街道・交通由来
宿場・港・渡し・城下など、人や物が行き交う要衝であることを示す地名。
112件収録
青木村の村名は、村内にあったネズの木「青木」に由来するとされます。東山道の道しるべとなった木にちなむと伝えられ、村の歴史と結びついた地名です。
厚木の地名は、木材の集散地を意味する「アツメギ」が変化したという説や、アイヌ語由来説などがあるが、定説はありません。
綾町の地名は、古代の日向国の駅制に見える「亜椰」に由来するとされ、さらに古い「あだのなかや」という地名が好字二文字化によって「綾」となったと考えられている。
市名は、古くは「阿波路」と書かれ、京の都から四国・阿波国へ向かう航路の途中にある島を指したことに由来するとされます。のちに「淡路島」の表記が定着し、現在の市名にも受け継がれました。
町名は、鉄道駅に付けられた「池田」の名が定着したもので、池田農場に由来します。もとはアイヌ語地名の「セイオㇿサㇺ」に和人が「凋寒」と漢字をあてていました。
石巻市の地名は、石が水流に巻かれるように見えた「石巻石」や、「伊寺水門」からの転訛など、港と川にまつわる説が伝わります。
市名は古くから「大津」と呼ばれた港津に、国名の「泉」を冠して成立しました。地名の「大津」は名勝地として知られた小津・大津の浦に由来するとされます。
旧中山道と石神井川にかかる「板橋」という橋に由来する説が有力です。一方で、台地の端を表す地形由来の説もあり、由来は一つに定まっていません。
市川市の地名は、江戸川が「一の川」と呼ばれたことや、川沿いに市が立ったことに由来するとされます。市内には真間や菅野など、地形を反映した地名も多く残ります。
「一ノ堰」が転じた説と、平泉の関所にちなむ説があり、北上川の治水や交通に関わる地名と考えられています。
桂川の河岸段丘上に発達した宿場町・市場町に由来する地名で、古くから甲州街道の要地として栄えました。市名は旧上野原町にちなみ、2005年の市制施行で上野原市となりました。
旧郡名の鵜足(うた)に港を意味する「津」が付いた地名で、古くは鵜足津とも表記されました。
馬路村の地名は、馬で物資を運ぶ山間の交通路に由来する説が有力です。ほかに、保元の乱で逃れた平隆長の開拓地とする伝承もあります。
大館市の地名は、古くから馬市が開かれた流通拠点としての「大きな館(たて)」に由来するとされます。周辺には馬喰町など馬に関わる地名も残り、馬のまちとしての歴史を伝えています。
古語で「港」を意味する「津」に「大きな・主要な」を表す「大」を冠した地名で、琵琶湖の主要な港として栄えたことに由来する。
大船渡市の地名は、「大きな船着場」を意味するとされ、港としての性格をよく表しています。海に開けた地形と、船の出入りが盛んな土地柄に由来する地名です。
大町市の名は、鎌倉時代に仁科氏が居館を置いて町造りを進めたことに由来するとされます。史料上の初見は1553年で、城下町・市場町として発展した歴史を持ちます。
天王山の南麓に位置し、「山のさき」を意味する山崎が地名のもとになったとされます。古くは山城国と摂津国の境にあたる交通の要地でした。
小鹿野町の地名は、平安時代の『和名抄』に見える「巨香郷(おかのごう)」にさかのぼるとされます。のちに小鹿野へ転じ、江戸時代には市場町として発展しました。
小布施町の「小布施」は、人や物が行き交う交通のクロスポイント「逢う瀬」が地名の由来と言われています。町の文化観光協会が伝える説です。
平安末期の荘園「開田荘」に由来し、のちに海田市と呼ばれるようになった地名です。瀬野川河口の地形変化と宿駅・市場の発展が、現在の町名の背景にあります。
市名は市内を流れる逆川の古名「懸川」に由来するとされ、川の流れや崖地形を表した地名と考えられています。由来には複数説があり、古くから東海道の宿駅として記録されています。
