語源
「富山(とやま)」の地名の語源は、室町時代の表記「外山(とやま)」にある。文献上の初出は室町時代の応永5年(1398年)の文書「吉見詮頼寄進状」で「越中国外山郷地頭職」として登場する。
「外山」の意味は、当時越中国の守護所が置かれていた射水(いみず)の地から見て、「呉羽山の外側(東側)に広がる地域」を指す地形的な名称である。呉羽山は富山平野を東西に分ける丘陵であり、その外(東)側の平野部が「外山(とやま)」と呼ばれた。
江戸時代に入り、「外山」という字が「山の外れ」という消極的な印象を与えるとして、縁起のよい**「富山(とやま)」**へと漢字が改められた。「富める山の国」というイメージが定着し、この表記が現代まで引き継がれている。
県名確定の経緯
1871年(明治4年)の廃藩置県で、旧・富山藩領は「富山県」となったが、旧・加賀藩領(越中北部)は金沢県(のちの石川県)の一部に組み込まれた。その後、1876年(明治9年)に富山県は石川県に合併され、越中国全域が石川県となった。
しかし越中の人々は独自の県の再設置を求める「分県運動」を展開し、その結果1883年(明治16年)5月に石川県から分離独立して「富山県」が再設置された。
歴史的変遷
| 時代 | 区分・名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 律令期 | 越中国成立 | 北陸道に属す令制国 |
| 室町時代 | 外山(とやま)初出 | 1398年の文書に「外山郷」として記録 |
| 江戸時代 | 富山藩成立 | 前田家の支藩として富山城を拠点に発展 |
| 1871年(明治4年) | 富山県成立 | 廃藩置県で旧・富山藩領が富山県に |
| 1876年(明治9年) | 石川県に合併 | 越中国全域が石川県に編入 |
| 1883年(明治16年) | 富山県として再独立 | 分県運動の末に石川県より分離 |
地名の特徴
富山県は一度廃止されて石川県に吸収された後、住民の分県運動によって復活した珍しい歴史を持つ県である。「外山」から「富山」へという漢字の転換は、地形的な実態は変わらないまま字義を好転させた例として、山梨・静岡などと並ぶ「縁起改字」の一例といえる。