41件の地名を収録
粟国村の地名は、琉球王国期の史料に見える「亜蛙群尻」などの表記にさかのぼるとされます。島名に由来する村名で、現在の行政区域は粟国島全域です。
伊江村の地名は、村域をなす伊江島の名に由来します。島名の由来は資料上は明確ではありませんが、古くから一島一村として呼ばれてきました。
石垣市の地名は、石が多い地形を表す「石垣」に由来すると考えられます。八重山の中心地として古くから集落が発達し、地名も地域の歴史とともに定着しました。
伊是名村の地名は、琉球方言の「いじな(ijina)」に由来するとされます。島名として古くから用いられ、現在の村名として定着しました。
地名の由来には諸説あり、古い史料では「いとまむ村」とも表記されました。漁業や海人に関わる語から転じたとする説が有力視されています。
伊平屋村の地名は、古くは「ゑひや(恵平屋)」と呼ばれた島々の名に由来します。琉球王国期の文献にも見え、島の呼称が村名として受け継がれました。
「浦襲(うらおそい)」が転じたとされ、津々浦々を支配する意の語に由来すると伝えられます。琉球の古い王都として栄えた歴史とも結びつく地名です。
市名は沖縄の言葉で「サンゴの島」を意味する「うるま」に由来します。沖縄の雅名としても用いられ、海に面した景観の美しさを表す地名です。
大宜味村の「大宜味」は、1673年に田港間切として成立し、1695年に大宜味間切へ改称したことに由来します。村名はこの間切名を受け継いだもので、沖縄の地名に多い歴史的な行政区画由来の名称です。
1974年の新設合併で誕生した市名で、公募により「沖縄市」が選ばれました。県都・那覇に次ぐ中枢都市を目指す意図が込められています。
恩納村の地名は、1673年に恩納間切として成立した行政地名に由来します。由来の語源そのものは明確ではありませんが、琉球王国期の地域区分の名が村名として定着しました。
嘉手納町の地名は、古くからの集落名「嘉手納」に由来します。町域は沖縄本島中部の海岸沿いにあり、歴史的には村名・町名として受け継がれてきました。
北大東村の地名は、沖縄県の大東諸島にある北側の島・北大東島に由来します。大東諸島の位置関係を示す地名で、島名がそのまま村名になりました。
北中城村の地名は、もとは中城の北側に位置することを示す「北中城」に由来します。村内の各集落名には人物名や地形、渡し場などに由来するものが多く残ります。
金武町の地名由来は明確には判明していませんが、15世紀末には「金武」の名が見えることから、琉球王国期以前に成立した古い地名と考えられています。
国頭村の地名は、沖縄本島北端の「国の端」に位置することに由来するとされます。古くは琉球の北の境界を示す地名として理解されてきました。
久米島町の地名は、古く『続日本紀』に見える「球美(くみ)」に由来すると考えられています。琉球方言で「米」を意味するクミと結びつけ、米どころの島を表したとされます。
宜野座村の「宜野座」は、琉球王朝時代から見られる地名で、国頭郡の古い集落名に由来します。村内の古知屋は1946年に松田へ改称され、現在の村域が形づくられました。
宜野湾市の地名は、琉球方言の地名を漢字で当てた万葉仮名的表記に由来すると考えられます。音読みと訓読みが混ざった沖縄の難読地名の一つです。
座間味村の地名は、村の中心である座間味島・座間味集落の名に由来します。沖縄の地名は古い琉球語系の語形を受け継ぐものが多く、座間味もその一つと考えられます。
町名は中心集落の竹富島に由来し、八重山の島嶼群を束ねる行政地名として定着しました。島名の由来は諸説ありますが、古い琉球語地名を受け継ぐものと考えられています。
多良間村の地名由来は、島名「多良間」に基づくと考えられますが、検索結果からは語源の確定的な説明は確認できませんでした。
北谷町の地名は、古い地名「きたたん」に琉球の行政区画を表す「まきり」が付いた「きたたんまきり」に由来し、のちに漢字で「北谷」と表記されるようになりました。
渡嘉敷村の地名は、村の中心集落である渡嘉敷島の「渡嘉敷」に由来します。島名の語源は明確には断定されていませんが、古くから島の呼称として定着してきました。
渡名喜村の地名は、沖縄語の「とぅなち(tunaci)」に由来するとされます。島の呼称が村名として定着したもので、明治41年の島嶼町村制で村が成立しました。
三山時代に汪応祖が漫湖を望む高台にグスクを築き、「とよみ城」と美称したことに由来するとされます。のちに「とみぐすく」へと読みが変化しました。
中城村の「中城」は、琉球方言の「ぐすく(城)」に由来する地名で、城郭を意味する語が地名化したものです。漢字表記は意味を当てたもので、方言訓による難読地名の一例です。
今帰仁は「イマキ(新来者)」や「ナキズミ(魚来住)」に由来するという説があり、いずれも沖縄の古い地名音を反映した当て字と考えられています。
名護市の地名由来は、沖縄語・国頭語で「なぐ」と読む古い呼称にさかのぼると考えられています。詳細な語源は確定していませんが、地域に根づいた古称が市名として受け継がれました。
「那覇」の地名は、古くから魚が豊かな漁場(なは・なば)であったことに由来するという説が最も有力とされる。沖縄学の父・伊波普猷が提唱した説で、国場川・安里川・久茂地川の河口部の漁場環境と合致する。
南城市は、2006年に佐敷町・知念村・玉城村・大里村が合併して成立した市名で、県内の南部に位置することを示す「南」に由来します。新設合併に伴う行政地名であり、古い地名伝承よりも地理的位置を反映した命名です。
西原町の地名は、首里の北にある地方を意味する沖縄方言の「ニシ」に由来します。首里王府の北方に位置することから名づけられました。
「南風が吹く豊かな土地」を意味するとされる町名で、沖縄らしい自然の恵みを表した地名です。
旧久志村の東側の集落が分村し、太平洋に面して朝日が昇ることから「日の出るところ東なり」と名づけられたとされます。
南大東村は、南大東島を行政区域とする村名で、島名に「南」を冠して北大東島と区別した呼称です。島の正式名称は、19世紀にロシア艦ボロジノ号にちなむ「ボロジノ島」とも呼ばれました。
宮古島市の「宮古」は、島名の由来に諸説ある地名です。古くからの呼称が市名として受け継がれ、現在の行政地名になりました。
本部町の地名は、沖縄の地名に広く見られる古い琉球語系の呼び名に由来すると考えられています。『本部』の語源は諸説ありますが、地域の中心的な場所を示す地名として定着しました。
町名は、町南部にある八重瀬岳に由来します。八重瀬岳一帯の地勢を背景に、2006年の町制施行で現在の町名が定着しました。
与那国町の地名は、町域をなす与那国島の名に由来します。島名の語源は諸説ありますが、現在は島名・町名として定着しています。
与那原の地名は、古くから人が住み着いた上与那原を中心に定着したと考えられます。海に近く漁労に便利で、水が豊富だった土地柄が集落形成の背景にありました。
読谷村の地名は、古くは「はびら村」と記されたことがあり、のちに「読谷山(ゆんたんざ)」の呼び名が定着したとされます。沖縄語の呼称変化や表記の当て字が重なった地名です。