門川町の地名は、古代の郷名・駅名であった「刈田(かりた)」が転訛して「門川」となったとされる。五十鈴川河口部に開けた地域で、古くから交通と漁業の拠点として発展した。
町名は、古くから金山城や金山宿など「金山」の地名が用いられてきたことに由来すると考えられます。周辺の山や峠、宿場町としての歴史と結びついた地名です。
剱岳の道中で三の付く日に開かれた「三日市」が、土地の上で行われたことから「上の市」と呼ばれ、上市へ転じたとされます。
江戸時代に山口県内へ置かれた三つの海の関所のうち、都に近い側の「上関」に由来するとされます。かつては「竈戸関」とも呼ばれ、海上交通の要衝として発展しました。
「唐津」は「唐(大陸・朝鮮半島)への津(みなと)」を意味し、古代から大陸との交流の要衝として栄えた港湾都市に由来する地名。
「きさらぎのつ」が転じたとする説があり、月の名「きさらぎ」と港を表す「津」に由来すると伝えられます。ほかにも「城の津」など複数の説がある地名です。
北本市の地名は、同名の本宿村があったため北にある本宿村を「北本宿村」としたことに始まります。のちに駅名や町名へ受け継がれ、現在の「北本」となりました。
木津川市の地名は、古代に木材の陸揚げ港として栄えた「木津」に由来し、市名は市域を流れる木津川にちなみます。2007年に木津町・加茂町・山城町の合併で誕生しました。
東海道と中山道の分岐点にあたる宿場町として発達し、物資が集散する「陸の津」の意味から草津の名が生まれたとされます。
国立市の地名は、国分寺と立川の間にある新駅名として両駅名の頭文字を取ったことに由来し、「この地から新しい国が立つ」という願いも込められました。
倉敷市の地名は、年貢米などを集めておく「倉敷地」に由来するとされます。蔵屋敷が転訛したとする説もあり、港町・集散地としての性格を反映した地名です。
下呂市の地名は、古代の駅家「下留(しものとまり)」が転じて「げる」「げろ」になったとされます。温泉地として知られる下呂の名は、白鷺伝説とともに広く伝わりました。
広田川にちなむ「広田」から、鉄道駅名に合わせて「幸田」へ改称したのが由来です。のちに町名は「こうだ」から「こうた」へ読みが改められました。
江津市の地名は、江の津、すなわち川の河口や船着き場を意味する「江津」に由来すると考えられます。古くから港や河川交通と結びついた地名です。
奈良・平安時代に東山道の駅家と郡家が置かれたことから「コホリ」が転じて桑折となったとされます。古代の郡衙に由来する地名と考えられています。
町内の街道沿いに竹薮が生い茂り、「小竹の処」と呼ばれたことが町名の由来とされています。
小牧山を目標に舟が帆を巻いた「帆巻」が転じたとする説と、馬市に由来する「駒来」説が伝わりますが、由来は確定していません。
伯耆国と出雲国の境界に近い港として発展したことから、「境港」と呼ばれるようになったとされます。地名の「境」は国境・地域の境目を意味します。
坂城町の地名は、千曲川沿いの坂のある城下・宿場の地形や、古くは「坂木」と表記された歴史に由来すると考えられています。町内の「ねずみ」地名には、番所の見張りにちなむ説や民話に由来する説も伝わります。
市名は古代の「夷参(いさま)」に由来するとされ、地名の変化を経て「座間」と定着したと考えられています。
塩尻市の地名は、塩を運ぶ「塩の道」の終点で「塩の尻(終わり)」になったことに由来すると伝えられます。ほかに、狭まる谷の出口を表す地形由来説もあります。
七ヶ宿町の名は、江戸時代に奥州街道の七つの宿場が置かれたことに由来するとされます。街道交通の要地として発展した歴史を今に伝える地名です。
品川区の地名は、古くから品川宿や品川湊として知られた「品川」に由来します。現在の区名は、旧品川町などの地域名を受け継いで定着しました。
吉野川支流・秋野川沿いの市場町で、上市に対する「下の市」を意味する地名です。もとは「秋川」「秋野河」とも呼ばれ、後に下市の名が定着しました。
