語源
遊佐町の「遊佐」は、延長5年(927年)の『延喜式』に出羽国の駅馬「遊佐 十疋」として見え、承平7年(937年)の『和名類聚抄』にも「遊佐郷」と記される古い地名です。町の資料では、千数十年前から今日まで文字も音もそのまま伝えられている、全国でも珍しい地名だとされています。
もっとも、これは**「ゆざ」という地名がいつから記録に現れるか**を示すものであって、その語が何を意味したのかを説明するものではありません。語義については広く定着した説を確認できず、本記事では由来未詳の地名として扱います。地名としての「遊佐」は平安時代にはすでに成立しており、中世には豪族・遊佐氏の根拠地となりました。遊佐氏は地名を名字として称した一族で、この場合も地名が先にあります。
歴史的変遷
| 時代 | 呼称 | 備考 |
|---|---|---|
| 平安 | 遊佐 | 『延喜式』(927年)に出羽国の駅馬「遊佐 十疋」として見える |
| 平安 | 遊佐郷 | 『和名類聚抄』(937年)に出羽国飽海郡の郷名として見える |
| 鎌倉・室町 | 遊佐荘・遊佐郷 | 荘園名・郷名として継続。豪族遊佐氏の根拠地となる |
| 江戸 | 遊佐 | 庄内藩支配下で存続 |
| 明治 | 遊佐村・遊佐町 | 町村制施行後に行政区分が変化 |
| 昭和 | 遊佐町 | 1954年に現在の町が成立 |
地名の特徴
遊佐は、平安時代の文献に現れてから千年以上、表記も読みもほとんど変わらずに伝わってきた地名です。語義が解けていない一方で、地名としての連続性は極めてよくたどれるという、対照的な性格を持っています。
町は山形県最北部、庄内平野の北端に位置し、鳥海山と日本海に挟まれています。鳥海山を水源とする湧水が多い土地で、古くから陸海交通の要所として開かれてきました。ただしこうした土地の性格と「ゆざ」という語を結びつけて説明した資料は確認できていません。