26件の地名を収録
綾町の地名は、古代の日向国の駅制に見える「亜椰」に由来するとされ、さらに古い「あだのなかや」という地名が好字二文字化によって「綾」となったと考えられている。
えびの市の名称は、霧島山麓に広がるえびの高原に由来するとされる。高原一帯のススキが火山ガスの影響で海老色(えびいろ)に染まる景観が語源と伝えられている。
門川町の地名は、古代の郷名・駅名であった「刈田(かりた)」が転訛して「門川」となったとされる。五十鈴川河口部に開けた地域で、古くから交通と漁業の拠点として発展した。
川南町の地名は、町の北側を流れる名貫川の南側に位置することに由来するとされる。河川を基準に方角を表した地名である。
木城町は、明治22年の町村制施行時に椎木の「木」と高城の「城」を組み合わせて命名された地名である。
串間市の地名は古くは「櫛間」と表記され、神話に由来する伝承や地域を愛する土地を意味する説が伝えられている。昭和期に現在の「串間」の表記へ改められた。
国富町の名は、古くからこの地域が「国富本庄」や「国富邑」と呼ばれていたことに由来し、豊かな国土や繁栄を表す地名として受け継がれてきた。
小林市の地名は、中世に築かれた小林城とその城下に形成された集落に由来するとされる。古くは夷守や三ノ山などの呼称が用いられていた。
五ヶ瀬町の名称は町を流れる五ヶ瀬川に由来し、清く美しい川のように町が発展することへの願いが込められている。
西都市の市名は、西都原古墳群をはじめとする古代日向の中心地としての歴史を背景に、「西の都」を意味する名称として成立したとされる。
椎葉村の地名は、那須大八郎宗久が椎の葉で仮屋の屋根を葺いたことに由来すると伝えられる。平家伝説と深く結びついた歴史的な地名である。
新富町は1959年に新田村と富田村が合併して誕生した町で、両村名から一文字ずつ取って命名された。
高千穂の名は天孫降臨神話に結び付けられるほか、高所を意味する古い地名に由来するとする説もある、神話と自然が融合した地名である。
高鍋町は古くは「財部(たからべ)」と呼ばれ、戦国末期から近世初頭にかけて「高鍋」の名が用いられるようになった城下町である。
高原町の地名は、神々の住む場所とされる「高天原(たかまがはら)」に由来すると伝えられる一方、古くから広がる原野地形に由来する説もみられる。
都農町の地名は古代の日向国児湯郡「都農郷」に由来し、古くは「津野」とも表記された。港や人々の集まる場所を意味する説、高まりのある地形を示す説などが伝えられている。
西米良村の名称は、古くから一ツ瀬川上流域一帯を指した「米良(めら)」に由来し、明治期に米良地域の西部に位置したことから名付けられた。
日南市の名称は、旧国名である日向国の南部に位置することに由来する。1950年の市制施行時に新たに採用された名称である。
延岡の地名は、五ヶ瀬川流域に形成された長く延びる岡状の地形に由来するとされる。古くは「県(あがた)」と呼ばれ、近世に延岡城の築城とともに現在の地名が定着した。
日之影町の名称は日之影川に由来するとされるほか、神話に由来する伝承も残されている。深い渓谷地形と密接に結び付いた地名である。
日向市の名称は旧国名である日向国に由来し、「日の出る方に向かう国」を意味すると伝えられる。1951年の市制施行時に歴史的な国名を採用した。
美郷町は2006年に旧南郷村・西郷村・北郷村の合併により誕生した町で、「美しいふるさと(郷)」を表現した瑞祥地名として名付けられた。
三股町の地名は、古くから地域を流れる川が三方向に分かれて流れる地形に由来するとされる。古文書にも『三俣』の表記が見られ、古くから用いられてきた地名である。
都城市の名は、14世紀に北郷義久が築いた「都之城(みやこのじょう)」に由来するとされる。都島に築かれた城が地名化し、現在の市名へと発展した。
「宮崎」の地名は「宮(みや)の前(さき)」が語源とされ、神武天皇が住まわれた宮の前方の地を意味するという説が有力である。奈良時代には「宮埼郡」として文献に登場する。
諸塚村の名は村北部にそびえる諸塚山に由来するとされ、山頂にある多数の塚(古墳・墳墓)にちなむ地名と伝えられている。