下諏訪町の地名は、諏訪湖のほとりにある下社の門前・宿場としての位置づけに由来し、古くは「土武郷」とも考えられています。なお「諏訪」は湿地や崖を表す地形語に由来する説があります。
下関市の地名は、関門海峡の要衝にあった「関」に由来し、古くは「赤間関」と呼ばれました。鎌倉時代には「下関」の名称が見られ、近代に現在の市名へ改められました。
常総市の地名は、旧水海道の「水」と水運・集落を示す「海道(カイト)」に由来すると考えられています。鬼怒川と小貝川に挟まれた水辺の地形が、名の背景にあるとされます。
甲州街道の宿場として元禄年間(1698年頃)に内藤家屋敷跡へ新設されたことに由来し、「新しく設けられた宿(宿場)」を意味する地名である。
新庄村の地名は、出雲街道の新庄宿に由来すると考えられます。宿場町として栄えた「新庄」の名が、そのまま村名として定着しました。
杉戸町の地名は、杉の木が茂る渡し場や「杉津」「杉渡」に由来するとされ、古利根川の渡場・宿場として発達した歴史を持ちます。
逗子の地名は諸説ありますが、延命寺の厨子に由来する説や、交通の要衝を表す「辻子」に由来する説が知られています。
鈴鹿市の地名は、古くは鈴鹿関や鈴鹿郡に見え、語源は定説がありません。篶竹(すずたけ)の生える土地に由来する説が有力とされています。
洲本市の地名は、洲のように砂がたまった地形を表す「洲」と、港町を意味する「本」に由来すると考えられています。洲本川河口の港を中心に発達した城下町・港町としての性格が、地名の背景にあります。
不破関のあった原野を意味する地名で、古代の関所「不破関」に由来するとされます。関ケ原の戦いの舞台としても知られ、交通の要衝として発展しました。
関所が置かれた地に由来するという説が有力ですが、川をせき止めた場所や狭い地形を表す「セキ」に由来するとも考えられています。
市名は旧国名の摂津国に由来し、難波津などの港湾を管理する意味をもつ地名から受け継がれました。古代の交通・交易の要地としての歴史が背景にあります。
草加市の地名は、日光街道の宿場整備の際に草を用いて道を開いたことから「草加」と呼ばれたという伝承が広く知られています。家康が「草も役に立つ」と名付けたとも伝えられます。
大正橋に由来して名付けられた区名で、橋の完成後に周辺の新設区名として採用されました。もとは海や新田開発地だった地域で、地形の変化と都市化の歴史が地名に重なっています。
「高来(たく)」を語源とし、栲の木が多く生えた場所を意味するとも、古代朝鮮半島の高麗(高句麗)からの渡来人に関わる地名とも伝えられる。
町名は古代の鵜足郡にあった郡津に由来するとされます。港町として発展した歴史を背景に、古くからの地名が受け継がれました。
道が合流する場所を意味する「道俣」、すなわち「道頭(ちづ)」が転じて「智頭」になったとされます。『日本後紀』808年の記事に「智頭郡道俣駅」が見え、奈良時代以前からの地名です。
茅野市の地名は、茅(かや)の生える野を意味する「茅野」に由来し、駅名を町名に採ったことから市名として定着しました。
知立市の地名は、古くは「池鯉鮒」「智鯉鮒」などの字が当てられ、御手洗池に鯉や鮒が多かったことに由来するともいわれます。江戸時代には東海道の宿場町として「ちりゅう」の名が広まりました。
古語で「港」を意味する「津」に由来し、「安濃津(あのつ)」の上略形として江戸初期に定着した地名。
対馬市の名称は古代から使われる『対馬』に由来する。語源には『津(港)の島』を意味する『津島』が転じたとする説が有力で、大陸との交流拠点であった地理的特徴を表している。
景行天皇が大泊港に船をつながれたという故事に由来すると伝えられる町名です。港に船をつないだことから「津奈木」と呼ばれるようになったとされます。
