古典由来
万葉集や漢籍など、古い文献・和歌・故事にちなむ地名。
77件収録
県名は古代の茨城郡(いばらきぐん)に由来する。『常陸国風土記』に記された黒坂命が「茨の城」を設けて賊を討ったという説話が語源とされ、「うばらき」が母音交代により「いばらき」に変化した。
岩手山の地形に由来し「岩が出た場所」を意味するとする説と、三ツ石神社に伝わる鬼の手形伝説に由来するとする説がある。いずれも「岩」と「手(場所を示す語)」を語源とする。
『古事記』の国生み神話で四国(伊予之二名島)の伊予国の魂に与えられた神名『愛比売(えひめ)』に由来し、『うるわしい女神』を意味する。
古来から国府が置かれていた大分郡(おおきたのこおり)に由来し、「おおきた(大北)」がイ音便によって「おおいた」に転じたものとされる。
「岐阜」の地名は1567年に織田信長が美濃を攻略した後、旧地名「井口」を改称して命名したものである。中国の聖地「岐山」の「岐」と孔子生誕地「曲阜」の「阜」を組み合わせ、天下統一の志を込めた地名とされる。
『肥前国風土記』は「佐賀」の起源として、日本武尊が楠の繁茂を見て「栄の国」と呼んだ説と、佐嘉川の荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ説の2つを伝える。ほかに坂・逆・洲処の転訛説もある。
県庁が置かれた松江城の旧所在地・島根郡(嶋根郡)に由来し、その地名は『出雲国風土記』において八束水臣津野命が命名したと伝わる。
水鳥を捕る職能集団『鳥取部(とっとりべ)』に由来し、その起源は『日本書紀』垂仁天皇の代に天湯河板挙が白鳥を捕獲した説話にまでさかのぼる。
「三重」の県名は古代の郡名「三重郡」に由来する。「み(水)」+「え(辺)」で水辺の地形を表すとする説が有力。廃藩置県後に安濃津県として発足したが、県庁移転に伴い三重郡の名から「三重県」に改称された。
昔の「吾勝野(あがつの)」が二つに分かれ、「アカ村」と「ツノ村」になったという伝承が地名由来として伝えられています。景行天皇の言葉にちなむ説が、村名の成立を説明します。
西暦661年、斉明天皇がこの地に仮宮「橘廣庭」を設けた折に言った「朝なお闇き」が地名の由来と伝えられます。市名は平成18年の合併時に、この古い地名を継いだものです。
市名は木曽義昌をしのんで詠まれた和歌にちなむとされ、旭市の由来として伝えられています。旧旭町の成立時に採られた名称で、現在の市名へ受け継がれました。
阿蘇の地名は、『日本書紀』に見える阿蘇都彦・阿蘇都媛の神話に由来するとされます。景行天皇の問いかけに二神が応えた故事が、地名成立の伝承として伝わっています。
天草の地名は、古事記に見える「天両屋(あまのふたや)」の転化や、海士・民草に由来する説などが伝わります。島々の自然や人々の暮らしを映した名と考えられています。
出雲の地名は、古くは『出雲国風土記』や『古事記』『日本書紀』に見える「八雲立つ」の神話に結びつけて説明されてきました。雲が立ちのぼる景観から「出る雲」とする説が江戸時代以来の通説です。
古くは板来・板久とも書かれ、常陸国風土記では「伊多久」の郷と記された地名です。水郷の要衝として栄え、のちに潮来へ改称されました。
村名は、古代の神話・伝説で阿蘇地域を治めた健磐龍命の嫡孫が生まれた地とされることに由来すると伝えられます。
神功皇后が応神天皇を出産した「産み」に由来するとされ、安産の地名として知られます。古事記・日本書紀の伝承と結びついた由来が伝わっています。
浦安市の名は、明治22年の三村合併時に「浦、安かれ」と海辺の安泰を願って付けられたとされます。一説には『日本書紀』に見える「浦安の国」にちなむともいわれます。
市名は古代から見える「恵那」に由来し、郡名としても早くから用いられてきました。語源は定かではありませんが、胞衣(えな)に結びつける伝説が知られています。
「大分」の地名は古代の「碩田(おおきた)」に由来し、景行天皇が「広大な国」と称えたことに始まる。「おおきた」が「おおきだ」→「おおいた」へと音便変化して現在の読みになった。
肥前国風土記に記された土蜘蛛が防御に利用した「堡(おき)」(砦)が転訛した地名で、古くは「をき」と読まれた。
阿蘇神社の祭神・健磐竜命の伝説にある「国小なり」という言葉に由来するとされます。北小国村が町制施行時に小国町へ改称され、現在の町名が定着しました。
「小値賀」の地名は、景行天皇が遠方に見える島を「近い島」として「小近(おちか)」と命名したことに由来し、古事記では五島列島全体が「知訶島(ちかのしま)」と記されている。
開成町の町名は、明治期に開かれた開成学校(のちの開成小学校)の校名から採られたものです。「開成」は中国の古い言葉「開物成務」に由来します。
