41件の地名を収録
海中から熱い温泉が湧き出して海が熱くなったことから「あつうみが崎」と呼ばれ、転じて「熱海」になったと伝えられます。
伊豆市の「伊豆」は、半島が海へ突き出す地形を表す「いづ(出づ)」に由来する説が有力です。古くは飛鳥時代の木簡に「伊豆国」と見えます。
2005年に伊豆長岡町・韮山町・大仁町が合併して成立した市名で、旧国名「伊豆国」に由来します。伊豆の中心的な地域としての位置づけを示す名称です。
伊東市の地名は「伊豆国の東部」を意味する漢語表現に由来するとされます。中世の郷名・荘園名の復活使用による新命名とする説もあります。
古代の郡名「磐田」に由来し、「岩石の多い場所」を意味すると考えられています。昭和15年の町名採用を経て、市名として受け継がれました。
岬の先端にある地名で、御前にある崎(岬)を意味する説と、かつて御厩崎(うまやざき)と呼ばれたことが転じた説が伝わります。
町名は、町域の中心集落である小山(おやま)に由来します。周辺の山地や谷地形の中で形成された集落名が、そのまま町名として定着しました。
市名は市内を流れる逆川の古名「懸川」に由来するとされ、川の流れや崖地形を表した地名と考えられています。由来には複数説があり、古くから東海道の宿駅として記録されています。
河津町の地名は、古くからの「河津郷」や「河津荘」に由来し、河津川流域の地名として受け継がれてきました。川の渡し場を意味する「河津」の語義もあり、川と交通に結びついた地名です。
町名は、旧来の「川根」と合併時の「本町」を組み合わせたものです。地名「川根」は、大井川の湾曲地にある階段状の地形や砂礫地に由来すると考えられています。
町名は、箱根山の南に位置することに由来します。1889年の合併時に「箱根の南」を意味する名として採用され、のちに読みが「かんなみ」に統一されました。
市名は市内を流れる菊川に由来し、川名の由来には城飼川(きこうがわ)の転訛説や菊石・菊目石にちなむ説などがあります。
浜名湖の西岸に位置することから「湖西」と名づけられた市名です。1955年の町制施行時に湖西町となり、1972年の市制施行で湖西市となりました。
徳川家康が当地に御殿の造営を命じたことに由来し、御殿の周辺に新町が形成されたことで「御殿場」と呼ばれるようになりました。
明治2年(1869年)に「府中」から改称された際、近くの賤機山(しずはたやま)に因んで「賤ヶ丘」とする案が「賤(いやしい)」を理由に修正され、「静岡」と命名された。
大井川流域の島状の田地に由来するとされる地名です。田んぼが島のように見えたことから「島田」と呼ばれたという説が伝わります。
町名は「湧水地」を意味する清水に由来し、柿田川をはじめとする豊かな湧水で知られます。地名は明治22年の清水村成立を経て、昭和38年の町制施行で清水町となりました。
伊豆半島南東端の海辺にあることから「下手の田」、すなわち低い場所の田地を意味する「下田」に由来するとされます。古くから良港として栄え、地名は地形と港町としての歴史の両面を映しています。
富士山の裾野に位置することから名づけられた市名です。山麓の緩やかな傾斜地を意味する「裾野」に由来します。
明治22年の合併時に、旧大岡荘の「長」と旧小泉荘の「泉」を合わせて名付けられた合成地名です。
西伊豆町は、伊豆半島西岸に位置することから「西伊豆」と呼ばれるようになった町名です。旧国名の伊豆に、西側を示す方角語を組み合わせた地名です。
狩野川河口の沼沢地に、港として使われた「津」があったことから「沼津」と呼ばれるようになったとされます。文献上は『吾妻鏡』に1208年の記録が初出です。
浜松の地名は、もとは「浜津」に由来し、中世には「浜松」と呼ばれるようになったとされます。天竜川の西、浜名湖の東に位置する地名として定着しました。
伊豆半島東海岸にあることから「東伊豆」と名づけられた町名です。稲取町と城東村の合併で成立し、地理的位置をそのまま表した地名です。
四方を丘に囲まれた袋状の土地に大きな井戸があったことから、袋井と呼ばれるようになったと伝えられます。旧東海道の袋井宿としても知られます。
若一王子神社の社伝では、八幡太郎義家が見た藤の絡まる松の木にちなみ「藤枝」と書くようになったと伝えられます。ほかに、藤が自生する枝村に由来する説もあります。
「富士」の名の由来は諸説あり、古くは「布自」「不二」などとも書かれました。市名は富士山麓の地名を受け継いだもので、語源は未詳ながら古代からの表記が確認されています。
市名は富士山本宮浅間大社の旧称「富士の宮」に由来し、門前町としての性格を反映して命名されました。浅間大社と富士山頂の奥宮に結びつく、地域色の強い地名です。
牧之原市の地名は、古くこの一帯に官牧や私牧が置かれたことに由来するとされます。のちに台地北部の呼称が地域全体へ広がり、現在の市名となりました。
那賀川の河口に松並木が植えられたことから「松ヶ崎」と呼ばれ、それが松崎の地名になったとされます。古くは「伊那」とも呼ばれ、鎌倉時代には文書上に「松崎」の名が見えます。
三島市の地名は、三嶋大社の所在地に由来するとされます。さらに、伊豆諸島の尊称「御島」や、清流に挟まれた土地を三つの島に見立てた説も伝わります。
町名は1955年の町制施行時に公募で選ばれた「南伊豆」に由来し、伊豆半島南端に位置する地理的特徴をそのまま表しています。
町名は近世の森町村に由来し、「森のあった所」または「盛り」に通じる高くなった所を意味した可能性があるとされます。町の自然をそのまま表した名前とも伝えられます。
日本武尊が草薙剣で葦を薙ぎ、火を放って敵を退けた伝説に由来するとされる地名です。古事記に見える「ヤキツ」が転じて、現在の焼津になったと伝えられます。
室町初期に、葦が生い茂る土地を「葦田」と呼んだものの、「悪し田」に通じるため、縁起のよい「吉田」に改めたと伝えられます。町名は佳名好名を願って付けられたとされています。