都農町の地名は古代の日向国児湯郡「都農郷」に由来し、古くは「津野」とも表記された。港や人々の集まる場所を意味する説、高まりのある地形を示す説などが伝えられている。
津幡町の地名は、津幡川と河北潟を行き来する舟の「津の端」に由来するとされます。北陸道の宿場町として栄えた歴史も、地名の定着に影響したと考えられます。
燕市の地名は、古くは「津波目」と書かれたとする説があり、信濃川の舟運に関わる港的な場所を示した可能性があるとされます。現在の「燕」の字への変化時期は明確ではありません。
市日が十日に立っていたことに由来する地名で、十日町の名がそのまま市名になりました。信濃川流域の交通・商業の要地として発展した歴史も背景にあります。
「時津」は、めでたいことを意味する古語「時つ」と港を意味する「津」を組み合わせた地名で、幸福を運ぶ港への願いが込められているとされる。
登米市の「登米」は、古い「遠山(とおやま)」に由来する説が有力で、のちに「米が登る」とも解されました。明治期以降に「とめ」と読むようになった経緯も伝わります。
豊橋市の地名は、豊川に架けられた橋に由来し、明治初期に藩名改称の候補として採用された「豊橋」が定着したものです。旧称の吉田や今橋、関屋との関係も伝わっています。
中津は、山国川の河口部に開けた港・洲に由来する地名と考えられます。『津』は港や船着き場を表し、海辺の地形と結びついて成立した名称です。
中原区の名は、江戸時代に小杉に御殿と陣屋が置かれ、中原街道の中継地として栄えたことに由来します。街道名の「中原」も、平塚の中原御殿にちなむとされています。
中間市の地名は、古くから遠賀川流域の交通・生活の要地として「中ほどの間」に位置することに由来するとされます。市名は地域の中心性を示す呼び名として定着しました。
名張市の地名は、山間に隠れて目立たないことを表す古語「なばる」や「隠(なばり)」に由来するとされます。万葉の昔から宿駅として開け、伊勢参りの宿場町として発展しました。
南関町の地名は、古くこの地に置かれた関所「南の関」に由来するとされます。交通の要衝として発展した歴史が、町名に今も残っています。
西之表市の「西之表」は、種子島の北西側にある表口の集落・港を指す地名と考えられます。島の玄関口としての位置を表す呼び名が、そのまま市名として定着しました。
狩野川河口の沼沢地に、港として使われた「津」があったことから「沼津」と呼ばれるようになったとされます。文献上は『吾妻鏡』に1208年の記録が初出です。
野々市市の地名は、古くは「野市」とも書かれ、市が立つ場所を示す「市庭」に由来すると考えられています。北陸道と白山大道が交わる交通の要衝として栄えた歴史が、地名にも反映されています。
「はこね」は古くから見られる地名で、「はこ」は箱型の山、「ね」は嶺(山)を表すとされます。駒ケ岳の形や、梵篋(経典を入れる箱)にちなむ説も伝わります。
橋本市の地名は、応其上人が紀の川に橋を架けたことに由来すると伝えられます。橋のたもとにできた町として「橋本」と呼ばれ、その名が現在まで受け継がれました。
地名は、中世以来この地で毎月20日に開かれた「廿日(はつか)の市」に由来します。厳島神社の門前・宿場として市が定着し、現存する古い「市」地名の一つとされています。
浜松の地名は、もとは「浜津」に由来し、中世には「浜松」と呼ばれるようになったとされます。天竜川の西、浜名湖の東に位置する地名として定着しました。
東通村の「東通」は、下北半島の東側に位置し、海沿いに集落が分散していた地理的特徴から「東の通り道」に由来するとされる地名です。
人吉市の地名は、交通の要衝にあった宿場的な性格に由来するという説があり、平安時代にはすでに文献に見えます。球磨川流域の盆地に発達した城下町としての歴史も、地名の定着に影響しました。