神武天皇が畝傍山の東南に建てた「橿原宮」に由来するとされる市名です。記紀の伝承に結びつく建国ゆかりの地として知られます。
川崎という地名は、神武天皇の言葉に由来すると伝えられます。明治期の合併を経て町域が整い、現在の川崎町の基盤が形づくられました。
「神埼」の地名は肥前国風土記に記され、景行天皇の巡幸の際に悪さをする神を鎮めたことから「神幸(かみさち)の里」と呼ばれ、後に「神埼」となったとされる。
1567年に織田信長が稲葉山城(現・岐阜城)へ入城した際、禅僧・沢彦宗恩の進言を受け、中国の聖地「岐山」と「曲阜」から一字ずつ取って命名した雅称に由来する。
旧上清戸村・中清戸村・下清戸村の「清」と、柳瀬川の「瀬」を合わせた地名とされます。あわせて、ヤマトタケルが「清き土なり」と言ったという清戸の伝説も伝わります。
霧島の名は、霧に包まれた霧島連山が島のように見えることに由来するとされます。天孫降臨の伝承に結びつく説も伝わっています。
串間市の地名は古くは「櫛間」と表記され、神話に由来する伝承や地域を愛する土地を意味する説が伝えられている。昭和期に現在の「串間」の表記へ改められた。
神津島村の地名は、神々が集まって島々の創生を相談したという伝承に由来し、古くは「神集島」とも書かれました。神話と結びついた島名として伝えられています。
区名は、王仁が詠んだと伝えられる古歌「難波津に咲くやこの花」から採られたものです。大正14年の区新設時に、地元案の中からこの雅な表現が選ばれました。
『肥前国風土記』は「佐賀」の起源として、日本武尊が楠の繁茂を見て「栄の国」と呼んだ説と、佐嘉川の荒ぶる神を鎮めた賢女にちなむ説の2つを伝える。ほかに坂・逆・洲処の転訛説もある。
古代の地名「さよ」に由来し、『播磨国風土記』では「五月夜(さよ)」に植えたのかという説話で説明されます。のちに「さよう」と読まれるようになり、現在の町名として定着しました。
伊達政宗が慶長5年(1600年)頃に国分氏の居城「千代城」を「仙臺」に改めた地名。「仙臺」は中国・唐代の漢詩に由来し、仙人が住む高台・聖域を意味する。
弟橘媛の袖が海岸に流れ着いたという伝説に由来するとされ、東京湾の入り江や岬の形にちなむ説も伝わります。市名は旧袖ヶ浦町から市制施行後に継承されました。
地名は「率土の浜(そっとのひん)」に由来するとされ、国土の端・外れの浜を意味すると考えられています。古くは陸奥湾岸一帯を指す広い呼称としても用いられました。
『詩経』の「鳳凰鳴矣于彼高岡」にちなむ瑞祥地名で、前田利長が1609年に高岡城とともに名付けたと伝わります。城下町として開かれ、のちに商工業都市へ発展しました。
高千穂の名は天孫降臨神話に結び付けられるほか、高所を意味する古い地名に由来するとする説もある、神話と自然が融合した地名である。
高原町の地名は、神々の住む場所とされる「高天原(たかまがはら)」に由来すると伝えられる一方、古くから広がる原野地形に由来する説もみられる。
『播磨国風土記』に見える「立野」が転じたとされ、龍野の地名は野に立ち並んだ故事に由来すると伝えられます。
「太良」の地名は肥前国風土記の「託羅(たら)郷」に由来し、景行天皇が「食物が豊かに足りる(豊足・たらい)」と称えたことで命名されたとする伝承がある。
千歳市の地名は、もともとのアイヌ語地名「シコツ」を改称したもので、「鶴は千年、亀は万年」の故事にちなみ「千歳」と名付けられた。
日本武尊が東征の際に愛妻・弟橘媛を偲んで「吾嬬者耶(あづまはや)」と嘆いた伝説にちなむとされる地名です。村名の「嬬恋」は「妻恋し」の意を重ねた表記と考えられています。
「天の安河の宮」や「天の川」に由来する伝承があり、聖域視された谷川の名から村名が定着したと考えられています。修験道と天河大辨財天社の歴史とも深く結びついた地名です。
村名は、合併前の村松村・石神村が組合立東海中学校の「東海」を採ったもので、さらにその「東海」は藤田東湖の詩句に由来します。
「鳥栖」の地名は肥前国風土記に記された「鳥屋の郷(とりやのさと)」に由来し、応神天皇の御代にこの地で鳥を飼育して朝廷に献上したことから「鳥の巣(とりす)」と呼ばれたのが起源。
「鳥取」の地名は、水鳥を捕らえる職業集団「鳥取部(ととりべ)」が当地に住んでいたことに由来する。鳥取平野の湿地帯は古代から水鳥の猟場として知られていた。
区名は大阪の古称「なにわ」に由来し、王仁の歌にちなむ命名とされています。古くは難波江・難波潟と呼ばれた海辺の地で、地形と歴史の両面が背景にあります。
