🗾 地名由来辞典

都道府県名の由来

富山県 とやまけん

明治時代由来
AI生成

「富山」の地名は室町時代の「外山(とやま)」に由来し、呉羽山の外側(東側)に広がる地域を意味する。江戸時代に縁起のよい「富山」の字に改められ、廃藩置県で県名に採用された。

語源

「富山(とやま)」の地名の語源は、室町時代の表記「外山(とやま)」にある。文献上の初出は室町時代の応永5年(1398年)の文書「吉見詮頼寄進状」で「越中国外山郷地頭職」として登場する。

「外山」の意味は、当時越中国の守護所が置かれていた射水(いみず)の地から見て、「呉羽山くれはやまの外側(東側)に広がる地域」を指す地形的な名称である。呉羽山は富山平野を東西に分ける丘陵であり、その外(東)側の平野部が「外山(とやま)」と呼ばれた。

江戸時代に入り、「外山」という字が「山の外れ」という消極的な印象を与えるとして、縁起のよい**「富山(とやま)」**へと漢字が改められた。「富める山の国」というイメージが定着し、この表記が現代まで引き継がれている。

県名確定の経緯

1871年(明治4年)の廃藩置県で、旧・富山藩領は「富山県」となったが、旧・加賀藩領(越中北部)は金沢県(のちの石川県)の一部に組み込まれた。その後、1876年(明治9年)に富山県は石川県に合併され、越中国全域が石川県となった。

しかし越中の人々は独自の県の再設置を求める「分県運動」を展開し、その結果1883年(明治16年)5月に石川県から分離独立して「富山県」が再設置された。

歴史的変遷

時代区分・名称備考
律令期越中国成立北陸道に属す令制国
室町時代外山(とやま)初出1398年の文書に「外山郷」として記録
江戸時代富山藩成立前田家の支藩として富山城を拠点に発展
1871年(明治4年)富山県成立廃藩置県で旧・富山藩領が富山県に
1876年(明治9年)石川県に合併越中国全域が石川県に編入
1883年(明治16年)富山県として再独立分県運動の末に石川県より分離

地名の特徴

富山県は一度廃止されて石川県に吸収された後、住民の分県運動によって復活した珍しい歴史を持つ県である。「外山」から「富山」へという漢字の転換は、地形的な実態は変わらないまま字義を好転させた例として、山梨・静岡などと並ぶ「縁起改字」の一例といえる。

地名の変遷

  1. 奈良 越中国(えっちゅうのくに) — 律令制下の令制国。北陸道に属す。加賀・能登・越前とともに北陸四国の一つ。
  2. 室町 外山(とやま) — 室町時代の文献に「外山」として登場。越中国の守護所があった射水から見て「呉羽山の外側の地」を意味する。

参考資料・出典

最終更新: 2026-05-01