🗾 地名由来辞典

都道府県名の由来

群馬県 ぐんまけん

明治時代由来
AI生成

県名は明治4年(1871年)廃藩置県時の県庁所在地を含む「群馬郡(ぐんまぐん)」に由来する。「群馬」はもと「車(くるま)」と読み、古代の豪族「車持君」や川の曲流など諸説あるが、和銅6年(713年)の勅令で漢字二文字の「群馬」に改められた。

語源

「群馬」の地名のもとは、飛鳥時代の史料に登場する「車評(くるまのこおり)」にある。「評(こおり)」は奈良時代以前の郡相当の行政区画で、現在の群馬県域にこの地名が記録されていた。

和銅6年(713年)、元明天皇の勅令によって全国の国・郡・郷の名称を「好字二字」(縁起のよい漢字2文字)で表すことが命じられた。この改称令により、**「車郡(くるまのこおり)」は「群馬郡(ぐんまのこおり)」**と書き改められた。読みはそのまま「くるま」が「ぐんま」へと転訛した。

「くるま」の語源については複数の説が並立している。

車持君(くるまもちのきみ)説:古代この地に勢力を持った豪族「車持君くるまもちのきみ」の名に由来するとする説。人名が地名化した例として有力視される。

渡来人説:朝鮮半島からの渡来人(呉人・くれびと)が多く居住したため、「呉人の住む土地」が「くるま」に転訛したとする説。

地形説:利根川・吾妻川など河川が曲流(蛇行)することを表す地名「くるま(曲ま)」に由来するとする説。

なお「群馬」という漢字表記が当てられた背景には、この地が朝廷に馬を供給する**牧場(まき)**が多かったことも影響しているとも言われるが、定かではない。

県名確定の経緯

1871年(明治4年)10月28日の廃藩置県で、上野国の諸藩は整理統合されて群馬県が成立した。県名は当時の県庁所在地(高崎・前橋の両市街地を含む)を管轄する大郡であった群馬郡に由来する。

その後、1871年に隣の入間県と合併して熊谷県となり、1876年には再分割されて群馬県が復活した。現在の県域はこの段階で確定した。

歴史的変遷

時代区分・名称備考
飛鳥時代車評(くるまのこおり)藤原京期の史料に初出
713年(奈良・和銅6年)群馬郡(ぐんまのこおり)に改称好字二字令による改名
律令期上野国(こうずけのくに)東山道に属す令制国
江戸時代上野国 / 各藩前橋藩・高崎藩など複数藩が分立
1871年(明治4年)群馬県(第1次)廃藩置県で成立
1871年熊谷県入間県と合併
1876年(明治9年)群馬県(現域)再分割により現在の県域が確定

地名の特徴

「群馬」という漢字は「馬の群れ」を連想させるが、これは後から当てた好字であり、元来の読みは「くるま」だった。それでも馬との縁は実質的にも深く、古代上野国は東国随一の馬産地として知られ、朝廷へ多数の馬を献上していた。現在も群馬県の県章には馬のシルエットが組み込まれており、馬とのゆかりは現代の県民意識にも根付いている。

地名の変遷

  1. 奈良 上野国 — 律令制下では上野国(こうずけのくに)として成立。東山道に属した。「上毛野国(かみつけぬのくに)」を改称したもの。
  2. 飛鳥 車郡 — 藤原京時代の資料に「車評(くるまのこおり)」として記録。和銅6年(713年)の勅令で「群馬郡」に改称。

参考資料・出典

最終更新: 2026-04-28