ、由来には「軽石沢」「枯井沢」「凍り沢」など複数の説があります。いずれも決め手に欠け、現在も定説はありません。
千曲川の最上流部に位置することから、「川の上」にある村として名づけられた地名です。山間の高地にある村の立地をそのまま表した名称と考えられます。
中世の木島郷に由来し、近世には一帯が木島平と呼ばれていたことから名付けられた村名です。昭和30年の合併で現在の木島平村が成立しました。
木曽町の「木曽」は、木曽川流域の地名に由来し、「生麻(きそ)」や「着麻(きそ)」など麻に関わる語から生まれたとする説が知られています。町名は、地域を代表する木曽の名を受け継いだものです。
木曽川の源流域に位置することから、「木曽の祖なり」の意味を込めて名付けられたとされます。1889年の合併時に、藪原村・小木曽村・菅村を合わせて新たに村名が定められました。
北相木村の地名は、古くは「阿江木(あえき)」とも記され、アヒ(間)・キ(接尾語)に由来して「谷間の地」を表すと考えられています。「北」は南相木に対する方角を示す名称です。
八ヶ岳の水蒸気爆発でせき止められてできた湖に由来し、残った相木湖を「小さい海」と見立てて名付けられたと伝わります。
「駒ヶ岳の麓のまち」という意味から名づけられ、昭和29年の市制施行時に命名されました。中央アルプスの山麓に位置する地勢を反映した地名です。
小諸市の地名は、古くは「大村」「小村」から「大室」「小室」を経て「諸」へ転じたと考えられています。浅間山南西麓の地形や古代の牧場に由来する説が有力です。
栄村の村名は、明治期に成立した堺村が、のちに「栄村」へ改称されたことに由来します。旧名の「堺」は境界地を示す地名で、現在の村名は新たな発展を願う改称とみられます。
坂城町の地名は、千曲川沿いの坂のある城下・宿場の地形や、古くは「坂木」と表記された歴史に由来すると考えられています。町内の「ねずみ」地名には、番所の見張りにちなむ説や民話に由来する説も伝わります。
「佐久」は遅くとも866年編纂の『日本三代実録』に見える古い地名で、少なくとも平安時代以前には定着していたと考えられます。由来の詳細は諸説ありますが、古代から続く地名として知られます。
佐久町と八千穂村の合併で生まれた町名で、「佐久」と「穂」を合わせた合成地名です。旧町村名の要素を引き継ぎ、地域の歴史を反映しています。
塩尻市の地名は、塩を運ぶ「塩の道」の終点で「塩の尻(終わり)」になったことに由来すると伝えられます。ほかに、狭まる谷の出口を表す地形由来説もあります。
町名は旧国名の信濃国に由来し、古くから親しまれてきた北信濃・奥信濃の呼び名を簡潔に表したものです。
村名は、甲斐の国から入って当地を治めた下條氏に由来するとされます。ほかに、伊賀良荘の南端に位置したことから「下ノ庄」が転じたとする説もあります。
下諏訪町の地名は、諏訪湖のほとりにある下社の門前・宿場としての位置づけに由来し、古くは「土武郷」とも考えられています。なお「諏訪」は湿地や崖を表す地形語に由来する説があります。
須坂市の地名は、古くは「墨坂」と書かれた地名が転訛したものとされ、墨坂神社との関わりが指摘されています。奈良の墨坂伝承とも結びつく、古い由来をもつ地名です。
諏訪市の地名は、諏訪湖を「洲端(すは)」とみる説が有力で、湖の洲の端にある地形に由来すると考えられています。古くは「スハ」と読まれ、諏訪・諏方・州羽などの表記がありました。
喬木村の地名は、村内にある高木・喬木のような樹木にちなむとされる説があり、自然環境を反映した名と考えられています。
高森町の地名は、町内にある「高い森」や、周囲より高く見える森・台地状の地形に由来すると考えられます。地域の景観を表す素朴な地名として定着しました。
高山村の地名は、旧村名の高井村に由来する明治期の村名整理の結果として定着したものです。周辺の高井野郷・山田郷など、山地と高原の地形を背景にした地域名として受け継がれました。
辰野町の地名由来は明確にはわかっていませんが、竜が棲む湖や天竜川の流れにまつわる伝承から生まれたと伝えられています。
町名は蓼科山麓の「蓼科」に由来しますが、当用漢字に「蓼」がなかったことや、古くは立科山と呼ばれたことから「立科」の字が採られました。
2005年に本城村・坂北村・坂井村が合併して成立した村名で、旧村の一部にある「筑北」の呼称を引き継いだものです。筑摩山地の北側に位置することを示す地名と考えられます。
千曲市は千曲川の名を採った新しい市名で、川の蛇行や崖・湿地を表す語に由来する説があります。旧更埴市・戸倉町・上山田町の合併で成立しました。
茅野市の地名は、茅(かや)の生える野を意味する「茅野」に由来し、駅名を町名に採ったことから市名として定着しました。
