21件の地名を収録
壱岐市の名称は古代から用いられてきた壱岐国・壱岐島の名に由来する。中国史書に記された一支国・一大国にさかのぼる極めて古い地名である。
諫早の地名は中世の『伊佐早』に由来し、戦国時代末期に領主となった龍造寺氏が『諫早』の表記へ改めたとされる。
「雲仙」の地名は大宝元年(701年)に行基が開山した「温泉山満明寺」の山号に由来し、「温泉」という漢字が「うんぜん」と読まれていたことに始まる。
大村市の地名は古くは『大邑(おおむら)』と呼ばれた地域名に由来し、後にこの地を本拠とした大村氏の名として定着したとされる。
「小値賀」の地名は、景行天皇が遠方に見える島を「近い島」として「小近(おちか)」と命名したことに由来し、古事記では五島列島全体が「知訶島(ちかのしま)」と記されている。
「川棚」の地名は、町内を流れる川棚川に由来するとされる。川沿いに広がる棚状の段丘地形を表した地名と考えられている。
五島市の名称は五島列島に由来し、古くは主要な五つの島々を指した「五島」の名を受け継いでいる。市名は2004年の市町合併時に採用された。
西海市の名称は、合併前から存在した西海町の名を継承したもので、「西の海」に面する地域の地理的特徴に由来する。
「佐々(さざ)」の地名は中世には既に存在するが由来は諸説あり、笹(竹の一種)が繁生していた地形説や、川の砂浜を表す「砂々(すなすな)」が変化した説などがある。
佐世保の地名は諸説あるが、狭い川瀬を意味する「狭瀬」と中世の行政単位「保」が結びついたとする説や、シャシャンボの古名「サセブ」に由来する説が広く知られている。
島原の地名は古くは『嶋原』とも記され、島状の地形や海辺の平地を意味する地形由来の名称と考えられている。中世にはすでに地名として定着していた。
「上五島」は五島列島のうち北部(上側)にある島々を指し、2004年に南松浦郡5町が合併して新設された際に「新」を冠して「新上五島町」と命名された。
対馬市の名称は古代から使われる『対馬』に由来する。語源には『津(港)の島』を意味する『津島』が転じたとする説が有力で、大陸との交流拠点であった地理的特徴を表している。
「時津」は、めでたいことを意味する古語「時つ」と港を意味する「津」を組み合わせた地名で、幸福を運ぶ港への願いが込められているとされる。
長崎市の地名は、長崎港に突き出した『長い岬』の地形に由来するとされる。古くは永崎浦・長崎浦と記録され、中世以来の歴史を持つ。
長与町の地名由来は、現時点で公的に確認できる資料が限られており、由来の詳細は未収録です。町名は古くからの地域名として受け継がれています。
「波佐見」は、山々に挟まれた盆地地形を表す「狭間(はざま)」が転じた地名とされる。江戸時代から続く陶磁器の産地として「波佐見焼」の名を全国に知らしめている。
「彼杵(そのぎ)」は古代の肥前国の地名で、肥前国風土記に記された「具足玉国(そないだまのくに)」が転訛したとする説が有力。「東」は大村湾の東側に位置することに由来する。
平戸の地名は古代の松浦郡庇羅郷に由来するとされ、平戸瀬戸を押さえる要地として発展する中で島名・地名として定着した。
松浦市の名は古代の松浦郡に由来し、松の生える美しい海辺や入り江を意味するとされる。古くは「まつら」と読まれた歴史ある地名である。
島原半島の南部に位置することから「南」に「島原」を冠した地名で、2006年に南高来郡8町が合併して誕生した市。