語源
「長野」の地名は、**善光寺平(長野盆地)が「長く続く野(傾斜地)」**であることに由来するとされる。善光寺の門前町として発達した長野村の周辺には広大な原野が広がっており、その地形的特徴から「長野(ながの)」と呼ばれるようになったと伝わる。
現在の長野県は古代から「信濃国(しなのくに)」と呼ばれており、7世紀後半には「科野国(しなのくに)」として成立したことが知られている。「しなの」の語源については、坂道・傾斜地を意味する言葉に由来するという説が有力で、山が多く急峻な地形を反映したものとされる。704年(慶雲元年)には表記が「信濃」へと改められた。
県名確定の経緯
1871年(明治4年)の廃藩置県により、信濃国内の諸藩が統合されて新たな県が設置されることになった。県庁は**水内郡長野村(現・長野市)**に置かれたため、この地名をそのまま採用して「長野県」と命名された。
当初、信濃国の西部(現・松本地域)は別に「筑摩県」として設置されていたが、1876年(明治9年)に筑摩県が長野県に合併され、信濃国全域が長野県として統一された。
歴史的変遷
| 時代 | 区分・名称 | 備考 |
|---|---|---|
| 7世紀後半 | 科野国(しなのくに)成立 | 令制国として成立。東山道に属す |
| 704年(慶雲元年) | 信濃国(しなのくに)に改称 | 漢字表記を「科野」から「信濃」へ |
| 江戸時代 | 信濃国 / 各藩 | 松本藩・高島藩・松代藩など多数の藩が分立 |
| 1871年(明治4年) | 長野県・筑摩県(成立) | 廃藩置県で信濃国が二県に分かれる |
| 1876年(明治9年) | 長野県に統一 | 筑摩県が合併され、現在の長野県域が確定 |
地名の特徴
長野は内陸に位置し海に面していない全国有数の内陸県で、信濃川・天竜川・木曽川などの源流を持つ「川の源流の県」でもある。古代の「信濃国」という呼称が広く使われていたため、県名を「長野」とするか「信濃」とするかの議論もあったとされるが、県庁所在地の地名が採用された。「信州」「信濃」という旧国名は現在も地域ブランドとして親しまれている。