🗾 地名由来辞典

河津町 ( かわづちょう )

静岡県 / 河津町 平安時代由来

AI生成・人間確認済み

河津町の地名は、『和名抄』にみえる賀茂郡川津郷にさかのぼります。その名は荘園・郷の河津庄・河津郷に受け継がれ、河津町はその遺称地とされています。

語源

河津(かわづ)町の地名は、古代の「川津(かわづ)郷」にさかのぼります。コトバンク掲載の『日本歴史地名大系』によれば、河津庄・河津郷は『和名抄』の賀茂郡川津郷を継承したもので、河津町を遺称地として、南は下田市北部、北は東伊豆町にかけての伊豆半島南東部に広がる庄園および郷でした。

同書は、河津庄が久津美庄(葛見庄)とともに平重盛によって祐親(家継の嫡孫)に安堵されたと伝えています。

地方史研究所の『河津郷 第2』(1958年)も、執筆当時の下河津村が、上河津村・稲取町にほぼ相当する地域とともに、中世には「川津郷」あるいは「河津庄」と呼ばれたと記しています。同書によれば、寛政12年(1800年)に秋山富南が編んだ『豆州志稿』は、中世末から近世初期の検地帳がいずれも表題で村名の上に「川津庄」を冠していたことを伝えています。同書の執筆時点で現存が確認されていたのは、逆川村の天正18年(1590年)「豆州河津庄逆川村御縄打水帳」だけでした。

江戸時代の文書には、「河津郷上郷、下郷」といった表現が散見されます。同書は、上郷がのちの上河津村、下郷が下河津村にあたると推定しています。

歴史的変遷

時代呼称備考
平安川津郷『和名抄』にみえる賀茂郡の郷名
平安末期河津庄川津郷を継承した庄園。平重盛による安堵の記述がある
安土桃山河津庄天正18年の検地帳の表題に「豆州河津庄逆川村」とある
江戸河津郷上郷・下郷文書に散見される表現。幕末には上河津の7か村を「河津上組」と総称
明治上河津村・下河津村明治21年公布の市町村制による。上河津村は江戸時代の7か村から翌年の施行で発足、下河津村は9か村から成る
昭和河津町昭和33年9月、上河津村と下河津村が合併して誕生

地名の特徴

河津町は、町の中央部を北西から南東に流れる河津川の流域に平野部が広がる町です。町内には湯ヶ野・峰・谷津などの温泉があり、河津川の上流には河津七滝があります。

中世には河津荘があり、町内には河津氏の館跡があります。河津氏は、鎌倉時代の初めにこの地に居住した一族です。『河津郷 第2』は、藤原南家・工藤氏の一族がこの地にあって河津氏を称したといわれる、と記しています。

近世には、上河津村も下河津村もまだありませんでした。のちの上河津村にあたる地域には筏場・矢野・下佐ヶ野・湯ヶ野・梨本・大鍋・小鍋の7か村が、下河津村にあたる地域には見高・沢田・田中・笹原・濱・峰・逆川・谷津・縄地の9か村がありました。幕末には、上河津側の7か村を総称して「河津上組」と呼んでいました。

明治5年(1872年)の戸長役場制度で、7か村と9か村はそれぞれ共同の管轄に属するようになります。9か村の戸長役場は谷津村に置かれました。その後、明治21年(1888年)に市町村制が公布され、翌年の施行で上河津村が正式に発足しました(『河津郷 第1』)。下河津村も、同じ明治21年の市町村令によって確定しています(『河津郷 第2』)。

上河津側の7か村のうち筏場村は、『増訂豆州志稿』によれば明治8年(1875年)に「川津筏場村」と改めています。明治に入っても、村名に「川津」を冠した例です。

参考資料・出典

最終更新: 2026-09-27