語源
「長崎」は、長く突き出た崎(岬) を指す地形語に由来すると考えられている。戦国時代末期までは、現在の諏訪神社付近から長崎港方面へ向けて細長い岬が突き出しており、旧長崎県庁舎の一帯がその先端にあたる。
しばしば長崎氏由来説として、鎌倉時代初期に桓武平氏千葉流(九州千葉氏)の一族が長崎を名乗ったことが地名の起源だと紹介される。しかし先後関係は逆である。 長崎小太郎重綱が長埼浦の地頭職を知行する御家人であったのは嘉禎3年(1237年)ごろとされるが、地頭職はすでに名を持つ土地に対して与えられる職であり、この時点で「長埼浦」という地名が成立していたことを示す。地名としても鎌倉時代に「永崎浦」「長崎浦」の形で確認できる。長崎氏の姓そのものが「長い崎」を意味する地名から生じたものであり、地名の由来をたどると地形説に帰着する。
なお、野母崎半島を「長い岬」と呼んでいたものが、長崎弁で「長か岬(ながかみさき)」→「なんかみさき」と転訛し、略されて「長崎」になったとする言い伝えもあるが、これは音の面白さに着目した後世の俗説とされる。
在地に入った一族が土地の名をとって姓を名乗る例は各地に見られ、地名と氏名のどちらが先かは取り違えられやすい。姓が広く知られた一族の場合はとくに、氏名が地名を生んだかのように語られやすい。
県名確定の経緯
明治4年(1871年)7月14日の廃藩置県で島原・平戸・大村・福江・厳原(対馬府中)などの諸藩が廃止・県化された。同年11月14日、長崎・島原・平戸・大村・福江の5県が統合されて長崎県が設置された。明治5年(1872年)に旧厳原県(対馬)が長崎県に編入され、現在の県域がほぼ確定した。
歴史的変遷
| 時代 | 区分・名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 律令期 | 肥前国・壱岐国・対馬国 | 複数の令制国にまたがる |
| 鎌倉 | 永崎浦・長崎浦 | 地名としての初見。「長い崎」を指す |
| 鎌倉(1237年ごろ) | 長崎氏が地頭職 | 地名をとって長崎を名乗る(地名が先) |
| 江戸 | 長崎奉行所管轄 | 鎖国下の唯一の貿易港として繁栄 |
| 明治4年(1871) | 長崎県設置 | 5県統合で成立 |
| 明治5年(1872) | 対馬を編入 | ほぼ現在の県域が確定 |
地名の特徴
長崎は江戸時代の鎖国政策のもとで、オランダ・中国との貿易が唯一許可された港として特別な地位をもった。「出島」を通じた西洋文化の窓口となり、医学・蘭学・キリスト教など様々な文化が流入した。この歴史的背景は地名そのものよりも、長崎という地名が象徴する「異文化交流の地」としてのイメージに深く刻まれている。