常陸国風土記では、ヤマトタケルが地形の入り組んだ様子を「行細(なめくわし)」と表したことに由来するとされます。別説では、古代アイヌ語・縄文語系の「泉のほとり」を意味する語に結びつける見方もあります。
昭和42年の合併時、新市名で宮内町と赤湯町が譲らなかったため、仲裁案として当時の山形県知事が中国の故事「南陽の菊水」から引用して命名した瑞祥地名です。
羽曳野市の地名は、ヤマトタケルが白鳥となってこの地を飛び立ったという白鳥伝説に由来すると伝えられています。古市古墳群や白鳥神社と深く結びついた歴史ある地名です。
「彼杵(そのぎ)」は古代の肥前国の地名で、肥前国風土記に記された「具足玉国(そないだまのくに)」が転訛したとする説が有力。「東」は大村湾の東側に位置することに由来する。
日田市の地名由来には複数の説があり、古代の「久津媛(ひさつひめ)」にちなむ説や、湖が干上がって「日鷹(ひたか)」となったとする伝承が知られます。
日之影町の名称は日之影川に由来するとされるほか、神話に由来する伝承も残されている。深い渓谷地形と密接に結び付いた地名である。
姫路市の名は、播磨国風土記に見える「日女道(ひめじ)」に由来し、姫山へ登る小道を表す地名とされます。のちに「姫路」と表記が定着し、城下町名から市名へ受け継がれました。
姫島村の地名は、『古事記』の国生み神話に登場する女島や、『日本書紀』にみえる比売語曽(ひめこそ)の伝承に由来するとされます。神話と伝説が重なる、離島らしい由緒をもつ地名です。
日向市の名称は旧国名である日向国に由来し、「日の出る方に向かう国」を意味すると伝えられる。1951年の市制施行時に歴史的な国名を採用した。
富津市の地名は、日本武尊と弟橘媛の伝説に由来する「布流津(ふるつ)」が転じたとする説が有力です。ほかに、古い港を意味する「古津」や、岬の突端を表す古語「ほと」など複数の説があります。
「瑞穂」は『古事記』『日本書紀』に見える日本の美称「豊葦原之瑞穂国」に由来し、豊かな稲穂の国を意味します。倭姫命の伝承が残る当地の歴史を踏まえて市名に採用されました。
昭和15年、箱根ケ崎村など4村の合併で町制施行する際、東京府知事・岡田周造が『豊葦原千五百秋瑞穂国』にちなみ命名したと伝わります。豊穣を意味する縁起のよい美名が選ばれました。
景行天皇の九州平定の巡幸で、その御船(おんふね)が着岸したことに由来すると伝えられます。町名は古くからの地名として受け継がれました。
宮城野区の名は、古くから歌枕として知られた「宮城野」に由来します。仙台市東部の原町・榴岡周辺に受け継がれた歴史的地名で、平安期の文学にも見える由緒ある呼称です。
『日本書紀』の景行天皇紀にみえる「京」に由来し、京都郡やみやこ町の名につながったとされます。古代の仮宮の伝承が地名の背景にあります。
『伊勢物語』に見える「三芳野の里」にちなみ、洪積台地の原野を美称した「三芳野」から生まれた地名です。合併時に同名地が多かったため「野」を省いて三芳村となり、後に三芳町へ改称しました。
武蔵野市の名は、1889年に4カ村が合併して「武蔵野村」と命名されたことに由来し、さらにその「武蔵野」は『万葉集』に見える地名から採られたと考えられています。
宗像の地名は、沼沢地に接する集落を表す説や、ムネ・カタの転訛とする説があります。古くは胸肩・宗形・牟那加多などとも書かれ、中世以降に宗像の表記が定着しました。
守谷の地名は、日本武尊の「森なる哉」に由来する説や、平将門が「守るに易い谷」と評したことに由来する説などが伝わります。
日本武尊が草薙剣で葦を薙ぎ、火を放って敵を退けた伝説に由来するとされる地名です。古事記に見える「ヤキツ」が転じて、現在の焼津になったと伝えられます。
古くは「屋影」「屋蔭」と書き、「矢掛」の表記は今川貞世が当地で詠んだ「梓弓やかげに…」の歌から採ったとする説があります。ほかに温羅伝説にちなむ説も伝わりますが、「やかげ」の語義は未詳です。
八雲町の地名は、開墾を進めた徳川慶勝の意向で、須佐之男命の歌「八雲立つ」にちなみ命名されたものです。
村名は漢詩の「泰山丘阜」に由来し、「泰」は水路を拓く意、「阜」は豊かで盛んな様を表すとされます。明治8年に筑摩県17ヶ村が合併して泰阜村が成立しました。
出雲国風土記に見える「安来郷」に由来し、スサノオノミコトが「吾が御心は安平けくなりぬ」と述べたことから名づけられたと伝わります。心安らかな意を表す古語「やすけく」にちなむ地名です。
八女市の地名は、『日本書紀』に見える女神「八女津媛(やめつひめ)」に由来します。景行天皇に水沼県主・猿大海が「この地方に女神あり」と奏上したことが、八女の名の起こりと伝えられます。
町名は、元正天皇が美泉にちなみ「養老」と改元した養老伝説に由来します。養老の滝や菊水泉の名と結びついた、めでたい地名です。