39件の地名を収録
明日香村の地名は、古くは飛鳥地方の呼称に由来し、地形説や外来語説など複数の説があるとされています。行政名としては1956年の合併時に縁起のよい「明日香」が採用されました。
古代〜中世の荘園名「安堵庄」に由来するとされ、もとは「アト」と呼ばれた低地の地名に、縁起のよい字を当てたと考えられています。
斑鳩町の地名は、イカル(斑鳩)という鳥が群れていたことに由来する説が有力です。ほかに、伊香留我伊香志男命にちなむ説も伝わります。
生駒の地名は、古い語形「イコマ」に由来し、鹿がいる山を表す説や地形由来の説が伝わります。市名は生駒山の名を受け継いだものです。
宇陀の地名は、古くは菟田・宇太・宇田などとも書かれ、境界や端を表す語に由来するとされます。水の神を祀る宇太水分神社や河川流域との関わりから、水辺の土地名としても解釈されています。
聖徳太子が建立した放光寺(片岡王寺)に由来するとされる地名です。寺名が略されて「王寺」となり、町名として定着しました。
町名は、下渕の「淀」と初代村長・大北作次郎の「大」を合わせたとする説が有力です。万葉集の「大川淀」に由来するという説も伝わります。
市名は昭和31年の合併時に採用された新しい地名で、香芝中学校名や「カマシバ」転訛説に由来するとされます。下田の鹿島神社周辺の地名変化が有力です。
神武天皇が畝傍山の東南に建てた「橿原宮」に由来するとされる市名です。記紀の伝承に結びつく建国ゆかりの地として知られます。
市名は旧北葛城郡に由来し、さらにその郡名は古代の葛城氏にさかのぼります。広域地名を受け継いだ名称で、葛城の歴史的な地名圏を示しています。
北山川上流域にあることから「北山」と呼ばれ、江戸時代の北山上組にちなむ村名です。紀州本領の北に位置する地理的な呼称がもとになりました。
大和川と曽我川の合流地に位置することから、川が合う地として「河合」と呼ばれるようになったと考えられます。町内の川合地区名にも、その地形由来の名残が見られます。
村名は文字通り「川の上流」を意味し、吉野川の最上流に位置することに由来します。古くは「川の辺(ほとり)」の意味も含むとされます。
寺川の西側に位置することから「川西」と呼ばれ、合併時にその名が町名として採用されました。寺川の東側の川東村に対する呼称でもあります。
ゆるやかな丘陵地が放牧に適していたことから、「上の牧・下の牧」があった地として上牧の名が生まれたとされます。古代の宮廷の馬の放牧地に由来する地名と伝えられています。
村名は、この地を潤す清澄な水の流れにちなむといわれます。奈良県中央部の山深い渓谷地帯にあることから、自然景観を映した地名と考えられています。
「広」は旧広瀬郡に由来し、「陵」は馬見丘陵地帯にちなむとされます。昭和30年の合併時に町名として採用され、自治体名になりました。
条里制に由来する「五条」の地名がもととされる一方、「御霊(ごりょう)」が転じたとする説も伝わります。
御所市の地名は、葛城川の瀬に由来する説や、孝昭天皇の御諸(みむろ)が転じたとする説などが伝わります。いずれも古代の地形や信仰と結びついた由来と考えられています。
「桜の井」と呼ばれた井戸に由来する説があり、地形にちなむとする見方もあります。市の紹介では、履中天皇の稚桜の説話とも結び付けて説明されています。
明治22年に立野・勢野・南畑の三村が合併して成立したことから、「三つの郷」を意味する三郷の名が生まれました。
吉野川支流・秋野川沿いの市場町で、上市に対する「下の市」を意味する地名です。もとは「秋川」「秋野河」とも呼ばれ、後に下市の名が定着しました。
北山郷の北部にある山里であったことから「北山」と呼ばれ、のちに上組・下組の区分から下北山村となりました。
古くは『古事記』の「蘇邇」などに見える地名で、石礫の多い足場の悪い土地を表すとされます。村名はこの古い地名に由来し、難読ながら歴史の深い名称です。
高取町の名は、高取山に築かれた高取城と、その山名に由来します。山名は古くは「鷹鞭山」とも呼ばれ、鷹や神に通じる語とする説も伝わります。
田原本町の地名は、町域の中心となった田原本地区の名に由来します。近世には教行寺の寺内町、のちに平野氏の陣屋町として発展し、地名もその中心集落名として定着しました。
「天の安河の宮」や「天の川」に由来する伝承があり、聖域視された谷川の名から村名が定着したと考えられています。修験道と天河大辨財天社の歴史とも深く結びついた地名です。
天理市は昭和29年に成立した新しい市名で、天理教の本部所在地であることに由来します。市内の大字名は古くからの集落名が多く、地域の歴史を今に伝えています。
十津川村の地名は、都や津(港)から遠い場所を意味する「遠津川(とおつかわ)」に由来するとされます。中世の文書にも「遠津川」と見え、のちに十津川と表記されるようになりました。
「奈良」の地名は、土地を「平(なら)す」という動詞と同源で、緩やかな傾斜の平らな土地を意味するという説が最も有力とされている。
野迫川村の名は、旧来の野川組・迫組・川並組が合併して成立した村名に由来します。現在の村名は、これらの地域名を組み合わせて定着したものです。
吉野郡の東側に位置することから「東吉野」と呼ばれるようになった村です。吉野地域の東部を示す地名で、村名は地理的位置関係に由来します。
奈良盆地の北西の対角にあることから「辺の国(へのくに)」が転じて「平群」になったとされます。ほかに、侵食された地形を表す語に由来する説もあります。
御杖村の名は、倭姫命が残した「杖」に由来するという伝承と、御杖神社にちなむ説が伝わります。地名の成立には、古い地名要素「ツエ」を含むとする見方もあります。
地名は古代の直営地「屯倉(みやけ)」に由来するとされ、倭屯倉の名を継ぐ土地と考えられています。町内には太子道や古墳群も残り、古代大和との結びつきが深い地域です。
山辺郡と添上郡の頭字を合わせて名づけられた村で、「山に添うて発展する」という願いが込められています。神野山を中心とする山里の景観とも結びついた地名です。
郡山の地名は、古代の郡役所「郡家(こおりのみやけ)」が置かれた山に由来するとされます。平安末期には文献に見え、城下町として発展した地名です。
「高田」に奈良盆地の古称である「大和」を冠した市名で、旧高田の地名を受け継いでいます。中世の高田郷・高田寺内町を基盤に、近代以降に市名として定着しました。
吉野町の地名は、古代からの「吉野」の呼称に由来し、良い・美しい野や山を表すとする説や、古い地名形に接頭語が付いたとする説が伝わります。