姫路市の名は、播磨国風土記に見える「日女道(ひめじ)」に由来し、姫山へ登る小道を表す地名とされます。のちに「姫路」と表記が定着し、城下町名から市名へ受け継がれました。
町名は、町域を流れる富士川に由来します。富士川は甲府盆地の水を集めて南流する日本三急流の一つで、古くから交通・水運の要衝でした。
舟形町の地名は、町域を流れる最上川の舟運や、舟形の地形にちなむとされます。古くから交通の要衝として発展した地域です。
海老川に舟を並べて板を渡した「船橋」に由来するとされます。ほかに、台地の端を表す地形語が転じたとする説もあります。
室町時代、仏生寺城主が城の堀に舟を連ねて橋を架けたことに由来するとされます。舟で橋を作った出来事が地名として残ったものです。
古称「厩橋(まやはし)」から転じた地名。古代東山道の宿駅(駅家・うまや)付近、現在利根川が流れているあたりにあった車川にかかる橋を「駅家の橋」と呼んだことが地名化したとされる。江戸時代前期から「前橋」表記に統一された。
町田市の地名は諸説あり、区画した田地を表す「町田」や、市(いち)の立つ場所に由来する説などが伝わります。商業や交通の要地として発展した歴史とも結びつけて説明されます。
太日川(現在の江戸川)の渡し場に由来する説があり、「馬津(うまつ)」や「待渡(まちど)」が転じたとされます。渡河の要地としての性格が、松戸の地名形成に影響したと考えられています。
那珂川の水運における地理的要衝(水の入口・出口)を意味する「みと」に由来する地名。室町時代には既に記録があり、江戸時代に水戸徳川藩の成立とともに定着した。
港区の地名は、名古屋港の築港や新田開発に由来するものが多く、港の繁栄や明るさを願う雅名も目立ちます。区名そのものも港湾地域としての性格をよく表しています。
港区の地名は、大阪港の築港や新田開発、運河・橋梁など港湾に関わる地形や施設に由来するものが多く、区内の町名にもその歴史が色濃く残っています。
宮田村の地名は、平安時代の『延喜式』や『倭名類聚抄』に見える「宮田」に由来するとされます。古くから東山道の宮田駅が置かれ、地域の中心地として発展しました。
宮津市の地名は「宮(神社)に近い津(港)」に由来すると考えられ、古代から港町として知られていました。平城京出土木簡にも宮津郷の名が見え、奈良時代まで遡る地名です。
現地名は中世の湊・牟岐に由来し、牟岐川河口部の地名として知られます。古くは「牟岐郷」とも記され、海と港に結びついた地名です。
室戸市の地名は、古くは「室津」などと呼ばれた港湾地名に由来し、弘法大師の修行伝承と結びついて広く知られています。
門司区の地名は、関門海峡の玄関口として発展した港町の歴史と結びついています。古くから交通・交易の要衝として知られ、近代以降は門司港を中心に地名が定着しました。
木曽川の舟運で栄えた湊町に由来し、「八百」は数の多さを表す美称とされます。町名は「津(港)が非常に多い」ことを示すという説が伝えられています。
只見川の河岸に柳が繁茂していたことから生まれた地名で、水運の要地としての歴史を映しています。柳の大木や船着き場に由来する説が伝わります。
大和村の名は、大和朝廷の時代にさかのぼるという伝承や、大和から来た人々が立ち寄った良港に由来するとされます。明治41年に大和浜から村名をとって大和村となりました。
地名は、室町時代に毎月四日・十四日・二十四日に市が立ったことに由来するとされます。古くは「四日市庭」とも記され、のちに「四日市」と定着しました。
四街道市の地名は、四方へ道が分かれる四街道十字路に由来します。明治14年に建てられた道標石塔が、地名発祥の地として伝えられています。
アイヌ語の「ルスッ(ru-sut)」に由来し、「道の根もと」「道が山のふもとにある」といった意味から生まれた地名とされます。
阿武隈川の南岸に位置し、「川を渡る地」を意味する地名とされます。アイヌ語の「ワッタラ」や船着きに由来する説も伝わります。