語源
「やかげ」という音がもともと何を意味したのかを説明した資料は確認できていません。 分かっているのは、表記が「屋影」から「矢掛」へ移ったということです。
古い表記は「屋影」または「屋蔭」でした。最古の記録は、応安4年(1371年)に今川貞世(了俊)が九州へ下向する道中を記した紀行『道ゆきぶり』とされ、「屋蔭といふ里にとどまりぬ」と見えます(「岡山の街角から」による)。
「矢掛」の表記——今川貞世の歌から採ったとする説
貞世は同書に、この地で詠んだ一首を書きそえています。
もののふの猛き名なれば梓弓やかげに誰かなびかざるべき
「やかげ」に里の名と「矢影」を掛けた歌です。「矢掛」の表記はこの歌から採って用いだしたという説がありますが、詳細は分かっていません。
在地に伝わる二つの説
温羅伝説にちなむ説では、吉備津彦と温羅が矢を射交わした際、吉備津彦の放った矢が落ちた地が矢掛だとされます。温羅の矢は岡山市の矢坂に落ち、両者の矢がぶつかり合って落ちた場所が矢喰神社だと伝えられます。
もう一つは、町内を流れる小田川に家々の影が映る様子が美しかったことから「屋影」と呼び、のちにこの周辺で矢尻を生産するようになったため「矢」の字に転じた、とする説です。
いずれも「矢」の字が使われている理由を説明する話であって、「やかげ」という音そのものの意味を説明するものではありません。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 室町(1371年) | 屋蔭 | 今川貞世『道ゆきぶり』に「屋蔭といふ里」と見える |
| 江戸 | 矢掛 | 旧山陽道の宿場町「矢掛宿」として発展 |
| 昭和 | 矢掛町 | 町制施行後の現行自治体名 |
地名の特徴
矢掛町は旧山陽道の宿場町として知られ、本陣・脇本陣がともに国の重要文化財として残る全国でも珍しい町です。ただし宿場町としての繁栄は地名が定着したあとのことで、「やかげ」という名の由来とは直接の関係がありません。
町内には猿掛城跡や洞松寺など中世の文化財も多く、地名の背景として語られる温羅伝説は、桃太郎説話の原型とされる吉備地方の伝承です。