19件の地名を収録
穴水町の地名は、平安時代にはすでに見える古い地名で、町の案内では808年に存在が確認されるとされています。由来については、清泉の湧く「穴水」や「穴見津」などの説があり、確定していません。
日本海と河北潟を隔てる砂丘地「内灘」に由来する町名です。もとは自然地名で、合併時にその名が町名として採用されました。
市名は旧国名の加賀に由来し、1958年の合併時に公募で採用されました。加賀国の名は古くから見えますが、その語源自体は「崖・傾斜地」など諸説あり、確定していません。
山科の農民・藤五郎が芋を洗った沢から砂金が出たという伝説に由来し、「金洗いの沢」が「金沢」へと転じたとされる。室町時代後期の史料に文献初出がある。
2004年に宇ノ気町・高松町・七塚町が合併して成立した市名で、旧河北郡の「河北」に由来する。読みは「かほく」だが、漢字表記は「かほく」ではなく「河北」の音読みを採ったものと考えられる。
手取川の北側に位置することから「川北」と名づけられた町名で、町域の立地をそのまま表した地名です。
小松市の地名は、花山法皇の別荘跡にちなむ「園の小松原」説や、平重盛の小松寺に由来する説などが伝わります。中世には「もとおり」とも呼ばれ、のちに小松の名が定着しました。
能登半島西岸の志賀町は、約1300年前に福岡の志賀島から阿曇族の一部が移り住んだことに由来すると伝えられます。海の民との結びつきが強い地名です。
珠洲市の地名は、須須神社の「鈴」に由来する説が有力で、万葉仮名の須須・須受から珠洲の表記が生まれたとされます。古くは「スス」の岬を表す地名としても伝えられています。
津幡町の地名は、津幡川と河北潟を行き来する舟の「津の端」に由来するとされます。北陸道の宿場町として栄えた歴史も、地名の定着に影響したと考えられます。
能登半島のほぼ中央に位置することから「中能登」と名づけられた町です。町名は地理的位置を表すとともに、能登の語源に関わる古い伝承とも結びつけて語られています。
七尾市の地名は、七尾城の城山に七つの尾根があったことに由来するとされます。城下町として発展した歴史を背景に、地形に根ざした名が市名として定着しました。
能登町の「能登」は、一般にアイヌ語の「ノッ(岬・あご)」に由来するとされ、半島状に海へ突き出した地形を表すと考えられています。
野々市市の地名は、古くは「野市」とも書かれ、市が立つ場所を示す「市庭」に由来すると考えられています。北陸道と白山大道が交わる交通の要衝として栄えた歴史が、地名にも反映されています。
古代の加賀国能美郡に由来し、現在の市名へ受け継がれた地名です。「能」は「成し得る力」、「美」は自然の美しさを表すとされます。
古代の表記に「羽咋」「羽喰」「波久比」が見え、地名は「鵜咋(うくい)」が転じたものとする説が有力です。鵜や白鳥など水辺の鳥と結びつける見方も伝わっています。
市名は霊峰白山に由来し、山名は雪をいただいて白く見えることから付いたとされます。合併で誕生した市名も、この白山の名を受け継いでいます。
町名は、能登半島最高峰の宝達山と、旧志雄町の「志」と旧押水町の「水」を組み合わせて命名されました。合併協議で両町の意向を反映した合成地名です。
輪島の地名は「倭の島」や「輪のような入海」などに由来するとされ、古くから複数の説が伝わります。文献上の初出は戦国期の1524年で、現在の市名として定着しました。