語源
「長崎」の地名の語源には複数の説がある。
最も有力な説は長崎氏由来説で、鎌倉時代初期(嘉禎3年・1237年ごろ)、桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の一族が長崎港界隈の地頭職を知行し「長崎」を名乗ったことに由来するとされる。旧長崎県庁舎付近の「長い御崎」に館を構えたことが起源で、地名が一族の名前となり、やがて地域全体に広まった。
地形由来の俗説としては、野母崎半島を「長い岬」と呼んでいたものが、長崎弁で「長か岬(ながかみさき)」→「なんかみさき」と転訛し、略されて「長崎」になったとする説もある。
県名確定の経緯
明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で島原・平戸・大村・福江・厳原(対馬府中)などの諸藩が廃止・県化された。同年11月14日、長崎・島原・平戸・大村・福江の5県が統合されて長崎県が設置された。明治5年(1872年)に旧厳原県(対馬)が長崎県に編入され、現在の県域がほぼ確定した。
歴史的変遷
| 時代 | 区分・名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 律令期 | 肥前国・壱岐国・対馬国 | 複数の令制国にまたがる |
| 鎌倉(1237年ごろ) | 長崎氏が地頭職 | 「長崎」の地名が登場 |
| 江戸 | 長崎奉行所管轄 | 鎖国下の唯一の貿易港として繁栄 |
| 明治4年(1871) | 長崎県設置 | 5県統合で成立 |
| 明治5年(1872) | 対馬を編入 | ほぼ現在の県域が確定 |
地名の特徴
長崎は江戸時代の鎖国政策のもとで、オランダ・中国との貿易が唯一許可された港として特別な地位をもった。「出島」を通じた西洋文化の窓口となり、医学・蘭学・キリスト教など様々な文化が流入した。この歴史的背景は地名そのものよりも、長崎という地名が象徴する「異文化交流の地」としてのイメージに深く刻まれている。