天龍村は、村の中央を流れる天竜川にちなみ、合併後に名付けられた地名です。ダム建設で変わった川の姿を惜しみ、天にも昇る勢いで村を発展させたいという願いも込められました。
東御市の市名は、2004年の合併で誕生した旧東部町と北御牧村の合成地名に由来します。旧町村名の一部を組み合わせた新しい市名です。
村名は「豊かな丘」を意味すると考えられ、周囲の丘陵地形を表した地名とみられます。長野県下伊那郡の山あいに位置することから、土地の様子を素直に表した地形由来の名です。
千曲川の上流域に位置することから、村名は「川の中ほど」を意味する地形由来と考えられます。周辺の川筋にちなむ素朴な地名です。
平安末期に古代日野郷の中心が移ったことで「野の中心」と呼ばれたのが由来とされます。千曲川流域の扇状地に位置する地形とも結びつけて説明されます。
善光寺平(長野盆地)が南北に細長く伸びる地形、または裾花川扇状地の長い緩傾斜地を指して「長い野」と呼んだことに由来する地形語源説が有力とされる。
2005年に長門町と和田村が合併して成立した町名で、両町村の頭文字を合わせて「長和」と名付けられました。中山道の宿場町と黒耀石の産地としての歴史も、地名の背景を形づくっています。
南木曽町の「南木曽」は、木曽谷の南端に位置することを示す地名と考えられます。木曽の語源には「生苧(きそ)」に由来する説などがあり、町名はその地理的位置を踏まえて定着しました。
根羽村の地名は、古くは「ねばね」とも読まれた記録があり、現在の呼称「ねば」に定着しました。由来の確定的な説明は見つかっていませんが、歴史的には三河国との結びつきが強い地域です。
村名は、中心集落の野沢に湧く温泉に由来します。中世には「湯山」とも呼ばれましたが、近世以降は温泉地としての性格を反映した現在の名称が定着しました。
白馬村の名は、白馬岳の雪形が代掻き馬に見えたことに由来します。山名は本来「しろうま」と読まれましたが、村名としては「はくば」が定着しました。
原村の地名は、江戸時代初期に諏訪大社神域のお狩場であった「神野」を新田開発して集落が形成されたことに由来するとされます。のちに明治の村政施行以降も合併せず、原村として歴史を重ねてきました。
平谷村の地名は、文献上の初出が「比良屋」とされ、のちに「平谷」と表記されるようになったとみられます。由来の確定的な説明は残っていませんが、古くから伊那街道の宿場として知られた山間の地名です。
町名は、町内から富士山がよく見えることに由来します。明治7年に新たに成立した村名として採用され、のちに町名として定着しました。
町名は中央アルプスから流れる片桐松川の川名に由来します。昭和31年の合併で誕生した際に、この川の名を採って松川町と命名されました。
松川村の地名は、村内を流れる松川という河川名に由来するとされます。『マ(間)・ツ・カハ(川)』で「谷間の川」を表すという説が紹介されています。
松本市の地名は、天正10年に深志城が「松本城」と改称された近世の城下町名に由来します。『待つ事久しくして本懐を遂ぐ』にちなむ説もありますが、佳字を用いた瑞祥地名とみるのが通説です。
南相木村は、相木川流域の「相木」に対して南側に位置することから名づけられたと考えられます。地名の「南」は方角を示し、「相木」は地域名を受け継いだものです。
南牧村の「南牧」は、古くは「なんもく」とも読まれた地名で、南佐久郡の高冷地にある村として定着しました。由来の詳細は明確ではありませんが、歴史資料では近世以来の村名として確認できます。
箕輪郷の南に位置することから「南箕輪村」と名付けられました。地名の「箕輪」は、箕のような半円形の地形に由来すると考えられています。
箕輪は中世の豪族屋敷を中心に周囲へ集落が広がった「箕輪(根小屋)」に由来するとされます。町名は1955年の合併で成立しました。
宮田村の地名は、平安時代の『延喜式』や『倭名類聚抄』に見える「宮田」に由来するとされます。古くから東山道の宮田駅が置かれ、地域の中心地として発展しました。
御代田町の地名は、古くは「御代田」と表記され、浅間山南麓の高地に広がる町域を背景に定着したとみられます。由来の詳細は明確ではありませんが、町名としては1956年の合併・町制施行で現在の形になりました。
村名は漢詩の「泰山丘阜」に由来し、「泰」は水路を拓く意、「阜」は豊かで盛んな様を表すとされます。明治8年に筑摩県17ヶ村が合併して泰阜村が成立しました。
村名は、東筑摩郡村誌に見える「古時土地ノ地形ヲ象ドリ山形郷ト称ス」との記述に由来するとされ、地形を表す名として定着したと考えられます。
町名は、山あいの地域を表す「山の内」に由来すると考えられます。長野県北東部の山岳・温泉地帯に位置することを反映した地名です。