🗾 地名由来辞典

行田市 ( ぎょうだし )

埼玉県 / 行田市 不明時代由来

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行田市の市名は、忍城下の町名「行田」を昭和24年(1949年)の市制施行時に採ったものです。「行田」の語源には諸説ありますが、確実な根拠を持つ説はないとされています。

語源

行田市の市名「行田」は、忍城(おしじょう)の城下町にあった町名を受け継いだものです。市域はもともと忍藩の城下町として「忍」と呼ばれ、明治22年(1889年)に成田町・行田町・佐間村などが合併して忍町となりました。昭和24年(1949年)に市制を施行した際、いったん忍市として発足したのち即時に改称し、行田市となっています。

では「行田」という語自体が何に由来するのかというと、確実な根拠を持つ説はないというのが資料の評価です。『日本歴史地名大系』は、行田を「なりた」と読んで忍城を築いた成田氏に由来するとする説が流布したことに触れつつ、これは高田(小山田)与清『松屋筆記』や『増補忍名所図会』の説を敷衍したもので「いささか牽強のきらいがある」と述べています。『鎌倉武鑑』を引く説についても、「同書は近世後期の編纂物なので、徴証とするにはいささか無理があろう」としています。

町としての行田は、15世紀後半に成田氏が忍城を築いた際、外堀に囲い込まれた集落が移動させられて形成されたと考えられています。つまり城下町の一角として計画的につくられた町であり、その町名がどこから来たのかは、現在のところ明らかになっていません。

歴史的変遷

時代呼称備考
室町行田延徳年間に成田氏が忍城を築城。外堀内に移された集落から行田町が形成される
江戸忍忍藩の城下町。城は忍城と呼ばれたが、『武蔵志』には行田城の呼称も見える
明治忍町明治22年(1889年)、成田町・行田町・佐間村などが合併して成立
昭和忍市 → 行田市昭和24年(1949年)に市制施行、即時に行田市へ改称

大字埼玉と埼玉県名

市域の大字埼玉(さきたま)は、埼玉県名の発祥地として知られています。『万葉集』の「さきたまの津」や「武蔵国埼玉郡」などに見える古い地名で、前玉(さきたま)神社やさきたま古墳群と結びつけて語られてきました。

ただしこれは県名と大字名の由来であり、市名「行田」の由来ではありません。行田市は「埼玉」という地名の発祥地を市域に含む市ではありますが、市名そのものは城下町の町名を継いだものです。

地名の特徴

行田市は忍城の城下町として発展した歴史を持ち、旧称の「忍」と現在の市名「行田」が併存する点が特徴です。城の名と城下町の名が別々に伝わり、近代になって城下町側の名が自治体名に採られました。

市内には古墳時代以来の地名も重なっており、「埼玉」「前玉」といった表記が残ります。城下町の町名、古代の郡名、近代の市名という異なる時代の地名が同じ市域に層をなしている点で、地名史の上でも関心を集めてきた地域です。

特産・名物

行田市を代表するご当地グルメがゼリーフライです。おからにじゃがいも・玉ねぎ・にんじんなどを混ぜて小判形に整えて揚げ、ウースターソースにくぐらせた食べ物で、その名の由来は小判形から「銭フライ」と呼ばれたものが転じたと言われています。100年以上の歴史を持ち、農林水産省の「うちの郷土料理」にも選ばれた行田の食文化です。

同じく行田の名物としてフライがあります。こちらは溶いた小麦粉にねぎや肉などを加えて鉄板で焼いた、薄焼きのお好み焼き風料理です。ゼリーフライとともに「行田のB級グルメ」として広く知られ、市内の複数の店舗で提供されています。

行田市は忍城の城下町として栄えた歴史を持ち、「忍城ゆかりの特産品」としてさまざまな土産品が作られています。

地名の変遷

  1. 江戸 忍(おし) — 忍藩の城下町としての呼称。行田はその城下町のうちの町名
  2. 明治 忍町 — 明治22年(1889年)に成田町・行田町・佐間村などが合併して成立

参考資料・出典

最終更新: 2026-09-01